部活のイジメの話

「お、お願い!! トイレ!! トイレ行かせてっ!!」
 ついになりふり構わずマキは懇願してしまう。
 背中にガムテープで固定された両手は自由にならず、腰はジャージで椅子に縛り付けられたまま。上は半袖のトレーニングウェア、下にはスパッツだけという格好で、もう1時間も冷房の効いた教室に放り込まれているのだ。
 唯一自由な両脚も、さっきからぎゅうぎゅうと交差されては組み替えられ、脚の付け根の紺色の布地は、色こそ変えてはいないもののその内側に溜まりに溜まった大量の恥ずかしい液体をありありと想像させるように、惨めなくらいに皺が寄せ合わされている。
「えー? もうギブアップ? まだ3時だよ? これからが本番じゃない、部長」
「ねえ、ホントよね。『口ごたえはあとグラウンド10周追加ー!!』だよ?」
 マキを囲むように座る少女達は、それぞれ防寒対策ばっちりのジャージにアンダーウェアまで着込み、椅子に腰掛けてスナックなど齧っている。設定温度18度という常識外れな温度下でも余裕たっぷりな彼女たちに比べて、冷風の直撃を浴び続けているマキはすでに限界に近いほどに唇を青くさせ、冷や汗を浮かべながら小刻みに身体を震わせていた。
「あ、部長? そんなに汗かいちゃって、ひょっとして喉かわいてるんですか? じゃあお代わりあげますねー。はい、口開けて?」
「ちょっ、あんた達、やめッ……んぐっ、ぅうっ!?」
 たちまち見事な連携で少女達がマキを拘束し、無理矢理顔を上向かせると口を開けさせて、卓上に何本も並んだペットボトルから一本を選び、その中身を流し込んでゆく。
「水分供給って大事ですからねー。特にこの季節、熱中症にならないようにちゃんと飲まないとだめですよー?」
「ごほっ、んぐ、ぅっ、んぅうっ!?」
 むせ返り窒息の恐怖に堪えながらも、必死に息を継ぐマキの喉には、またごぼごぼとよく冷えた“あの”お茶が流れ込んでゆく。
「んぐっ、っ、げほっ、ごほぉっ!! っ、い、いい加減にしてッ!!」
 苦しさに暴れ回るマキは、脚を振り回してどうにか少女たちを振りほどくことに成功するが、その頃には500mlの大半がおなかの中へ流れ込んでいた。
 ぜえぜえと息を荒げ咳き込む惨めなその様子を目にしながら、少女達はまたくすくすと陰湿な笑みを浮かべる。
「もぉ。そんなにこぼしちゃって。もったいないなァ部長」
「ねえ。折角飲ませてあげてるのに。乱暴ですねー」
「な、なんなのよあんた達!! も、もう分かったっていってるじゃないっ、い、一体なの権利があって、こん、なっ……っ」
 睨もうとした視線、叩きつけようとした鋭い言葉が、こみ上げてくる尿意に遮断される。胃の中に流れ込んだ水分が、そのまま硬く張り詰めぱんぱん膨らんだ膀胱の中に溜まってゆくようだ。冷え切ったマキの身体の中、ここだけがまるで熟したように熱を持って脈動を続けている。
「はぅッ……」
 何度も飲まされ続けたあのお茶には、何か妙な細工がしてあるのはもう疑いようがなかった。水分補給に最適、などと言っていたが、恐らくは強烈な利尿作用を伴っているのに違いない。マキの下腹部はたとえようもないほどにじんじんと疼き、まるで焦げ付くように強烈な衝動が、内臓を鷲掴みにしたかのような錯覚すらある。
 そんなお茶をまた、コップ1杯以上飲まされてしまったのだ。実際の効果以上に、新たに水分を摂取したことによる心理的な圧迫は厳しい。
「んん……っく……はぁ、ッ……」
 ぷるぷると顎を震わせ、脚をきつく閉じあわせ、『催してしまった』マキはこみ上げてくる猛烈な尿意の波に耐える。俯いた顔を紅く染めて腰をくねらせ、唇を噛み締めるマキの様子に、周囲の少女達はますます陰湿な笑みを濃くしていた。
「ねーえ、部長、ひとつしつもーん。本当にもう限界なんですかー? 県大会準優勝の優秀な部長さんがぁ、ちょっと苦しいぐらいでそんなに簡単にギブアップなんかしちゃって、いいんですかー?」
「そうだよ。普段あんなに『軽々しく限界なんて言わない!!』とか言っちゃってる人が、たった1時間でなんておかしいよねぇ?」
「っ……だ、だから、それは……っ」
 今期から部長を任されたマキの指導が、かなり熱の入った強引なものであり、精神論を振りかざした内容からも一部の部員たちからは鬱陶しく思われているのはマキ自身も自覚しているところではある。しかしそれも、これまで人一倍努力を重ね、自信を付けて県大会でも成果を出してきた自分の経験に基づくもので、決して無謀なことを押し付けてきたつもりはなかったはずだ。
 だが――それはこうして、彼女たち部員によるマキへの私的制裁、という最悪の形で裏切られてしまった。
