しーむす11で頒布した「事故で停車した満員電車の中でオシッコが我慢できなくなってしまった女の子とその友人の話」の再録です。
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藤倉葉子。眉目秀麗、容姿端麗。才色兼備。そんな四字熟語が並ぶ私の親友。
葉子なんて古風な名前の通り、イマドキ珍しいくらいの良いトコのお嬢様。別段、郊外に大きなお屋敷を構えているとか財閥のご令嬢であるとかそんなマンガみたいなことはないのだけど、お家は古くから続いているところだそうだ。
葉子のご両親は窮屈な家のしがらみなんかにとらわれないようにと自由にさせてくれているということなんだけど、お箸の上げ下ろしとか、笑う時の仕草とか、授業中に当てられたときにすっと立ち上がる時の姿勢の綺麗さとか。そういうのは真似しようとしてもできない育ちの良さを感じるのである。
本人も嫌がるから、あまり言わないようにはしているけれど。かくいう私のようにガサツな女子とは雲泥の差。幼稚園のころから砂場で男子と取っ組み合いの喧嘩をし、学校に上がっても運動部で朝から晩まで練習となれば、そりゃ諦めてはいたけれど、内心こっそり女の子らしい姿にだって憧れもあろうというもので。
クラスが一緒だったという程度のきっかけだったけど、いまは無二の親友である。休日に友達同士でお出かけをするとか、学校帰りにちょっと寄り道して買い食いをするとか、そんなのに憧れていたのだそうで。
進学した先にちょうどいい部活がなかったというのもあって、いまは帰宅部まっしぐら。長年男子と間違われそうな短さだった髪も伸ばし始めてみたり。……まあ、伸ばしたら伸ばしたでライオンのたてがみみたいにみっともないばっかりで、思うようにならないもんだなあと思ったりもしたけど。
それでも、お休みには駅で待ち合わせて新都の駅までウインドウショッピングなんて毎日が、私はとてもお気に入りなのである。
「……あー。参った、ちょっと遅刻だ」
バスが遅れたのは言い訳にもならない。待ち合わせの時間を過ぎた駅前の時計を見上げ、足を速める。全力疾走なんて数か月ぶり。部活レギュラーを勝ち取った足もすっかり錆びついてしまったらしい。
葉子のことだ。待ち合わせに遅れるなんてことはまずないように行動しているはずだ。ことによったら何十分も待たせてしまっているかもしれない。お昼過ぎの集合だからおなかをすかせてるってことはないと思うけど――
飲みかけのスポーツドリンクをカバンの中に放り込み、階段を駆け上がり、約束の駅前の噴水へ。
予想通り、そこにはすでに葉子の姿があった。遠目にもわかる長い絹みたいな黒髪と、すらりとした背筋。同性の自分が言うのもなんだけど、とても清楚で美人だ。うちのガッコにだって可愛い子はたくさんいるけど、美人で綺麗な子となるとそう多くはない。まして、女子たちの間からも認められているとなれば、なおさらだ。
当然ながら人目を引いてもおかしくないのだけど――
「ありゃ」
葉子の周りには、あまり柄のよろしくない感じの男どもが数名。困惑した様子の葉子を取り巻くようにして、なにやらしきりに話しかけている。葉子もそれを断ろうとしているのだが、連中がしつこいらしくなかなか引き下がらない。
「まったく……」
大きくため息をついて、私は葉子と男どもの間に割って入った。
「はいはい、邪魔邪魔」
「あ、ヒロ」
「んぁ、なんだオイ、お前、何よ」
「その子は私と約束があるの。邪魔しないでくれる? いこ、葉子」
こういうのは有無を言わせずやるのがコツだ。葉子の手を掴んで引き寄せる。
「オイ、おめー、なんだよ、おら」
「聞こえなかった? 私たちこれから約束があるの。じゃね」
追いすがる連中を一蹴し、そのまま葉子の手を引っ張って大股で歩きだす。オウだのヨウだの言い続けてるのは無視して、そのまま一気に改札へ。
ホームへと降る階段の前で、さりげなく背後を確認。追いかけてくる様子はないことをチェックし、そっと息を吐く。ああいう連中は部活やってた頃になんとなく付き合いはあったけど、こうしてその辺から距離が開くと、今更ながらに緊張していた。じっとりと汗をかいた手のひらをひらひらと降る。
「葉子、へいき?」
「う。うん。ありがとう。……ちょっと、困っちゃってて」
「気を付けなよ。葉子は美人さんなんだから、ずっと一人で待ってりゃ目につくって」
「そ、そんなこと……っ」
とは言え、待ち合わせに遅れてしまった私だってその責任の一端はある。そこについてはしっかり謝った。
まあしかし、葉子だってこう見えて押しに弱いわけじゃない。薙刀とかも習ってるらしいし、普段はあれくらいの連中、もっと毅然と追い払うくらいできるような気もするんだけど……
「っと、電車来ちゃうわね」
ホームに快速が到着する旨のアナウンス。最寄りの駅から新都までを結ぶこの私鉄は、やたらに駅が多く、急行を逃すと三十分で済むところが倍近くかかってしまう。
「いこ、葉子」
「え……あっ」
引いた手がぎゅっと握りしめられ、私は階段の前でつんのめりかけた。何事かと思って葉子を見れば、彼女はちらりと改札の向こうに視線を送る。
「……どうしたの? 電車、乗り遅れちゃうよ」
「え、っと……その」
「さっきの連中? 大丈夫大丈夫。追いかけてこないわよ。なんなら帰りはJRからバスでもいいんだし」
待ち伏せなんてされてるとも思わないけど、葉子にフォローを入れる。それでもなお葉子は動こうとしないことに、少しばかり私が違和感を覚えたとき――電車が発着を知らせるベルが鳴り、階段を乗降客がせわしなく上り始める。
「あ、まずい! 待って待って、乗りまーすっ」
「ひ、ヒロっ」
私は葉子の手を引いて、そのまま快速の待つホームへとダッシュしていた。
◆ ◆ ◆
飛び乗った快速は、やけに混雑していた。新都までの近道である快速は普段から利用者が多いけれど、休日の午後というよりは通勤ラッシュに近い人口密度である。どうやらさっきまで踏切故障があったらしく、そのせいでダイヤが大幅に乱れているということだった。振り替え輸送もが行われているようで、一気にホームに乗客が殺到しているらしい。
「わ……っ、ちょ、っちょっとっ」
「っ……」
こちとら自転車通学の毎日だ。ラッシュなんてほとんど未体験の混雑の中、人並みに押し込まれながら一気に車両の奥へと押し込まれてゆく。
乗り換えの接続もあってぎゅうぎゅうと乗り込んでくる後続の乗客たちに背中を押し込まれながら、私たちはドアからも奥まった地点に押し込められてしまった。
「んぎゅっ……!?」
「っ……!!」
