そしてとうとう、王様の狩りの邪魔をしたカラパ公爵なる貴族がいったいどんな人間なのかを見極めるため、王様の使いの女騎士がやってきました。ぴかぴかに磨いた銀の鎧を来て、金髪を肩の上で切りそろえた美しい女騎士です。
たとえわがままな王様の命令でも、騎士にとって命令は絶対なのでした。
女騎士はおろおろするハンスをじっと見下ろして、びしっとした声で言います。
「そこな男、カラパ公爵の領地はこちらでよいのか?」
カラパ公爵なんて知らない、と正直に答えてしまいそうになったハンスの唇にしーっ、と指を当て、猫は答えました。
「騎士様。ここはもうカラパ公爵さまの領地にございます」
「なんと。それはまことか?」
「ええ。あの牧場もあの森もあの川も向こうの湖もあっちの家も、全部カラパ公爵の領地でございますよ」
なんと、猫は次々でたらめを並べてゆきます。
本当は、カラパ公爵なんて人はどこにもおらず、獲物のはずのウサギを助けて、王様の狩りの邪魔をしてしまったのはただの木こりのハンスなのですが。
猫は長靴を履いた後ろ足で器用に立ち、ちょこちょこと歩きながら、いかにカラパ公爵がすごい人物であるのかを説明しはじめるのでした。
その後ろでハンスはいつ気付かれやしまいかとはらはらしていますが、猫は心得たものでさも得意そうに村の中を自慢してゆきます。
「カラパ公爵様は大変儀礼に厳しい方にございます。領主が率先して民の手本とならねばならないと、常々気にとめておられます。そのため領民のおおくもああして他人を敬い礼儀正しく過ごしております」
「う、うむ……そうだな」
言いくるめられた女騎士はうなずくしかありません。
王様に逆らったカラパ公爵なる人物がすこしでも無礼な人間なら、すぐに王様に報告して打ち首をしてしまうつもりだったのですが、猫がカラパ公爵のことを褒めちぎるものですから、すっかり思惑が外れてしまったのです。
「この道もこの畑も、カラパ公爵様の領地にございます」
「ふむ……ではあそこで畑を耕しているのは誰だ?」
「あれは、カラパ公爵様の土地で暮らす農民でございます」
「ではあの男に公爵の評判を聞くとしよう」
ハンスはぎくっとしました。猫がウソをつくのならいくらでも女騎士をだませますが、他の人に聞かれたらたちまちカラパ公爵のことなんででたらめだとばれてしまいます。
「では、少々お待ちくださいませ。僕が呼んでまいります」
ですが、猫はまるで動じたふうもなくそう言うと、くわを持った男にぴゅうっと駆け寄っていって何やら話し、ハンスと女騎士のもとまで連れてきます。
ああ、これはいよいよダメだ、とハンスはぎゅっと目をつぶりました。
「そこな農民、ここがカラパ公爵の領地であるというのはまことか?」
「はい、そうでごぜえますだ。カラパ公爵様は大変立派な方でごぜえます。おかげさまでオラも重い税や飢饉に苦しまずこに、幸せに暮らしていられますだ」
「ふむ……そうか。手間を取らせた。これは取っておくがよい」
「へ、へえ。ありがとうごぜえますだ!!」
女騎士が男に金貨を渡すと、男は深々とお辞儀をして畑に戻っていきました。
一体どういうことだろう、とハンスは目を白黒させました。
実は、猫はこの男に、何を聞かれても『カラパ公爵は素晴らしい人だ』と答えれば金貨が貰えますよ、と入れ知恵をしていたからなのですが、女騎士はそんなことに気付きません。
それから、女騎士は猫とハンスの案内であちこちを歩き回りました。とちゅう女騎士は洗濯をしている娘や行商人や、狩人を呼びとめ、カラパ公爵の評判を聞きました。
娘は、公爵様がいるからまいにちお天気で洗濯物がよく乾くと答えました。行商人は、公爵様が商売を認めてくださるのでいいものをたくさん売れると答えました。狩人は、公爵様がいるからたくさんの獲物が取れると答えました。