「あのさ、誰も彼もおんなじように出来るわけないじゃない。別にわたし、大会とか興味ないしさ。いまどき流行らないって、あーいうノリ。……ってか部長、空気読めなすぎなのよ」
「まあ言うだけなら簡単だけどねー。けっきょくこれで口だけちゃんだって証明されたわけだし? いいんじゃないの?」
「っ…………」
 好き放題な言われ様だが、マキに返す言葉はなかった。やる気を見せない部員たちに、売り言葉に買い言葉で散々張り合った挙句――たった1時間で、限界を催しトイレを訴えてしまったのだ。
 惨めなほどに擦りあわされるスパッツの脚は、県大会上位入賞をもぎ取った実力など無関係に、必死に尿意に抗する事だけに専念させられている。この惨めな姿こそがいまのマキの敗北の証だった。
「ね、ねえ……もういいでしょう!? わ、私にも過ぎたところはあったし、それも認めるわ!! ……だ、だから、いい加減にこんなことは……っ」
「あっはは、本当にもう限界なんだねー部長。可愛い。プルプル震えちゃってさー」
「でもねえ、まっさか、ここでオモラシなんてことないですよねぇ? 曲がりなりにも部長なんですから、ちゃんとトイレまで我慢してくださいねー?」
「そうそう、栄光ある我が部の部長が、トイレのしつけもできてないんだーなんて噂されるの、恥ずかしいですし」
 部員たちは口々にマキの羞恥をえぐる。そうすることでさらにマキが辛くなるのを彼女たち一人一人がよく理解していた。事実、ちりちりとまるでとろ火の様に下腹部を炙る尿意は、強烈な利尿作用を伴ってますます激しくなり、いまや沸点を超えてなお熱量を溜め込んでいる。ほんの少しの弾みでいつ突沸してもおかしくない具合だった。
「だ、だから……ね、ねえ、早くッ!! こ、これ、ほどいてっ……も、もうダメなの、と、トイレ……!! っ、漏れちゃうっ……!!」
 がたがたと椅子を揺らし、マキは少女のプライドをかなぐり捨てて叫ぶ。いまや出口をこじ開けんとする水圧を塞き止める水門は、辛うじて一本の細い細い糸で緊張を保たれているようなもの。こうしている間にも崩壊のカウントダウンは着実に進んでいる。
 マキはスパッツの下になにも身に着けていなかった。短距離を専門にする選手などは動きやすさを優先するためこのような手段をとることもある。
 一応、パットは縫い込んであるが、もともと下着の一種のスパッツは非常に布地が薄く、まともな保水力など期待できない。我慢に我慢を重ねたオシッコはわずかでもちびったら最後、股布を素通りして外に吹き出してしまうだろう事は明白だった。
「だからさ、練習時間終わるくらいまで我慢って言ってんじゃない、部長。それともなに? マキちゃんてば、それっくらいも我慢できないの?」
「うふふ、おしっこ出ちゃうー、もう漏れちゃうのぉー、だって。あははっ」
 部員の一人が始めた口真似に、どっと笑い声があがる。
「っ……」
 マキは耳まで赤くなり、さらに厳しくなる下腹部の衝撃に、必死になって脚を重ね合わせた。股間を覆う紺色の布地はぐいぐいと引き伸ばされ、皺を寄せ合い、ねじられ、こねあわされ、びくびくと痙攣を繰り返す。
 本当なら両手でぎゅうぎゅうと股間を握り締めてもなお足りないくらいの事態だ。少しでも気を抜いてしまえば、そのままオモラシが始まりかねない。
「そ、あと4時間くらいだから、部長なら余裕ですよね?」
「そうそ、余裕余裕。ガマンできるでしょ? 準優勝のマキちゃんならさぁ」
「っ……」
 当たり前のように無茶を言って、部員たちは一向にマキを解放する気配を見せなかった。そんな、まさか、いくらなんでもと思いつつも、マキの心は最悪の結果を否定できずにいる。もしもこのまま――と、万一の事態を想像してしまい、マキはぶるっと怖気に背筋を震わせた。
(そ、そんなの……嫌……っ)
 最上級生になってのオモラシなど、どんな理由があろうと絶対に許容できない恥辱だ。しかし今のマキにできるのは、声を枯らし、生殺与奪を握った部員たちに必死になってトイレを訴えることだけだった。
「ねえマキちゃん、そんなにしたい? ねえ、おしっこ出したい?」
「ッ、あ、あったり前、でしょぉッ……!!」
「あー、そんな言い方していいのかな? さっき教えたこと、もう忘れちゃった?」
 くすくすと笑う部員たち。散々股間をいたぶられ、ぐいぐいと下腹部を圧迫されながら、とうとう最初に限界を訴えた時の記憶がマキの脳裏をよぎる。
「お、お願いします、も、もぉ、漏れそうなんです…………ぉ、おしっこ…っ、…さ、させてください……ッッ!!」
 一音節を発するだけで頭の中身が蒸発してしまいそうな、猛烈な羞恥に耐えて、マキはどうにかその言葉を口にした。身をよじりながら訴えるマキに、更なる爆笑が巻き起こる。
