我慢の仕草のバリエーションを工夫してみる試み。
「うぁ……すっごい並んでるっ……」
トイレの前にずらりと並ぶ紺色の水着姿に、ミノリは思わずつぶやいてしまった。
給食の用意をはじめる、4時間目終了のチャイムまであと3分という時間、更衣室横のトイレの前で、紺色の水着に包まれた身体がぶるるっと震える。
入り口から覗くふたつの個室はどちらもしっかりと埋まっており、その前には10人近い女の子がシャワーの近くまでずらずらと列を作っていた。
これでも体操が終わって、まっすぐに飛んできたのだ。それなのにこのトイレの混雑ぶりはミノリにとってまったくの予想外だった。
(す、すぐに入れると思ったのにっ……)
予定外の混雑に、オシッコを『おあずけ』されて、ミノリは小さく脚踏みをしながら、下腹部を刺激しないように内股のままよちよちと列の後ろに並ぶ。
トイレはガラガラなら、ミノリはもうとっくに個室に入れていたはずだった。じんじんと疼く足の間を、そっと紺色の水着の上から押さえて、小さく足踏みを繰り返す。
みんなが待ち望んでいた今年最初のプールの時間だが、7月はじめの曇り空、やや肌寒い気温の中での45分間によって、おもいのほか身体が冷えてしまった子が続出していたのだ。
プールの授業は、隣同士の2クラス合同で行なわれる。そのため、普段の授業の倍近い女の子たちが、たった二つしかない個室に並んでいるのだった。そう考えればこの大混雑も仕方がないことと言える。
ただでさえオシッコの近くなるプールの授業を終え、敏感で繊細な少女たちの膀胱は、年齢相応の活発な新陳代謝によって作り出された恥ずかしいホットレモンティーを縁ギリギリまで注がれていた。
「ん……ふっ」
もぢもぢとおしりを左右に揺すり、ミノリは小さく声を漏らす。
ぎゅっと噛み締めた唇からは艶めかしい吐息がこぼれ、汗の浮いたうなじには水泳キャップからはみ出した髪が張りつき、ぽたぽたと水滴をこぼしている。
少女のあどけない頬は薄く朱に染まっていた。たんなる疲労や興奮だけが原因ではない。思春期の女の子にとって、オシッコを我慢する仕草なんて、本来は人前ではけっして許されないことだ。
できるだけさりげない仕草を装って、そっと、濡れた水着の上からおなかを押さえる。ぱんぱんに固く張り詰めた膀胱は石のようで、こころなしか水着のおなかが膨らんでいるかのようにすら思えた。
まださすがにはっきりとした前押さえまでしなくてもガマンはできそうだが、それもいつまで持つかわからない。事実、ミノリの爪先は落ちつきなく脚踏みを繰り返していて、おさまる様子は見られない。
「んんぅ……」
「は、くぅ……」
男子のいない更衣室の中ということもあって、みんなのガマンの仕草も遠慮がない。爪先立ちになって壁に寄りかかったり、ひざをきゅうっと交差させてもじもじとダンスを踊ったり、大胆にしゃがんで、立てたかかとにぐりぐりと脚の間を押し付けたりと、普段ならまずすることがない、はっきりとした『オシッコ我慢』の格好までしてしまっている。中には閉じ合わせた脚の間に手を押しこんで、紺色の水着の上から指を使ってぎゅうっと脚の付け根を押さえてしまっている子までいた。
トイレはすぐ目の前で、こんなところで万が一でも失敗してしまうわけにはいかないのだ。みんながみんなオシッコを塞き止めるために必死だった。
「あ……っ」
「ふぁ……う」
真っ赤になって我慢を続ける女の子たちの手足を、浮かんだ汗が滑り落ちてゆく。
ミノリのすぐ前でも、ボブカットの女の子がはぁ、はぁと荒い息をこぼし、頬を赤く染めながら、羞恥心と戦っている。ちょこんと突き出されたおしりは小刻みに揺れ、前かがみになって前の子の肩を借り、水着の股布のところを手で押さえてもぢもぢと腰を揺すっている。
時折、その子の脚の間を水滴が伝って落ちてゆく。それが水着に染み込んだ水なのか、汗なのか、チビってしまった分なのかはわからない。
彼女はただじっと爪先立ちになった不安定な姿勢のまま、ぎゅっと唇を噛んで上を向き、目を閉じていた。なんとか自分の番までダムの決壊を食い止めようと必死なのだ。
(すっごい、辛そう……)
他人事のように思いはするが、ミノリだって彼女たちに負けず劣らずに辛い。開いているトイレが他にあれば、なりふり構わずにすぐさまそこに駆け込んでしまうだろう。
けれど、列を作るクラスメイトにこうまで全身全霊での必死のガマンを見せつけられては、順番を譲ってくれとも言い出せない。ミノリは仕方なしに口元まででかけた『先、入ってもいい?』の言葉を飲み込んで、ぎゅっと口を閉じる。
(うぅ……ま、まだ……?)
