倉庫とビニール袋の話・1

「もーぉいーぃかーいっ!?」
「まーだだよぉーっ!!」
 はしゃぐ子供達の小さな声が、窓の向こうへ遠ざかってゆく。汗ばんだTシャツの裾をつまんでぱたぱたと風を送りながら、美智佳はぽすんと積み重ねられた園芸肥料の袋の上に腰掛ける。
 目鼻立ちの整った表情はわずかな期待といくらかの退屈を覗かせ、短いワンピースのスカートから突き出した細い素足は、サンダルを引っ掛けたままぱたぱたと揺れている。
「もぅ、まだ? ……いつまで隠れてるんだろ」
 肩上の髪がうなじに張り付いているのは暑いからではなく、プールで湿った髪がまだ乾いていないから。塩素の匂いをわずかにさせた前髪をつまみながら、はぁ、と溜息をつく。
「本当、アキちゃんたちの相手してあげるのも疲れるわよね」
 ことさら自分が“お姉さん”であることを強調し、美智佳は大人びたつもりの口調でそうつぶやいた。プール帰りに近所の低学年の子たちとばったり出くわした美智佳は、帰る予定を変更して一緒に遊ぶことになった。かくれんぼなんて子供っぽいと思いはしたが、上級生の“お姉さん”としてはたとえ幼稚でも付き合ってあげるのがオトナのやりかたというものである。
 しかし、付き合いはじめてかれこれ30分。美智佳が見つかったのはまだたったの1回だけだった。もっとちゃんと探せばいいのに、アキたちは鬼になってもまるで見当はずれのトコロばかり探しているのだ。
 いい加減、美智佳は苛立ちはじめていた。
「あっついなぁ……」
 公園の片隅の園芸用品倉庫は、格好の隠れ場所になってくれはしたが、どうにも暑いし、空気も澱んでいてキモチ悪い。手のひらでぱたぱたと顔を扇いでみるが、気休め程度でしかなかった。
 退屈を象徴するように、宙に浮かんだ美智佳の脚はぷらぷらと前後に揺すられる。園芸用品倉庫は2m四方くらいの小さな部屋で、窓がひとつあるだけの狭い空間の半分くらいに、シャベルと肥料、ロープなどがぽつぽつと置いてある。
 春先や秋口にはもっといろいろなものがしまわれているが、この季節はほとんど空なのを、美智佳は去年、夏祭りのお手伝いをして知っていたのだった。とは言え、いまは退屈を紛らわせるようなものも何もないことこそが問題なのだ。
「もぉーいぃーよぉー!!」
 アキたちの合図の声が聞こえる。
 しかし、はしゃぎ声はどんどん遠くなるばかりで、この分ではしばらく美智佳の隠れている園芸倉庫付近まで誰かがやってきそうには思えなかった。
 足元には美智佳の荷物の青いバッグもあったが、中には着替えた水着とタオルが詰まっているくらいで、こちらにも暇潰しになるようなものはなかった。
「はぁ……」
 もう一度溜息をついて、美智佳は口を尖らせ、腰掛けたスカートのおしりをもぞもぞと動かした。
 サンダルを引っ掛けていた爪先がぴんと伸びて、地面をつつく。
 いざ気が紛れないとなると、忘れていたいと思っていたその感覚が、じわじわと無視できないものになってゆくのだ。
「んっ……」
 美智佳は不意に立ち上がると、園芸倉庫の中を歩きだした。さして広くもないうえに荷物があって自由に歩けない狭い空間を、まるで何かに追い立てられるかのようにぐるぐると、小さな円を描いて歩き回る。
「っ、ふ……っ……ぁ……っ」
 ぴたりと立ち止まった美智佳の唇から、ぞわり、ぞわりと波打つように少女の吐息がこぼれる。小さな手はぎゅっと握り締められ、爪先が代わりばんこにぐりぐりと倉庫の床をねじる。
 剥き出しの素足がきゅうっと交差され、とうとう我慢できなくなった手のひらが、寄せ合わされた膝の上からぎゅうっと下腹部を押さえ込む。
(ま、またしたくなってきちゃった……っ)
「んぅっ……」
 目を閉じ、口を閉じてぎゅっと一文字に引き結ぶ。
