社会見学バスの話・76 おしっこ、きもちいい……

 4時間近くもの間、必死に閉ざされてきた少女達の水門。乙女のプライドが崩壊を喰いとめ続けてきた乙女達の羞恥のダム。
 しかしほんのわずか、一瞬の気の緩みから小さな漏水が始まった瞬間、終局の時が訪れた。あるいは――我慢の限界の2年A組28人を乗せたバスが、このサービスエリアの到着したその時から、崩壊は決定づけられていたのかもしれない。
 まるで全員で示し合わせていたかのように、あるいは見えない力で操られてしまったのように。尿意にダムの水門をこじ開けられた少女達のオモラシは連鎖し、とどまることなく拡がってゆく。
 さながら、女子学生の同時多発オモラシ。
 順番待ちの大行列、中腰になって上半身を前傾させた少女が、脚の付け根に挟み込んだスカートに熱い迸りを噴き出させる。じょわじょわとみっともない水音と共に、制服には大きな染みが広げ、地面にはその数倍にも及ぶオシッコの水たまりが拡がってゆく。
 その後ろに並んでいた少女は、下着の股間をを黄色く染め、押さえ込んだ指の間から四方八方に水流をほとばしらせていた。夢中になって我慢し続けた結果、スカートが大きくめくれあがって、それが丸見えになっているのにも気付いていない。
 さらにその後ろ、下着の股布部分を貫通して地面に叩きつけられる放水を目の前で見せつけられ、しゃがみ込んだ少女が足元に猛烈な勢いでオシッコを噴射させ、アスファルトの上にじゃごおおっと激しい音を響かせていた。せめて服をこれ以上濡らすまいと下着の股布をつまんで横にずらそうとしているが、震える指ではそれも思うようにいかないらしい。
 次々に広がる羞恥の水たまりの向かいでは、震える足を滑らせて尻餅をついた少女が、開いた脚の付け根から、下着の股布ごしに黄色い噴水を噴き上げさせる。
 もはやオモラシの見本市。限界我慢の果てに追い詰められた少女達の姿は、遮るもののない空の下、まるでオシッコの瞬間を見せつけるかのようだ。連鎖反応のように伝播してゆくオモラシはもはや衆人環視、屋外のサービスエリアと言う立地すら無視して、サービスエリアの一角に響き渡る。
 トイレ順番待ちの行列の中、一列に並んだ制服姿の少女達が、極限状態の末に女の子の恥ずかしい部分から噴射させるオシッコの緊急連続大放水。
 一度出口を覚えて噴き出すオシッコの勢いは容赦なく、閉じ込められていた下腹部の腹圧も相まって、突き抜ける噴出はスカートや下着越しにも分かるほどの猛烈な勢いである。押し広げられた水門はますますその開口部を広げ、高圧でオシッコをほとばしらせる。一斉に噴き出し、じゅぼぼぼぼと重厚な音を重ねて地面に叩きつけられる十本以上の黄色い水流は、まるでナイアガラの滝の如く壮大な光景ですらあった。
 無論、そんな状態で少女達が平静でいられるはずもない。羞恥に顔を染め、苦悶に顔を歪ませ、肩を震わせ、思春期の少女には一生の心の傷となりかねない、衆人環視の中での公開オモラシである。その屈辱は筆舌に尽くしがたく、少女の心達を切り刻む。
 けれど同時に、長い長い我慢の果て、ついに極限の尿意から解放されるその瞬間の心地よさはまさに極上。生きたまま天国へと足を踏み入れたかのようですらあった。
 水門をこじ開けられた瞬間の衝撃と、恥骨から腰骨を突き抜ける奔流の解放感は、背筋を続々と這いあがり、下半身をふにゃふにゃにとろけさせんばかりの快感すら伴った。
「ふぁ、ぁあ、あぁあん……っ♪」
 じゃぼじゃぼと黄色い噴水をほとばしらせ、湯気を立てんばかりの水流を足元に叩きつけながら、少女の一人が陶酔の吐息をこぼす。その口元は緩み、目元には快楽の涙が潤み、小さな唇からは桃色の喘ぎがこぼれる。
 ……オシッコ、キモチいい。
 スカートと下着に包まれた、乙女の秘密の花園。身体の中心の可憐な花びらを震わせて噴き出す羞恥の大放水は、少女達の深層心理に途方もない快感を刻みこんでいた。
 限界我慢からの一転、オモラシのもたらす天上の快楽を味わいつくす幸せな顔に。排泄のもたらす解放感の誘惑に。その隣で、後ろで、我慢の限界の極致にある少女達が抗えるはずもなかったのだ。
 立ち昇る湯気とオシッコの匂い、噴き出す水流の跳ねる水飛沫の音。トイレに入って用を足すよりもずっと間近に、クラスメイトのオシッコが繰り広げられている。たとえ同性といえども――いや、少女という性別だからこそ、生涯を通じても目の前で見るなんてことは滅多にないはずの、良く知る同年代の少女のオシッコ姿。男性ならばともかく、現代のこの国において女性の排泄は必ず個室に隔てられ、最低限のプライバシーは保障されているものだ。まして、限界我慢からのオモラシなんて、まじまじ見る機会があるはずもない。
 彼女達にとって、それを目の当たりにした瞬間の衝撃はいかほどか。鹿も少女達は皆、それぞれに一刻の猶予もない、切羽詰まった尿意を抱えていたのだ。
 ほんの少し諦めるだけで、この永遠にも続くような苦痛から解放され、隣の子のように――漏らしてしまった子達のように、極上の解放感を味わうことができる。
 それはまるで悪魔が禁断の果実を差し伸べるに等しい誘惑であった。
 あの子も、あの子も、あの子だってしちゃってるんだから――
 わたしだって、もう、ここで漏らしちゃってもいいや――
 ……そうして、サービスエリアの公衆トイレを前にした2年A組の少女たちのオモラシはいよいよ佳境を迎えてゆく。

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