もちろん彼等には全員、猫がこっそりと入れ知恵をしていたのです。
行商人から氷で冷やした冷たいジュースを買った女騎士はそれをごくごくと飲みながら、カラパ公爵のすばらしい評判をすっかり信じ込んでしまいました。
「なるほど……カラパ公爵どのは、さぞ素晴らしいかたなのだな」
「はい。公爵様は素晴らしいおかたでございます」
「そして、とても広い領地を治めておられるのだな」
「はい。あの森もあの草原も、カラパ公爵様の領地にございます」
猫はそう言いながら、女騎士の前に立ってずんずんと歩いていきます。ハンスもそれについていくのですが、さすがにずっと歩きどおしで、だんだん足が痛くなってきました。
けれど猫はいつまでたっても立ち止まろうとはしません。
「ね、猫、ここも……そうなのか?」
「ええ、あの川もその向こうもその先の森も、ずーっとカラパ公爵様の領地にございます。どうです、素晴らしい眺めでしょう?」
「う、うむ……大層広いのだな」
言葉とは裏腹で、女騎士は景色を楽しむ様子はなく、せわしげにあたりを見回しています。馬も心なしか早足で、ハンスは着いて行くのにも一苦労。そのうち段々と息が切れてきました。
「ま、まだあるのか?」
「はい、カラパ公爵様の領地はまだまだたくさんございます。ご安心ください、僕がきちんとすべてをご案内しますので、迷ったりはいたしません」
「う、うむ、そうか。……は、早く頼む」
「はい」
この頃から、女騎士の様子がだんだんおかしくなりだしたことに、ハンスも気付きました。なんだかずいぶんと先を急かすのです。
「ね、猫、まだ終わらぬのか? あ、あの十字路はさすがに違うのだろう?」
「いえ、あそこもカラパ公爵さまの領地にございます。その先の森の向こうにもカラパ公爵様の領地がございますので、ご案内します」
「う、ううっ……そ、そうか、は、早くしてくれ」
女騎士は首筋に汗をかいて、あぶみに掛かった脚にぎゅっと力を込め、そわそわと手綱を持ち替え、鞍の上でしきりに座る位置を直しています。
そのうち、女騎士の質問が変わりだしました。
「……うっ…猫、では、あちらの水車小屋の陰も、そうなのか?」
「ええ、もちろんカラパ公爵様の領地にございます」
「で、では……っは……ぁ、あの茂みは違うのではないか?」
「いいえ。あの草の一本一本までぜーんぶ、カラパ公爵様の領地にございます」
「……そ、そうなのか……あっ……で、ではあの柵の隅などは……」
これまでは猫の後について歩いていた女騎士ですが、なんだか物陰や草むら、木陰などをしきりに気にして、そちらに馬を歩かせようとするのです。
「騎士様、そちらではありません、カラパ公爵様の領地はあちらにもございますよ」
「う、うむ……だ、だがな、その」
「王様のご命令、さぞ大変かとは存じますが、どうかカラパ公爵様の領地をすべて余すところなくご覧になっていってくださいませ」
「あ、ああ……くぅ……っ」
そして、そんな様子のおかしい女騎士のことなぞまるで気にせず、猫はあちこちに立ち止まっては、デタラメな方角を指差しては『カラパ公爵様の領地です』と繰り返します。そのたびに女騎士は焦ったように返事をし、先を急がせました。
いったいぜんたい何が起きているのだろう? ずっと首を捻っていたハンスに、猫が駆け寄ってきます。
「どうです、もうすぐ面白いものが見れますよ」
それはどういうことだ、とハンスが聞き返すと、猫はすっかり落ちつきのなくなった女騎士を指差しました。
「ほらハンス様、見て御覧なさい。あの騎士様。おかしいったらありゃしませんねぇ。あんなにぐりぐりと鞍に股倉を擦り付けて、あれはもう相当に我慢してますよ」
