みずたまりWEBサイトさんリスペクトの習作。
ツギハギ劣化コピーになってしまった。
『――放課後、中庭で待っています』
まだ年も明けて間もない1月の朝。紺野若葉の新学期は、上履き入れに入っていた折り畳まれたメモに書かれたそんな言葉で幕を開けた。
紺野若葉は、クラスの中でも特に目立ったところのない少女だ。自分でそんなナレーションを入れてしまうほどに、成績も中の真ん中。部活は週に一度の歴史研究会。委員会活動はしていないし、体育祭でも文化祭でも、注目を集めるような桧舞台に上がった経験もない。クラス全員参加の劇をやれば、大道具のその3かその4。あるいは出番5秒のセリフもない通行人Cあたり。
ふたつの胸のふくらみは、なんでもできる証拠。……ずっとずっと昔の魔法少女がそう歌っていたけれど、自分のさびしいむなもとを眺め、若葉はますます憂鬱になる。夢と希望が詰まっているはずのそこは、クラスの誰よりも慎ましやかだ。
まったく無い、という訳ではないはずだけど、たとえば血迷って上半身裸で男湯に入ってみたりしても、十分くらいは気付かれないのではないだろうか。
小学校に上がる前から、まったく変わらないぺたんこの胸を見下ろして、一人こっそり溜息を吐く日々。でもたぶん、自分はそんな感じに、世の中のもっともっと美人でカッコよくて才能のある人たちに主役を譲り、エキストラや印象の薄い脇役や、事によれば舞台袖の観客あたりのポジションを担当しながら生きてゆく星の下に生まれているのだろう。
ずっとずっと、そう思いながら過ごしてきた若葉にとって、このイベントはまさに青天の霹靂だった。
「……これ、って」
何度か手紙に目を落とし、思わず若葉は震える手で目を擦る。まさか、そんな、何かの冗談? 何度瞬きをしても、指で擦って透かしてみても、素っ気ないボールペンの文字は消えなかった。
かあっと胸の中が訳もなく熱くなり、言葉にできない不思議な気持ちが自然、唇を震わせる。
(――うわ、うわあ)
(――これって、そうだよね? そういうこと、だよね?)
そのままバンザイ三唱して叫びだしたくなるのを堪え、ごくり、と口の中に唾を飲み込む。これまでにも一度も、美味しい話を見たことがないわけじゃない。迂闊に勘違いしてがっかりするくらいなら疑い深くなれ。
残る理性を総動員して我に返った若葉は、大急ぎで手紙をポケットの奥に仕舞うと、新年の挨拶を交し合うクラスメイトたちに混じって教室へと向かった。
いつものとおり退屈で長いだけの校長先生の挨拶が延々続いた新学期の朝礼も、お正月番組に感化された担任の先生がくだらない冗談ばかりを連発するHRの時間も。若葉の脚はちゃんと地面を踏んでいるのかも確かではなく、ずうっとふわふわ宙に浮かんでいるような心地だった。
夢じゃないかと疑って何度もほっぺたをつねり、流しで顔を洗ってみたりもしたが、ポケットの中を探ればメモの感覚は確かにそこにあった。
堪え切れなくなっては机の下でメモを開くたび、最初に見た時と同じ、放課後の待ち合わせを告げる素っ気ない14文字(句読点含む)が目に入ってくる。教室の後ろのほうの席で背中を丸めて、若葉は何度も何度もメモをなぞって確認する。
『――放課後、中庭で待っています』
(――うん。うん。間違いない)
(――ないよ、ね…? うん。ない。ないったらない)
最初はその内容を見るたびにやけそうになる口元を堪えるのに苦慮し、続いてまさかなくしてないだろうかと、30秒に1回はポケットを探って安堵し、次には開くたびに文面が変わっているのじゃないかと不安に思うようになり、最後には内容を吟味しようとノートにそれを書き写してみたりしながら、若葉は新学期の1日目を過ごした。
日直の挨拶と共に帰りのHRが終わり、クラスメイト達が次々に席を立ってゆく。
インフルエンザが猛威を奮っている今年も、明日からはもういつも通りの退屈な授業の日々が始まるが、今日はまだ、冬休みの名残のように半日で授業はおしまいだ。
お休みの最後の余韻を楽しもうと、午後からの遊びの予定を計画しているクラスメイトたちを尻目に、若葉はカバンもロッカーに置いたまま、いち早く教室を飛び出していた。
職員棟を挟んで反対側。ちょうど地図上に「三」の字を描く校舎のうちの下側二つに挟まれた中庭は、冬の季節も手伝って、人の気配はまばら。
隅の日陰には薄灰色に溶け残ったお正月の雪が積み上げられ、ますますあたりの寒さを強めているかのようだった。
はあ、と吐き出した息が真っ白く若葉の視界を覆う。
どきどきと高鳴る胸の鼓動が、まるで全身を包むように若葉の身体はわけもなく熱くなっていた。昇降口でいったん外履きに履き替えて、ぐるりと校舎を迂回して中庭に繋がる園芸倉庫の裏手に来る間に、緊張に口の中が乾き、あたまの中は『落ち着け、落ち着け』というぜんぜん落ち着かない無意味な呪文でいっぱいになっている。
ポケットの中で手紙の感触をもう一度確かめて、中身を慎重に読み返し、若葉はそっと倉庫の陰から中庭に視線を巡らせる。
そこに目立った人影がいないことを確認し、若葉はほんの少しだけ安堵した。
言葉にできない焦燥と、これからどうしようという困惑と、もしかして勘違いじゃないのかという不安をぐっと押し殺し、若葉はゆっくりと中庭のほうへと歩みを踏み出す。
(――ひょっとしたら、見えないところで誰か待ってるかもしれないし)
(――でも、先に待ってるほうがいいのかな)
(――なんか、飛び付いてるみたいで、かっこ悪くないかな)
人生永世エキストラの自分にはこんなことの経験なんてあるわけがないし、相談できるような人もいなかったから、若葉にはどうするのがいいのか何が正しいのか全然わからない。
でも倉庫の陰でじっと待っているのも待ち合わせとしてはおかしい気がしたので、若葉はゆっくり、できるだけ自然なふうを装って、中庭をぐるりと一周する。
やっぱり、誰もいなかった。
もともと冬場で、並木のようになっている桜の葉も全部落ちていて、芝生だってすっかり薄い茶色。雪解けのせいで地面も湿り、寝転がるにはよほどの勇気と制服をびしょ濡れ泥だらけにする覚悟が必要だったから、倉庫裏から死角になっている場所なんかほとんどなかった。
それでも念入りに、2回もぐるぐると中庭の中を歩き回って、若葉はまだあたりに誰もいないことを確認する。
(――放課後。……うん。時間、合ってるよね)
(――まだ、HR終わってないのかも)
(――って言うことは、うちのクラスじゃ、ないのかな?)
