朝食の席で溜息ばかりの静菜を見かねて、母親は眉を潜める。
「どうしたの? 食欲ないの?」
「う、うん……ちょっと……」
重い唇を動かして答える静菜。
実際に気分は最悪に近かった。普段からは及びもつかない、途方もないと形容してもいいような尿意に一晩中、下半身を責めなぶられ続けてほとんど眠れていないのだ。明け方にうとうととまどろんだ他にはずっと意識を張り詰めて寝返りを繰り返していたか、こっそり起きて軽い『おトイレ』をしていたかで、普通に徹夜したのとほとんど変わらない。
事実、鏡を見てもはっきりわかるほど、静菜の表情には疲労が濃かった。
一晩を経て、限界のはずの膀胱にさらに見境なく注がれ続けたオシッコは、ずしりと起き抜けの少女の下腹部を圧迫する。
(う、ぅ、ま、また辛くなってきちゃった……)
食卓の前でオシッコを我慢し腰を揺するのは、静菜にはとても許容できない、はしたない格好だ。けれどオシッコ我慢の百戦錬磨の静菜でさえも、もうそのレベルでコントロールできるほど容易い我慢ではなくなってきている。こっそりと上げた足のかかとで、片方だけ胡坐をかくようにしてそっと、オシッコの出口を押さえる。
「ん、ぅんっ……」
小さな声と共に身体を揺する静菜に、母親はますます怪訝な顔になる。
ほんとうは、横になっていたほうが我慢そのものは楽なのだ。オシッコの重みを、膀胱の出口でダイレクトに受け止める姿勢はかえって静菜を激しい尿意に晒すことになる。まして何かに腰掛けるという姿勢は、洋式便器に座っているのと理論上は同じ姿勢だ。
眠れぬままに、けれど部屋を出ることもできず、何度かベッドに身を起こし腰掛けて繰り返した『おトイレ』のせいで、この格好がオシッコを塞き止めるための姿勢であるということを、静菜の下半身が覚えてしまっている。
(あぁああ……だめ、また『おトイレ』したくなっちゃう……ごはん食べなきゃいけないのに、ま、また『おトイレ』したく、なっちゃう……ふ、普通に座ってる、だけなのにっ……)
ぽこりとせり出した静菜の下腹部は、いつもと違うベルトの穴を使わなければならないほどはっきりと目立っていた。制服の上からそのことを悟らせないようにするため、静菜は普段着慣れないジャージの下を膝まで負って穿いている。これも少しでも下半身を冷やさないようにという工夫でもあった。
「……嫌ねぇ、風邪でもひいたの? おなか出して寝てたんじゃない?」
「んぅっ……!」
身を乗り出して額を触る母親の手のひらに、静菜は反射的に身体を縮めた。もう、場所に構わずどこかに触れられるだけでも尿意が加速するのだ。
「熱は……ないみたいね」
「ね、ねえ、お母さん……」
「気分、悪いの?」
「う、ううん……ね、寝不足で……。あの、今日、学校お休みしたい……」
静菜は、本心を押し隠して悲痛に叫ぶ。
今日、家にいればトイレの修理が終わってすぐに静菜はトイレを使うことができる。いや、そうでなくても家に残っていれば、トイレの故障が直っていなくてもオシッコをすることができるのだ。
一分一秒でも早く『おトイレ』ではなく本当のトイレでオシッコをしたい静菜にとって、何よりも切実な願いだった。
しかし、その思いは母親に届くことはない。
「はあ。もう、だからあんなに夜遅く出かけちゃだめって言ったじゃないの……」
「う、うん……」
呆れたような嘆息。
当然のことだった。静菜が昨日の朝から一度もトイレに行っておらず、今なおオシッコを我慢し続けていることなど、母親にはまったく想像の埒外だ。
「熱、ないんでしょ? ちょっと具合悪いくらいなら平気よ。月曜日なんだし、風邪じゃないんだからちょっとくらい具合悪いくらいで休んだりしちゃダメよ。……ね?」
「え、で、でもっ」
(そ、そうじゃなくて、オシッコ……と、トイレ、行きたいの……。『おトイレ』じゃなくて、ちゃんとオシッコできる、本当のトイレに……)
学校に行ってしまえば、静菜は家のトイレから引き離されてしまう。少なくとも、放課後になる4時、5時まではオシッコができない。そう考えての、少女の悲痛な訴えだった。
「お、お母さん、あの……」
「……ほら、食べられないなら牛乳くらい飲みなさい」
恥ずかしさのなか、小さく抗弁しようとした静菜を遮り、そう言うと、母親はてきぱきと静菜の朝食にラップをかけて片付けてしまった。今日はなにやら用事があるらしく、母親も静菜と同じくらいに家を出るという。ぐずぐずしている暇はないのだった。
テーブルの上にはグラスになみなみと注がれた牛乳が残る。
いつもなら苦もなく飲み干せる量だが、いまやおなかの中に途方もない量の恥ずかしい液体を溜め込んでいる静菜にとって、今は少しでも水分の摂取は避けるべきだった。
……べき、だったのだ。