ドアの奥に立った葉子のすぐ前に到着し、どうにか足場を確保したと思った瞬間、背中を思い切り押されて思わずつんのめる。顔をこわばらせた葉子がいた。葉子の身体を押しつぶすように押し寄せてくる人の圧力に必死に対抗し、倒れそうになる体を支えるため、片手は手すり、もう片手はカバンを握って壁に押し当てられていた。
もがいて姿勢を保とうとするが、なおぐいぐい後ろから押し込まれる圧力はまったく弱まる様子がない。
葉子がびくと背中を震わせ、身を強張らせるのがわかった。
「よ、葉子、へいき?」
「う……うん」
むぎゅっと押し付けられる身体を、壁に手をついてどうにか押し返す。
私は壁を背にしてなんとかささやかな自由を手に入れていたものの、葉子の両手は人ごみと大混雑の中、まったく自由の利かない状態になっていた。
葉子が薄く顔を青ざめさせる。
「大丈夫?」
「次の駅までいけば、空くと思うから……」
言いながら、葉子はもどかしそうに足踏みをする。足元に置かれた他の人の荷物のせいで前につんのめった体勢を、なんとか手で支えている状態なのだ。
せめて変わってあげられれば――そう思うが、なんともならない。発車ベルは鳴り響いていたが、ほかの車両でもこんな感じで入り口に人が殺到しているらしく。ドアがなかなか閉まらない。
「無理な乗車はなさらないでください」「後続の各駅停車をご利用ください」「お荷物、お体を強く引いてください」
途中まで閉じては開きなおし、また閉じては閉まらずアナウンス。そんなことを十回近く繰り返して、いい加減社内の雰囲気がいい感じに苛立ち始めたところで、ようやく快速はホームを出発したのだった。
◆ ◆ ◆
しかし、考えが甘かったことに気づかされるのにはそうかからなかった。まだ復旧して間が開かないためか、あるいは普段の倍以上の乗客を詰め込んだためか、急行の速度は普段の比ではないくらいにのろのろとしている。もどかしいくらいの速度で通過駅のホームを抜け、時折減速しては信号待ちで停車してしまう。先行している各駅停車が線路に詰まっており、思うように進めていないのだ。
普段なら5分程度で着く隣の停車駅までは、たっぷり10分以上の時間を要した。無論、その間も車内はぎゅうぎゅうのすし詰めである。同じ姿勢を保つのに足首が悲鳴を上げ、痺れにつま先が痛くなる。私はまだ身動きができるからいいけれど、葉子は完全に姿勢が固定されてしまっており、だいぶ辛そうに見えた。
そうやって辿りついた次の駅でも、ホームには電車遅延で待たされた乗客が詰めかけており、ほとんど降りる人がいないのにさらに乗車率は増大した。私たちの周辺でも降りるお客さんは一人もおらず、むしろそこにさらに外から乗客が押し込んでくる始末。
とにかく乗り込んでしまおうとぐいぐい中に押し込んでくる人たちがいるせいで、私たちはますます電車の奥の奥に押し込められてしまう。
「んぎゅ……こりゃ、新都まで降りれないなあ」
どうせ大きな乗り換えのある駅だ、到着さえすれば空くだろうけど、そこまではずっとこの混雑と付き合わねばならないらしい。乗客数の多さに車内は蒸し暑く、天井で動いているファンの送り出す風も生温い。
じっとりと背中に汗が浮かぶのを感じながら、少しでも気を紛らわせようと、葉子に様々な話を振る。明後日の学校の話。もうすぐはじまる中間試験、そのあとの修学旅行の話。ちょっと早いけど夏休みの予定。
どこか切羽詰まった面持ちの葉子の緊張を解せればとおもっていたのだけど、肝心の葉子の返事はひどく上の空で、ええ、うん、と小さない相槌を返すばかり。
「ねえ、葉子、だいじょうぶ? ……場所、変わろうか?」
「…………」
問いかけるも、葉子は顔を赤らめて俯き、無言でふるふると首を横に振るばかり。
ひょっとして、何か怒らせるようなことをしてしまっただろうかと疑ってみたが、さっきの待ち合わせの遅刻を除けば、いまいち心当たりがなかった。
発車ベルが鳴り始めると、葉子ははっと顔を上げた。動かせない背中はそのまま、首をひねって視線だけをちらちらと、ホームのほうへと送る。やっぱり辛いのだろうか。
「どうする? 降りる?」
「……う、ううん。へいき……、だよ。新都まで……だいじょうぶだから」
葉子がそういうものだから、それでいいのかと一瞬納得しかけるが――堪えるように、とぎれとぎれに熱い息をこぼす葉子の様子は、やっぱりちょっと普通ではなかった。
るるるる、と発車ベルの音を響かせながら、何度も何度も試行錯誤してようやくドアが閉まる。そのあともなおずぐずぐずとアナウンスを繰り返し、がこんがこんとドアを揺らして、ようやく発射準備を終えた急行はよたよたとホームを滑り出した
「たぶん、前の各停もこんな感じだから、遅れてるのね」
「そう……だね。まだ、かかりそう、かな」
「1時間くらいはかかっちゃうかもねー。あーあ、時間余ったら映画でも行こうって思ってたんだけど、お店見て回るだけになっちゃうかな。……あ、それとも新しくできたカフェって言ってみる? 水出しのアイス珈琲がおいしいって聞いたんだけど」
「んっ……そ、そう、ね。いい……かも」
ゆっくり進みはじめる電車がホームを抜け、がたんがこんとのろのろ運転で踏切を横断していく。こっちも長く遮断機が下りているようで、道路のほうも渋滞が起き、歩行者に自転車を抱えた人たちが不満げに通れるのを待ちわびていた。
「本当、事故とか勘弁してほしいよね……いつ着くかわかんないのが一番困るよ」
「……う、ん……っ」
上の空の返事。さすがにこのあたりで私もいい加減、葉子の様子がおかしいのには気づいていた。
「ねえ、葉子、本当に平気? さっきからなんか、様子が――」
いいかけたその時。急に車内の照明が明滅し、列車ががくんと揺れる。
ぎぃいいいいいいい! 急ブレーキーと共に車体が揺れ、がっくんと傾くようにして停車した。慣性の法則が混み合ったままの車内をぎゅうっと圧迫し、私たちは満員の乗客にむぎゅっと押しつぶされる。
「ひぅ………ッ」
葉子の、ひきつるような悲鳴が耳元で聞こえる。車内にざわめきが満ちる中、停車した電車に明かりが戻り、車内アナウンスが放送される。
『ただいま、付近の踏切に車が立ち入っており、緊急停止ボタンが押されました。状況を確認しているため、しばらく停車いたします。お急ぎのところ誠に申し訳ありませんが――』
「……なに? また事故……?」
ぼやいて、私は葉子と密着した体を動かし、押しつぶされた乗客の中でもがく。と、
「っふあ……ッ!?」
耳元で、切羽詰まったような声。何事かと顔をあげ、私はそのまま言葉を失っていた。
葉子の顔は血の気が失せ、真っ青に青褪めている。もともと彼女の白い肌はとてもきれいだけれど、これは明らかに普通じゃない。
「ちょ、ちょっと、ホントに平気? 具合悪いの?」