ちらと見た腕時計は、もう十分に放課後と言える時間を指している。午前中しか授業がない今日なら、用事がなければ帰宅を始めていていい時刻だろう。先生たちだって新年早々から遅いお昼や残業は嫌だろうし、まだ帰りのHRを続けているとなればよっぽどのことだろう。
あるいは、他になにか急な用事があるのかもしれない。『これ』よりも優先していいことなんかそんなにないとは思うけど、でも、たとえば委員会とか、部活とかで、どうしても外せない用事ができたとか。そういうことはあるかもしれない。
そんなことを考えながら、若葉は中庭の木のそばにそっと近寄る。
薄い雲のたなびく空に、枝ばかりを広げる木の幹に背中を預ける。さりげなく校舎側の窓からも隠れるように。
若葉は胸に手を当てて何度も深呼吸する。
ちょっと油断すると、いまにも誰かが校舎の陰から、こちらに歩き出してくるように思えた。
いっときも気が抜けない。緊張しすぎたってよくないだろうけれど、たとえば思い切り気を抜いてぼけーっとしているところを見られたら、やっぱりそれはそれでまずいような気がする。きゅ、と握りしめた薄い胸の奥、女の子らしく早鐘のように高鳴る鼓動はさっきからアップテンポを行ったり来たりだ。衝撃を緩和する胸がないから、そのうち心臓が変になって倒れてしまうんじゃないかと、まるで乙女みたいな思考で若葉は赤く染まった顔をぷるぷると振る。
とにかく、ちゃんと待とう。できるだけ周りに気を配りながら、若葉は革靴の脚を擦り合わせ、はあ、と手のひらに小さく息を吐きかける。
時折、渡り廊下を生徒たちが通り過ぎてゆくのが見える。若葉はそのたびに何度もびく、と背中を緊張させながら、じっと一人、立ち続けていた。
けれども、春や夏ならともかくも、枯れ木だらけの寒い中庭には、この時期誰も興味なんかないので、木陰の若葉には誰も気付いていない。
(――コート、着てくれば良かったな)
姿を見せない手紙の主を待ちながら、若葉は少しずつ後悔を始めていた。
しんしんと染み込むような寒さは、お昼近いはずなのにまったく和らぐ様子がない。晴れてはいるものの真冬の低い太陽は、中庭を一日中日陰にしているようで、ただじっと立っているだけで少女の身体はどんどん冷えてゆく一方だ。
とくに足元は、雪がまだ残っているだけあってかじかむほどに寒い。
ぐぅ、と若葉のおなかが小さく唸り、空腹への抗議をあげる。そう言えば今日の朝は全然美味しくもない七草粥。半分残して出てきたせいもあってか、やけに手足に寒さがこたえる。
指先を擦り合せた手をポケットに突っ込んで握りしめ、靴の中で冷えた爪先にぎゅっと力を入れる。
もともと冬服と呼ばれてはいても、この制服が対応していると言える季節は精々が早春、晩秋までの季節まで。それだけでは、1月の芯の寒さに抗するには厳しい。
登下校の時はこの上に厚手のコートを着ているし、マフラーや手袋だって着けている。ベストだって着こんでいるけれど、けれど今はそれらもなく、じっと木の傍にいるだけで身体も動いていない分、さらに身体が冷えてゆくのだ。
(――んっ……)
ぶるるっ、と小さな背中が震える。ぞくり、と腰骨のあたりに膨らみ始めた感覚がじわじわとその勢力を誇示しつつある。
寒さで催した熱いものが、じわりっと若葉の意識の上まで拡がってきた。
きゅう、ともきゅん、とも表現できる、『おんなのこ』を急かすむず痒い感覚が、若葉の下腹に重く澱のように溜まってゆく。
小さく唇を噛んで、大きめに息を吸う。
『女の子は腰を冷やしちゃダメなのよ』。お正月に田舎に帰った時にも聞いた、お祖母ちゃんの冬場の口癖がちらりと若葉の頭を掠めた。マッサージ器を一番弱くして脚の付け根に押しつけた時のような、熱っぽい痺れが徐々に頭をもたげてくる。
(――トイレ……)
ますます冷える身体がぶるると震える。鼻奥にすん、と寒さを吸いこむ。
一方の足にもう一方を擦りつけ、爪先で地面をつつく。もじもじと交互に擦り合わされる膝とともに、若葉ははっきりと尿意を自覚した。
振り返ってみれば、今日はすっかり舞い上がっていて、学校に来てから一度もトイレに行っていない。渡り廊下と二つの校舎に挟まれ、コの字型になった地面の上には、雪を溶かさない寒さが満ちている。
もぞ、と動かした腰の感覚が、下腹部の張りを感じさせた。おへその下の方に感じる強張りは、その奥に溜まった熱い液体の存在感を強めていた。いつの間にか弱火で沸騰を始めたような気配が、下半身をゆっくり侵略してゆく。
スカートの下から染み込む寒さは、膝下の靴下一枚ではとても防ぎ切れず、ふくらはぎと腕のあたりにぽついぽつと鳥肌が立つ。ぎゅっと寄せ合った太腿の奥で、下着の感触が脚の付け根に食い込んで、女の子のだいじな場所に軽い刺激が響く。
(――トイレ、行きたい……)
「ん、っ、……ふ…」
もぞもぞと身体を揺すり、姿勢を傾けた若葉の小鼻がぴくと震えた。鼻にかかった吐息がかすかな不快感と、腰骨にじんわり拡がるくすぐったいトイレの予兆を訴える。
さりげなくスカートの上からおなかに触れた手に、空気を入れすぎた自動車のタイヤのような感触が帰ってくる。ざわざわと小さく波打つおしっこが出口の閉ざされた若葉のダムの中で水位を増してきているのだ。
こみ上げてくる尿意をただちに解放せんがため、まっすぐにトイレに向かいそうになった若葉の足は、けれど二歩目を踏むことはなかった。ぴた、と靴底が地面に張り付いたように、ポケットの中にある手紙が、少女を寒い中庭に縛り付ける。
踏み出した足でそのまま立ち止まり、その場で小刻みに足踏みをはじめながら、若葉は下腹に膨らむ感覚を散らそうと、小さく腰を揺する。
(――トイレ、行ってる間に、誰か来たら……)
(――待っててくれるかもしれないけど、誰もいないと思って、帰っちゃうかも)
