社会見学バスの話・20 2年A組バス緊急停車

「ですから、もう本当に、この子、オシッコが出ちゃうって言ってるんです!! もう我慢できないんですよ!? それなのに……!!」
「……わかったよ。…本当はこんなことしちゃいけないんだが……仕方ないね」
 蓉子の猛抗議に、ついに運転手が折れたのはそれから数分ほど後の事だった。額に深く皺を刻みつつも、運転手は不承不承、ウインカーを出してバスを車線の中に強引に割り込ませてゆく。行く先の見えない渋滞の列の中で無理な車線変更をしようとする高速バスに、あちこちから抗議のクラクションが飛んでくる。
 本来、左側通行の車線で、右の路肩に車を停める事は違反である。まして時速100キロ近い運行が常となる高速道路ともなれば、停車には多くのなルールとマナーが存在する。
 しかし大混雑の渋滞の中でバスが左車線に移る余裕はなく、蓉子が執拗に運転手を急かしたこともあって、バスが停車したのは最右列、本来は追い越し車線側に相当する車線だった。中央分離帯に身を寄せるように停車したバスがエンジンを切ると、運転手は真剣な顔で立ち上がる。
「いいね、必ず前後を確認してから降りるんだ。車の間を縫ってバイクが走ってくることもあるし、他の車が急に動くこともあるからね。気をつけて」
 さすがに、切羽詰まった様子の佳奈を目の当たりにして思うところがあったのだろう。入り口のドアを開けながら、運転手は心配そうに言ってくる。
 最初、運転手は自分が降りて安全を確認すると主張していた。
 それを強引に却下したのは、蓉子である。自分が責任を持つし、年頃の女の子が外でオシッコするのに近くに男性がいては可哀想と言うのが蓉子の主張だったが――何のことはない、蓉子は自分自身がトイレを済ませるのに気付かれたくないだけだ。一悶着の後に、運転手は車内に残されることになった。
「井澤さん、立てるわね? さあ、行きましょうっ」
 佳奈はすでに傷心の中、ほとんど茫然自失の体だった。それでも粗相をせずに耐えていたのは、この上なお恥をさらすことだけはすまいとする、少女のプライドによるものである。
 蓉子はほとんど上の空で、運転手に礼を言うこともせず、通路にしゃがみ込んでしまっていた佳奈の手を掴み無理やり立ち上がらせようとする。佳奈がくしゃりと顔を歪め、目元に涙を浮かばせるのもお構いなしだ。
「ぁ……!! ま、まって……せ、せんせい…っ」
 タイミングを測ることもできずにいきなり引っ張られ、じゅうっ、と脚の付け根に熱い感触が広がる佳奈が、泣きそうな声を上げる。
「皆も少し待っててね、すぐに戻るから――」
(や、やっ、やっと止まったぁ~!! こ、これでおしっこ、オシッコできるのよね!! はぁあ……き、気持ちいいわよ、きっと……お、オシッコ!! オシッコするの!! これから私、オシッコするのよぉおっ♪)
 蓉子の心は既に、止まったバスの裏側へと飛んでいた。一人の『オンナ』としての欲望に衝き動かされる蓉子は、教師としてあるまじき態度や、生徒をダシにしていることの罪悪感すら覚えていない。これからバスの陰でする自分のオシッコの事で頭がいっぱいなのだ。
 目の前に迫った猛烈な尿意からの解放に浮足立ち、無理に急がされた佳奈が我慢しきれず、再び下着の股布のところにじわぁあっと大きな染みを作ってしまったのも、当然のことながら気づいていない。
「っ……」
 すっかり晒しものにされてしまった佳奈は、襲い来る尿意を必死になって凌ぎながら、のろのろと蓉子の後を追った。
 ――私は、オシッコが我慢できませんでした!
 ――このままだとオモラシしちゃいます!!
 ――だから、これからオシッコに行ってきます!
 ――いまから、バスの陰でオシッコします!!
 蓉子と運転手のやりとりが丸聞こえだった車内には、佳奈がトイレを我慢していることは余すことなく知られており、この状況はそうやって宣言しているのと大差ない。
 懸命に羞恥を堪え、涙ぐみ、赤くした顔を袖で拭い――スカートの前を握りしめながら。懸命に進もうとする佳奈のすぐ後ろにいた生徒には、佳奈の膝裏を伝う水滴をはっきり見てしまった者もいた。
 先走る蓉子に引きずられるように、佳奈がふらふらとバスの出口に向かった時――
「せ、せんせいっ!!」
「はへ?」
 スキップ同然の軽い足取りで、一足先にバスを降りようとした蓉子を、小さな声が呼び止める。
 車内の通路に、ぱらぱらと少女達が立ち上がっていた。全員が全員とも、佳奈と同じように脚を震わせ、前かがみになって、顔を赤らめている。
「………………っ」
「…………」
「………あ、あの……」
 顔も赤く、躊躇いがちに、しかし切羽詰まった様子に衝き動かされて。ぎゅっとスカートの前やお尻の後ろから手を回し、不自然に傾いた姿勢のおぼつかない足取り。彼女達が何を堪えているのかは、もはや明白だった。
「……あ、あなた達もなの?」
 驚いた蓉子に、3人は、ほとんど声も出せないまま小さく頷く。
 それだけではない。
「ぁ、あたしも……っ」
「先生、っ、あの、あのっ」
 バスの後部座席の方で、少女達が次々と手を上げた。授業参観でも見ないような立候補の多さだ。
 その数は最初に立ち上がった少女達を倍近く上回る5名。なんと、佳奈以外にも計8名もの生徒が口々に『先生、おトイレ』を訴えたのである。
 ここは、サービスエリアでもなんでもない。車のひしめく渋滞まっただ中の高速道路の、中央分離帯近くの路肩である。そしてまた、バスに乗っているのも、まだ幼稚園の小さな子たちというわけでもない。来年には受験も控えた2年生達なのである。
 にも関わらず。2-Aからは佳奈を合わせた合計9人もの少女達が、トイレではないこの場で――高速道路の路肩で、オシッコをしたいと、必死になって訴えたのだった。

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