雨の日のバスの話

 降り続く雨は、このまま夜まで止みそうにない。
 薄黄色のレインコートの裾を揺らし、長靴がちゃぷ、と脚元の水たまりを跳ねさせ、結局憂鬱なお天気のまま終わってしまった日曜日に、茜は小さく口を尖らせる。手にぶら下がった傘はデパートを出てきたときのまま、防水の細長ビニール袋に入ったままぶらぶらと揺れている。
 バス停の屋根に吹き付ける雨は、時折強くざあっと雨音を響かせ、弱まる様子を見せずにいる。夏休みに入ってからもじめじめと続き、相変わらずすっきりしないお天気は、日曜日の今日も変わらなかった。
「……バス、まだかな……」
 そわそわと落ち着かない様子で、黄色いレインコートの裾を払い、茜はぽつりとつぶやく。
 時刻表の予定時刻を十五分ちかくも過ぎてなお、バスはやってこず、デパート前のバス停で列を作る乗客たちをいらいらとさせていた。赤ちゃんを抱きかかえるママ、腕時計を気にするTシャツのおじさん、皆が口には出さないものの、いつまでたってもやってこないバスに胸の中で文句を言っていた。
(もぉ、はやく来てよぉ……)
 レインコート姿の茜もそんな中の一人。
 もうずいぶん経つのに、一向に姿を見せないバスを気にして、さっきからしきりに雨に霞む2車線の道路の向こうを気にしている。
(どうしよう……まだ来ないなら、いまのうちに……でも、もうずいぶん待ってるし、すぐに来るかも……)
 この雨の様子では、一本後のバスもいつやってくるものかわかったものではない。そろそろ5時半を過ぎ、すでにロスタイムをぶっちぎって門限突破は確実。これ以上遅くなるとお母さんは鬼みたいにカンカンだろう。夏休みに入ってからもう三回もそれで叱られているので、できれば次のバスになることは避けたかった。
 しかし、茜が焦る理由はそれだけではない。原因が単純な時計の針だけなら、こうやってレインコートの裾を所在なげに押さえてしまう説明には不十分だ。
「んっ……」
 俯いた茜の太めの眉が、きゅっとハの字に垂れ下がる。レインコートの裾から覗く長靴の底は、忙しなく足元の水たまりにぱちゃぱちゃと波紋を描き、傘の先もぐりぐりとアスファルトの上をなぞっている。
 茜はいま、じっと息を殺し、一生懸命になって、おしっこに行きくなるのを我慢し続けているのだった。
「……っふ……」
 切なげな吐息がちいさく茜のくちびるを震わせる。ぶるる、と震えた背中に合わせて、レインコートの裾を水滴がこぼれおち、ぴちゃん、と地面に跳ねる。
 最初、デパートを出ようとした時にもそれなりに催していた尿意は、予定時刻の5分前からいつバスが来るか来るかと待っているうちにどんどんと増し、かれこれ20分以上。いまや我慢は耐え難いレベルにまで達しつつあった。
 こんなことなら早いうちにトイレに行っておけば、と思うがすべて後の祭だ。予定時刻をオーバーしている以上、いつバスがやってくるかまるきりわからない。あとすこし、あとちょっと、と思っているうちに、バス停は並ぶ人たちで大混雑となっていた。雨を避けて屋根の下に集まる乗客たちは肩を寄せ合ってぎゅうぎゅうで、茜がトイレに行くのを邪魔しているかのようだ。
(……うぅ……トイレ、行ってきたいけどっ……、いつバス来るかわかんないし、乗り遅れちゃったらもっと遅くなるし……)
 トイレに行きたいのを我慢すれば、どうしてももじもじと内腿を擦り合わせてしまうのを押さえられない、小さく左右に揺れてしまう腰を、周りの乗客たちに気付かれないかと不安になりながら、茜はきゅん、と震えそうになるおしっこの出口を、ぐっとおしりの孔に力を篭めて締め付ける。
 デパートに戻れば、トイレに入ることは簡単だが、そこでおしっこを済ませて戻ってくるには、どう控えめに見ても5分以上の時間が必要だった。いつやってきてもおかしくないバスが到着して、並ぶみんなを乗せ出発するには十分すぎる時間だ。
「……まだ、来ないの……?」
