水音のある風景・1

 
 たたん、たたん。単調なリズムで車内が揺れる。
 都心からやや離れた私鉄沿線の各駅停車の列車で、『私』はじっと彼女を観察していた。
 指定の制服であろう紺色のブレザーを、崩すことなくしっかりと身につけ、やはり校則で定められたものであろう肩上で切り揃えられた髪が年齢相応の幼さを覗かせる。薄紅色の唇と、長いまつげが印象的な少女は、控えめに言っても美しかった。
 しかし、そんな少女の表情はどこか曇り、かすかな焦燥感すらつのらせて、視線はじっと窓の外に固定されている。
 列車は二つ前の駅で急行に接続したため、夕方ちかくの混雑の時間帯にも関わらずさほど混んではいない。座席の半分ほどしか埋まっっていない車内の中で、空いている席に座ろうともせずドア近くの吊革に捕まっている少女の姿は、一度気にし始めるとやけに目を引いた。
 たたん、と揺れる車内の振動に、わずかに少女の身体が傾く。
 途端、少女の唇がきゅっと引き絞られた。まるで――不快な何かを必死に堪えるかのように。
 背伸びに近い姿勢で精一杯手を伸ばし、高い吊革を無理して掴み。少女は肌寒い車内にも関わらずしっとりとうなじに汗を浮かべていた。
 列車内とは言え吐く息も白い季節。用意を忘れたのかまだ平気と判断したのか、いずれにせよコートなしでは寒いだろう。だというのに、少女は隙間風の入り込むドア前から離れようとしない。『私』は次第に少女の様子に興味を覚えていた。
 吊革を握る手を落ち着きなく握り締め、提げた鞄はさりげなくスカートの前に。ローファーの爪先は、できる限りのさりげなさを装って、左右に小刻みのステップを踏む。
 列車がレールの継ぎ目にさしかかり、たたん、たたんと音を鳴らすたび、少女の小鼻がひくりと震え、詰めたような息が切なげに漏らされる。形の良い眉はきゅっと寄せられて、あどけない容貌には不似合いな困惑をかたどっていた。それはまるで、幼さに似合わぬ色香のよう。
 左右に流れた少女の視線は、通過する踏み切りの一つを捕らえ、そのままドア上の停車駅表示へと向かう。各駅停車とは言え次の駅まではまだ数分――しかし、少女はいまからその到着を待ちわびているようだった。
 焦る気持ちを押さえつけ、一刻も早く、トイレに駆け込むために。
 もはや間違いはないだろう。
 少女が懸命に尿意を堪えているのは、明らかだった。
 ふくらはぎの半分ほどまでしか覆っていない黒のソックスを擦り合わせるように、小さな脚がぴたりと寄せられる。健康的な細い足は、左右に振られる体重に耐えかねるように、間をおかずくねくねと揺すられる。わずかに揺れるスカートは、少女の清楚さを彩るには十分になモノではあったが、それでも初冬の寒さから十分に少女を守っているとは言いがたい。
 曇り空の下の風景は、背筋を震わせるほどの寒さをじんわりと車内に忍び込ませてくる。『私』がこうして座っているだけでもこたえるのだから、彼女が感じている寒さはどれほどのものか。
 わずかな暖房の庇護など吹き飛ばす冷たい隙間風は、少女の脚を這い登るようにしてスカートの下から潜入を続けているはずだった。じわじわと冷え続ける下半身に急かされて、少女のステップは次第に大きなものへと変じてゆく。
 鞄の下でそっと押さえられたスカートの前、前後に小さく揺すられる腰。寄せ合わせ、交差する膝。こつこつと床を叩く爪先。時折息を詰め、きゅっと閉じられる愛くるしい瞳。どれもが『私』の興味をかきたてる。
 ――それでも少女は、尿意を堪えていることを悟られないように必死だった。気付かれていないと思っているのだろう、ローファーの靴底が音を立てるたび、さりげなく再度靴底を床に擦らせ、それと同じ音を立てたり、尿意の大波に耐えるため“ぐいっ”と大きく脚を交差させてしまった直後に、なんでもないという風に膝をこすってみたり。
 そうした様は、少女がとても潔癖に――人前でオシッコを我慢することすらもはしたないと思っているのであろうことを容易に想像させる。
「はぁ……っ」
 じんじんと響く水の誘惑をを堪える小さな吐息が、ドアの窓ガラスを曇らせてゆく。
