実験開始から4時間が過ぎ、いよいよ全員の我慢は限界に近づいていた。
かなり広い――バスケットボールのコートほどもある部屋。板張りの上にパイプ椅子と、簡素なテーブルだけが並んだそこには、10人ほどの少女達の姿がある。
軽食や飲み物なども備えられており、テーブルの上には雑誌など、時間を潰すための品物も散見される。
しかし、少女達はほとんどそれらに手を付けることなく、大きな動きも無いまま、部屋のあちこちにじっとしていた。
「んぁっ………」
「はぁ……はっ、……っ」
「ふぅうぁぅ……っ!!」
少女達のほとんどは、苦しげに息を切らせ、身をよじっては小さく声を上げている。
椅子に腰かけ、壁に手をついて、うずくまって、しゃがみ込んで、小さく飛び跳ねながら――懸命に脚の付け根を押さえ、腰を揺すり続ける。
さながら『オシッコ我慢』の見本市のような有様だった。
「っ……!!」
何人かの少女は、憤りすら感じさせる鋭い視線で、じっと部屋の壁を睨んでいる。
そこには大きな電飾板があり、点滅を繰り返しながら数字を表示していた。数字が示すのは、現在の時刻と、実験の残り時間。
一秒に1回、点滅しながら刻々と減じてゆく残り時間は、しかしまだ8時間近くを示している。
それはもはや一刻の猶予もない少女達にとっては永遠に等しいものだった。
「ぁ、……っ、あっ……」
俯いた少女の一人が、スカートの上から腿の間に挟んだ手のひらを前後にねじる。切羽詰った喘ぎ声と共に、パイプ椅子が腰の揺れに伴ってギシギシと音をたてた。それにつられたように、少女たちの何人かが激しく身悶えを始める。
少女たちを襲う尿意の波が、波打ちうねる姿が目に見えるかのようだった。
「くぅ……ぅぅう……っ」
少女達はそれぞれの我慢のポーズで、顔を真っ赤にして、きつく唇を噛む。
下腹部の中に膨らみきった尿意の圧迫に、小さな排泄孔がひくんひくんと小刻みに痙攣する。いまにも緩み、開きそうになる羞恥の出口を押さえこみ、少しでも楽な姿勢、楽な呼吸を探して、少女たちは思い思いの姿勢で我慢を続けている。
「ぉ……」
かすれたような声は、誰の唇を震わせたものだったか。
「おトイレ……っ、!! ……おしっこでちゃう……っ!!」
それが、この部屋にいる少女達全員の、なにものにも代えがたい切実なる訴えだった。少女達は必死に身体をクネらせ、我慢に我慢を重ねながらじっとじっと、電飾板を睨みつける。
その視線の先には、もうひとつ、別のものがあった。
ちょうど残り時間を刻む電飾板の真下。ごくありふれた白いプレートの付いた、ドアが一つ。
……そこには、赤い女性を模したピクトグラムで、『女子トイレ』を示すマークがあった。
「っ………」
「…ぁん……だ、ダメぇ……」
もはや限界、一刻の猶予も無いほどの尿意に、執拗に下半身をなぶられながら。目の前にこれ以上ないほどはっきりと、『オシッコをするための場所』を突き付けられて、なお少女達は誰も動こうとはしない。
熱く疼く下腹部を、懸命に握り締め、太腿をひっきりなしに擦り合わせ。
ひり付くほどに、その奥にある大切な場所に焦がれながらも、少女達の誰もそのドアを開けようとはしなかった。
――少女達にこの不可解な行動を取らせているのは、今から4時間と少し前、実験の開始時に彼女達に伝えられたある条件によるものである。
この実験の対象となった少女達は、不特定多数の母集団から無作為に抽出された24名。
部屋に集められた彼女達は、12時間を閉鎖されたこの密室の中ですごさなければならないことがまず告げられた。
次に、少女達が先ほど口にした飲料には、強い利尿作用をもつ成分が含まれていること。
そして、少女達は厳正なくじ引きで12名ずつの二つのグループに分けられ、それぞれ別々の部屋に閉じ込められていること。