 ぷるぷると震える腰がほんの少し後ろに突き出され、前傾姿勢になった身体を支えるように壁に手を突いて、美智佳はぎゅうぎゅうと股間を押さえ込む。
 まるで手のひらで自分の身体を持ち上げてようとしているような格好。
 ……もはや美智佳が何を我慢しているのかは、明白だ。
(トイレ……っ……)
 いつのまにか、身体の中でたぷたぷと揺れる黄色いオシッコを下腹部いっぱいに抱えながら。美智佳はひとり、じっと息を潜めていた。
 美智佳が尿意を覚えたのは、ちょうどプールから上がって更衣室で着替えていた時だ。
 市営のプールは実のところあまり綺麗ではなく、トイレもできれば使いたくない古びて汚れている場所だったので、よっぽどのことがない限り美智佳は使わないことにしていた。
 その時の感覚はまあ、ちょっとオシッコしたい、くらいの軽いもので、家に帰るまで十分間に合うだろうと思われたので、美智佳はそのままトイレには寄らず、我慢することにしたのだった。
 事実、帰っている途中はほとんどオシッコは気にならなかったし、アキたちのかくれんぼに付き合うことになった頃にはすっかり忘れていた。
 だが、一旦は引いていたオシッコの波は、かくれんぼの間一人でじっと物陰に隠れているうちに再び潮が満ちるように高まり、ついさっきからはこうやってぎゅっと前を押さえなければ我慢できないほどになりつつあった。
(……もぅ、どこ探してるのよっ、みんな……)
 じりじりと高まる尿意に急かされ、美智佳もいい加減、そろそろ切り上げて家に帰らねばならないと思い始めていた。
 困ったことにこの公園にトイレがないので、ちょっと休憩というついでにオシッコを済ませることはできないのだった。
 と言って、まさかここでオシッコをしてしまうわけにもいかない。美智佳は窓を見上げ、ちらちらと周囲を確認して思案する。
(どうしよう……かな)
 このまま黙って帰ってしまおうか。それとも隠れるのを止めてアキたちに見つけてもらうか。せっかく遊びに付き合ってあげている“お姉さん”としてはなんとなくそれを言い出せず、ずるずると今に至っている。
「…………」
 こうなるとはやく鬼が見つけてくれるのが一番なのだが、困ったことにその鬼がまるで役に立たないのだった。
「んっ……」
 また、オシッコの波の予兆を感じ取って、美智佳の脚がきゅうっと緊張する。今度はそう簡単には乗り越えられなそうな、大波の気配だった。
(……や、やっぱりもういいや、アキちゃんたちには悪いけど、か、帰ろうっ)
 そう決心した美智佳は、ともかく倉庫を出ようとドアに手をかける。
 ――だが。
「え……、なにこれ……ちょ、ちょっと……っ!?」
 ドアノブには何の手ごたえもなく、くるくると回るばかり。いくら力を込めてもがちゃがちゃと音を鳴らすだけで、まったく開く様子がない。
「う、ウソでしょっ!?」
 困惑から焦燥へ。美智佳は声を上げ、ドアノブを掴んでドアを揺さぶる。だが、押しても引いても叩いても、一体何をどうした具合か、園芸倉庫のドアは硬く閉ざされたまままったく開こうとしなかった。
 がんがんとドアを叩き、美智佳は乱暴にドアをゆする。
 わずかにがたがたと扉は揺れるが、所詮少女一人の力でこじ開けられるわけもない。動かなくなったドアは、まるで壁と同じように、狭い園芸倉庫を密室に変えてしまう。
「あ、開けてよっ……だ、誰かイタズラしてるの!? ねえっ!?」
 荒げた声に答えるものはいない。窓の外からは、かわりにじわじわと鳴く蝉の声だけが響いている。
「ウソ……本当に開かない……の…?」
 美智佳が閉じ込められたことを理解したとき、それを見計らったかのように高まり出していた尿意が一気に攻勢をかけてくる。
「ふぁうっ……っ!?」