顔もわからない手紙の相手は、けれど若葉の心の中をびっくりするぐらい大きく占めていた。ぺたんこの胸がとく、とくとなお高鳴っている。
そうだ。誰かもわからないけれど、待ち合せている相手を放っておくなんて、いくらなんでも不実だと若葉は思う。
それに。
もし、若葉がおしっこに行っているその間に相手が来ていたりしたら、逆に若葉がその人を待たせることになってしまう。もう放課後のチャイムからかなり時間が経っていて、そんなに遅くやって来たということは、若葉のほうが待ち合わせの相手のことなんかどうでもいいと思っているように見えてしまうかもしれない。
もしそうなったら、どうやって説明すればいいのだろう? おしっこしにいってました、なんて言えるわけない。
(――おしっこ、行きたい、けど…)
身体の訴えは、もうそんなに余裕がないことをはっきりと知らせていた。
じん、じん。朝からのおしっこを含んで膨らんだ膀胱が、トイレ、トイレと若葉を急かす。ぐっと脚を交差させ、左右の靴を入れ替えるようにして身体をよじる。それでもどういう具合か、おなかはぐるぐると鳴っていた。こんなにトイレが近いことなんてなかったように思う。まるで板でも仕込んだみたいに硬くなってしまった下腹をそっとさすり、とん、とん、と爪先を動かす。
そのままこの場で、足踏みをはじめてしまいそうだ。少しでも動いていれば紛れはするけれど、立ち止まっているととたんに、おなかの重みがずぅん、と身体の奥に響く。
、下着に触れるおしっこの出口に、ぴりぴりっと甘い刺激が電流のように走った。
(――トイレ……)
(――ううん。我慢しなきゃ)
膨らむ尿意に揺らぎかけた心。それがまるで、手紙の相手に対する不実のように感じられ、若葉は決意と共にきゅっと脚を閉じ、いちどはだらしなく緩み始めようとしていたおしっこの出口に、改めて力を篭めなおした。
おしっこなんかで、自分の心は揺らがない。ちゃんと待って、ちゃんと返事をする。これっきりかもしれない人生の一大イベントに比べれば、こんなトイレのちょっとした我慢なんか些細なことだ。
まだ見ぬ相手への想いで、小さな胸をいっぱいに満たし、謂れのない迫害に抗する聖女のような気分で若葉は膨らみかけた尿意をぐっと飲み込む。
慎ましやかさを取り戻したあそことは対照的に、おなかの中にとどまる事を強いられたおしっこが、恥骨の上のダムを押し広げ、一回り膨らんだような気がした。
じわりと嫌な気配が背中を圧迫する。ぐうっと下腹が重苦しくなり、詰まっているものが鉛か何かに変わったような気もしてくる。さっきまで寒かったはずの背中に、いつのまにか薄く汗が浮き始める。
(――大丈夫。これくらい、我慢できる)
言い聞かせるようにそう心の中で繰り返し、若葉はちらりと校舎に視線を向ける。時間もだいぶ過ぎたせいか、廊下の窓を通る生徒の数はかなり少なくなっていた。
けれど、ここで話をするのには、それくらいのほうがきっといい。
一年を通じて日陰が多く、陰気なイメージのある中庭は、春や秋の気候のいい季節意外は学校生活の中でもあまり意識に上らないような場所だ。もっと日当たりのいい屋上や第二昇降口、部室棟なんかもあるから、ほとんどの生徒はお昼休みにもそこを利用する。
若葉たちの教室からは廊下側、2年生の教室と特別教室のある校舎からは窓側に面しているけれど、よっぽど授業中に退屈でもしていなければ校舎からそこを見下ろすようなことはほとんどない。
だから中庭を待ち合わせに指定してきた相手のことを、若葉はたくさんある選択肢の中からわざわざ自分を選んでくれたように感じていた。
たとえ自分ひとりの思い込みであったとしても、若葉はまるで義務のように、それに応えなければならないように思っていたのだ。
(――んっ)
さっき波を堪えてからそんなに時間が過ぎていないのに、また一気に尿意が膨らんできた。脚の付け根が緊張して、頭の後ろが熱いような気分になる。さっきまでとは違う熱っぽさ。
スカートの中で膝が擦れる。寒さと尿意の区別が付かなくなってくる。ふくらはぎが冷たくなり、ぎゅ、ぎゅっと太腿に力が篭る。
こぽこぽと、音を立てて、身体の奥から染み出してくる黄色い尿意の塊が、おなかの中に詰め込まれていくよう。
また一段とぷくん、と膨らむ膀胱が、じりじりと恥骨を刺激する。おなかの中がぐっとと重くなり、溜息のように息が漏れる。
ぐぅ、と小さく空っぽの胃袋が文句を告げる。蠕動する内臓の気配が、はっきりとおなかの中に感じられた。膀胱が過敏になって、普段は気にしたこともない身体の中の反応までを感じ取ってしまうようだった。傾いた体勢を直そうと伸ばした足からも、びくん、とダイレクトに振動が硬く張り詰めた下腹部に響く。
(――おしっこ。おしっこ)
息を詰めると、きゅん、と膀胱が収縮した。普段意識することもない器官が、大きくおなかの中を占領している。早くトイレに行きたい。水に潜って息を止めているときのように、早く楽になりたいともうひとりの若葉が叫んでいる。
おしっこに行きたい。トイレがしたい。
おしっこが出そう。トイレに入りたい。
脚が小刻みに震える。じっとしているのが苦痛で、貧乏ゆすりが始まってしまう。おなかの中に詰まった、熱い砂のようにも感じられる何かが、どんどん重くなっておしっこの孔の上に圧し掛かってくる。
我慢できずに、内股の足踏みを繰り返すその付け根。若葉のおしっこが溜まっている袋には、小さな孔が開いている。それも、ちょうど一番下、重力に引かれてものが落ちる、一番底の部分に、おしっこを出すための孔が開いているのだ。
それに抵抗するのは、ほんのささやかに出口を締め付ける括約筋だけ。もともと孔の開いている出口付近を左右から締め付けるだけだから、栓としてはあまりに頼りない。けれど、そうして出口が塞がれているものだから、若葉のおなかのなかで、おしっこの溜まった部分は硬く膨らむばかりなのだ。