小さくかぶりを振る葉子。けれどその形のいい唇はきつく噛みしめられ、シャツから覗く首筋には汗がすごい。それなのに、袖から見える腕には鳥肌が浮いていた。
いままで真面目に注意を払っていなかったことを、今更ながらに後悔した。何が親友だ、こんなことに気づけていないなんで。
「葉子、無理しないで。顔真っ青だよ……次の駅で降りよう」
「っ……」
ふるふると首が左右に振られる。まったく、強情な奴め。
「電車? すぐに動くって。大丈夫大丈夫。私のことなんか気にしないでいいから。調子悪いんでしょ? ごめんね無理させちゃって。だから、そんなんで我慢しなくてもいいんだってば……」
まったくこの混雑だ。私だって快適とは言えないのに、混雑の真ん中に押し込まれた葉子にはさすがに国だった。気分が悪くなっても仕方ないかもしれない。こうなる前に位置を代わっておけばよかったのだけど、後の祭りだ。
「無理しちゃだめだよ。途中で降りたっていいし、休むならどの駅だってできるもの。あと少しで……」
「ち……ちがうの……」
それでも。葉子は堅固に首を振った。ちがうの、ちがうの、と、俯いた顔の、さらりと流れ落ちる長い髪の間から、真っ赤に染まった耳の先端が覗いている。
「……ぉ……、っ」
掠れるような葉子の声は、最初、言葉になって私の耳には聞こえなかった。だから、思わず耳を澄ませ、首を傾けてしまう。
「……ぉ……ぃ、……の」
そうして顔を近づけた先、葉子は爆発してしまいそうに真っ赤になった顔を俯かせ、顔全体から蒸気を噴き出させんばかりに俯いて。
「……お手洗いに、行きたいの……っ!!」
湯だったみたいに真っ赤な顔で、小さな唇を震わせて。
切実で、切羽詰まった、女の子の危機を私に告げた。
◆ ◆ ◆
「ちょ……え? マジ?」
訊ねる私に、ぷるぷると顎を震わせて、葉子はこくん、とちいさくうなづいた。
「……も……がまん……できないよぉ……」
「ちょ、ちょちょちょ、待っ!? そんな急にっ……」
思わず身じろぎした私のほうを、近くの人たちが一斉に振り向く。吊革の上に細くたたんだ新聞を読んでいた(曲芸みたいなポーズで、執念を感じた)おじさんにじろっと睨まれ、私はあわてて口をふさぐ。
がたん、がたん。ゆっくり進むレールの音を聞きながら、そっと声を潜めて葉子に訊ねる。
「え、い、いつから……?!」
「…………っと……。ずっと、前、から……っ」
聞いて唖然とした。
なんでも。葉子は私との約束に待ち合わせる、そのはるか前から、ずっとずっとトイレを我慢していたらしい。家を出る前にもトイレに入ることができず、途中でどこかに寄り道すればいいものを、待ち合わせを優先するためにそれらも諦めてきたらしい。
約束の時間の30分も前に来ていながら、私が来た時にいないと困ると思って、律儀に噴水の前を離れないようにしていたのだという。
思い返してみれば、ナンパ男たちに絡まれていた時も、葉子の言動は妙に歯切れがよくなかった。あれも、ずっとトイレに行きそびれていたせいで、それどころじゃなかったからなのだ。
ようやくそれに思い至り、私は今更のように目の前の靄が晴れたようだった。
「その、じゃあ……朝から、ずっと?」
「…………っ」
こくん。顎の先が震えるのとほとんど変わらないくらいの、小さな小さな肯定の頷き。
あまりにも衝撃的な告白だった。いろいろ不都合と妙な間の悪さが重なってしまったためか、葉子は朝から一度もトイレに行けていないらしい。信じられない話である。私なんか、朝寝坊してからもう3回……いや、途中のコンビニへの寄り道も入れれば、4回もトイレを済ませているのに。
「ヒロと……っ、会ったら、行けばいいやって、おもってた、から……っ」
「そんな……気にしなくてよかったのに……!」
「だって……、時間の前にいなかったりしたら、嫌、かなって……」
「…………」
さすがに呆れた。いくらなんでも真面目すぎる。呆然となる私に、葉子は慌てたように首を振って、違うの、と付け加える。
「それに、その……一度は、もう、どうしようもなくなって……先に、その、っ、お手洗いに……行こうって思ったら」
「あー……あの連中……」
まるで見透かしたみたいなタイミングで、あのガラの悪い連中に絡まれたということだろう。いや、どこまで気づいてたかわからないけど、ああいう手合いは不安だったり余裕のない感じの女の子を見つけるのが上手いものだ。葉子の内心を見抜かれていた可能性もあるかもしれない。
トイレに行きたいから邪魔しないで、というのは女子の断りの必殺技の一つだが、どう控えめに見ても男子に免疫のない箱入りお嬢様の葉子にとって、男の前でトイレに行きたいなんて言い出すことはできなかったんだろう。
あれは恥ずかしい姿なんて絶対に見せていい場面ではなかっただろうし。
私が着いた時点で、もうずいぶんあいつらは葉子に絡んでいた様子だった。それでなお断り切れないってことは葉子もよっぽど辛かったに違いない。
電車に乗ったのは2時少し前くらいだが、のろのろ運転とホームでの大混雑の乗り換えのせいで今はもう二時半を回ろうとしている。
待ち合わせの時間も考えると、私との約束をほっぽり出して(別にそんなのどうでもよかったんだけど)今すぐにトイレに駆け込みたいような状態に陥ってから、葉子はもう1時間以上も限界の我慢を続けていることになる。
それでようやく今になって音を上げるとか――いったい葉子のおなかのダムはどうなってるんだろうと言いたくなった。
片方の手は荷物ごと拘束され、もう一方の手は押し寄せる人波に耐えるため手すりを掴んでいる。
とは言え満員電車の中、ぎゅうぎゅうとすし詰めに押し込まれている状況では満足に足踏みもできないだろう。腰を浮かせるようにして、葉子は懸命に腰をくねらせていた。
体勢的に、ちょうど友人の痴態をまじまじと見つめる格好だ。なんとも微妙な気分で視線をそらそうとする私を見て、涙声で葉子が声を絞り出す。
「どうしよう……っ」
「どうしようたって……」
こっちが聞きたい。この車両には少なくともトイレはない。電車をくまなく探せばあるのかもしれないが、普段あまり意識したこともないため確証はなかった。いずれにせと、この満員すし詰め状態をかき分けてほかの車両に移動するのは無茶だろう。大声をあげて通してもらう――にしても、うまくいくとは限らない。
ちらりと向けた視線の先、涙目になりながら訴える葉子。さっきまでの青白い顔は一気に紅潮し、耳は先まで赤い。同性で友達の私に告白しただけでこんな有様だ。社内全体に聞こえる声で、「すいません、トイレです! 友達がおしっこ漏れちゃいそうなんで!通してください!」なんて言えるわけがない。
そもそも、仮にトイレがあったとして、そこまでたどり着いたとして、この混雑で都合よく空いているだろうか?