 ドアをノックしていた美智佳の両手が、ばっと股間に集まる。手のひらがあそこに重ね当てられて、十本の指がワンピースのスカート生地の上から脚の付け根を握り締めた。
「や、やだっ……あ、あっ、あっ」
 きつく噛み締めた奥歯が美智佳の表情を強張らせ、クロスされた脚がくねくねと擦り合わされる。下着にあふれそうになる熱い雫が、ぷくりとオシッコの出口を膨らませては、収縮する括約筋に押し戻されてゆく。
「ぁ、あっ、あっ、あーっ……」
 尿意を堪える声が高くなり、美智佳の手足は一層緊張に強張った。
(いやぁ……だめ、と、トイレぇっ……)
 助けを求めて、スカートから離れて握り締められた手が、閉ざされたドアを力なく叩く。もう一方の手はぴったりとスカートの前に張り付いて大胆に股間を握り締め、美智香は今にも崩れ落ちてしまいそうな身体を必死に支えた。
 ぐぃっ、と引き絞られたワンピースのスカートの中、少女の股間を覆う下着の奥で、イケナイ感覚が溢れようとしている。
「ぁ、ぁ……ぁ、~~…っ……!!」
 か細い悲鳴を上げながら、美智香は懸命に緩みそうになる下腹部の水門を締め付ける。身じろぎと共に腰が左右にくねり、健康的に日焼けした膝ががくがくと震えた。
(ダメ、だめだめっ、オモラシなんか絶対ダメなのっ……!! ちゃ、ちゃんとガマンできる、できるんだから……っ)
 膀胱の貯水量の限界に迫りつつあるオシッコを押さえ込み、美智香は自分を叱咤する。もうおねえさんの自分がこんなところでのオモラシなんて、決してあってはならないことだった。
 ふ、ふ、と唇を噛んで声を飲み込み、息を詰めて、美智香は執拗な『オモラシ』の誘惑に抵抗し続ける。これはもはや少女のプライドをかけた、オシッコとの戦いだった。
「ねえ、だれかいるの?」
 不意に声がかかったのはその時だ。
 窓の向こうから、アキの声が聞こえた。
「っ、あ、アキちゃんっ」
 美智佳が助けを求めようと声を上げた瞬間だった。
 じわぁ、と下腹部に熱い衝撃が走る。油断した瞬間を狙い済ましたかのように、不意打ちで込み上げてきたオシッコの波が、とうとう美智佳の防波堤を乗り越えたのだ。
「ぁ、あっ、あっ……!?」
(だ、だめ、ダメぇっ!!)
 きつく押さえ込まれたワンピースの下、白い下着に包まれた美智佳の脚の付け根の奥でで、ぷしゅっ、じゅっ、じゅうううっ、と禁断の水音が響く。
 排泄孔からぷしゅうと吹き出した水流は、股布にぶつかって白い布地をあっという間に侵食してしまう。ワンピース越しにじわっと手のひらを汚すおチビリの感触に、美智佳は背筋を震わせた。
「いや、いやぁあっ」
 くねくねと腰を揺すって漏れ出すオシッコをせきとめようとする美智佳だが、努力の甲斐もなくあふれ出したオシッコは下着の保水力を突破し、寄せ合わされた内腿にこぼれ出した。日焼けした膝をつうっ、ちょろろっ、と水流が伝い、健康的に日焼けした脚を汚してゆく。
「あー、美智佳おねえちゃん? ここに隠れてたんだぁ。美智佳おねえちゃんみーぃつけたーっ!!」
「っ……」
 暢気に鬼の役目を果たすアキ。しかし美智佳はそれどころではない。
(だめ、お、オモラシなんかっ……絶対ダメぇっ……)
 くじけそうになる心を叱咤し、緩みそうになる水門を手のひらの力を使って押さえ込む。しかし、下腹部の奥で収縮を繰り返す膀胱は美智香の意思に反してオシッコを搾り出そうと、じゅう、しゅるしゅるるっ、と断続的に熱い雫を滴らせる。このままでは、おチビりを通り越してオモラシに到達するのも時間の問題だ。
「~~……っ!!」
「おねえちゃん? ねえ、おねえちゃん見つかったんだよ? こんど鬼だからね? ねー、美智佳おねえちゃんー? どうかしたの?」
「っ、あ、アキ、ちゃんっ」