焦るミノリの気持ちとは裏腹に順番待ちの列はなかなか進まなかった。
なにしろみんなプールから上がったばかりで、濡れた水着が身体にぴったり張り付いてしまっているのだ。ただでさえそんな水着を脱ぐのは簡単なことではないのに、さらにそれを不安定なつま先立ちになってやり遂げなければならないのだ。無事トイレが間に合っても、その後でもう一度水着を着なおさなければならず、オシッコの準備と後始末には普段の倍くらい時間がかかってしまう。
だから、列に並ぶ子たちはいつもよりもずっと長い時間、トイレを我慢し続けなければならなかった。
「…………ぅ」
特に列の先頭の子はもう待ちきれないのか、とっくに肩紐を外して、腰の辺りまで水着を脱ぎかけていた。個室が開いたらすぐに飛びこんで足元まで引き下ろし、すぐにオシッコが始められるように準備しているのだ。
まるで50m走のスタート地点に立つみたいに、じっとドアを見つめながら、個室のロックが『閉』から『開』に変わる瞬間を見逃すまいと難しい顔をしている。
その一方で、脱ぎかけの水着に包まった腰は、見えないなにかに擦りつけられるようにくねくねと蠢いていた。小さなおなかのなかでは今もオシッコが激しく暴れていて、その水面がたぷんたぷんと動くたびに腰が揺すられているのだ。
(んぅっ……)
そんな必死のガマンを見せつけられていれば、自然ミノリのガマンの仕草も大きくなってしまう。
左右の体重移動が激しくなり、ふらふらと上半身を左右に揺らしながらのその場脚踏みが繰り返される。
濡れた水着からじわりと水滴がにじみ、脚の内側を伝っていく。
腿の内側を伝う熱い感触は、きっと汗だと自分に言い聞かせて、ミノリは必死に個室が開くのを待った。
『あー、もうオレ我慢できねーっ』
『あ、ずりーぞ!! ちゃんと待てよ!!』
不意にがやがやと表が騒がしくなった。
どうも、隣の更衣室でも男子達が同じようにトイレの大混雑に巻き込まれる状況になっていたらしい。だが、彼等はおとなしく順番を守ることなく、水着のまま更衣室を出ていったのだ。その様子が更衣室の高い位置で開いたままの窓から聞こえてくる。
『うー、漏れる漏れるっ』
聞き捨てならないセリフに続いて、ごそごそとプール横の茂みを踏み鳴らすサンダルの音、そして――じょじょおぉ、じょろろろ、じょぼぼぼぼぼ……と、あってはならない水音が響いた。
ミノリはすぐにその意味を察し、はっと顔を赤くした。
(う、うそ……信じらんないっ……)
男子たちは、あろうことか、プールの横の壁に向かってオシッコをはじめていた。
「や、やだぁ……」
「何やってんのよ、男子ってばっ……!!」
「……最低…っ!!」
たちまち更衣室の中で次々と非難の声が上がる。
女の子たちがみんなが列を作りきちんと並んでいる。できることならみんな、すぐにでもオシッコを始めてしまいたいのを必死に我慢して、トイレが空くまで順番を待っているのだ。それなのにそのすぐ横で、男子たちは勝手にオシッコを――立ちションをしているのである。
(みんな、こんなに我慢してるのに!!)