爪先の片方を地面に突き立て、とんとん、ぐりぐりと柔らかい泥を擦る。靴が汚れるけれどやめられない。ぎゅっと握ったスカートの布地にも大きくしわが寄る。
(――んっ。あっ)
熱い吐息が白い息になる。ぷく、ぷく、と膀胱が膨らもうとする。けれど若葉のおなかの中の入れ物はもうこれ以上なにも入らないとそれを拒絶する。おなかの重さはさらに増し、ちりちりとおへその下に、焦げるような感覚があった。
おしっこしたい。おしっこ、でちゃいそう。
激しい欲求が、若葉の決心を鈍らせる。これ以上ないくらいに硬くなった少女の下腹部は、さする指先に硬い感触を返す。浅く早く、深くゆっくり。白い吐息の塊がリズムを変え、左右交互に体重を乗せる脚がひと時も休むことなく姿勢を変える。
けれど、どれだけ試してみても、尿意を抑え楽にするような姿勢は見付からず、おなかいっぱいに溜まったおしっこはますます脚の付け根の部分に重くのし掛かる。
いまは、なんとか塞き止めてあるダムの出口も、このまま増水を続けていけば、いつかはひびが入って突き破られてしまう。
少しでも尿意を散らそうと、脚をくねらせ、ぐいっと下半身をねじり合わせる。閉じた脚は、X字を書くようにクロスして、膝と膝裏をくっつけ合わせる。力を篭めた脚の上で、膨らんだおなかがずきっと痛む。
(――ん、ふっ、はぁっ)
息が荒くなる。顔にすっと赤みがさす。こぽ、こぽ、と次々注がれるおしっこが、若葉の意識を侵食してゆく。
おしっこ。おしっこしたい。おしっこでちゃう。
中庭で待ち合わせのためにおしっこを我慢しているのか、おしっこを我慢するために中庭で待ち合わせをしているのか、混乱した思考がうまくまとまらない。
下腹部の中をすっかり占領してしまったおしっこの袋を、ちく、ちくと太く鈍い針がつついている感じ。
重い砂袋でも抱え込んでいるように、若葉の背中は丸まりだしていた。なんどもなんどもスカートの上の辺りを往復する手のひらに、なだらかにせり出した感覚がある。若葉の身体の中に収まりきらなくなったぱんぱんの膀胱が、ぐうっと制服のなかに膨らんでいる。
せわしない足踏みと共に、それが左右に揺れる。
たぷたぷ、ではなく、ぶるん、ぶるん。
はちきれそうに膨らんで、大きく存在感を増した膀胱、おしっこの袋。確かにそれは砂でもタイヤでもなく、暖かい液体の詰まった袋だった。まるで水風船のように、中身をいっぱい詰めこんだおしっこの袋が、もう膨らめないのにどんどん大きくなっている。
ぱんぱんに張りつめ敏感になった膀胱が、緊張が伝わる胃袋や腸の蠕動まで感じとって尿意を促進させる。ぐるる、と蠢く空腹の音は、そのまま同じだけの尿意の渦を、ダムの内側に引き起こした。
ぷくっ、とわずかの気の緩みを付いて、脚の付け根近くの筋肉の緊張が緩む。たちまちダムのひびの走ったに部分に水圧が押し寄せる、かりりと若葉のおしっこの出口を内側からひっかいた。
きゅん、とおしっこの出口がすぼまりそうになる。
(――ぁ、やっ、だめっ)
ぐうっ、と。まるで見えない手に真上から押し付けられたように、ぱんぱんの水風船が、足元に向けて押し付けられる。背中の骨が圧迫され、電流でも流されたように衝撃が走る。
膨らみすぎたおしっこの袋が、自重で押し潰されていくようだった。ひく、ひく、と脚の付け根の一番奥にあるおしっこの出口が痙攣し、無理矢理引き伸ばされる。きつく締め付けたはずの水門にじわっと熱い痺れがひろがってゆく。
おしっこ。おしっこでちゃう、漏れちゃう。
あっという間に腰上まで押し寄せたおしっこの波。
押し寄せる高潮の水圧に耐えかね、警報を無視して放水準備を始めたダムをぎゅっ……とスカートの上から押さえこむ。
きつく力を込めたおしっこの出口に連動して、きゅっ、と下着の奥のおしりの孔まで緊張し、ぴくぴくと震えて縮こまった。
ぴいんと硬直した若葉の身体は、そのまま二十秒あまり、動かなかった。
(――…………っ、……)
きわどい所だった。
もう少しでそのまましゃがみ込んでしまいそうになりつつも、若葉はなんとかその場に踏みとどまる。
焼きついたようになっている肺を動かし、深呼吸を繰り返して、緊張をほぐす。いまさらのように、じわぁ、と首筋に汗が浮かんだ。熱っぽさは相変わらずだけれど、まるで熱くない。むしろ下半身の感じる寒さはさらに増しているようだった。
これ以上ないくらいに硬く張り詰めた膀胱が、服の上から触れてもはっきり解るくらいに膨らんでいる。ちりちりと焦げるような激しい尿意は、一箇所だけではなくおなかの奥底のほう全体にまで広がっていた。
ぴしゃり、と冷や水を掛けられたように、若葉の頭がすっと軽くなる。
耐え切れないかもしれなかった尿意の波が押し寄せてきたことで、熱くなっていた頭が冷え、ようやく冷静な第三の視点が自分の状況を見下ろす。
(――と、トイレ。出ちゃう)
おしっこの我慢の限界を悟り、若葉は唇を震わせた。
冷めた頭に、またかあっと熱く血が昇ってくる。
こんな姿で、誰に会えるものか。背中を丸め、泣きたくなるくらいに脚を寄せあわせ、スカートの上から両手で股間を押さえ、おしりを突き出したアヒルみたいな格好。
溜まり続けたおしっこがおなかのなかの小さな袋を膨らませ、いまや下半身のほとんどを占領して、身体の外にまでせり出している。
つん、と鼻の奥が熱くなる。
こんな有様になるまでおしっこを我慢して、いったい何をするつもりだったのか。あたまの中は半分以上おしっことおしっこの我慢とトイレのことでいっぱいだ。たとえ誰かが来たとしても、満足に受け答えもできそうにないのに、なんの意地を張っているのか。
本当は、わかっていた。