 不幸なことに、この4両編成の各駅停車にはトイレがない。ゆえにここは少女にとって動く牢獄に等しいのだろう。停車と同時に駆け下りる体勢のまま解放の瞬間を待ちわびるように、少女はじっと、外を流れる灰色の風景を見つめている。
 まだ未成熟な肢体の奥に、そっと秘められた乙女の秘密の場所――恥ずかしい器官を膨らませ、ちゃぽちゃぽと揺れる大量の液体を、意志の力でぐっと押さえつけて。
 量にすれば、おそらくはコップに数杯分でしかない水分を、身体の中に溜め込み続けること――その辛さに、狂おしさに切なげに身をよじる少女は、どこまでもいとおしく思えた。
『カーブです。揺れますのでご注意ください――』
 がたん――
 車内アナウンスとほぼ同時。ゆるやかなカーブに差し掛かった車体が真上に跳ねる。『私』の隣で転寝をしていた買い物帰りらしい主婦がびくっと姿勢を正した。
 不意の衝撃は、車内にいた乗客たちを区別することなく降りかかり――ちょうど込み上げてきた波を押さえ込もうと脚をクロスさせたばかりの少女をも、例外なく狙う。
「っ!!」
 片足立ちの上、いまにも床上に落ちてしまいそうに膨らんだ水風船を抱えて、吊革に半分体重を預けていた少女は、突き上げる衝撃に耐えかねてたたらを踏んでつんのめった。
 閉じていた脚を無理矢理開かされた格好で、細い体が硬直する。
 慣性の法則に振り回され、体内の水面が大きく揺さぶられ――これまで平穏を保っていたためなんとか耐え切れていた尿意が、容器の縁を乗り越えて膨らむ。
 息を呑んだ少女の手のひらが、鞄の上からぎゅうっとスカートの前を掴んだ。車内には背を向けているが、脇から覗き込めばスカートに大きく皺がよっているのははっきりとわかるほどだろう。小さな子供のように脚の付け根を押さえ込み、前かがみになって少女は小さな身体を懸命に震わせる。
 開きそうになる袋の出口をぎゅっと締めつけ、閉じ合わせた太腿をしきりに擦り合わせる。高まる水風船の内圧に耐えかねるように、持ち上げられた脚が交差する。
 半開きの唇からは小さく息がこぼれ、丸まった背中は制服の上からでもわかるほど、小刻みに震えていた。
「っ……」
 三十秒ほどそうしていたか、やがて寄せ合わされていた眉がわずかに緩み、少女は小さく安堵の息をこぼす。
 なんとか、すれすれのところで決壊の危機を乗り切ったようだ。
 だが、それは限界の瞬間をわずかに先延ばししたに過ぎない。高まり続ける水位は依然そのまま、ますます険しいものとなるのは火を見るよりも明らかだ。
 いまや彼女にとって、次の駅までの数分は一秒が数十分にも感じられるであろう長い長い焦燥の時間だろう。しかし少女にできることは、ただじっと耐え続けることだけ。漏れ出しそうなオシッコの出口が緩むのを締め付けて、到着までの時間をやり過ごすことだけだ。
 視線はカタチだけ窓の向こうに向けられているものの、もはや流れる風景を楽しむ余裕などない。少女の意識はいつしか車内を離れ、一足先に次の駅へ――そこに設えられた“オシッコを済ませるための場所”へと飛び立っているようだった。
『まもなく、取崎、取崎――』
 やがて――減速した列車は、車内アナウンスと共にホームへと滑り込んでゆく。先行する急行の待ちぼうけを食ったホームには、少なからぬ人々が列を作って並んでいた。次の次の駅でこの各駅停車は再度特急に接続するためだろう。
 少女はといえば、既にじっと立つ事もできずにいた。もはや取り繕う余裕も失って、ひっきりなしに姿勢を変えては小さく足踏みを繰り返している。
 はぁ、ふぅ、と繰り返される熱っぽい吐息は、少しでも楽な呼吸を探しているのだろう。少女がいつ限界を迎えてしまうかと、半分不安、半分期待で見つめていた『私』は、どうやら彼女が厳しい勝負に耐え抜いたことを知り、心の中で拍手を送る。
 もはや一刻の猶予もないであろうしょうじょだが、それでも列車がさらに減速し、停車線にさしかかると、ドア向こうの人々の視線を気にしたのか、いじらしい努力で慌てて背を伸ばし、足を揃え口を結んで、我慢の足踏みダンスをやめようとする。
