永久我慢スレにおいて提案された、オシッコをしない女の子の偶像=ノーションというネタに触発されて書いた話。
都心から電車で1時間とすこし。郊外と呼ぶにはやや森深い園に佇む私立霧沢学院。
ここに通うのは10代の、公立で言うならば中学と高校にあたる女の子たちだ。彼女達を尋ね、学院に足を踏み入れる事があるならば聞いてみるといい。
――トイレはどこですか、と。
返ってくる言葉は決まっている。誰に聞いても、みんなきょとんとしてこう言うだろう。
「……何言ってるの? 女の子はお手洗いなんかいかないんだよ」
と。
そう、学院を少し歩きまわってみれば、あちこちに設けられている「洗面所」や「お手洗い」が普通とはまるで違っている事に気付くだろう。一般に“トイレ”を――オシッコをするための場所として示すその単語は、ここでは文字通り顔や手を洗って身支度を整える場所でしかない。
この学院には本当に、女子トイレは設けられていない。
霧沢学院は、ノーション達が暮らしている学院なのだ。
もちろん、ノーションなんて幻想である。
サンタクロースがいないように(少なくとも、世界中の子供達に一晩でプレゼントを配ってくれるたったひとりのサンタクロースがいないように)、オシッコをしない女の子なんていない。
が、霧沢学院はまるでノーションでなければ暮らしていけないような構造をしているのだ。
学校には職員用以外にトイレはないし、そこも職員用のカードキーがないと開かないようになっている。
寮の部屋にも、部室にも、およそ学院の中の全ての設備にトイレはない。
個室に付いているバスルームもただのお風呂と洗面所。トイレという生活に必須のはずの設備は、まるである事自体が不自然であるかのようになくなっているのだ。
学院には中等部に一学年4クラス、高等部に一学年3クラスで、およそ600人ほどが生活している。
通学は許可されておらず、全員が寮生活だ。厳格な十字聖教の教えと厳しい規律の中で礼儀作法や学問を身に付け、ノーションとなるべく生活している。
しかし、前にも述べたようにノーションなんてものは存在しない。
では、ここで生活する600人もの少女たちは一体どこでどうやってオシッコをしているのか。
実はそれは、誰にもわからない。学院に入学した少女達は、合格通知と一緒に新入生説明会でこっそりと、学院の様々な場所に巧妙に隠された自分用のトイレの場所を教えられる。一人の生徒が学院で生活する6年の間、使うことを許されるトイレはただこの1ヶ所だけである。
この広い広い学院で、たった1ヶ所、オシッコをする事を許される秘密の場所。しかしそのことを口外するのは校則で固く禁じられている。たとえ先輩後輩、親友や同級生、ルームメイトにさえも秘密にしなければいけない。もちろんオシッコを済ませているところを見られるのなんてもってのほかで、トイレに入るところや出てくるところも誰にも見られてはいけない。
もし気づかれてしまったら、厳しい罰則が待っている。そして、3回以上トイレを使うところを――
オシッコをする事を知られてしまったら、たとえどんな理由があろうと退学になってしまう。
ここまで厳しい規律が設けられているのには、もちろん理由がある。
ノーションを目指す女の子が社会に出て本物のノーションとして振舞うには、誰にも……それこそ恋人や家族にも気付かれずにオシッコを我慢し、こっそりとオシッコを済ませる為の技術を身につけなければならないからだ。たとえ女の子同士であったとしてもそれを明かしてしまうような女の子は真のノーションには相応しくない。
このあまりに徹底した秘密主義のため、毎年学院の新入生の半分くらいは、自分だけがはしたなくオシッコを我慢していて、他の子達は本当にオシッコなんてしないノーションなんじゃないかと誤解してしまうこともあるほどだ。
霧沢学院には、上級生が入学の決まった新入生候補を招いて行なう伝統的な“洗礼”がある。
これは、新入生が本当に過酷な学院生活に新入生が付いていけるかどうかを選別するためのもので、決して恨みや陰湿なイジメによるものではない。このような試練を耐えられない女の子は、この学院で暮らしてゆく事などとてもできないからだ。
入学を控えた三月半ば、上級生達は新入生候補を学院に招いて、学院の案内をする。
もちろんノーションになるためにここに通う女の子たちだ。いまさら学院のどこにもトイレがない事に驚いたりはしない。たとえ何時間立ちっぱなしでトイレに行きたくてもちゃんとガマンする、しつけの行き届いた女の子たちばかりだ。
そして学院の案内が終わると、上級生たちは新入生を歓迎会、と称してお茶会に招く。