こんな手紙なんか嘘っぱちだ。若葉を呼び出した相手なんてどこにもいやしない。ここで待ってたって、誰も来るわけがない。だって、手紙には日付も、時間も、誰からなのかも書いていなかった。
『――放課後、中庭で待っています』
たった14文字の言葉だけに惑わされて、馬鹿みたいだ。
ぐす、と水っぽい音で息を吸い、みっともなさで泣き出したくなるのを堪える。背中を震わせ、若葉は叫びだしそうになった声を飲み込む。
後ろ髪を引かれる感覚を振り切って、若葉は小走りに――それもできなかったので早足で、中庭に背中を向け、歩き出した。高鳴る胸のかわりに、ひっきりなしにうねり、疼くおなかをそっと抱えて。
くしゅ、とポケットの中に仕舞っていたメモが握りつぶされる音がする。
こんなくだらないものに半日、ずうっと舞い上がっていた自分が情けなかった。
(――早くトイレ。早くしなきゃ)
戻るまでの道のりは来たときの倍近い距離があるような気さえした。一歩ごとにぱんぱんの水風船が上下に揺れ、嫌でも限界近い尿意が意識させられる。
早くトイレ。早くおしっこ。
若葉のおしっこの水風船に向かって、身体の奥から湧き上がった熱い液体が容赦なく注ぎ込まれる。
塞き止められた腰骨の上のダムの上流では、その水位に負けない水圧で、若葉の身体が新しいおしっこをつくり出している。刻一刻と限界許容量に近付く貯水量に、首筋にはしっとりと汗が浮かび、握り締めた手のひらは小さく震える。
もう膨らめないのに、どんどん膀胱の中身が増えていく。
吹けばそれだけ大きくなる風船にだって伸びきる限界があって、それ以上膨らませば、伸びてはいけないところが伸びてしまう。若葉の膀胱は長い間注がれ続けたおしっこでもう限界近くまで膨らんでいる。
(――おしっこ。おしっこでちゃうよ)
土足で廊下には上がれないので、校舎をぐるっと回って昇降口まで向かう。途中で誰ともすれ違わなかったので、若葉の右手はぎゅっとスカートの前を押さえたままだ。
こんなの、誰かに見られたら恥ずかしくて表を歩けない。
けれど手を離したらそのまましゅるしゅるるぅと下着の奥が水音を立てそうで、ぷく、と膨らみそうになるおんなのこの大事な場所を指の先できつく押さえ、歯を食いしばって急ぐ。
昇降口にも、ほとんど人の気配はなかった。時計の針はもう12時を大きく回っていて、かつん、という泥のくっついた若葉の靴音がやけに大きく反響する。
誰もいない。
冷静になってみれば、考える余地なんかほとんどない。
最初から全部、騙されたにきまっていた。
誰だかはわからないけれど、こんなことにろくろく免疫のない若葉は、絶好のターゲットに違いなかった。いまどき子供でもしないような悪戯に、まんまと若葉は引っ掛かったのだ。
朝からずっと浮かれ気分でメモを見返してにやけているところや、滑稽にも相手を思い描いて顔を赤くしているところ、来るはずもない相手を何十分も待ち続けてこの寒い中じっと中庭に突っ立っているところを見て、悪戯の張本人は意地の悪い笑顔をしていたに違いない。
いや。そもそもそんなことにすら興味もなかったのかもしれない。ほんの気まぐれで走り書きしたメモを放りこんだ先が若葉の所だったというだけで、いまごろ悪戯の張本人は、悪戯のことも忘れてどこかで笑っているのかもしれなかった。
(――っ)
やっぱり、こんな胸のぺたんこな女の子なんか誰も好きじゃないんだ。
かわりに恥ずかしいおしっこで硬く膨らむ下腹部を押さえ、若葉は俯く。
ぐす、と涙の味のする息を飲み込んで、若葉は目元を擦り上履き入れに向かう。下腹部をできるだけ圧迫しないようにかばい、不自然に股間を緊張させたまま、おぼつかない足元でなんとか外靴を脱ぎ――
「えっ」
そこで、息を呑んだ。
上履きが。ない。
一瞬何が起きたか分からず、ぱたんと上履き入れの蓋を閉めて、もう一度開ける。間違いなく中身は空っぽだ。外靴はいま足元にあって、さっきまで裸足でなかったのだから間違いなくここに上履きがあったはずだ。
もう一度、ふたを閉めた上履き入れの名前を確認して、再度中を見る。
「……ない…。」
今朝のメモの代わりに、誰かが失敬したとでも言うのだろうか。あわてて左右の上履き入れを覗くが、もちろん若葉の上履きがあるわけもなかった。
困惑している間にも、ぶるっ、と若葉の背中が震える。尿意は消え失せたわけでもない。トイレを訴える下腹部の声はさらに激しくなっている。
(――だめ、でちゃう。もう出ちゃう)
ぶるぶる、と腰が震え出す。ギュッと抑えた出口が無理矢理左右に広げられる。ぱちんと破裂してしまいそうな股間の先端を、スカートの布地を握りしめる手のひらがぐいぐいと擦り、押し揉む。
もうこれ以上大きくなれない膀胱が、さらなる中身の追加を拒絶した。押さえ込んだ手のひらに押し返され、焦げるような尿意の逆流がぐうっと背骨を押し上げて、若葉の全身にぶわっ嫌な汗が浮かぶ。
高まる水圧にたったひとつの出口、皮一枚で支えられる小さな孔がぴくぴくと痙攣する。下半身の大部分を占領してなお大きく。おへその裏側ぐらいまで膨らんだおしっこの袋の重量が、おしっこの出口へとのしかかる。
圧迫に耐えかねぴくんと押し開けられそうになっただいじな場所を、若葉の手のひらが押さえ込んだ。
下着の上から直接、おしっこの出口を指で無理矢理閉じ合わせ、揉みしだく。
(――ぁ、あっ、出ちゃう、出ちゃうっ)
おなかの内側にあきれるほど図々しくスペースをとって居座ったぱんぱんの水風船が、大きく膨らんで拡がった過敏なその表面で、近くの内臓の動きまで感じ取る。過敏すぎるレーダーのようだ。
ぴくん、ぴくん。波打つ下腹部をなんどもなんどもさすり、少しでも尿意を紛らわせながら、若葉は靴下の裸足のまま廊下に踏み出した。
