そして――運よく、バスの出口近くに座っていたため、バスの停車と共にいち早く乗降口を駆け下り、外へ出ることができた生徒達も、決して救われたわけではなかったのである。
ごく当然の話だが、サービスエリアに到着したところで、すぐその場でオシッコを始められるわけではない。バスから降りた場所が『おトイレ』であるはずもなく、そもそもバスがトイレの真横に停車できようはずもないのだ。
一般的常識として、駐車場からトイレまでは、ある程度の距離がある。
まして、2年A組の生徒達を乗せた社会見学バスは、大渋滞を原因に急遽当初の行程を変更してサービスエリアにやってきたのだ。つまり、佳奈たち28人はもともとこのサービスエリアに降りる予定はない。
しかも過去に例を見ない大渋滞。片側3車線の高速道路を視界の果てまで埋め尽くす車の行列だ。サービスエリアには渋滞から逃れようとした車が多数押し寄せていた。誰も考えることは同じなのだろう、連休中の行楽地もかくやの大混雑を見せていた。
本来なら、乗客の多い大型バスは、利便性の面からもサービスエリアの建物すぐそばに停車するように指定されている。ところが、これらの事情も相まって、2年A組を乗せたバスが停車したのは、サービスエリアの駐車場の端の端。
本来駐車区画ではない区域に、緊急対応として臨時に設けられた停車位置だったのである。
そう。少女たちが目指す最終目的地――オシッコのできる場所、トイレはバスからも遥か先。直線距離ですら200mの彼方、およそ300mも巡礼の道を経なければならない場所にあった。
「っ……」
バスの出口を降りたところで、がっくりと膝を折って、しゃがみ込んでしまった生徒の足元から、ぱちゃぱちゃと水流の音が響き始める。
長い長いトイレ我慢、耐えに耐え続けた4時間半。高速道路のバスという、動く完全密室がようやく停車しその出口を開け、永劫に続くかと思われた苦行からの解放は、同時に少女達の集中力を途切れさせてしまったのだ。
――サービスエリアに着いたらトイレに行ける。
――バスが止まったらトイレ到着。
――あのドアが開いたらトイレに入れる。
――バスを降りればオシッコができる!!
焦燥感と募る尿意に少女たちの思考は摩耗し、いつしか短絡的に二つの事実を混同してしまっていた。
『バスの降車』と、『オシッコができること』は、必ずしもイコールではない。
冷静な頭でなら至極当然のことだろう。
しかし、2年A組の生徒達の中には焦燥感と尿意のあまりあまり、停まったバスから降りてトイレまで歩く――そんな常識以前の問題すら、失念してしまっている生徒が少なからずいたのだ。
長い長いオシッコ我慢は、そんな当たり前の思考すら、少女達から失わせていた。中には、バスの出口へ並ぶ列を、トイレの順番待ちと錯覚してしまっている少女までいたのである。
彼女にしてみれば、バスの出口はトイレの個室とほぼ同義であり、タラップを降り、飛び出したその場で下着を下ろしてしゃがみ込むような感覚だった。長いトイレの順番待ちを辛抱強く耐え抜き、挫けそうになった心を奮い立たせ、ようやく巡って来た自分の番で個室のドアを開けたら、トイレまで300mの長い廊下が出現したに等しい。 いや、状況や事態を鑑みれば、それよりも現実は遥かに残酷で過酷だった。
心が折れてしまうのも、まったく仕方のないことだろう。
「んんぁ……っっ、はあぁはぁっ」
直線距離にして200m……一目散にトイレを目指すルートは、駐車場を横切るもの。車通りが多く、ふらふらの足取りではとても渡り切ることはできない事は明白だった。悲壮な覚悟で、バスを降りた少女達はサービスエリアを大周りし、トイレに向かう長い長い巡礼の旅へと向かわねばならない。
再び少女達の旅が幕を開けた。
バスという移動手段の助けすらなく、いうことをきかない自分自身の足を使って、遥か彼方のトイレまで辿り着かなければならない、過酷な過酷な旅だった。
社会見学バスの話・53 少女たちの我慢延長戦・バスの外