ふたつの部屋は行き来も不可能で、片方の部屋からもう片方の片方の部屋の状況を知ることはできないよう対策が施されていた。連絡を取り合うことも、そもそも説明されたとおり、本当にもう一つの部屋があるのかも、少女達は知ることができない。
このふたつの部屋は設備、構造、状態、あらゆるものが同一だが、たったひとつだけ違う部分がある。
それが、この小さなドアの奥。そこにあるトイレの有無だった。
片方の部屋のドアの奥にはトイレがあり、もう片方の部屋は、ドアの向こうはただの小部屋である。むろん、トイレでないほうの部屋はオシッコの場所――トイレとして使うことなどできず、一回開けたら最後、ドアを閉じて視線を遮ることすら許されない。
その違いは、外からうかがい知ることはできず、ドアを開けてみるまで分からないのだ。
仮にドアを開けてみたとして、そこがトイレならば、それは全く問題ない。次に誰が使うかの順番争いなどでもめることはあるだろうが、全員が心ゆくまでオシッコを済ませ(間に合えば、だが)、最高の解放感と共に、残る8時間を快適な時間として過ごすことができるだろう。
しかし。そこがもし、トイレではなかったのなら。
残る8時間という、途方もなく長いく苦行の時間を、少女達は救いのない完全な密室の中ですごさなければならない。
実験時間の三分の一、わずか4時間を過ごしただけですでに少女達の膀胱はぱんぱんにい張り詰め、膨らんで、もはやほとんど猶予がない。この状態でさらに8時間の我慢など、貫き通せるわけがなかった。
そして、――最後の条件がもうひとつ。
どちらかの部屋のドアが開かれた時点で、両方の部屋にそのことが知らされ、もう一つ部屋のドアは使用不能となるということ。この場合、もともとのトイレの有無に関わらず、開けられなかった方のドアは開閉不能となり、中を確かめることも、使用することも不可能となる。
これらの説明が終わると共に、少女達の我慢実験はスタートとなった。
利尿剤の効き目は十分で、実験開始から30分もしないうちに、トイレを済ませていなかった数名が落ち着きをなくしはじめ、二時間も過ぎた頃には少女達の9割が尿意を覚えだしていた。
そして4時間が過ぎた現在、少女達はもはや形振り構わず、人目をはばからずに我慢のしぐさをとらねばならないほどに追いつめられている。
同性ばかりの密室環境とはいえ、顔見知りでもない集団の中で、子供のようにトイレを我慢する様子を見られるのは思春期の少女達にとってこの上もない恥辱だった。
そして――さらに。こうして我慢できているうちは問題ないのだが、もし少女達が我慢しきれずに、オモラシ、あるいはトイレではない場所、部屋のどこかでしゃがみ込んで自主的な放尿に至った場合、その少女達の氏名、プロフィールと共にその様子が、プライバシーなど無視した超法規的措置で全世界に動画付きで公開されることになっているというのだ。
例え服を汚さなくとも、トイレではない場所で、本来オシッコを許可されていない場所での排泄は、オモラシと何も変わらない。汚してはいけない場所を汚し、してはいけない場所でオシッコをしてしまったことにはなんの変りも無いということだ。
それが本当かは確かめるすべはない。ただの出鱈目かもしれない。
しかし、実験の主催者を名乗る人物から、スピーカーを通じて淡々と抑揚なく告げられる説明は、無視するには強すぎる印象を少女達に与えていた。
「はぁ、はぁっ、はーっ……」
「、ん、んっ……んっ!! ……ふぅ……」
下腹部をさすり、前屈み。もじもじとお尻を振り、かかとを脚の付け根に押し付けるようにしてぐりぐりとねじり。断続的に寄せては返す尿意の波をやりすごす。
「……っ……よかった……おさまったよ……」
ちょっとだけ楽になったと、表情を緩めたのもつかの間。瞬く間に次の波がやってくる。