おっかなびっくり伸ばした爪先が昇降口を離れると、ひやっ、と氷のように冷たい廊下が、縮こまっていた脚をさらに強張らせる。骨を伝うような冷たさが一気にふくらはぎの上まで到達し、脚の指先が痛み始める。一歩ごとに脚先が画鋲でも踏んでいるようだ。
「っ、痛、っ」
冷たさよりも痛みが勝る。けれど脚先の冷たさは確実に、若葉の足元からふくらはぎ、太腿、腰上へと這い上る。寒い廊下のひとけのない静寂が、下腹部に痙攣をはじめさせた。
(――も、もうだめ、トイレ。おしっこでちゃう)
上履きなんて探してる暇はなかった。
靴下だけでトイレに入るのには強い抵抗もあったが、もうそんなことは言っていられない。震える脚とへっぴり腰で、下腹部をかばいながら若葉はふらふらと廊下を渡ってゆく。
昇降口のすぐ前、西階段横には1年生のトイレがある。もう目指す場所は目の前だ。
下腹部の中で大きく育った尿意の塊は、さっきここを通った時とは比べ物にならないくらいに少女のおなかを張り詰めさせていた。か細い力だけで支えられている小さな孔が、何度も開きそうになってはぐいっと引き絞られる。
まるで儚い抵抗を砕き、このままダムを突き崩そうとするように、尿意は執拗におしっこの出口をちりちりと焦がす。
おしっこ、おしっこ。
冷たいドアの取っ手に手を触れた瞬間、きんと冷えた冷たい感触に、おしりの孔に冷たいものを突っ込まれたように悪寒が走り、それに連動しておしっこの孔がきゅんっとすぼまる。
同時に、おなかの奥で膀胱が、ぎゅうっと絞り上げられた――ような気がした。
(――ぁ、だめ、だめ、でちゃだめぇっ)
緩みかけた括約筋に、若葉は身体をぎゅううっとひねって、残る力をかき集めて出口を塞ぐ。
歯を食いしばり、今度は胸の近くまで一気に押し寄せたおしっこの波から、なんとか溺れないように脚をきつく閉じ合わせる。
けれど、そんな努力もむなしく、おしっこのすぐ出口のところまで渦を巻いて押し寄せた濁流は、細い出口のところの管をぷくっと膨らませ、若葉の意志に反してじわあぁ、と熱い雫を噴きこぼした。
吹き出したおしっこが下着の股部分に染みをつくり、すぐに数センチほどの大きさに湿り濡らせてゆく。
「……ぁ、っ」
足の付け根に感じるぞっとするほどの不快感に、若葉は小さく悲鳴を上げた。
とうとう、チビった。
オモラシの予兆でもあるその衝撃に、激しく打ちのめされながらも――なおも第二波の気配を見せる下腹部に怖気を感じ、可及的速やかな解決を目指して、若菜はドアをひき開ける。
けれど。
ドアを開いた瞬間、目に入ってくるのはトイレの床を水浸しにしている、真っ黒に汚れた水たまり。
(――な、なに、これ)
声を失った若葉の、我慢の身じろぎだけが衣擦れの音を響かせる。
目の前の光景は、夢でも幻でもない。
生徒の手による掃除とはいえ、それなりに清潔に保たれていたはずの、薄いピンクのタイルに彩られたトイレは、一面に真っ黒な水に汚されていた。
どろどろと濁った粘性の汚水は、耐えがたい悪臭を放ってトイレ一面を浸し、飛沫を撒き散らして個室の中まで拡がっている。
靴下だけの裸足で、歩いていけるような状態ではなかった。
「うそ……っ」
下ろしかけた脚が、汚水だまりを踏みそうになり、若葉はあわててそれを引っ込める。それでもわずかに爪先に感じる、不快な湿り気の感触。触れるどころか近づくのも嫌になるほどの、汚辱感。
「…………いや、ぁ……」
少女の喉の奥から低い呻きが絞り出された。胃の奥に鉛の塊を飲み込んだように、ひゅっと胸の下、おなかの上が冷たくなる。首の後ろに濡れタオルを押し当てられたように、意識にノイズが混じってぶつぶつと途切れる。
個室まで直線距離でおよそ4m。助走距離はゼロ0m。金メダル選手にだって届かないような立ち幅跳びの距離。
それを、爆発寸前のおしっこ袋をおなかに抱え、まっすぐ背中を伸ばして立てるかも怪しい、若葉がこなせるわけがない。
明らかな悪意を持って汚されたトイレを前に、ちく、ちくとおしっこの袋の奥に針を飲み込んだように、膀胱が軋む。内側からぢくっと出口を押しつける、膨らんだ膀胱の水圧に、若葉の顔が今度こそさあっと青褪めていた。
(――や、やだ、トイレ……っ)
まっすぐ飛び込むはずだったトイレを、できるはずだったおしっこを、全く前触れもなくお預けにされて、ぎゅるぎゅるっと膀胱がうねり、猛烈な尿意を押し上げる。身体はその場に静止しているのに、意識とおしっこだけが前に突撃していくみたいだ。
耐えきれずに若葉はドアの手摺に手をつく。
すぐそこがトイレなのに。
若葉はここにおしっこをしにきたのに、それが許されない。か細い我慢を突き上げるように、ごろごろとうねる尿意が少女に襲い掛かる。
(あ、あ、だめ、ここででちゃだめ……っ)
いっそ、目の前に広がる汚水だまりにしゃがみこんで、そのまま放尿してしまいたい――そうしたらたぶん、ものすごく気持ちいだろう。我慢に疲れた頭は、そんな普段はあり得ない想像をはじめ、とんでもない誘惑で若葉をそそのかす。
けれど。
いくら限界近くまで切羽詰まっていても、出来ることと出来ないことがある。確かにこの惨状ではたとえ実行しても解りはしないだろうが、いつ誰が通るか分からない廊下に面したトイレの入り口で下着をおろし、下半身を丸出しにしておしっこを始めるなんて選択肢は、若葉にはない。
若葉は全身を伸び縮みさせながら、押し寄せるおしっこの大津波をじっとやり過ごす。
はあ、はあ、と大きく肩で息をつきながら、若葉はぎゅっと唇をかんだ。
(――と、とにかく、別のトイレ……っ)
ここのトイレが使えないのだから、ぐずぐずしている暇はなかった。
きびすを返した若葉は慎重に歩きだす。けれど抜き足差し足のようにゆっくり踏み出した一歩も、張り詰めた下腹部は敏感に感じ取り、新しい尿意を生み出してしまう。甘い痺れのような感覚は、おなかの表面ではなく奥のほうへ伝播し、ぱんぱんに膨らんだおしっこの袋を透過して、出口のすぐそばの底のほうをじぃん、びりびり、と振動させる。あそこにぎゅっと力を篭めるたび、ぞわわ、ぞわわ、と何度も背中の方へこみ上げてくる。