 不安とともに道路の先を覗き込む茜。四角く大きな緑色の車体は、しかし雨に霞む道の向こうには見当たらない。
(あっ……なんだ。トラックか……あれも違う……あれも……あれも……)
 雨に煙る道を、信号の点滅とともに何台もの車が走り過ぎてゆく。バス停の近くで、家族連れを迎えに来たらしきワンボックスカーに、歓声を上げて小さな子たちがお父さんお母さんに連れられて飛び乗ってゆく。
 道の向こう側では、水飛沫を跳ねさせて突っ切ってゆく乗用車にズボンを汚された背広のお兄さんが、傘を降って文句を言っていた。
「うぅーっ……」
 焦れば焦るほど、おなかのなかでちくちくと強まる尿意の存在感が増してゆく。レインコートの下でスカートを脚の間に巻き込み、茜はぐり、がり、とビニール袋に包まれた傘の先を強くアスファルトに押し付けた。その反動を使って、傘の柄を握る手のひらを脚の付け根に押し付ける。
(っく……はぁ……っっ……ぁ、っ、もお、ちょっとぐらい、おさまってよお……)
 じん、じん、と強まるおしっこの波に、茜はぎゅっとくちびるを噛んで手を握り締める。その場で背伸びをするように身体を伸ばし硬直させて、まるで本当の波に押し流されないように、溺れないように息を詰める。
「っはぁ、ふぅ……」
 レインコートの足元がまたぱちゃ、と水音を立てる。茜はぎょっとして脚の間を覗き込んだ。まさかもう漏れちゃっている……ということはなかったが、言うことを聞かない長靴の脚が、水たまりの水面を跳ねちらかすのは押さえられない。
「っ……あ」
(だ、だめ、やっぱりトイレ……っ!!)
 いつまで経ってもおさまる様子のない、おなかのなかで暴れ続けるおしっこに、とうとう茜は音を上げてしまう。もう遅くなって怒られてもいい。そう決めると、茜はバスを待つ行列を掻き分けて、デパートの入り口に戻ろうと踵を返した。
 だが――ちょうど、その時。
「あ!!」
 誰かが、やっと来た!! と歓声を上げた。クラクションとともにバス停に姿を現したバスが、むうっとする熱気とともに停車する。
 行列はざわっと蠢いて、バスに乗る準備を始める。
「ぁ、……っ」
 ちょうど列から離れてかけていた茜を抜かして、待ちきれない数名がバスの乗車口に押し寄せる。その後ろで、年配の二人連れが、茜のほうを気にするようにちらっとそちらを見た。
 乗らなくていいの? と視線で訴えかけられ、茜はその場に硬直してしまう。
(ど、どうしよう……)
 ずっと待ちきれなかったはずのバスだが、いちどトイレに行こうと決めた今は、乗るのが躊躇われてしまう。トイレに駆け込むつもりで走り出した茜の身体は、いいからはやくトイレに行って、おしっこをしようよ、と訴え続けている。
 今の茜には、バスよりもむしろトイレのほうが待ちきれない。
 茜の家の最寄のバス停までは、およそ20分あまり。ここから気持ちを切り替えて我慢の延長戦をするのは、かなり難しいことにも思えた。
「ねえ、乗らないの?」
 戸惑っている茜を、後ろにいたおねえさんが、少し苛立った声で急かす。
「あ、の、乗りますっ!!」
 どこか怒ったようなその声音に、茜は思わず反射的にそう答えてしまっていた。
 幸いにして――というべきか。長く遅れた割にはバスの中はそこそこに空席が目立っていた。ちょうど、夕方の買い物にバスに乗ってきた乗客がずらりと降りたことも理由ではあるだろう。
 そんな中、茜は後部座席のひとつに座ることになった。
 デパートのトイレに後ろ髪を引かれる気持ちで、茜はまだ乗車口の近くにいたい気分が大きく残っていたのだが、ずらりと並んで後から後から乗ろうとしてくる乗客たちに押される形で、茜は追いやられるように、出口から最も遠いうちのひとつの座席に押し込められてしまう。
「んぅ……っ」
 座席に腰掛けるときにも、びりびりっ、と我慢している下腹部に電流が走り、茜は思わず声を上げそうになってしまう。