このときお茶会で振舞われるのは、特性の利尿成分入りのお茶だ。学院では喉を潤す飲み物というとまずこのお茶しかない。普通の女の子ならひとくち飲めば1時間はトイレに往復しなければいけないくらいの強力なものだ。
甘いお菓子をたくさん出されて、新入生達は喉の渇きを理由にお茶をたくさん飲んでしまう。
気付いた頃にはもう遅い。新入生達はすさまじい尿意に襲われる事になる。
もちろんこのとき、同じお茶を上級生達も同じだけきちんと口にする。それまでノーションを目指して訓練し、入学試験を通って学院に通うようになった新入生だ、普通の子に比べればずっとたくさんのオシッコを我慢できるし、激しい尿意にだって耐えられる。しかし学院で過ごす上級生たちはそんなものよりもずっと過酷な特訓を日常的に受けて暮らしているのだ。
ほどなく新入生の子は過去感じた事もないほどの猛烈な尿意に襲われ、俯いて脚を震わせ、」まともな受け答えもできなくなってしまう。 もうどうしようもないという我慢の限界まで追いこまれ、けれど優雅なお茶会はまるで休憩など挟まず続き、上級生達は(場合によってはほかの新入生も)楽しそうに話し続けている。新入生はここではじめて、自分とノーションとの違いを思い知るのだ。
そうして、なおもしばらく新入生が限界寸前のオシッコを我慢し続けているのを見計らって、上級生の一人が突然不自然にそわそわしはじめる。この役目は新入生に学院を案内して一番打ち解けた上級生が務める事が多い。新入生は一番優しそうな“先輩”が急に不安になりだしたことに気付いて、その様子を観察し始める。
新入生がはっきりこの先輩役に注目したところで、上級生はさらにはっきりと『ガマン中』の様子を見せつけ、実にさりげなく、けれど不自然ないいわけで席を立つ。
そして、もうどうしようもなくなっている新入生がこれ幸いとそれに続いて席を立ち、あとを追ってくるのを確かめながら、上級生は廊下の突き当たりやカーテンの隙間、清掃用具入れの陰など、いかにも『それっぽい』場所に走りこんででゆく。
そして数分すると、さもすっきりした笑顔で、安堵の息をこぼして姿を現し、鼻歌を歌って見せたりしながらお茶会に戻ってゆくのだ。
実はこのとき、上級生はオシッコ我慢の限界でもなんでもないし、駆け込んだ場所もトイレなんかではない。なにもかも、全てが演技、お芝居だ。
しかし余裕のない新入生はここで厳しい選択を迫られる。学院から割り当てられた自分のトイレはまだ使えず、“お手洗い”にはオシッコのできる場所はなく、仮に使えたとしてもとてもそこまで戻れない。そして目の前には上級生が使っていらしき別のトイレがある――そういうことになるのだ。
しかし、もちろん新入生が廊下の突き当たりや清掃用具入れをいくら探してもトイレはみつからない。当たり前だ。そんなものは元々ないのだから。
この時、ノーションの素質のある聡い新入生は自分が騙されてしまった事を悟り、上級生達が自分とはかけ離れた存在である事を思い知る。
そうなった新入生は、この“洗礼”をパスしたも同然だ。気付かれないように自分のトイレまで向かって、学院生活で最初のオシッコを済ませるか、いけないこととされている他の女の子のトイレを探して使おうとした罰として、さらに頑張ってお茶会に戻り、最後までガマンを通すかもしれない。
しかし――我慢の限界の尿意を持て余し、すっかり『オシッコができる』と思いこんだ状況からさらに期待を裏切られたショックに耐えきれず、とうとうスカートの前をぎゅっと掴み、オシッコで制服と下着をびしゃびしゃに濡らしてしまう生徒もいる。
この“洗礼”でのオモラシは、入学前という事もあり慣例的に誰も見て見ぬ振りを通し、規律違反には数えられないが――この経験で学院の真実を思い知ったまま、入学を辞退する生徒も多い。
そうなった女の子は、ノーションへの憧れを思いきって振りきり、トイレに行ってオシッコをする普通の女の子としての人生を歩む事も多い。
ノーションとしての生活は過酷だ。ノーションは多くの女性と、そしてほぼ全ての男性の夢、幻想を背負って立っている。苦難を乗り越え実際にノーションとして暮らす女の子たちは、ほぼその全てがノーションを目指す女の子たちに自分のような辛い思いをさせたくないと思っているという。
学院の創設者、霧沢雫女史は語っている。
この学院は、全ての女の子の夢を、そして女の子自身を守るためにあるのだと。
――霧雨澪の世界探訪
『ノーションの楽園・霧沢学院を尋ねて』
(初出:リレー小説:永久我慢の円舞曲 188-195 2007/03/19)