「どうしたの? それくらい飲まないと元気でないわよ」
「うん……」
確かに言われて見れば、喉がカラカラだった。一晩じゅう続いた我慢は、なおも多くの水分を静菜の身体から搾り取り、オシッコに変え、同時に静菜の体力をごっそり奪い去っている。
静菜は意を決してグラスを掴むと、震える手をごまかすように唇に運ぶ。
(んっ、んんっ、んうゥっ……)
ごくりと静菜の喉が震えるたび、一口ごとに、冷たい感触が食堂を通り抜け、胃の奥へと流れ落ちてゆく。空腹のおなかに流れ込むよく冷えた牛乳は、まるで飲み込むたびに直接膀胱の奥に流れこんでゆくような錯覚さえ覚えさせた。
コップの中身をひとくち飲み干すたびに、静菜の下腹部がびくびくとひきつり、猛烈な尿意の呼び水となって下半身を暴れるようだ。深く沈みこみ、恥骨の上のダムにたまってゆくオシッコの原料の存在感を、静菜は身体で感じていた。
ぞわっと背中を掻きなぞる刺激をぐっと堪え、深呼吸を繰り返して我慢する。
「ん、んぐっ……んぅぅ……んう、っは……」
とうとうコップいっぱい全てを飲み尽くし、静菜は大きく息を吐いた。
けれど確かに、疲れ切っていた身体に朝のミルクはささやかな活力を与えてくれた。空腹感はないが本当はおなかもすいているはずだし、喉だって確かに渇いている。
(……ちょ、ちょっとだけ、楽になったかも……)
そっとおなかを撫で、飲んだ分のミルクが我慢を続けている膀胱を刺激しないよう、念入りに気を使ってから、何度かこっそりと深呼吸。
飲み込んだコップ一杯の水分が、やがてゆっくりと身体の中に納まるのを感じながら、静菜はおもむろに席を立った。
「ごちそうさま……」
「ちゃんと歯を磨きなさいよ」
「うん……」
「あ、あと、お手洗いだけど」
「――――ッッ!?」
不意に飛び出した『トイレ』の単語に、静菜は飛び上がらないようにするので精一杯だった。母親はテーブルの片づけをしながら、静菜に背を向けたまま先を続ける。
「お隣の借りてもいいけど、できれば向こうのおうちに迷惑かからないようにね。さっき寝惚けちゃってたみたいだけど、我慢しないでちゃんと行きなさい」
「う……うん」
そうやって頷くので精一杯。
どうやら、朝のことは静菜がトイレの故障のことを忘れていた、ということになっているようだった。こうなると母親がいる限り、家のトイレに入れるとは思えなかった。とはいえ、母親の出勤を待っていたら学校に間に合わない。どう考えても今朝の静菜が、いつもよりも身軽に登校できるとは思えない。
隣のトイレを借りようにも、まさかきちんと身支度もせずに気軽に入っていくわけにもいかないだろう。
そして、今の状況でそれをすれば、おそらく自分が我を忘れて隣のトイレを占領して『おトイレ』に熱中し、登校時間を過ぎてしまうだろう事に、静菜はなんとなく予想がついていた。
なにしろ臨時的な自分の部屋での朝の『おトイレ』ですら、20分近く続いてしまったのだ。ちゃんとした設備の整った場所での『おトイレ』となると、その誘惑にはとても抗えそうにない。
(私、『おトイレ』のことしか考えてない……最低だ……っ)
いったん波が引いたのか、下腹部はわずかに余裕を取り戻してはいたものの、依然、危機的な状況は予断を許さない。
洗面台に立つ静菜はちらりとシャワールームを見、次に洗面台を見つめる。
それから静菜の視線はしまってある洗面器、水枕、コップ、台所の流し、ボウル、おなべ、フライパン、ペットボトル、計量カップと映ってゆく。いまや、水に関係ある何もかもが静菜にとっての抗いがたい誘惑だった。
(……トイレ……がまん、しなきゃ……)
あと何時間、この苦痛に耐え続けなければいけないのだろう。
静菜にとって地獄の、トイレのない世界の二日目が幕を開ける。
オシッコに行きたくて家に帰ってきた夕方から、ゆうに12時間以上をすぎてなお、永久我慢の終わりは見えない。
「いってきます……」
普段の倍近く時間をかけてもそもそと身支度を終え、ずしりと重い下腹部を抱えながら、カバンを背負って、静菜は母親よりも先に家を出た。
いつもは軽々と駆け下りてゆく大通りの坂が、今日は途方もなく長く、きつく感じる。下り坂はそれだけ激しく少女の下腹部をゆさぶり、オシッコの詰まった膀胱をたぷたぷと刺激するのだ。慎重に歩みを進めながら、静菜は長い長い坂を下っていった。
(んぅ……っ)
一歩を進むごとに、おなかの中のオシッコが出口に進んでゆくような、そんな錯覚すらやってくる。
だが、静菜に安住の地はないのだ。たった一つしかないトイレがあとかたもなく消え失せてしまったこの世界で、静菜はただじっとオシッコの誘惑に耐え続けるだけだった。
そんな静菜を待ち構えている学校での出来事を、静菜はまだ知る由もない。
永久我慢の狂想曲 CASE:浅川静菜9