あ、あっと声を上げながら、また少女たちが脚を擦り合わせ、膝を何度も組み替えて、身体の前後から手を股間に押し当てる。
着々と効果を発揮し続ける利尿剤。そして長い時間。健康な少女達の循環器と利尿作用の相乗効果でつくられた恥ずかしい液体は、すでにぱんぱんに膨らんだ膀胱の中に、音を立てんばかりに注ぎ込まれてゆく。1分におよそ10回の尿管蠕動と共に、少女達の下腹部の液体は増量されてゆくのだ。水門を閉じるための括約筋は酷使され、いまにも焼き切れんばかり。
水圧に負けてぷくりと膨らみそうになる排泄孔を、気力だけで抑え込んで。ヒビの入ってゆくダムの底を、指でふさぎ続ける。
だが。
ここまで追い込まれ、それでもなお少女達は、そのドアに近づこうとしなかった。
さっきから何度となく、気分を紛らわせるようにわずかな会話を挟み、俯いて苦悶の呻きを上げながらも、少女達は頑なにドアを開けようとはしない。
石のように硬く強張った下腹部の内側、尿意は限界まで膨らみ、身体の中に溜まった水は、たぷたぷと揺れるごくたびに猛烈な大波になって出口のすぐ上まで押し寄せてくる。それを懸命に押しとどめて、少女達は耐え続けている。
それはひとえに、ある理屈のためだ。
理屈とも言えない、ただの屁理屈。無茶苦茶な暴論。それが少女たちを支えている。
そう、これはいわば不確定の、シュレディンガーのトイレ。
部屋の真ん中にあるあのドアを開けてしまえば、そこにトイレがあるかどうかを知ることができる。そのこと自体はあまりにも簡単で、ほんの数メートル近づいて、ノブを握ってみればいい。確かに我慢に切羽詰ってはいるけれど、もう一歩も動けないほどギリギリの少女は、辛うじてまだ出ていない。
問題はその先なのだ。
……もしそこにトイレがあるのなら、それでいい。
けれど、けれど、もし。
そこがトイレでもなんでもなく、オシッコすら許されないただの部屋だったとしたら。
少女達は縋っている希望すらもすべて失って、トイレのない部屋の中であと8時間にも及ぶ我慢を過ごさなければならないのだ。そんなことは絶対に、絶対に不可能だと、部屋の中の誰もがはっきりと悟っている。
ほんのわずかな観察で、あのドアの向こうにあるものが希望か絶望かが、決まってしまうのだ。
ドアを開けなければ、50%。
ドアを開ければ、0%か100%。
だと、するなら。
すべてから救われる可能性と共に、2分の1で、希望が絶無のトイレのない世界が待つかもしれない未来よりも。
確かめることも、実際に見ることも、使うことすらも許されなかったとしても。
そこに50%の確率で、トイレがあるかもしれない――そんな不確定な現状の維持こそが、今の少女達の心の支えになりうるのだった。
ドアを開ければその不確定のトイレも、すべて消し飛び、0か1かの、明確な結果だけが残されてしまう。ならばドアを開けて確かめるのは、本当の本当に限界になって、いざとなってからでも遅くはない。
どうせ確かめてしまえば、それですべてが決まるのだ。……むしろ、それまでは少しでも長くその希望を繋ぐことこそが、少女達の心の支えになる。少しでも長く、我慢を続けられる。そういう理屈なのだ。
「ぁ……っ、はあぅ……っ」
「トイレ、……行きたいよぉ……っ」
存在の有無も不確定な、未確定のトイレ。
けれど、有るも無いも決まっていないそのトイレを、わずかな心の支えにして。少女達は懸命に時間が過ぎ去るのを待つ。
半数ずつ二つの部屋に隔てられた、24人の彼女達にとって最もいい結果と言うのは、お互いにこのドアを開けることなく、最後の最後まで、我慢を貫き通した時なのだ。理不尽な理屈であっても、それに縋ることを少女達は選んでいた。
……片方の部屋で、少女達の誰かがドアを開けたとしよう。