「……ヒロ……ぉっ……」
「ああもう……っ」
唇を震わせる葉子は、もう5分も持ちそうにないくらいに切羽詰まっていた。はっきりといつからとは分からないけど、限界になってからもう1時間以上も我慢し続けているわけで、そりゃ頼りたくなるのだって分からなくもない。
代わってあげられるものなら代わってやりたいが、こればっかりはどうしようもない。声にするわけにもいかず、心の中で葉子を応援する。
しかし。
白い首筋に汗をうっすらと浮かべ、うつむいて頬を染め、長いまつげの目を伏せてきつく唇を噛み、
(ん、ぅっ……!)
(……ふぁ……ぅっ!)
そんな声ばかり上げて、息をつめる葉子の姿は、間近で見るとなんだかイケナイものを見ているようでわけもなくドキドキしてしまう。もう本当に限界間近なようだ。そりゃそうだろう、あの葉子が形振り構わず私におしっこを告白してくるくらいだ。もう本当のぎりぎりまで一人で我慢し続け、どうしようもなくなって私に言ってきたのだろう。
「いま、何時くらいなんだろ……」
電車が停まってもう随分経つような気がする。時計を確認しようにも自由にならず、見慣れない窓の外をじっと眺めて、早く電車が動き、駅のホームまで到着するのを待つしかない。それまで葉子の我慢はもつのだろうか? 冷静に考えて、激しく怪しいと言わざるをえない。一刻も早く電車が復旧して、次の駅まで動いてくれるのを待つしかなかった。
が、最初のアナウンスから新しい情報はない。ぎゅうぎゅう詰めの車内に、乗客たちの苛立ちがすこしずつ、しかし確実に折り重なっていく。
「ね、ねえ、ヒロ………っ」
「だ、だから頼まれてもどうしようも……」
「ち、違うのっ……!!」
もじもじと腰をゆすり――たぶん、それでも精一杯、外に見せないように耐えているんだろう――耳まで真っ赤になりながら、葉子はとんでもないことを頼んできた。
「もぅ、ホントに……駄目……だ、だから、お願い……、お、押さえて……っ」
「は?」
「お、おねがい……ぎゅって、して……っ」
そんな顔でそんなこと言われちゃったら、おそらく世の男どもの9割は勘違いするに違いあるまい。
だが違う。そういう意味じゃない。ある意味もっときわどくて怪しいことを、この友人は私に頼んできたのである。
つまり。私に――両手の自由にならない自分の代わりに、丁度具合よく手の空いている私に、代わりに、あそこの前押さえをしてくれ、と言っているのだ。
「い、いいの?」
「いいから、はやく……!!」
間抜けにもそんな確認をしてしまった(後で考えれば、もっと嫌がるとか困るとか、仮にも少女としてまともな対応があったようにも思う)私だが、葉子は普段の控え目でおしとやかな物腰とは似ても似つかない、切羽詰まった鬼気迫る迫力で言ってくる。それでもなお、可愛らしさがまったく損なわれてないというのはまさに驚嘆というほかない。
そう。さっきの告白時点で、我慢の状態はもはやぎりぎり。葉子の女の子のダムは、決壊のカウントダウンを始めている緊急事態であるのだ。このまま、その、万一のことがあれば被害をこうむるのは、ほぼ密着状態で押し込まれている私も一緒なのだ。
ええいままよとばかり、私は覚悟を決めて葉子の脚の方へと手を伸ばした。
綺麗なフリルとプリーツのついたスカートの上から、適当に見当をつけて手のひらを添える。
できるだけ刺激を与えないよう、優しくしたつもりだが、葉子はとたんに肩を震わせ小さく声を上げた。
「っ、くぅ……ッ……」
きれいな形の眉がきゅうっと寄せあわされる。
「っ………ぁ……っ」
ぶるる、とあごを反らし、背中を震わせる葉子に、私の背筋にも緊張が走る。
「ちょ、ちょっと……?」
「、っ、ち、ちがう、も、もう、ちょっと、上……っ」
「こ、こう?」
「んっ。……っ…ッ」
言われるまま、私は位置を微調整する。自分がトイレを我慢している時のことを考えて、どこをさすり、どこを押さえれば少しでも楽なるか。それを考えて。慎重に、ゆっくりと。けれど大胆に。
「ち、ちがうの、そこ、押されるとダメ……っ!! ……もっと、下、足のほう、きつく、おさえて……ッ!!」
「わ、わかった……」
自分を基準に考えてはいたものの、どうもそれでは多少外れていたらしい。女の子の大事なポイントというのは、人によってミリ単位で違う、繊細で敏感なものなのだ。葉子に言われるまま、指を這わせ、そっと手を動かす。
「んっ、ご、ごめん、そっちじゃ、駄目……!!」
「あ、う、うん……」
スカート越しにも、はっきりとわかるくらいに、葉子の下腹部には猛烈な力が篭められていた。みなぎるくらいに羞恥が詰め込まれた、まるでタイヤでも触ったみたいな硬い手ごたえ。はちきれんばかりにぱんぱんに中身が詰まっていることははっきりわかる。
葉子さんの「おんなのこ」もよくもまあこんなに耐え続けたものだ。
「はぁ……っ」
どうにか、丁度いい「前押さえポイント」が見つかったか。葉子が小さく息を吐きながら、ぐりぐりと股間を押し付けてくる。私の手はぎゅっと葉子の太腿の間に挟み込まれ、押し包むように摺り合わされた。熱く篭った熱気がスカートの根本をしっとりと湿らせる。不安定な姿勢でそうなったものだから、つま先立ちになった彼女の体重もぐっとこちらに預けられ、私はあわてて倒れないようにそれを支えこむ。