 そろぉ、と隣を見れば、太ったおじさんが小さなバッグを握り締めて、窓に寄りかかるようにいびきをかいていた。ひとまず、じいっとこっちを不審に見られるようなことはなさそうだ。
(……がまん、できる……かな……)
 今になって、迂闊なことをしてしまったんじゃあ、と不安がこみ上げてくる。周りを気にしながらも、茜はそっとレインコートの間に手を挟み、ぎゅうっと脚の付け根を押さえ込んだ。
 バス停にいた乗客全員が乗った頃には、車内は真ん中の通路にまで人が立って並ぶ混雑ぶりで、茜が簡単に降りれそうな様子ではなくなっていた。もし途中で我慢できなくなったとしても、通路を通り抜けて途中下車するだけでも一苦労だろう。
「っ……」
 まるで密室に閉じ込められてしまった気分だった。ひょっとしたら、今からでも考え直したほうが――と弱気になりかけた茜だが、すでに時遅く、ぷしゅう、と音を立ててドアを閉めたバスが、次のバス停をアナウンスしながら発車する。
 ゆっくりと遠ざかるデパート前のバス停を思わず目で追いかけながら、茜は小さく身体を縮こまらせた。
(……っ、……お、おしっこ……)
 切実な要望が、茜をさらに追い詰める。
 目の前にあるはずのトイレから無理矢理に引き離され、いまや茜は誘拐でもされてしまったかのような気分だった。
 雨の中の車道は、多くの車でいっぱいで、渋滞と言っても差し支えない。
 さっきの家族連れもどうなのだろうが、濡れないようにとなれば車が混むのも当たり前で、出発したばかりのバスは赤信号でもないのに道の真ん中で停車してしまう。バスが遅れている一番の理由は、間違いなくこのせいだ。
 しかし、茜にしてみればたまったものではない。折角飛び乗ったバスが、歩いているよりも遅いのでは困るのだ。
(は、はやく……っ)
 すでに座席の上でそわそわと身をよじり、まだかまだかと気が気ではない茜はなんどもバスが進むようにと強く念じる。しかし、バスは時折がくんと動いては、のろのろっと進んですぐ停車することの繰り返し。
「っ、」
(はやくしてよっ……お、おしっこ……っ、トイレ、行きたいのにっ……)
 ぷしゅう、とまたバスが停止する。びっしり並んだ赤いテールランプの向こうに、三つ並んだ信号が赤を灯らせているのが見える。渋滞の中で右折の列はなかなか進まず、時間ばかりが過ぎてゆく。
 出発して早くも数分が経過したが、まだ、次のバス停までもたどり着いておらず、大きな背の高いデパートの建物はしっかりとバスの中からも見える状態だった。そのせいで、茜はいまだにいっそ今からでも飛び降りてデパートに戻ったほうが、という考えを振り切れずにいた。
 これではまるで生殺しだ。
 蒸し暑い車内は、混雑のせいで冷房もうまく効いていなかった。びっしりと混み合う乗客に濡れた傘に衣服と湿気の原因も多く、お世辞にも快適とはいえない。おまけに停車のたびにアイドリングストップで冷房を切るせいで、不快指数はみるみる上昇していた。
 言葉にはならないが、ぴりぴりとした雰囲気があたりを支配し、茜はそのことにも不安を募らせる。
(……ど、どうしよう……どうしようっ……) 
 背中にじっとりと浮かぶ汗が、レインコートの下に篭もって、首筋と脇を気持ち悪く濡らす。息が自然と荒くなり、口の中にも生唾が浮かぶ。
 さっきから、もうすぐ『大津波』が来そうな予感があった。さわさわと小さく波打つ尿意が、不気味な予兆を見せて細かい振動を伝えるのだ。もしここで、本当にこのままおしっこがはじまっちゃったら……恐ろしい想像に茜はぎゅっと身体を丸くする。
 身動きが取れないほどにぎゅうぎゅう詰めのバスの中、もちろん車内にトイレなんかあるわけもない。交差点の真ん中で下ろしてくれるとも思えず、といって次のバス停すらもまだ先だった。そもそも、ここから先のバス停は茜もよく知らないところばかりだ。降りて近くにトイレがあるのかどうかも分からなかった。
 でも、たとえ場所が分からなくとも、次のバス停で降りるべきだろうか?