我慢って、何をだろう。そう思ったハンスに、猫はくすくす笑います。
「何をって、そりゃあ決まってるでしょう。オシッコですよ。さっき喉が渇いたからってジュースをたくさん飲ませたのがたちどころに効きましたね。
ほら、あの女騎士殿はさっきからトイレに行きたくって行きたくってたまらないんですよ。おかしいですねぇ、お城に使える騎士様ともあろうものが、さっきから草むらやら物陰にばっかり行こうとしてるじゃありませんか。お城に帰るまで我慢できそうにないから、こっそり済ませてしまおうなんて不埒なことを考えてるんですよ」
ハンスは、あまりのことにびっくりしました。
あんなにも勇ましくうつくしく若い女騎士が、自分と同じようにおしっこをする生き物だとはとても思えなかったのです。女のきょうだいもおらず、母親もはやくになくし、世間知らずに育ったハンスは、村の幼馴染から言われたデマをいまのいままで信じこんで、女の子はトイレに行かないのだと本当に思いこんでいたのでした。
「ほら、いいから黙ってついてきてください。悪いようにゃしませんから」
呆然とするハンスの肩をたたき、猫は、女騎士を連れまわします。女騎士はもう誰が見てもこっけいなほどにもじもじそわそわと激しくトイレを我慢していて、剣術の試合で相手に切りつける隙を窺っているかのようにぴりぴりと張り詰め、少しでも人目が途切れればすぐにおしっこを始めてしまいそうでした。
とうとう馬の上に乗っていられなくなった女騎士は、近くの木に自慢の馬を繋ぎ、猫に話しかけます。
「な、なあ猫よ、こ、こは……ま、まだ、…っく……カラパ公爵の、りょ、領地…なのか?」
「ええ。そうでございます」
「ま…っ、まだか……その、私はだな、そろそろ……戻ろうと、思うのだがっ」
「そんなことを仰らないでください。僕はカラパ公爵様の領地を全てご案内するように仰せつかっているのです。まだまだ半分もご案内できておりませんので。もし不手際がありましたら、僕が公爵様に怒られてしまいます」
「し、しかし、だなっ……」
「さあ行きましょう!!」
女騎士が何かを言おうとするのも遮って、お城とはまるっきり反対の方向へ歩きだしました。女騎士はたまらず『ああっ』と小さく声を上げます。
それからも猫は焦らすようにくねくねと道を曲がり、騎士をあっちへこっちへと連れまわします。騎士は鎧をかしゃかしゃと鳴らしながら内股になって付いてゆきますが、その歩き方はよちよちと立ったばかりのの赤ん坊のようで、ハンスに追いつくこともできません。
「ぁ、ああっ……だ、ダメ……」
そしてとうとう、女騎士は道の真ん中でしゃがみ込んでしまいました。
銀色の鎧の下で、スカートが小刻みに震えています。
「お、お願い、ま、待って……」
「どうしたんですか騎士様、ここはカラパ公爵様の領地です。ずっとずっとこの先の先の先まで、カラパ公爵さまの領地ですよ?」
「ぁ、ああ……そ、そんなぁ」
女騎士はもうおしっこがしたくしてしたくてどうしようもないのです。けれど、ここはひょっとしたら王様よりもずっとずっと立派で、ずっとずっと広い領地を持つカラパ公爵が治めている場所です。王様の騎士がよその国のものを、許可なく勝手に使うわけにはいかないのでした。
女騎士はもうずっとこうやって、おしっこを済ませるのにかっこうの茂みや物陰を黙って通りすぎさせらていました。それがいよいよ限界になってしまったのです。さっきからずっと内股になっていたのは、スカートの下の下着に滲み出したおチビリが見えないようにごまかしていたのでした。
「ほら、騎士様、そんな道の真ん中でしゃがんでないで立ってください」