 ぷしゅ、と左右に開いたドアから――ほとんど出口に並ぶ人々を押しのけるようにして。少女はホームへと早足で駆け出した。
「…………、……!!」
 恐らくは普段利用することもない駅なのだろう。勝手のわからない様子できょろきょろと周囲を見回した少女は、案内板を見つけてそちらへと走り寄ってゆく。
 地下鉄といくつかのバス路線への乗換えを記した案内板から、目的のマークを見つけ出した少女は、真っ直ぐにそちらへと歩き出した。しかしもう足取りがおぼつかないようで、『私』にも後を追うのはさして難しくない。
 いつもの降車駅ではない駅で降りたということは、それだけ少女が切羽詰っていることの証明だ。目的地まで我慢することも難しいと判断するほどの尿意に身を焦がす少女の内心はいかばかりか。抑えきれない興奮をそっと押し隠し、『私』は少女の後を追う。
 乗り降りで混雑する階段を、手摺を使って登り切った少女は、そのまま躊躇うことなく改札横のトイレへと向かった。
 駅のトイレといえば、多くの利用者もあり、一般には清潔とは縁の遠い場所だ。他人の目も多く、思春期を迎えた少女には使うことに抵抗のある場所だろう。彼女が外見どおりの潔癖な性格ならなおさら利用することは避けたいところのはずだ。
 しかし、余裕を完全に失った少女の様子では、既に頭の中にはそこを利用すること以外の選択肢は残されていそうになかった。途中二度ほど、少女が身を竦ませ、不自然に立ち止まったのを『私』は見逃さない。
 が――
 必死になって少女が辿り着いた駅車内のトイレには、無常にも侵入者を拒絶する『清掃中』の立て札があった。
「うそ……っ」
 すっと青褪めた少女の唇が、小さく絶望の言葉を紡ぐ。
 待望のトイレを使うどころか、中に入ることすらも拒絶され、途方にくれる少女をさらなる尿意の波が襲う。
 ぁ、と小さく声を漏らし、少女は恥も外聞もなく足を交差し、くねくねと身を揺すった。
 トイレの前でもじもじと震え、立ち尽くしている不審な少女を、目ざとい数名の乗客たちが奇異の目で見つめる。
 それに気づいた少女は、かぁっと耳までを紅く染めて、弾かれたように駆け出していた。
 乗客たちの視線を振り切るように、定期券を取り出して改札をくぐる。おもむろにその後を追った『私』は、ほどなく駅前の広場を歩きながらそわそわと周囲を見回す少女の背中を見つけた。
 ぷるぷると震えだしている脚は、もう溢れそうになる熱い雫を塞き止める役には立ちそうにない。
 枯れ木に残った落ち葉を吹き散らし、ひゅう、と吹き付ける寒風は車内の比ではなかった。ダッフルコートの襟を合わせ、『私』は少女を逃さないようにさりげなく視界に収めておく。
 もはやいつ漏らしてしまってもおかしくない様子の少女は、鞄の下で手を重ね、スカートの上から股間を握り締め、唇を噛み締めて、うなじを震わせ小さく声を漏らしながら広場の片隅へ早足で駆けてゆく。
 知らない駅の広場では、どこに行けばトイレがあるのか解らなかったのだろう。道路を一本挟めばコンビニ、喫茶店、食堂のチェーン店も並んでいたが――多感な年頃の少女には、ただトイレを借りるためだけにそれらの店に入ることは躊躇われることだ。
 そして、不幸にして駅前の公衆トイレは、少女が選んだ出口とは反対側にあった。そちらのすぐ近くにはデパートもあり、もしそちらに彼女が向かっていれば、今頃はトイレに間に合っていたかもしれない。
 だが、予想外の『おあずけ』を食らって、既に少女の我慢は限界に達していた。
 内股の狭い歩幅は、もう少女が下着に小さくない染みをつくっていることの証左。頬を赤くしたまま、少女は広場のすぐ裏手、ひとけのない路地裏へと走り込んだ。
 老朽化したビルに囲まれた路地裏は、曇り空の下で一層薄暗い。周囲に誰もいないことを念入りに確認してから、少女は路地の片隅に並ぶゴミバケツの影に走り込んだ。