 最悪、道端でしゃがみ込むようなことがあっても――このまま、バスに乗ったまま、オモラシなんてのよりは、マシかも知れない。
(ぁ、あっ、あっ、だめ、っ)
 そんなことまで考えたせいか、予感が、はっきりとした予兆へと変わる。
 長い赤信号はまだ変わらない。バスは傾いたままワイパーだけを動かし、乗客たちは不機嫌な気配を隠すこともなく、じっと目を閉じて窮屈で退屈な時間が過ぎるのを待っている。
 茜に気をかけてくれるような人は、誰もいない。
(っ、とっ、トイレ……っ、トイレしたくなっちゃった……っ……!!)
 ぷくり、とおなかの奥から熱い濁流がおしっこの出口めがけて押し寄せてくる。トイレでもなんでもない場所で、猛烈な尿意がやってくる。
 茜はきつくレインコートを握り締め、ぎゅうっと脚の付け根をねじり付ける。傘を足の間に挟み、腿をぐっと押し付けて圧迫する。しかしそんな急ごしらえの防波堤などを、いくら重ね合わせても、まるで鉄砲水のような勢いを押しとどめられるわけがない。
(や、だめ、だめぇ……でないで、おしっこ出ちゃだめっ……!!)
 必死に声を殺してもじもじとお尻を揺する茜。そんな茜の隣で、んん、と眠っていたおじさんが機嫌悪そうに唸る。茜は息を飲んで硬直した。
 薄目を開けて窓の外を見たおじさんは、うるさそうに茜のほうをちらりと見て、また荷物を抱えなおして目を閉じた。今度はさっきのようにいびきはかかない。
「っ……!!」
(っ、じ、じっとしてたら、で、出ちゃうっ……!!)
 わずかな身じろぎすら封じられて、茜は八方塞がりだ。
 そうしている間にも、茜の脚の付け根、下着の股布にはじわり、じわわっと暖かい染みが広がってゆく。
(だ、だめぇ、でちゃう、でちゃうぅ……っ!!!)
 小さな亀裂が、水圧にこじ開けられようとする。もはや一度突き崩された堰を塞ぎなおすことは不可能だった。ぎゅっと締め付けた脚の間にじゅわあ、と拡がるおチビリの感触に、茜の鼻の奥がつんと熱くなる。
(っ、は、はやく、はやくっ、はやくしてぇ!! トイレ、トイレ行きたいんですっ……おしっこ、でちゃう、おしっこ漏れちゃう、漏れちゃう……っ!! つ、次、つぎでおりますっ、降りますからぁ!! だから、はやく、はやくっっ!!!)
 もう限界だ。茜はぎゅうぎゅうと脚の間を揉みしだきながら、身体を伸ばして降車ボタンを押した。ぴんぽん、という音とともに次停まります、のランプが点灯する。さっき乗ったばかりの茜が、しかも後部座席に座っておいてもう降りる、ということに、乗客の数名が迷惑そうな顔をする。
 しかし茜はもうそんなことを気にかけている暇がない。バスを飛び降りて、もういっそそのままバス停標識の陰でだっていい、そこでおしっこをしてしまったって構わない。このまま座席シートの上でのオモラシに比べれば、まだずっとマシに違いない。そんな思考ばかりが頭の中をぐるぐると暴れまわっている。
 いまや茜のおしっこは、ガラスのコップの上に、表面張力で盛り上がっているような状態だ。ふぅー。ふぅーっ、と息を繰り返しぎりぎりの綱引きを繰り広げる茜の前で、ようやく、長々と灯っていた赤信号が変わる。
(き、来たっ、きたぁ、はやくっ、はやくはやくはやくはやくーーーーっ!!)