「っは……くぅ……っ」
耳元で倒れこむようになった葉子の吐息が、艶めかしく響く。
(すごい……こんなに? どれだけ我慢してんのよ……)
これ、もし私が男だったら、一発で痴漢犯罪検挙の状態じゃないだろうか。……いや、女の子同士でもちょっと言い訳の聞かない格好してる気がするけど。
「っはああ……ぁ……っ」
ぎゅうぎゅう、もじもじ、くねくね。目の前で熱っぽく繰り返される友人の吐息。おしっこ我慢の様子を、ゼロ距離の特等席で見せつけられ、私も思わず足をそっと擦り合わせてしまう。
葉子は全体重をあずけるようにして、股間に挟み込んだ私の手を足の付け根に抑え込んでいた。そうしていないと、もうおそらくダムの『水門』をせき止めていられないのだろう。
つまり、これ。
私が……ちょっと気まぐれをして手を離してしまえば、葉子はそのまま――限界を迎えてしまうのだ。
そう考えると、ぞくぞくと背中を這い上がる、嗜虐心のようなものがあった。
「……っ、いかんいかん」
思わず首を振る。才色兼備で知られ、校内でも下級生憧れの的である友人が、こうして身を縮こませ、切なげに腰をモジつかせて震える様には、背徳的なものがみえないでもないけれど。もし、ここで葉子が限界を迎えれば、そのまま噴き出したホットレモンティは、密着する私めがけてスプラッシュである。このせっぱつまった状況において、興味本位でやっていいことではない。
「ぁ。あっ、あ……ッ」
葉子が目を伏せ、ぷるぷると首を震わせた。
かあっと、そのうなじが朱に染まる。
「ぁ……ッ……」
ぐうっと抑えこんだ手のひらに、ほんのわずか、熱い湿り気が増えたように感じた。『それ』が何を意味するのかを悟り、思わず手を引きかけるが、途端に切なそうに足をぎゅっと閉じてそれを停めようとする葉子。反射的な行動だったようで、ごめんっと言って震える足を放そうとするが、いま葉子の支えになるのは私の手だけで、これがなくなったらもう葉子は一人じゃ耐えられないはずなのだ。
ああもう。そんな顔されたら、無視できないじゃないか。
ぷしゅ、しゅっ、しゅ。ほんの少しずつ、レモネードの瓶の底で炭酸がはじけるような音。スカートの布地の奥で、わずかな湿り気が、ゆっくり、ゆっくりひろがっていく。熱のこもった下着の奥で、葉子の『おんなのこ』がひくっ、ひくっと細かく震えていた。
あれだけおなかを固く張りつめさせ、パンパンにさせているんだ。どれだけ辛いか。
(……がんばれ、がんばれっ)
声には出せない。けれどせめて。友人の立たされた苦境に、少しでも力になろうと。私は葉子を心の中で応援する。
◆ ◆ ◆
10分ほど、過ぎたろうか。
何度となく唇を引き結び、息をつめ、肩を上下させは吐息を殺し。
耐えに耐え続けた葉子が、私の耳元で、ポツリ、とささやいた。
ごめん。でちゃう。
限界を告げるその声を、私は自然と受け入れていた。そうだろう。葉子はもうとっくに限界だった。普通の女の子だったら、最初の電車が止まった瞬間に音を上げていたに違いない。いや、そもそも私に会う前まで我慢して約束待ち合わせなんてできていたかどうか。
何よりも慎み深く、がまん強い葉子だからこそ、ここまでなんとか、限界を先延ばしにしてきたのだ。
だから。友人が尿意の限界を訴え、がまんできないことを知らせてきたのは、もう仕方のないことだった。「わかった。……だいじょうぶだよ」
このまま、あるがまま結果を受け入れよう。どんなにひどいことになっても、絶対に葉子のことを見捨てない。そう決意を込めて。私は友人に微笑みかける。
けれど。
「ヒロ……っ、か、カバンっ……」
葉子が要求してきたのは、そうではなかった。
言われるままカバンを探れば、中身は小さなプラカップとセットになった空っぽのペットボトルが見つかる。最近、健康にいいと有名な特保の健康茶である。
……その筋では、飲むとおしっこが近くなってひどい目に合うということで、評判の逸品だ。私も話のタネに、昼休みに一番小さなボトルを試し飲みして、午後の授業は休み時間のたびにトイレに駆け込む羽目になった。6時間目の英語の授業では。小テスト中についに耐えかねて、先生、トイレ行ってきていいですか! と幼稚園みたいな宣言をしてしまったほどだ。
こんなものを500mlボトル1本も飲んでしまっていたのかと呆れてしまいそうになる。
聞けば、健康のためお茶を毎日朝晩飲むのが葉子の家での習慣だということらしい。外出時の飲み物も当然のようにお茶で、今日葉子は美味しいからということで、お出かけ先ではじめてこれを試してみたらしかった。いや、けっこう細かいところで世間知らずとは思ってたけど、それにしたってこれはどうなのか。
(こっ、これ、にっ)
喉を震わせて、ボトルを視線で示す葉子。彼女のことだから、律義にゴミを家まで持ち帰るつもりだったに違いない。
(お、おねがい、おねがいっ……!)