わずかな振動が引き金になり、ずっしりと重いおなかの中がぶるんぶるん震える。若葉はもうはっきりと、おなかの中でぱんぱんに膨らんだ水風船のビジョンをイメージすることができた。
器に水を入れて揺すったときの、たぷんたぷんという感覚ではなく、薄い膜でできた袋が、今にも破裂しそうなくらいに中身を注ぎ込んで、端を持って揺さぶっているのと同じだ。
ここから一番近いトイレは、ちょうど階段を一階分登ったところにある2階のトイレ。その次は少し遠くなるけれど、もうひとつの昇降口のところにある。どちらも若葉は使い慣れていない場所だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
二階のトイレは直線距離こそ短いが――なにしろ天井を通り抜けて真上に5mも垂直移動すれば届くのだが――いつパチンとはじけてしまってもおかしくないおなかを抱えたまま、上下の階段を昇り降りするのは危険に思えた。
少し遠回りになるが、もうひとつの昇降口まで行こう。そう思い、若葉は廊下に出る。
(――あ、っ)
足元からざぱりと押し寄せるおしっこの波。あっという間に膝を越し、腰のすぐ下までやってくる。
寒さと水分の相乗効果でますます活性化した若葉の循環器官は、これ以上中身の入らない袋に、無理矢理液体を注ぎ込もうとする無茶をやめてくれなかった。
そして、若葉が懸命におしっこを溜め続けている袋には、その底の部分に出口があるのだ。今は閉じられていても、限界まで伸びきった水風船の出口は、ぎゅっと握った手のひらだけでは抑えきれない。
余裕のない袋に無理に中身を注ごうとすれば、膨らみきった力に耐えきれず、閉じ合わせている出口が膨らみ、ぷくっと開いてしまう。
ダムの放水を促すように暴れるおしっこが、わがままを言う子供のように暴れ、ちく、ちく、となおも出口をつつく。
我慢の延長戦の最中、もうできるだけ余計なことを考えないようにしよう、と若葉が窓の外へ視線をやった時だった。
(――だれかいる)
こちらを見られた――という意味ではなかった。
若葉がふと視線を向けた先は、校舎に囲まれた中庭。さっきまで若葉の居た場所だ。
そこに、ぽつん、と制服姿の人影がある。
ちょうど若葉には背を向けていて、誰なのか顔はわからない。クラスメイトかどうかもわからない。知っている相手かもしれないし、知らない相手かもしれない。木陰に立っているのと遠目のせいで、身長もはっきり判別がつかなかった。
ついさっきまで若葉のいた場所で、その子はきょろきょろと周りを見回し、ポケットから携帯を出して時間を確かめている。
(――どうしようっ?)
頭の中から吹き飛んでいたはずの、見えない手紙の差し出し主が、一瞬で再構成される。
誰だろう。わからない。ひょっとしたら若葉を待っているのじゃなくて、他の誰かと待ち合わせをしているのかもしれないし、別の用事で来ているだけかもしれない。
でも。
でも、でも。
このまま若葉が遠回りしてトイレに行って、おしっこを終えてすっきり戻ってくるまで、あの子はそのまま、待っていてくれるだろうか?
そうだ。もう放課後になって時間はかなり経っている。学校に居る生徒だってまばらだろうに、なんで今中庭に出てくる必要があるのだろう。普通ならこの季節のあんな場所に用事なんかないはずだ。
若葉が、あそこで何分待っていたとかは、この際関係のないことだ。
名前も、時間もわからない待ち合わせ。そんな不確実なものは、たぶん悪戯のはずだ。
でも。でも、いま、中庭には確実に誰かが来ている。約束を守ろうとしてくれているかもしれない相手がいることが、こうして分かっているのに、それをほったらかしていていいんだろうか?
だめ、そんなことより早くトイレ! おしっこでちゃうよ!
若葉の心がそんな悲鳴を上げる。
(――でも)
(――勘違いかもしれないけど)
(――いま行かなかったら、会えないかもしれない)
そうなればもう、若葉はあの手紙の差出人が誰だったのかもわからないままだ。
後ろ髪を引かれる思いと、可能な限りの全速力でトイレに行きたがっている下半身を、無理矢理意志の力でねじ伏せて。
若葉は再度昇降口に向かって、靴を履き替える。
靴下だけで歩いた廊下の冷たさに、まるで棒のように凍えていた足が、感覚の薄れた爪先で革靴を引っ掛ける。
体を曲げたり、伸ばしたり――ほんのわずかな運動で膨らみきった膀胱が圧迫され、おしっこが出口に押し寄せる。ぴくぴくと痙攣をはじめたおしっこの孔に、またぷくりと熱い雫がたまり、細く押しつぶされた管の中にまで注水がはじまる。じわあ、と下着が滲む。
「ぁ、あっ、あ、っ」
ほんの数ミリ、ぎゅっ、とスカートの間に深く押し込んだ手のひらのすぐ内側にまで、おしっこの重さを感じる。
じわ、と肌に押しつけられた下着の股布に残る湿り気が、若葉の我慢を激しく揺さぶる。
おしっこ。おしっこでちゃう。おしっこ漏れちゃう。
(――い、急がなきゃ。はやく)
はやくしないと、おしっこでちゃう。
けれど、若葉が向かう先はトイレではない。ひょっとしたら、人生で一番大切なことになるかもしれない、中庭だ。
トイレから引き離されるのを嫌って、若葉の尿意はなお激しくなる。おなかのなかがぐるぐるとうねって、なにか別の生き物が暴れているような気さえした。
もう少し冷静なら、なにを馬鹿ことをしてるんだと自分を叱り飛ばしたに違いない若葉の理性は、もうなにを優先すべきなのかを理解できていなかった。
我慢し続けたおしっこで、溺れそうになりながら――若葉は校舎を周り、中庭へと走る。
ぐるっ、と最後の角を曲がり、中庭に出た瞬間に。