 が、一旦は勇ましくエンジンを始動させたバスは、また無常にもたった数台ぶん前に進んだところで停まってしまった。右折待ちの車の列は対向車線にびっしり並ぶ直進車に遮られてそのまま動かず、バスは諦めたようにエンジンを切る。
(あ、あっ、あ、あっあっ、お願い、はやく、はやくして、もう我慢できないっ、もうでちゃう、おしっこでちゃうっ!! おしっこしたいの、おしっこ漏れちゃうのっ! お願い、お願いぃっ!!)
 茜の懇願は、しかし誰にも届かない。空しくも青信号は黄色に変わってしまう。茜は無駄と知りながらも、伸ばした手で何度もバスの降車ボタンを叩いた。ピンポン、と響く音が繰り返され、周囲の乗客たちがじろっと茜を見つめる。
「あ、っ……」
 茜はひっ、と喉奥に悲鳴を飲み込んで、慌てて手を引っ込めた。ささいな自己主張すら許されず、茜はぐす、と小さくしゃくりあげる。
(っ、お願いお願いしますっ、次のバス停で、次でいいですからっ、おしっこ、下ろしておしっこさせてくださいっ、オモラシしちゃいそうなんですっ、おトイレ、おトイレしたいんですっ、お願い、お願いしますっ……!!)
 そんな、ひり付くほどの茜の切実な願いもむなしく。
 赤色に変わった信号によって、かすかな希望は打ち砕かれた。
「ぁ……っ」
 声にならない悲鳴が、茜の喉から絞り出される。
 このあと、次に信号が変わって、前の車が全部問題なく交差点を曲がって、バスがそれに続いて、さらにもうひとつの信号も過ぎて、それでバス停に到着。席を立って、人がびっしり並んだ車内を横切って、お金を払って、バスを降りて――そこから――
(っ、ま、間に合わないっ……!!! も、もうだめ、もうがまんできないっ……で、でちゃっ……でちゃう…ぅっ……!!)
 じゅっ、じゅぅ、しゅるっ、しゅるるっ…… 
 レインコートの下で音を立て始めるおしっこの先走り。熱い雫がじゅわぁっと脚の間からおしりの方へと広がる。一度緩んだ出口は、漏れ出す濁流を押さえ込むことはもうできず、後から後からおチビリを繰り返す。もはや、それが本格的なオモラシへ発展するのは時間の問題――それもいいところ数十秒の問題だ。
(あ、あっ、あ、だめっ、オモラシだめ、オモラシだけはだめぇ!!! お、おしっこっ、おしっこっ……な、なんでもいいからおしっこできるところっ!! おしっこするところぉ……っ!!!)
 ほぼ動く密室に近いバスの中、このまま床一面に恥ずかしい水たまりを広げるのは、絶対に避けねばならなかった。茜はいまにも焼け切れてしまいそうな頭をフル回転させて、『おしっこを出す』場所をはじき出す。
 全く余裕のない中で、茜が取った行動はこの上なく迅速だった。
 椅子の上に浅く腰掛け突き出した腰の下、脚の間にある下着の股布を、これでもかというくらいぐいぃいっ、と横に引っ張り、おしっこの出口をあらわにする。
 これで、ひとまず下着が濡れるのは回避できる。
 しかしそのまま出してしまえば、オモラシよりもひどいことになるのは明らか。そこで、茜は――
(お、おトイレ、っ……、これ、おトイレにすればっ……)
 傘の入った細長の防水のビニール袋を、引っ張るようにして股間に押し当てたのだ。ちょうど大きめのサイズの袋だったため、茜の傘を入れてなお、袋の口には結構な余裕があった。拡げたそのビニール袋の口めがけ、激しい水流がほとばしる。
「あ、ぁっ、あっ」
(っ、~~~~~ッッ……!!!)