空のボトルを示すその意図は、私にもわかりすぎるくらいわかっていた。あまりにも大胆で、あまりにもお嬢様らしくない発想。女の子としたって失格当然の発想だ。
けれども――
「わかった。……動かないでね」
「ぅ、……うん、はや、くっ……!!」
葉子のためなら何だってすると覚悟した。今更引いたら、乙女がすたるってもんだ。
◆ ◆ ◆
満員電車の車内が、ギシギシと揺れる。人口密度300パーセント。身じろぎも満足にできない状態で、もう30分近くこうして閉じ込められている。冷房は聞いているけど車内温度は徐々に上昇し、不快指数も増してきていた。どこか遠くで、子供の泣き声が聞こえ、それに文句を言う様子も聞き取れる。
そんななか、葉子は真っ赤になってうつむき、必死に声を殺して、唇を噛んでいた。
そりゃあ恥ずかしいだろう。これからやろうと思っていることを考えれば、正直私だって頭から蒸気が噴き出しそうだ。
でも、ぐずぐずしてられない。俯いたままの葉子の足の間。わずかに力を緩めた彼女の股間から手を引き抜き、そのままスカートの前をまくり上げる。反対側の手に掴んだペットボトルを用意しながら、
スカートの下、手探りで葉子の足の付け根へ手を滑り込ませる。
すべすべの太腿がほんのりと温かく、女の子としてうらやましくなるくらいにすらりと細い。そんな葉子の足の付け根、下着の股布をひっつかんで脇にずらし、空っぽになったボトルを突っ込んだ。見えない中で小さな飲み口を葉子の「そこ」に押し当てる。
(ぁンっ……)
足を開かせた葉子の股の付け根に、丸い飲み口がぶつかった瞬間、そんな色っぽい声があった。ぎしっと軋むドアと窓の音がやけに大きく聞こえる。
(も、もうちょっと、前っ)
いくら付き合いの長い親友のことだって、おしっこの出口の位置なんてわかるはずもない。まあ、そりゃ、すごく小さなころは一緒にお風呂に入ったりしたし、トイレだって一緒に行ったりしたけど。手探りで友人の『おんなのこ』、秘密の場所を探し当てるその状況は、まるで――とんでもなくいやらしいことをしているみたいで。こっちまで頬が熱くなるのを抑えきれない。
いや、実際、これは友人としての範疇をこえてるのだ。
ペットボトルの胴を握り、何度か確かめるように、『そこ』を探り当て。うまくいくように、おしっこの出口、水門を邪魔する部分を左右に押し開く。
「ぉ……音、きか、ないでっ」
最後の懇願はそれだった。
ぶしゅっ、とサイダーの栓を抜いたみたいな音を皮切りに、透明な容器の中に水流が噴射される。薄いポリ容器の中で跳ね返った水流が、じゃごおおおっっとすごい音を響かせるのを、私は手のひら越しに感じていた。
ペットボトルの底を直撃するその勢いはとんでもないもので、掴んでいたペットボトルがそのまま水圧で跳ね飛ばされてしまいそうになるくらい。庭の水まきに、ホースの先端をつぶして勢いをつける、あんな感じに違いなかった。
「っ………ぁ……」
きゅうっと寄せあわされる葉子の眉。おしっこの開放感よりも、こんな異常な状況での排泄の羞恥のほうが勝っているようで、その表情は苦悶に近い。
葉子が目をつぶっているのをいいことに、私はこっそり彼女のスカートを持ち上げ、その奥に目を凝らした。
(うわ、すご……っ)
私だって女の子だ。トイレを我慢しなければならない時だってあるし、そういう時、かろうじて間に合った個室の中で、音消ししても完全には消えないくらいものすごい勢いと音で、足元にめがけ恥ずかしい熱湯を噴き出させてしまうことだってある。
でも。それが実際こんなにもすさまじい迫力であるなんて、知らなかった。そりゃそうだ普通に生きてたら見る機会もないしまじまじ観察するチャンスなんてあるわけもない。
ましてそれが――自他ともに認めるいかにもな清楚で慎ましやかなお嬢様の、葉子のものだなんて思うと。
取り落とさないようにつかみなおし、力を込めただボトルの中に、信じられないほど野太い水流が蛇行しながら注ぎ込まれていく。比喩抜きで、蛇口を全開したみたいな量と勢い。
ぼじゅぅうううううううっ……
その音も勢いもじゃぼじゃぼ程度ではないのだ。溜まったホットレモンティの黄色い水面を猛烈に泡立てながら、まっすぐに直撃するその様子は黄色いレーザービームめいてすらいた。
幸いだったのは、ちょうどこの時、電車の隣を急にやってきた快速が通り過ぎ始めたこと。どうやらそろそろ電車が復帰するようだった。揺れる車体が窓越しにも顔をしかめるくらい喧しい轟音に包まれるなか、葉子は私の持つペットボトルの中に、我慢に我慢をし続けた限界おしっこを噴射させてゆく。
たぶん、これがなければ、容子の排泄音は決して静寂とは言えない電車の中でも十分に周りに響きわたり、周囲の視線を一身に浴びてしまうくらい、ものすごい音だったと思う。
「はぁ……ぁ、ふ、ぁっ……」
徐々に本当の勢いを取り戻す排泄とともに、葉子はとろけるみたいに気持ちよさそうな顔をして、堪えていた息を解放する。まるで、ひとりでこっそりいやらしいことをした後のよう。
いや、これはもうそういうのと同じかもしれない。トイレを我慢していた時に感じるむずむずは、一人でえっちなことをしているきっかけになった子だって少なくないはずだから。
ちらりともう一度、スカートの隙間に視線をやれば、すでに泡立つ水面の位置はペットボト全量の7割近くにも達しておいた。手ごたえもずっしりと重く、油断したらその重さと水圧でとり落としてしまいそうなほど。これだけ我慢してるんだから当然だとは言っても、まったく弱まる様子もない。
(このお茶、たしか500mlサイズのはずなんだけど――)
いったいどんだけ我慢してたのこの子、可愛い顔して。これもギャップ萌えってやつなのだろうか。
○○学院の現役女学生、深窓のお嬢様の絞りたて生お小水……なんていったら、世の変態どもが高い額で買うかもしれない、なんて馬鹿げたことを考えていた、その時。
「っ、ヒロ」
「え!? あ、な、なに?」
考えていたことを見透かされたのかと思ったが、まさかそんなわけはなかった。むしろその逆。容子は顔を真っ赤にして、余裕なく辛そうに身をよじる。じょぼっ、じゃぼっと押し当てた飲み口の奥に、断続的に水流がぶつかる。
「ま、に、あわないよぉ……っ」
「え?」
どういうこと? 瞬きをする私のそばで、目に涙をにじませながら。葉子は衝撃の告白。
「まっ、まだっ、まだおしっこいっぱい出そうなの……っでちゃう……っ、こ、これじゃ、溢れちゃう。入りきらないよおっ……!!」
なんですと。
「ヒロぉ……っ」
縋り付くような視線。いや、500mlで足りないってそれいったいどういうことよ。思いはするが、目の前の現実がすべてだ。葉子の股間に押し当てたペットボトルはもはや満水。それでもなお、葉子は激しく腰をよじり、ぶしゅっぶしゅっとこらえきれない水流を断続的に噴射させている。
女の子が、一度はじめちゃったおしっこを停めるなんて無理だ。我慢の限界で、一度トイレを前にしたら、女の子はもう辛抱できない。