下着の奥に、まるで焼きごてを当てられたような刺激が走った。ぢくぅっ、と排泄孔に鈍く重い痛みが走り、おしりの孔までぷくりと盛り上がる。
じわぁ、と下着が一気に湿ってゆく。脚の間が熱に包まれ、腰の奥が溶け出すようにうねる。我慢に我慢を重ね続けていた下半身が、勝手にその責務を放棄していた。
真冬だと言うのに吹き出した汗と、耳奥がきーんと痛くなったのと、目の前が真っ白になったのとで、若葉は自分が一瞬、真夏の太陽の下に放り込まれたんじゃないかと錯覚する。腰の奥、背骨の辺り、身体の芯がじわぁああ、と熱くなり、下着のなかがぐうっと膨らむ。
これ以上、どこにも膨らめなくなったおしっこの袋が、一番もろい部分を突き破る。
そうして、ずっとずっと押さえ込まれていた出口のホースが一気に解き放たれた。
(――あ、あ、あ)
思考が空転し、自分を襲っている事態が理解ができない。そのくせ若葉の下半身ははっきりと、刻一刻移り変わる事態をセンサーのように感じ取っている。
内股になった脚の合わせ目に、じゅうぅう、と熱い液体が吹き出してゆく。鈍い痛みを残しながら、むず痒さを入り混じらせた――まるでしもやけになった場所をストーブにかざしたような感覚だった。
ふらふらと揺れた身体が、支えを求めて、中庭の桜の幹によりかかる。前向きに倒れこんだ肩を木の幹に押し付けながら、若葉はぎゅっと握り締めたスカートの股間に、指先がやけどしそうな熱さを感じた。
細く開いた出口から、渦を巻き音を立てて濁流が吹き出す。
股間の先端で弾ける灼熱の飛沫が、腰骨と背中を伝い、若葉をふわぁ、と極上の解放感へ押し上げた。
ぐるぐると感じるおなかの重苦しさはそのままに、下半身が震え悶え、激しく暴れ揺さぶられる。
「ぁ、あ、あっ、あ、ぅ……ぃ、っ、あっ、ぉ、っ」
意味のない途切れ途切れの母音が、ぱくぱくと開閉する若葉の口から意味のない呻きになってこぼれる。開きかけはしていても、長時間の我慢で焼き付いたおしっこの出口は、じゅぶっ、じゅじゅっ、と短く区切るように断続的に飛沫を下着のなかに撒き散らし、スカートをみるみる染めてゆく。
身体の中に閉じ込められたまま、何時間もかけて体温で温められた熱水は、まるでお風呂に浸かったみたいな心地よさで若葉の下半身を覆っていった。ぴったりくっついたまま引きつって動かない内腿の間を、何本も何本も、蛇のようにくねりながら水流が流れ落ち、ふくらはぎを伝って、革靴の中に注ぎ込まれてゆく。
冷え切った爪先が溶け出すように熱い。氷のような廊下を歩いて、冷たくなった足先に、じわああ、とおしっこの熱が滴ってゆく。
しゅううう、じゅぅぅううう……
直接地面を叩いているわけでもないのに、はっきりとおしっこの音は響いていた。
下半身だけ熱いシャワーを浴びているような気分。
少しだけ大きめの靴をすぐにいっぱいにしてかかとからあふれ出すおしっこは、若葉が体をひねるたびに下着の奥でぶじゅっ、ぶじゅっとひしゃげた蛇口みたいな音を響かせた。とうとう力尽き、完全に開ききったおしっこの出口から、信じられないほどの勢いでおしっこが飛び出し、木のの根元ににばちゃばちゃと広がってゆく。
あれだけ大きく硬く膨らんでいた、おなかのなかのおしっこの袋が、あっという間に萎んでゆく。溜まり続けていた中身を残らず撒き散らしながら。
(あ、あぁ、あ……)
断続的なものも含めると、合計2分半もかけて。
一滴残らず、最後の最後までおなかのなかのおしっこを出し切ってなお。ぽた、ぽた、ひちょん、と足元に滴り続ける水滴の音を聞きながら、うっとりと目を閉じたまま、若葉は強いられ続けた我慢からの開放に心を許していた。
ぬかるむ地面に広がる水溜りは、近くの灰色の雪を少しずつ、溶かしては広がってゆく。
ありったけの熱と中身を吐き出して、おなかの中で、すっかり空っぽになったおしっこの袋は、さっきまでの図々しさをすっかり忘れたように、慎ましやかに小さくしぼんで若葉の体の内側の所定の位置におさまっている。
ずぶぬれの下半身には、もう最初のころのような焼けるほどの熱さはない。けれど、冷たい足をすっかり暖めてくれた熱はしっかり残っている。
じんわりと火照る肌に、濡れて張り付く制服が、まるで自分を抱きかかえてくれているようで、その心地よさに濡れた腰をぶるぶると震わせながら――若葉は熱い吐息をこぼす。
「ぁ……ん」
とく、とく、と、胸の奥で高鳴る鼓動がリズムを刻む。
熱くなったそこは、さっきまでよりもほんの少し、やわらかくなったようにも感じられ、若葉はそっと、制服の胸を木の幹に押し付ける。自分でもびっくりするような可愛い声が出て、若葉は思わずぼんやりと目を開く。
頬が熱く、額にはしっとりと珠のような汗が浮かび、前髪を数本、頬に貼り付けている。
ずぶ濡れの下半身は、おしっこをすっかり出し終えてなお、まだ熱く火照っていた。
おしっこまみれの押さえた手のひらの中、濡れた下着に脚の付け根がぐちゅ、と擦れる感覚は、尿意とはまた別の、じんわりとした甘い痺れをもたらして、若葉は口の中に浮かんだ唾液の珠を、啜るようにこくんと飲み込む。
「……んぅ、…ふ、」
くちゅ、と濡れる下着をもぞもぞと指で押さえ、若葉はぼうっと、熱に浮かされた頭で身体を起こす。
そんな若葉から、少し離れた場所で。
一人の生徒が、硬直したまま立ち尽くしていた。
中庭の木の幹にしがみついての、盛大きわまるオモラシを、特等席で一部始終、あますところなく見せてくれた少女に、ただただ言葉を失って。
振り向いた先にその姿を捉え、若葉の意識が、ざりっとノイズを挟む。
「ぁ……」
どくん、どくん。
はっと目を見開く若葉の胸で、高鳴る鼓動が、きゅっと引き絞られる。
うるさいほどに響く心臓の音が、ひときわ大きく、どくんっ、と震えた。
(初出:書き下ろし)