 本来なら、ちゃんとしたトイレでされるはずだった少女の排泄は――屋外のゴミ捨て場の物陰という、ありえないロケーションで行われるようだった。こんな場所でトイレを済ませようものなら、むき出しのアスファルトに叩きつけられた水流が泡を立て、大きく広がって水たまりを作り、隠しようもない屋外排泄の証拠となるだろう。
 多感な年齢の少女にとって、それは繊細な羞恥心をずたずたにしてしまうほどの行為のはずだ。
 それでもせめて、このまま成すすべなくオモラシをしてしまうよりはマシだと、少女はそう判断をしたらしかった。
 ならば。と『私』は思考をめぐらせる。
 ――スカートを捲り、下着を膝まで下ろしてしゃがみ掛け――いよいよ少女が排泄の体勢をとり、オシッコの準備を終えようとしたところで、路地に面していた裏口のひとつが蝶番を軋ませて開いた。
「え……っ」
 警戒していた視線のすぐ前、全くの予想外のところからの他者の乱入。錆び付いたドアはとても使われているとも思えぬ状態で、そこは少女にとって全くの心理の死角であった。
 それゆえ、しゃがみ込んだ少女の大切なところは遮るものなくすっかり露になり、――今まさに激しい水流を迸らせる瞬間であるのが、はっきりと分かった。
「きゃぁああああっ!?」
 小さな悲鳴と共に、ほとんど反射的に少女は立ち上がり、膝にかかっていた下着を引き上げようとする。同時に身体をよじって、ドアの向こうの相手から顔を隠そうとした。
 だが、
 解放を目前にもはやすっかり準備の整っていた排泄口は、今さらの中断など受け入れることはできず、溜め込まれていた熱い雫をを激しく迸らせてしまう。半脱ぎの下着に勢いよくオシッコがぶつかり、飛び散った雫はまるでホースで水を撒いたように少女の足元に散らばった。
「や、やだっ、でない…でっ……でちゃダメ……ぇ!!」
 じゅじゅじゅぅっ、と吹き出すオシッコを隠すように、少女はぎゅうっと股間を押さえようとする。しかし猛烈な勢いでほとばしる水流はとどまることなく、濡れた布地にぶつかってはくぐもった音を響かせ、あっという間に少女の下半身を侵食してゆく。布地に広がる水流は少女のスカートを色濃く染め、内腿を伝い落ちてソックスに染み、さらには地面にまで広がってゆく。
「ち、違うの――違うんですっ……」
 必死の否定も言葉にならない。そして、今まさにオモラシの最中にそんなことを言っても、説得力など皆無だった。
 この小さな身体で、一体どれほど我慢していたのだろうか。恐らくはずっとずっと長い間、トイレにいけず我慢し続けた結果だろう。下着とスカートをぐしゃぐしゃに濡らし下半身をずぶ濡れにしながら、少女のオモラシは止まらなかった。
 『私』の目の前で、堪えに堪えていた尿意の崩壊に、少女はいつしか快感にも似た開放感に我を忘れて、下半身から激しく水流を迸らせ続けた。
「ぁ……」
 全身から急速に熱が失われてゆくのに気付いた少女が、ぶるる、と背筋を震わせる。
 ぱちゃぱちゃ、と少女自身が作り上げた水溜りには、なおも水流がぶつかって音を響かせる。
 呆然となって立ち尽くす少女の足元からは、ゆっくりと湯気が立ち昇っていた。少女の体内でたっぷりと暖められていたオシッコは、初冬の路地裏の寒さに晒されて、狭い路地裏に、少女特有のほんのりと甘い匂いを漂わせている。
 美しい少女が、下半身を自分の身体から溢れさせた恥ずかしい熱湯に浸してゆく様を――『私』は満足と共に見下ろす。
「っ、……っく、ぐすっ……」
 やがて――長い長い時間をかけ、少女のオモラシが終わった。
 しでかしてしまった失敗を悟るにつれ、呆然としていた少女の表情がくしゃりと歪み――瞳は光を失って、しゃくりあげるように涙が頬を伝う。
 恥辱に押し潰されそうになりながら、ふらりと揺れた少女の膝が折れ、足元の水溜りにぺしゃん、と小さな身体が尻餅をつく。
 少女の目の前には、無人のまま開いたドア。
 器用にそれを押し開けた黒猫は、少女をちらりと見、目を細めてにゃあ、と一声鳴いた。
 (初出:書き下ろし)
 

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