どうすれば――? 一瞬の迷いののち、私は葉子の足の付け根にボトルをあてがったまま、自分のカバンを空けた。奥に突っ込んでいた自分の分のボトルを引っ張り出す。自転車での移動中にのどが渇いたので買った、スポーツ飲料。
中身はまだ半分くらい残っていた。構うもんか。蓋をあけるのももどかしく、飲み口に口をつけて、残る全部を一息に飲み干す。
「んくっ……」
飲み終えるころには、葉子の股間のボトルはほぼ限界。飲み口のところまでいっぱいの、本当の意味での満水になりかけていた。見事500mlを一杯にしてなお、葉子のおしっこの出口はなお内側からの圧力に耐えかねるようにぷくぷくっと膨らんで、まだ足りない、もっと出ちゃうとむずがっている。
瞬間の早業で、私は葉子の股間から中身の一杯になったボトルを遠ざけ、新しく殻にしたボトルを押し当てる。
ぷしゅっ、ぱたたっ。
地面に飛び散る小さな飛沫。
「もうちょっとでいいから! ガマンしてっ!」
短く叫び、ペットボトルの交換を終えた直後。
新しく押し当てられた飲み口の奥に、ぷじゃあああああっ!! と強烈な水流音。
すでに500mlペットボトルを一本、一杯にしたとは思えない――あまりにも猛烈な勢い。ふたたびじゃぼじゃぼと音を響かせ、ボトルの中に注ぎ込まれていく友人のおしっこ。さっきにも勝るとも劣らない勢いで、透明な容器がみるみる泡立つ水位を上げていく。
(うぁあ……)
その迫力に気圧され飲まれて、もう私は唸ることしかできなかった。握りしめたボトル内に注ぎ込まれるオシッコの振動が手のひらを震わせ、ほかほかと温かい、葉子のおなかの中で温められた羞恥の熱水が、黄色い水面をみるみる増していくのを黙って見続けるしかない。
あっという間に、葉子のオシッコは切り替えたボトルの半分ほどまで水面を上昇させていく。こりゃ、確かにさっきの一本だけじゃ満足できないのは明らかだった。 本当、いったいどれだけ我慢していたんだろう、葉子ってば。
まさかこれも溢れさせてしまうんじゃないかと思ってひやひやしたが、さすがにそうなる前に葉子のオシッコは見る間に勢いをなくし、じょっ、じょぉっと断続的に吹き付けられていく。
最終的に、ボトルの8割強あたりのところで、水面の上昇は停止した。とりあえずの避難として、ボトルにキャップをはめる。驚いたことに、葉子はこの状況でもきちんとおしっこをボトルの飲み口の中に注ぎ込み、一滴も外側にはこぼしていなかったのだ。葉子のお行儀のよさは、こんな状態でのおしっこの仕方にすら反映されていたのだ。そういえば、自分と比べて葉子のおしっこはすごくきれいに、まっすぐ前に飛んでいた。あれもひょっとして、日ごろの訓練とか礼儀作法で培ったものなのだろうか。
思わず妙なことに感心をしてしまう。
「よし、っ……」
こぼさないように注意して、慎重にキャップを閉めた500mlペットボトル2本ぶんのおしっこ。健康茶とスポーツ飲料、どちらもラベルに偽りあり、だ。ずっしりと重いそれらは、つまり単純計算で約1リットル。こんなにも大量のオシッコを、葉子はあのほっそりしたおなかの中に押し込めていたというのか。
その圧倒的迫力に魅入られて、黄色く泡立った中身をしげしげと見つめてしまい、葉子は顔を赤くして私の手を掴もうとした。
「ひ、ヒロっ、見ないでっ」
「ごめんごめん……でも、見られるわけにはいかないしね」
現役学院生の生しぼりしぼりたてオシッコ。なんとも背徳的な響きである。
空になっていたコンビニの袋を取り出し、二本をまとめて押し込む。半透明の袋に入れて、外から少し透けて見えるようになっているのは、葉子としても激しく抵抗があるみたいだったが――だからと言ってカバンに入れるのはさすがにナシだ。まあ、こういう色合いのお茶だとかスポーツ飲料だと言い切れば、ギリギリ言い逃れができなくもない外見だろう。
◆ ◆ ◆
葉子がおしっこを終えてから、すぐにアナウンスがあって。あっけないくらいあっという間に、快速は運転を再開した。ほどなく、電車は問題の踏切を越え、駅に入る。
降りる予定の駅ではなかったけれど、予想外の混雑と満員状態に耐えかねて、私たちはそのまま駅を降りることにした。
そもそも電車内であんなことになってしまった葉子のショックは大きいだろうし、ほかにいろいろしなければならないこともあったからだ。なにしろ、手にはカバンのほかに葉子さんの絞りたておしっこ入り500mlペットボトルが2本もある。これの『処分』も考えなければならない。降りてすぐ、駅のトイレも探したけれど、さっきの事故のせいで婦人用トイレも混雑していて、しばらく順番待ちに並ばなければならなかった。さすがに今そんな気分にはなれない。
私も葉子が目の前で見せつけてくれた大迫力のせいで、すこしばかり『催して』いたのだけど――まあ、これは我慢できるはずだ。
それよりも葉子だ。あんなことになったショックはただ事じゃない。結果的になんとか、最悪の事態は免れたとしても――満員電車の中、乗客に囲まれて立ったままペットボトルにおしっこだなんて、女の子として相当のダメージを受けているに違いなかった。最悪、今日のお出掛けは中止にしなければならないかもしれない。そんなことを考えながら葉子の手を引いて、改札を出る。
「でも、替えの下着とか――ないとだめでしょ? コンビニ行ってくるから、ちょっとここで……」
と。葉子の様子がおかしいのに、私はここでようやく気付いた。妙に足取りが重く、なお、顔が赤い。
「? どうしたの、葉子」
「ご、ごめんなさいっ!!」
葉子はばっと身を翻し、駅の出口から外へ駈け出してゆく。走り出す彼女を、私は慌てて追った。ちょっと余計なこと言い過ぎたか。あまり深刻になってほしくなかったのだけど、よく考えてみればちょっとひどい物言いだったかもしれない。でも、それだけ私にとっても衝撃的な出来事だったわけで――
「って! 違う!」
言い逃れしている場合じゃない。よたよたと走っていく葉子の背中はすぐに見つかった。追う私に距離を詰められながら、葉子の足取りは繁華街を離れるように、駅のそばの路地を曲がり――
「葉子っ」
そうして、追いかけた先。路地を曲がった彼女を追いかけ、そこで見たものは、あまりにも私の想像を超えていて。
それが何を意味しているのか、一瞬私には理解できなかった。
行き止まりの路地裏――ビールケースやゴミ箱の積み上げられた、お世辞にも綺麗とは言いがたい場所。剥き出しのアスファルトに汚れた行き止まりの、その路上で。
長いスカートを引っ張り上げ、追いかける私に背中を向けるようにして、路地裏の隅に深く腰を落として。
お尻を突き出し、足を開き、ガニ股になってしゃがみ込み。
切羽詰まったせいだろうか、下着を下ろすこともできず、股布部分だけを指でつかみ、ぐいいっと真横に引っ張って。
どう言い逃れのしようもない、完全無欠な『野外おしっこポーズ』100%の体勢で、しゃがみ込み開いた足元に、猛烈な勢いでおしっこを噴き出させる、親友の姿。
「っ……!?」
なんで、どうして、こんな?