「ぁ、嫌、ダメっ……っあ、ぁ、あっ…!!」
女騎士は、訴えかけるようにハンスの方を見ます。けれどハンスがとっさに何をできるわけもなく、女騎士は下着をおろすこともスカートをたくし上げることもできないまま、おしっこを漏らし始めてしまいました。
「ぁあ、や、だっ……だめえ……出ちゃう……ぅっ」
じょぼじょぼと音を立てながら、女騎士の足元に黄色いおしっこが吹き出してゆきます。まるで、女騎士の金髪にそっくりな、美しい透明なおしっこでした。ハンスは、女の子がおしっこをする瞬間、それも綺麗で若い騎士がするオモラシの光景に、すっかり言葉を失っていました。
道の真ん中で、隠すこともできず真っ赤になった顔を俯かせて、腰を揺すりながら、女騎士のオモラシは続きます。
「い、嫌ぁ……ぁ……っ」
女騎士はしくしく泣き出してしまいました。美しい頬に涙があふれても、女騎士のおしっこはまるで止まりません。
「あーあー、こりゃいったいどういう了見です騎士様。カラパ公爵様のご領地で、はしたなくもオモラシなさるなんて」
「ま、待ってくれ、その、こ、これはっ」
猫に言われてはっと我に帰った女騎士は必死に身体をよじって溢れるオシッコを塞き止めようとするのですが、滝のようにこぼれ落ちる水流はまるでおさまりません。あっというまに黄色いおしっこは女騎士の鎧を水浸しにし、スカートをお尻の方までぐっしょりと色を変えてゆきます。道の真ん中に大きな水たまりをつくり、地面に吸いこまれてゆくこともない女騎士の盛大なオモラシを、ハンスは呆然と見つめていました。
「あ、ああ……ダメ、止まらない…っ 、ぜ、全部、でちゃ、う……ぅ……やだ、やぁ……っ」
ぽろぽろと涙をこぼす女騎士に、ハンスは我も忘れてすっかり見とれていました。
すると、猫がハンスの背中を叩きます。
「ほら、何やってるんです。あんな綺麗な女性に恥をかかせたままにするつもりですか、ハンス様」
え? と顔を上げたハンスに、猫はやれやれといったように肩をすくめてみせます。
「助けておやりなさい。……カラパ公爵様のお目に止まらないように、こっそりとね」
猫がウインクをしたので、ハンスはやっとその意味を悟りました。
「……ご、ご迷惑を掛けた……」
やっと落ちついた女騎士は、ぺこりと深く頭を下げました。
女騎士はハンスの母の服を着ていました。古くさい服ですが、ハンスの家に大切にしまわれていた物です。ちょっと大きめの袖からのぞく白い指が、実は女騎士がハンスの思っていたよりもずっとずっと小さな女の子だということを知らせています。
「いや、礼を言うのは私の方だ……その、あ、あんなことの後始末までさせてしまって」
まるで頭から煙を吹きそうに真っ赤になって、女騎士は何度も何度もハンスに頭を下げます。
「お前の……いや、あなたのお名前を聞かせてください。こ、このお礼は、必ずいたしますから……」
……かくして。
カラパ公爵の治める領地は、王様のわがままから解放されて、そこに住む人々はみな幸せに暮らせるようになりました。
そして、それからも時々、お城から女騎士がハンスの家を訪れるようになったのですが……それはまた別のお話。
――めでたし、めでたし。
……おや、みなさんの知っているお話とは全然ストーリーが違う? 悪い人食い鬼がやっつけられてないし、王様の使いの女騎士なんかもともとおはなしに出てこない? いやいや。世の中のおとぎ話はひととおりじゃなくて、たくさんの解釈があるのです。
このおはなしでは、たまたまそうだったというだけのことなのですから、ご心配なさらずに。
それでは。また。
(初出:おもらし特区 SS図書館 2007/12/04改訂)
第6夜 長靴をはいた猫
