家から交差点の横断歩道をみっつと、歩道橋をひとつ。
背の高い塀とそこから伸びた高い木の梢に囲まれたT字路は、見通しが悪い割にカーブミラーもなく、向こうから誰かがやってきてもすぐには気付けない。交通量があまりないことから放置されているが、色褪せた飛び出し注意の看板もここが危険な場所であることを訴えていた。
このT字路に立つ電柱の根元が、志穂の散歩コース最初の『お花畑』であった。
普段から友達にも犬みたいだと呼ばれる志穂だが、志穂はときどき、こうやって本当に自分の決めたお散歩コースを歩く、遊びをしている。耳の付いたフード付きのパーカーを羽織り、お小遣いで買ったチョーカーが首輪の代わりだ。
ご主人様は居ないけれど、志穂はお利口なお犬さんなので、ちゃんと一人で『お散歩』ができる。目印になるのは人通りの少ない場所にある4か所の電柱。志穂が胸を高鳴らせながら、自分の『縄張り』を主張する場所である。
そう。誰も居ない隙を見計らって、この4か所の『お花畑』である電柱の根元にたっぷりと我慢したオシッコを噴き付けてゆくのが、志穂のイケナイお犬さんごっこである。
この遊びを思い付いた時、志穂の胸はそれを想像するだけでドキドキして、顔が真っ赤になってしまうくらいだった。過去に何度か我慢できなくて、道端でオシッコをしたことはあったけれど――自分でそれをしようと考えた時、志穂はまるで頭が沸騰してしまいそうに興奮する自分に気付いていた。
最初の頃は、我慢したオシッコを途中で止めて次の縄張りである電柱――『お花畑』へ移動するのが大変で、途中の横断歩道の信号待ちなんかの間に思わずチビってしまったりしたものだが、今では一か所目の電柱ですっきりしてしまっても、次の電柱に来る事には自然に、おなかの奥からこぽこぽと尿意が湧き上がってくるほどだ。
それどころか、志穂は学校でトイレに行きたいのをわざと我慢して、一度家まで帰って来てから着替えて、こうして『お散歩』に出ていくことすらあった。
いつしか道ばたの電柱を、本当におトイレ代わりにしてしまっているという、とても恥ずかしい身体になってしまったことを実感し、志穂は顔を赤くする。
けれど、イケナイことだと分かっていても、志穂はこのお犬さん遊びをなかなか止められずにいた。しゃがもうとしたところで見つかりそうになって慌てて逃げ出したり、パンツをおろしているところで友達に偶然会って不審がられたり、何度も危ないところを間一髪で助かって来たのだ。
もっとも、冬になって雪が降ってからはすっかり余裕がなくなって――寒いのが苦手な志穂はお散歩を止めてしまっていたのだが――
お母さんのお手伝いで、買い物がえりの途中。牛乳パックが2本入った重いスーパーの袋を抱えた志穂は、たまたまお散歩コースの途中にある電柱のひとつを通りがかったのだ。
「…………」
志穂の『お花畑』――電柱の根元には、おそらく誰かが作ったのであろう可愛らしい雪ウサギがちょこんと二匹、並んでいた。誰かがこの雪を勿体なく思って、作ったのだろう。並ぶ雪ウサギはまるで兄弟みたいに身を寄り添わせている。
心が温まるような微笑ましい光景――けれど。志穂には違っていた。
「…………………」
じっと、電柱の足元の雪ウサギを見降ろし、志穂は頬を膨らませる。
ここは志穂の場所だ。志穂の『お花畑』なのだ。いつも志穂がお散歩の旅に縄張りを主張しているはずのそこが、まるで誰かに奪われてしまったみたいだった。
これを作った誰かは、間違いなくここが志穂の『お花畑』であることを知らないはずだった。もちろん知られちゃったりしても困るのだが……けど、けれど、それでも。
志穂だけの秘密の場所が、誰かに占領されてしまったみたいで、なんだかすごく――イライラした。
(私がいけないんだ)
寒いからって、お散歩を止めてしまっていたから。ちゃんと、ここが自分の場所であると、志穂の『縄張り』だと宣言するのをサボっていたから。誰かに、ここが勝手に使われてしまったのだ。
――そんな身勝手は、許されない。
志穂の胸の中に、強くイジワルな感情が込み上げてきた。ここは自分の場所だ。志穂だけの場所だ。恐らく、志穂よりも小さな子が、寒い中小さな手を赤くして、一生懸命頑張って作ったのだろう雪ウサギ。
それを、思い切り――滅茶苦茶にしてしまいたいという、嗜虐的な誘惑。
一度思いついた想像は、どんどんと膨らんで志穂自身にも押さえきれなくなってしまっていた。
或いは。
昨日、クラスの女子達と頑張って作り上げたかまくらを、笑いながら踏み潰していった男子達の横暴が、志穂の胸に暗い影を落としているのは間違いない。
これ以上、自分の場所を奪われるなんて、ごめんだった。
(…………)
こくり、と硬い唾を飲み込んで、志穂は慎重に周囲を窺う。積もった雪の中、普段は頻繁に走りぬけてゆく車の影もなく、遠くを歩く人たちも雪の中で傘を深く傾け、周りを気にしている様子はない。
志穂は少し離れた場所に買い物袋を放り投げ、ひんやりと足に触れる冷たさの中、志穂は防寒のタイツを膝まで引き下ろしてしゃがみ込んだ。高鳴る胸と共に、寒さでつんと高まった下腹部の衝動を、解き放つ。
電柱の前ですっかり準備が出来ていたみたいに、志穂のオシッコは脱ぐと同時に脚の付け根から強く迸った。寒い中でじっと我慢していた水流は色も匂いも濃く、勢いよく迸り、雪ウサギを直撃する。黄色い水流がみるみる雪うさぎを直撃し、もうもうと湯気を立ち上らせながらその身体を溶かしてゆく。
まるでレーザービームのように、志穂は隣のウサギにも照準を定め、オシッコを噴射した。二匹目のウサギも志穂のオシッコによって融け、じゃばじゃばと降り注ぐ黄色い海の中に沈んでゆく。
(あは……っ)
無邪気な残酷さを見せる、志穂の表情に笑顔がのぞく。
ぞくぞくと身体の奥に熱い衝動が高まってくる。いつものお散歩コースのように、身体の次の『お花畑』を求めて動き出していた。
志穂はゆっくりと腰を振って雫を斬ると立ち上がり、買い物の途中なのも忘れて、次の『縄張り』へと向かって走り出した。
(初出:書き下ろし)
dans la prairie 05