ぶしゅううううじゅぼぼぼぼっじゃばばばばば!!
路地裏に響くこの猛烈な音は、広がる水たまりの黄色さは、飛び散るしぶきは、立ち込めるにおいは、幻なんかじゃありえない。
だってついさっき、葉子はあんなにもいっぱい。500mlペットボトルを2本近くも一杯にさせるくらい、とんでもない量と勢いで、おしっこをしていたのに。いくら健康茶の利尿作用がすごいと言ったって、あれからまだ10分も経っていない。いくらなんでも、たった10分でもう我慢できないほど強烈に、急に効いてくるはずが、ない。
それなのに、なんで葉子はまた――こんなに、オシッコをしてるんだ。
「み、みないで、ヒロ、お願いっ、見ないでよぉ……っ」
「え、だって……さっき……」
思わず踏み出しかけた手の中、コンビニのビニール袋にずっしりと手の中にかかる重さ。それは夢でも幻でもなく。袋の隙間から500mlペットボトル容器、二本をほぼまるまる一杯にして、泡立つ親友のおしっこ。ほんの10分前にしぼりたて、出されたばかりの羞恥のホットレモンティは、まだほんのりと温かい。
ああ、それなのに。葉子はまたも、野太い水流を、勢いよく――まるで、トイレでするのとまったく同じように、露天の、路地裏の、だれがいつ通りかかるかもわからないような、行き止まりの道端で、足もとのアスファルトに向けて、盛大に、激しい水流を噴射させている。
あまりにも非常識な光景に、私は親友の路地裏でのおしっこから目が離せない。
「お、おトイレまで……がまん、しなきゃ、いけないのに……でっ、できなかったからっ」
消え入るような、親友の告白。
つまり。
葉子は。電車の中でこの500mlペットボトルを2本、ほとんどいっぱいにしてなお。
それで、おなかの中のおしっこを全部、完全に、ありったけ出し切ったというわけではまったくなくて。むしろ、これだけの――約1Lに及ぶおしっこを排泄して、ようやく、電車を降りるまでの一時的な我慢が可能になるレベルまで、尿意を抑えることができた、ということで。
さっきのボトル内水面への断続噴射も、おしっこを出し切ったときのしぐさではなく、強烈な精神力と鍛えられたお嬢様の括約筋で、羞恥のダムの水門、なお水流を噴出させるおしっこの出口を、塞ぎ、せき止めることに成功した、ということだったのだ。
でも、一度中断したところでおしっこはあくまで一時しのぎ。どうにか電車が駅までたどりつくまで我慢するので精一杯。中途半端な排泄は、かえって大きな尿意の呼び水になる。それは女の子のトイレの常識だ。
類まれな精神力と、排泄器官の制御で、どうにか駅までは辛抱したものの。そこでもうなけなしの我慢は品切れで。改札前の婦人用トイレが外にまで並ぶ大行列なのを見たところで、葉子は再び限界を迎えてしまったということらしかった。
だから、せめて人に見られない場所に逃げ込んで――路地裏で、オシッコを始めようとした。
「……………っ」
「みな、い、で、よぉ……っ、ヒロのばか……ばかあ……っ」
地面をたたきつける水流は、強く激しく野太く、アスファルトの上の小砂利を押し流すほどに凄まじい。さっきあんなに大量におしっこを出したとはとても思えなかった。
長い我慢を続けたあとは、ちゃんとトイレを済ませても――、一気に全部出しきれなかったり、キチンとすっきりしたとしても、すぐにまた行きたくなったりすることがある。あんまりにも我慢しすぎて膀胱がパンパンになっていると、腎臓のほうで作られるおしっこは渋滞を起こしてそこにとどまっているらしい。
それでも、葉子のおしっこの様子は、そんな理屈では説明つかなかった。
「……葉子……」
ともかく。葉子の三度目のおしっこは、そこからなお1分以上たっぷりかけて、路地裏の中を一面水浸しにするほどの派手さを保ち、ようやく終わった。
ついさっき、出したばかりの、私が持つ、500mlペットボトル2本分のおしっこに加えて、さらにそこから、私が我慢に我慢しきった時の量と同じくらい、長く、激しく続いた。
その合計量は、推定で、たぶん……1.5L以上。下手をしたら、2L近いかもしれない。
ぽた、ぽた、ぷしゅっ、しょろろろろお……
「はああ……っ」
ようやく全部を出し切ったという、安堵と開放感に震える葉子の、とろけるような吐息。
両手にずしりと感じる重さに、食い込むコンビニのビニール袋が、指の先を白くする。
静かに、『おんなのこ』から細い水流と、名残りのしずくを滴らせる友人の姿を、私はただ、じっと、食い入るように見、その姿を一時も忘れぬよう、目に焼き付けていた。
(了)
(初出:2015.5.3 しーむす11)