 限界ぎりぎりのところで踏みとどまり、あそこを押さえながら声を振り絞る美智佳。けれど、声を出そうととするとオシッコまで一緒にじゅわあと吹き出してしまい、思うように言葉が続かない。
 だが今は、アキに頼るしかこの密室を抜け出す方法はないのだ。
「アキちゃん、あの、こ、ここ、開かなくなっちゃったのっ、ね、ねえお願い、開けてぇっ!!」
「えぇーっ!? ほんとう!?」
「み、みぎのほうに、ドア、あるからっ」
「うんっ、わかったっ」
 ぱたぱたと足音が響き、アキが倉庫のドアに向かう。
「……あれ?」
「そ、そっちじゃなくて、反対のほうよっ」
「えーと、えっと、おちゃわん持つほうが右手で……」
 あまりにも頼りないドア向こうの救出部隊。美智佳はくじけそうになる心を必死に励まして、オシッコ我慢の姿勢を続ける。懸命の努力でなんとかおチビリは止まっていたが、またいつ再開してもおかしくない状態だった。
(あとちょっと、ちょっとだけ我慢すれば出られるのっ!! も、もうすぐ、ほんのすこしだけ待てば出られるからっ、だから、オモラシなんかダメっ、ぜったいだめっ……!!!)
 両手の指でぐいぐいと濡れた下着を握り締め、ばたばたと足をその場で踏み鳴らし、美智佳はドアの向こう側のか細い希望に心を繋ぐ。
 だが。
 がちゃがちゃ、と倉庫のドアノブをいじったアキは、あっさりと告げた。
「んーっ、んーんっ。……ねえおねえちゃん、これ開かないよぉ?」
「え……そ、そんな、ウソでしょ!?」
「うそじゃないもん。ぜんぜん開かないよっ」
 疑われて気分を害したか、ちょっと怒った声のアキ。
 それはいまや死刑宣告に等しい言葉だった。目の前が真っ暗になるのを感じながら、美智佳は背筋に冷たいものを覚える。
「そ、そんな……ぁ」
「これじゃあ、おねえちゃん見つけたーってできないね。どうしよう?」
 この期におよんで悠長なアキの声。美智佳はおもわず叫んでいた。
「そ、それじゃ困るんだってばっ!! は、早く開けてっ……」
「だからぁ、開かないの。おねえちゃん、ちゃんとアキのおはなし聞いてなかったの?」
(そ、そんなことじゃなくてっ……!!)
 かくれんぼなどと言う瑣末な問題ではなく、いま美智佳が直面しているのはもっともっと、逼迫して差し迫った超緊急事態なのだ。暢気なアキにとうとう我慢できず、美智香の苛立ちは形になり、オシッコに濡れた手で、ばんっ、と壁を叩いた。
「アキちゃん、だ、誰でもいいから、おとなのひと呼んで来てよっ」
「えー?」
「いいから早くっ!! も、もう我慢できないのっ!! お願い!!」
 もはや我も忘れて、美智佳は叫んでいた。まったく話の分かっていないらしいアキに“お願い”するのははなはだ不本意で、不安なことこの上ないが、さりとてこのままでは埒があかない。
「早く、ねえ、早くしてお願いだからっ!! あ、あのね、アキちゃん。その……おねえちゃん、ぉ、おトイレ……がまんしてるの!! だからお願い、アキちゃんっ、早くして……!!」
「ええー? そうなの? おしっこ? おねえちゃんおしっこしたいの?」
「……っ、そ、そうなの、だからお願い……っ、アキちゃん、はやく…」
 アキのような小さな子にとはいえ、……いや、むしろ小さな子相手だからこそ、耐え切れない尿意を伝えるのはあまりに屈辱的だった。しかし、背に腹は変えられない。そうでもしなければ、この逼迫した事態をアキに伝えられるとは思えなかった。
「んー、わかったー」
 本当の本当に分かってるんだろうか。思わずそう聞き返したくなる。
 けれど、アキの足音はそのまますぐに小さくなっていった。遠ざかる小さな望みに、切なく高まる下腹部の危機をゆだね、美智佳はじっと待つしかなかった。
 (初出:書き下ろし)
 

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