「ふふ、そぉんなにおしっこしたいんだ。はい、じゃあね、どーしてもおトイレまでガマンできないマキちゃんに、特別におトイレを用意してあげましょうねー。よかったですねー? マキちゃん?」
 ことさらにマキを子ども扱いする口調で、部員の一人が鼻歌と共に近くのバッグを漁り、その中からひとつのモノを取り出した。
「うふふ、はいこれ、どうぞー」
「そ、それ……ッ!!」
 マキは言葉を失った。それは昨年、マキが夜遅くまで必死に努力を重ね、とうとう県大会で手に入れた――準優勝のカップだった。いまは部室に飾ってあり、それを目標にと、今年マキが部長を任されるきっかけを作った品でもある。
 この2年間の努力の結実であり、同時に誇りでもある品を、いつの間にか他人に勝手に持ち出された事への怒り――よりも先に、何故それがここにあるのかという事実がマキを困惑させる。
「っ、な、何考えてるの、アンタ……!?」
「うふふ、だからぁ」
 銀色にきらきらと輝くカップが、マキの腰掛ける椅子の下にことんと置かれる。それはマキの左右の脚の付け根の間、ちょうど今にも吹き出しそうなオシッコの出口のすぐ下だ。
「だから、ト・イ・レ、ですよぉ部長? これに、おしっこしていいんですよ? ふふ、これが、どーしてもおトイレまで我慢できない、マキちゃんのおしっこ専用のトイレ。ね?」
 にこり、と笑顔で、彼女は取り出した紙片をカップに貼り付ける。
 紙片には太いマジックでご丁寧に『マキちゃんのオシッコトイレ』と書かれていた。
「ッ………!?」
 あまりのことに言葉を失うマキに、はっきりと声に出しながら部員たちが笑いあう。
「よかったねぇマキちゃん、これでおしっこできるよぉ?」
「ガマンしてたんでしょ、しちゃっていいよ? あ、もちろん片付けるのもマキちゃんだけどね」
「ほんとにしょうがないなぁマキちゃんは。ちゃんとトイレも我慢できないんだから」
「ッ、はぁ!? な、なに考えてんの、あんた達ッ……!? ば、馬鹿じゃないの!? こ、こんなことしてッ……冗談もいい加減にしてよッ!!」
「えー、冗談なんてそんなことないよ? ねえ?」
 くすくす、と笑いあう部員たちは、まったく訂正の気配すらも見せない。
 本当に本気なの、と、マキは声を詰まらせた。
「い、いいから早くトイレっ……こ、これほどきなさいよぉ!! このままじゃ、本当に間に合わなくなっちゃうッ……」
「もう、だから言ってるじゃない? マキちゃんのおトイレはそれだってば。さっきからさ、おしっこ行きたいっていうけど、一人で歩いてトイレまでいけないんでしょ? せっかく用意してあげたのに、いらないの?」
「っ、あ、あんたッ……」
 歯を食いしばると共に、マキは戦慄する。断じて言っておきたいが、歩けないのは単に、椅子に縛り付けられているからだ。
 どうあっても、彼女たちはマキを解放するつもりはないらしい。
「そんなとこで漏らしちゃったら床汚れちゃうし、先生にも怒られるし? いつ漏らしちゃってもいいようにそのままにしといてあげるよ。……うふふ、でも、マキちゃんがいっぱいおしっこしちゃったら、溢れちゃうかな?」
「マキがちゃんと我慢すればいいんじゃない。ねー、部長なんだからさぁ」
 県大会までたどり着くのに、どれだけの努力を重ねたことだろうか。間違いなく血の滲むような練習の繰り返しだ。他の子が遊んでいる間、眠っている間、怠けている間、全てを犠牲にしてマキは努力を続けてきた。
 競技会で泣いた子だってたくさん居る。同じように上を目指す多くの選手たちと競い合って、倒し、勝ち、手に入れた――そんな憧れと誇りの象徴を――彼女達はトイレ代わりにさせようと、しているのだ。
「っ、………っ」
 負けるわけには、絶対にいかない。マキは必死になって歯を食いしばり、尿意を飲み込もうと身体を揺すっては腰を震わせ、息を荒げる。悲壮なまでの覚悟で、マキは彼女たちの挑戦を受ける意志を表示した。
 もう、トイレ行きたいなんて軟弱なことは絶対に口にしない。強い意志で身体の要求をねじ伏せて、マキはじっと部員たちを睨む。
「ふふ、頑張るねぇ部長?」
「み、見てなさい、よっ……、そ、そんな捻じ曲がった根性、叩きなおしてあげるからっ……」
「はーい、覚悟しておきまーす」
 あくまでも軽い調子で――マキが勝てないと分かっているかのように――くすくすと嘲笑を浴びせる部員たちの前で、あまりにも絶対的なハンデを持ちながらも続く、都合8時間にも及ぶ我慢劇の、後半戦4時間が始まろうとしていた。
 マキ自身、あとほんの10分もしないうちに音を上げてしまうとは、思いもよらずに――。
 (初出:書き下ろし)

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