そこがトイレだった場合、その部屋の少女達はトイレに行くことができる。しかし、もう一つの部屋のにいる、残る半数の少女達はすべての希望を奪われ、残り時間を耐え抜くことは不可能に近い。つまり、残る半数、12人の少女達はオモラシを強いられる結果となる。
そしてもし、先にドアをあけ中を確かめた少女達の部屋に、トイレがなければ。
それならば、途方もなく低い確率だが、我慢をしとおすことができるかもしれないのだ。
そのことが、皆分かっていないわけではない。
だが――理屈で割り切れても、熱く打ち震える下半身は、そんなものを吹き飛ばさんばかりの猛烈な熱量を伴って、無力な少女達に原始的な生命の摂理を思い知らせようとしている。熱く渦巻くはしたない奔流の誘惑が、少女達を執拗に追いつめてゆく。
そして――
「もうヤダぁ……っ!! 最後までなんて無理、絶対無理だよぉ……!!」
「っ、ダメ!! 開けちゃダメっ!!」
「離して!! こんなっことしてたって、みんな間に合わなくなっちゃうに決まってるよ!! そ、それでもいいのッ!?」
癇癪を起した少女の一人が、辛抱できずにドアに突撃しようとするのを、とっさに周囲の少女が押しとどめる。しかし、限界を迎えた少女はなおも無理やり、ドアへと向かおうとしていた。
大事なところを押さえておくのに一生懸命な手を離していなければならず、周りの少女達もたちまち足元の落ち着きを失ってゆく。
揉み合っているうちにお腹を押されたり、せっかく波と波の合間の『安定期』となって落ち着いていた尿意が暴れ始めるのに耐えらえず、少女たちは次々股間押さえ込んでしゃがみ込んでしまう。
「だめ、だめだよ……そんなこと、しても……っ」
「でも!! もし私達がこんなことしてるうちに、向こうの子たちが先にドア開けちゃったら……!!」
悲痛な叫びに、部屋の中が波を打ったように静まりかえってゆく。
それはここにいる全員が、これ以上ないくらいにはっきりと理解していながらも、敢えてずっと目をそらし続けていることでもあった。
「みんなも、わかってるよよね!? このままだと……っ!! 向こうの子たちがドアを開けちゃったら、私達、絶対にここ、使えないんだよ!? ここに、……本当にトイレがあっても!!」
少女達が心の支えにしている50%の、不確定の幻想トイレ。
だが。それは同時にもう一つのことも意味している。この閉ざされたドアの向こうに、トイレがあるかどうかを確定させることができるのは、ふたつの部屋のうち、先にドアを開けた少女達だけなのだ。
もしこの部屋に、本当にトイレがあったとしても。
こうして馬鹿正直に我慢を続けている間に、もう一つの部屋でドアが開けられてしまえば。その瞬間にこの部屋のトイレは使用不能となってしまう。トイレの有無は確定し、この部屋の少女達は自動的にすべての希望を失ってしまうだろう。
「みんな、もう、限界でしょ!? ホントにいいの!? 我慢できるの!?」
「やめ、て……よっ、そんな事言ったって……!!」
今こうしている間にも、向こうの部屋ではドアが開けられようとしているかもしれない。
50%の不確定トイレを、100%の本物のオシッコできる場所に確定できる権利は、迷いを捨てて先にドアを開けることを決心した少女達にだけ与えられる。
「ねえ、っ、!! ……まだ、8時間もあるんだよ……!?」
絞り出される声はかすれ、悲鳴のようになっていた。
耐えがたい誘惑と、疑念と、困惑と。お互いの状況を知ることができない二つの密室に隔てられて、少女たちを包む熱の渦は過熱してゆく。
残る時間は、点滅するデジタル数字と共に、
7時間50分を切っていた……。
(初出:ある趣味@JBBS 永久我慢の円舞曲206-222 2010/07/18)
シュレーディンガーのトイレ