 身体の真ん中、芯を貫き突き破るように、強烈な衝撃が走る。押さえる手はないのでぎゅっとくちびるを噛み、声を上げないようにして茜は叫びを飲み込む。
 拡がって脚の付け根、おしっこの出口に押し当てられたビニール袋の中に、勢いよく黄色い水流がほとばしり、内側にぶつかって飛び散って、ばらぁああ、と小さな音を立てる。
 我慢し続けただけあって、その勢いは恐ろしい。細長いビニール袋にたちまち受け止められるおしっこは、茜の傘をしどとに濡らし、ひたして、じょぼじょぼと激しい音を立てた。
 隣に立っていた女性が、小さく鼻を動かしてそれに気付き、ぎょっとして傘入れのビニール袋の中におしっこを済ませている茜を見るが、すっかりおしっこに夢中になっている茜はそれに気付けない。
 見る間に半透明の袋の中に、薄黄色の熱い液体がものすごい勢いで溜まってゆく。見る間に袋の下三分の一がいっぱいになり、大きく膨らんで形を崩す。
 それでもなお、茜のおしっこはとまらなかった。
(あ、あっあ、あっ、あっ)
 熱い濁流の迸りとともに、じんっ、じんっ、と響く甘い疼き。尿意からの解放が腰をふうわりと浮かせ、腰骨から恥骨にかけてを途方もない心地よさが走り抜ける。トイレではない場所で――本当はおしっこをしてはいけない場所でするおしっこなのに、これまで茜が経験したどんなおしっこよりも、きもちがよかった。
 とうとう傘袋の半分以上を満たし、水面に大きく泡を立てながらも、ようやく茜のおしっこは勢いを弱める。じょろぉお、という音はさっきよりも大きく響き、今度は確実に、茜の周りの大人たちをぎょっとさせた。
「ふぁ……っ」
 じゅうう、と弱まったおしっこは、まっすぐには飛ばずに茜の脚の間に飛び散り、ビニール袋の入り口を外れて床に垂れ落ちてゆく。
 ちょろ、ちゅうぅ、と脚の間からシートにこぼれるちょろちょろとした雫が、さらに何度か吹き出し、茜の座る座席シートを色濃く汚した。
「はぁ……、っ……」
 そうして、一仕事を終えた茜が大きく溜息をついて、目を開けたとき。
 周りの乗客たちの視線は、少女がビニールの傘袋の中に終えた大量のおしっこに、まじまじと注がれていた。
「……あ……っ」
 ようやく、ことここに至って、自分が何をしたのか――熱の冷めた茜の頭が回り始める。自分が何をしでかしてしまったのか。バスの車内、衆人環視の中で、あろうことか傘袋の中におしっこを済ませた――その一部始終を、見られてしまったことに。
 茜は、やっと気が付いた。
「え。あ、あ、あの、あのっ……が、ぅんですっ」
 がくがくと口が震える。ちがう、と唇だけが動くが、何の言い訳もできないことは茜自身が何よりもはっきり理解している。いま、出したばかりのほかほかのおしっこが、傘入れの細長いビニール袋を、たぷんたぷんといっぱいに膨らませているのだ。
 まだ下着を引っ張って、あそこも丸出しにしたまま――無数の針の視線の中に晒されて、硬直した茜の指先がすべり、傘が床を擦る。
「い、いや……ぁ…ッッ!!」
 と、茜のおなかの中の代わりに、ぱんぱんになるまでおしっこを注ぎ込まれていた袋が、とうとう限界を迎えた。ぱちん、とまるで風船がはじけるように、開いた穴から地面にオシッコがざぱぁ、とこぼれ出す。
「ーーーーーーーーーーー!!?!?」
 騒然となる車内の中――
 ようやく、忘れたようにバスは、次のバス停に停車した。
 (初出:書き下ろし)

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