社会見学バスの話・22 止まったバスの陰で…

「うぁ……っ」
 そろそろと下腹部を庇いながら、道路に下りた佳奈は小さく声を上げた。
 制限時速80キロ。常であれば矢のように車の行き交う片側3車線の高速道路には、時間の静止したように無数の車が行列を作って並ぶ。
 凹凸なく舗装された道路の表面、アスファルトの上にはむわっと熱気を立ち昇らせ、革靴の底を焼いた。まだ真夏には遠いというのに、強い日差しに焼けたアスファルトと、渋滞の車列が噴き出す熱気は密集する車の中に立ち込めている。
 バス車内には弱いながら冷房が利いていたため、温度差はなお激しかった。制服の袖下にすぐにじっとりと、不快な汗が浮かんでくる。
「んっ…あ……」
「ふぁ……っ」
「ぅ、んくっ……」
 下腹部を庇うような前屈みで進んだ佳奈の後ろから、同じようにバスを降りた陽菜が、志緒里が、次々と続く。全員が全員とも切羽詰まった下腹部の事情に小さな声を上げ、身動ぎの度に漏れてしまう恥ずかしい喘ぎ声を必死に堪えていた。
「みんな、こっちよ、こっち!」
 清水先生の先導に連れられ、まるでハメルンの笛吹きのように。2-Aの少女達は路上をのろのろと進んでいく。
 バスが中央分離帯に寄り添うように停車したため、乗降口のドアは道路の真ん中、中央の車線に向けて開いていた。バスの陰に入るには、大きくバスを迂回する必要があった。
 他のクラスメイトの視線を背中に受けた少女達は、懸命にオシッコを我慢しながら、一列になってよろよろと車の間を縫うように、バスの後ろへと回り込んでゆく。
 普段ならばともかくも、密集し熱のこもる車と車の間の狭い空間を、限界に近い尿意を堪え、まっすぐ歩くのもおぼつかない足で進むのは、思いのほか集中力と時間を必要とする、根気のいる作業だった。
 突然、車線を強引に変更して停車した高速バスの中から降りてきた制服姿の少女たちに、渋滞の車列が静かにざわめいた。
 高速道路で長い渋滞に捕まり、混雑の中で誰もが退屈していたのだ。視界の端に表れた些細な変化であっても、変わり映えのしない停滞の中で注目を集めないはずがない。
 道路の片隅に現れた異状を敏感に悟った周囲の人々の視線が、容赦なく少女達に絡みつく。
「んっ、ぁ、ふ……ぅ」
「はぅ……んっ…ん」
 悩ましげに声を上げ、身をよじり、渋滞の車の間を縫って進む、赤い顔の少女達。
 それはその場に居合わせた者たちとって、新鮮な娯楽だった。
 多少なりとも気の回るものなら、こんな状況でバスを停めた少女達が、いったい何のために降りて来たのかにすぐ気付けることだろう。まして、いまや佳奈たち9人は、恥ずかしい格好で腰を突き出し、脚を内股にして、定まらない足取りでよろよろと、バスの裏側へと進んでいるのだ。
(ん……なんだ、どうした?)
(なんだよ、いきなり急に……)
(さっきからヘンな動きしてると思ったら、あのバス……まさか?)
 前屈みになってスカートの前から両手を重ね当て、脚の付け根を握り締めたり、あるいは背中をそらせてお尻の側から手のひらを脚の間に挟みこんで、恥ずかしい所を押さえてしまっている生徒たちだ。『これから、バスの陰でオシッコします』と看板を背負っているようなものだった。これで気付かれないという方がおかしい。
(おいおい、見ろよ、あれ……)
(ええーっ、あんなに大勢で? ……嘘でしょ?)
(ちょっと、みんな女の子じゃない……)
(まさかねえ、……本当に?)
(うわあ……いいのか、あんな事させちゃって……?)