ちゃんとトイレを使おうともしない、あまりにもデリカシーに欠けた男士たちの振る舞いに、恥ずかしさとやり場のない怒りが込み上げてきて、ミノリも拳を震わせる。
「んもう、あいつらっ……!!」
我慢しきれずに叫んだのはミノリのクラスの風紀委員長だった。まだ濡れた髪のままでかけた眼鏡のレンズが、赤くなった頬の上でほんのり薄く曇っている。委員長もみんなと同じように膝をくっつけて順番を待っていたのだが、それでも男子の狼藉にはいい加減腹を据えかねたらしい。
「ちょっと、何やってんのよ男子!!」
『うお、なんだよ!? 見てんのかよスケベ!!』
「だ、誰がよ!! ちゃ、ちゃんとトイレいきなさいよ!?」
『うるせー、どこでションベンしたって俺の勝手だろー?』
どうやら表の男子たちも、ミノリのクラスらしい。委員長は壁の向こうにいるのが誰なのかも分かっているらしく、言い合いを続けた。
「勝手じゃない!! あたしたちはみんなちゃんと順番守ってるんだから!!」
『……ふんだ、じゃあお前等もこっちきて一緒にすればいいじゃねーか』
「っ、で、できるわけないでしょっ!? 女の子はそんなことしないのっ!!」
『へーん。不便だよなー、女って。漏らすなよー?』
「う、うるさいっ!!」
委員長の返事はほとんど悲鳴のようだった。
けれど委員長の言う通りだ。女の子が、そう簡単に外でオシッコなんかできるわけない。今の今に限って言えば、ミノリは壁の向こうの男子たちがうらやましかった。あんなふうに構わずに外でオシッコができれば、こんな風に辛い思いをして順番を待つ必要もないのだ。
男士たちにからかわれたせいで、列に並んでいるみんなは真っ赤になって俯いてしまった。委員長もとうとう言い返せなくなり、きゅっと下を向いて水着の前を引っ張り出す。恥ずかしさで我慢を刺激されてしまったようだ。
(…………)
いっそ、シャワーを浴びながらこっそりオシッコもしてしまおうか、とミノリが本気で考え始めたところで、個室のほうでざぁあ、と水が流れる。
ガチャガチャと鍵を弄る音が続いて、ドアが開いた。個室に入っていた子がぎゅっと水着を胸のところで抱き締めながら、よちよちと歩み出てくる。
その子は水着を着てはいなかった。一応、胸の前は脱いだ水着で隠しているものの、その下からちらちらとハダカが見えてしまっている。目はちょっと赤くなっていて、いまもちいさくしゃくりあげていた。
「あ……」
ミノリにもすぐに分かった。
みんなの視線から逃れるように、その子は俯いてトイレを走り出、シャワールームに飛び込んでゆく。。
タイルにはびちゃびちゃの足跡が残り、つんとした匂いがかすかに濃くなる。
(オモラシ……間に合わなかったんだ……)
順番を守ってなんとかトイレまでは入ったものの、オシッコの準備が間に合わなかったらしい。たぶん、水着を履いたままオシッコがどんどん出始めてしまって、止まらなかったに違いなかった。
汚れた水着をなんとか脱いで出ていったのだろう。ようく見ると、個室の床はその子が漏らしてしまったらしきオシッコでびちゃびちゃに汚れている。
水着を半脱ぎにしてまで個室に飛び込む用意をしていた先頭の子は一瞬ためらっていたが、すぐに列の後ろの子のに肩を叩かれて、個室に入る。たとえどんなありさまになっていても、ここしかオシッコをする場所はないのだから。
(ふこうへいだよ……こんなの、ぜったい、ずるい……!!)
男子はあんなに簡単にオシッコができるのに、女の子はどうしてあんなに面倒臭くて恥ずかしい格好をしなければオシッコができないんだろう。スクール水着の股間をぎゅっと押さえ、ミノリはくねくねと足を交差させる。きっと男子なら、こんなにも我慢しなくてもいいはずだ。
順番が回ってきたら、もう水着なんて脱がなくていいから、股のところだけ横に引っ張ってそのままオシッコをしてしまおう。小さな子みたいだけど仕方がない。そう思いながら、ミノリはひとり分短くなった列を前に詰める。
間の抜けた、4時間目終了のチャイムの音が聞こえてきた。
(初出:書き下ろし 2008/07/29)