 たちまち周囲から向けられる好奇の視線は増倍し、遠慮なく佳奈たちを舐め回す。無遠慮かつ容赦ない視線の中には、少女達を案じるものももちろんあった。
 ……が、こんな場所でバスを止める非常識を咎めたり、はしたない姿をする彼女達に眉を潜める類のものや、強い好奇や興味を抱くものが大半だった。中には年頃の少女達の痴態に暗い愉しみを覚えたり、中にははっきりと下卑た欲望を含むものも少なくない。
 せっかく一大決心をして踏みだしたすぐその先で、あまりにも恥ずかしい姿を衆人環視のなか、白昼の元に晒してしまったに等しかった。少女達はますます頬を赤くして顔を伏せてしまう。
(やだ……見られてる……っ)
(見ないでよぉ……ち、違うんだから……)
(うぅ……やだ、ぁ……っ)
 狭い車の間を、一列になって進む。尿意をこらえながらのもどかしい足取りでは、気ばかりが焦り、わずかな距離すら思うように進む事もできない。
 先頭を行く佳奈が、突然の大波に『ふぁあ!?』と声を上げびくっと立ち止まれば、たちまち後続の少女達も動けなくなってしまう。こうなれば前にも後ろにも動くことができず、佳奈がどうにか大波を堪えて歩き出すまで、足踏みを強いられるばかりなのだ。
 そんな事を繰り返しながらでは、ますます注目の的になるのは必然であった。荒い吐息、余裕のない表情、寄せ合わされ、擦り合わされる太腿。そうして人目に触れれば触れるほど、少女達の下腹部をはち切れんばかりに膨らませる尿意は、ますます衆目の知るところとなってしまう。
(うわあ……おい、あれマジか?)
(すっごい辛そう……よっぽど我慢してたのかしら……)
(嫌だわねえ、あんな所でオシッコなんて……女の子なのにねえ……)
(ほら、いいから見ろよ、アレ!! すげえぞ!!)
 もはや、佳奈たちはこれから自分達がバスの陰の道路の隅にしゃがみ込み、乙女の秘密のティーポットに溜まった恥ずかしい熱湯を勢いよく噴き出させることまで、喧伝しているようなものだ。
 思春期の繊細な羞恥心は、バスを降りてからのものの数十秒で、見るも無残にずたずたにされてしまった。
「んっ……はぁ……ぅっ……」
「あ、ぁっ……だめ……っ」
「で、でちゃ、ぅ……だめ、がまんっ……」
 初夏の時候とは言え、窓を閉め切って冷房を入れている車ばかりではない。排気ガスをものともせず、窓を開けて涼を取ろうとしている車もわずかながら存在していた。
「うわ……」
「ちょ、すげえ……」
 締め切った窓越しであれば聞こえないであろう、少女達の切ない吐息も、喘ぎも、空いた窓のすぐ真横を横切る車からははっきりと窺うことができた。可憐な少女が懸命に耐え、切なげに身をよじって呻く様子に、ますます渋滞の行列の興奮は加速してゆく。
「みんな、はやくこっち……!!」
 とうとう耐えきれなくなったか、先頭の佳奈を押しのけて、結城紗絵が列を追い越すように前に出た。9人の中ではまだ少し余裕のあるらしい彼女の先導によって、少女達はバスの後ろを回り込み、中央分離帯の側へと急いだ。
「ほら、あと少し!! 頑張って……!! あそこまで行けば大丈夫だから……!!」
 すぐそこに、もうすぐそこに、この永遠にも思える苦痛から自分達を解放してくれる場所があるのだ。視線でお互いを励まし合い、少女達は折れそうになる心を必死に支える。
「もうちょっと……!! もうすぐだよ!! もうちょっとだから、我慢して!!」
 そうすれば。
 ――オシッコが、できる。
 本能を理性でねじ伏せ、懸命に少女達は急ぐ。
 残すところ最後の数メートル。下着の股布にじわりと温かい染みを広げてしまうのと引き換えの懸命のダッシュで、先を争うように駆けこんで。
 これによって少女達はようやく、渋滞の列の無遠慮な視線から逃れることができた。
 バスの陰に入ると、じりじりと焼き焦がすような陽射しは消え、唸るエンジンの排熱も幾分遠のく。日陰のもたらすささやかな涼の中、少女達はわずかに安堵の息をこぼした。
 背の高い茂みが目の前に広がり、佳奈たちを出迎える。緑化された中央分離帯は、無機質な防音壁によってではなく、木と芝生で昇りと下りの路線を隔てるものだった。
 ここからならバスの陰になって、周囲の視線はほぼ遮られる。
 あとはもう、思うままオシッコを済ませるだけだった。

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