永久我慢の狂想曲 CASE:浅川静菜11

 いまは3時間目の授業だろうか。もう、ほとんど何も聞こえていない。
 膨らんだ尿意が静菜の体の全部を占領して、頭の中まで膨らみきってしまったかのようで、まともな思考能力は追い出されてしまっている。耳元でちゃぷちゃぷと揺れる水音の幻聴すら響く。
 懸命の努力のせいか休み時間よりはいくらか落ち着いていたが、もはや安定期とはいいがたい。もはや静菜の排泄は限界のカウントダウンの最中にあり、いつまた、あの大津波がやってくるのかはわからなかった。
(と、トイレ、オシッコ、オシッコしたい、オシッコ出したいっ……)
 あんなに緩めたベルトは、いまはきつく静菜のおなかに食い込んでいる。それはつまりお腹の内側に膨らみきった膀胱が、少女の身体におさまりきらずに外側にせり出してきていることを意味している。
 膨らみきった体内の水風船に胃が持ち上げられる気持ち悪さも感じられる一方で、張り詰めた尿意のむず痒さは股間のすぐ上にくすぶり続けている。『おトイレ』が意味をなくし、身体の中に尿意を『飲み込む』ことができなくなって、その証拠がどんどんと身体の外へあふれ出しているのだった。
(オシッコ……オシッコ、オシッコ、っ……したいよぉ、オシッコ出したい、オシッコしたいぃっ……)
 下腹部を中心に広がる重苦しい感覚は、腰裏まで響くほどに辛い。そっと触れてみると、比喩を抜きにしてまるでタイヤのような感触。鍛えられた腹筋に力を込めてもここまで硬くなることはないかもしれない。
 そっと撫でながら確かめてみれば、みぞおち近くまで尿意が膀胱に連動している。こんなになるまで我慢をしてしまう自分の身体に、あらためて自分の異常度合いを自覚してしまい、静菜は言いようのない苦悶に奥歯を噛む。
 いまも一見程度では分からないだろうが、じっと観察すれば我慢し続けのオシッコでみっともなくお腹を膨らませているのに気付かれてしまうだろう。そもそも、オシッコを我慢したくらいでここまではっきりと身体に異状が見えることそのものがあり得ないのだ。
(トイレ行きたいっ、と、トイレしたいっ……も、もうおなか、空っぽにしたいよぉ……っ)
 ぱんぱんの下腹部をさすりながら、静菜は思う。
 この時静菜が思い浮かべていたのは、昨夜の公園での出来事。何年ぶりかにチャレンジした公衆トイレの個室のことだった。覚悟を決めたものの結局、自分は家の外ではオシッコを済ませられないことを改めて自覚させられた、新しくも苦い記憶だが――それでもなお、静菜はそのトイレを求めざるを得ない。
 そう、ここでいう“トイレ”とは『おトイレ』ではなく、本当のトイレ。今は世界中のどこにもない、つまりは静菜がオシッコを済ませられる場所のことだった。
 ふだん静菜が学校で考えたり、行きたいなと思うトイレとは、まず間違いなく当たり前のように『おトイレ』のことを指す。場所としては同じものを指すわけだが、静菜にとって他の生徒が使う女子トイレは、我慢に疲れた括約筋をほぐし、おなかをマッサージして更なる我慢を可能にするための一時休憩の『おトイレ』でしかない。
 けれど。
(トイレ……トイレしたいっ……も、もう『おトイレ』じゃだめ……ホントに、限界っ……)
 この時静菜は確かに、学校のトイレを、家と同じ本当のトイレとして欲していた。
 家のトイレ以外でオシッコのできない静菜にとって、クラスメイトが言う他の“トイレ”はすべて、ニセモノと同じ意味。『おトイレ』のための場所にしかなりえない。
 静菜にとって学校で“オシッコをする”ということは、たとえば裸になってところ構わず走り回るような、そもそも“そうしたい”と考えることからしてありえないことなのだった。
(な、なんで、私、ちゃんとお外の“トイレ”使えないんだろ……っ。ほ、他の子はみんな、ちゃんとオシッコできるのに……わたしだけ……っ)
 静菜の『おトイレ』はもう限界を迎えて久しい。
 朝から時間さえあれば皆の視線を逃れて必死に『おトイレ』を繰り返してきた。
 前にも述べたとおり、そもそもがこのオシッコをより我慢できるようにする『おトイレ』自体も、静菜にとって普通の女の子がトイレで排尿をするのと同じ意味だ。すくなくとも静菜は、学校に通うようになってから今日まで、そういう意識でいる。
 だから、そもそも『おトイレ』は、ちゃんと女子トイレの個室に入ってするべきものだ。教室であそこを抑え、身をよじり、声を潜ませて『おトイレ』をするのは、静菜にしてみれば教室の中で放尿しているのと似たようなものである。
 だとすれば、今日、静菜はこの教室で何回、いや何十回オモラシをしたことになるだろう。
 十年近くも守ってきた決まりを破りつづけ、静菜の羞恥心は極限に達しつつある。前押さえなんて普通の女の子でも見られたらたまったものではないが、静菜にはそれで受けるショックの桁が違うのだ。
(うぅっ、ま、また!? また来ちゃうっ!! また、オシッコしたいのが来ちゃうっ……!! だ、……ダメぇ、がまんっ、がまんしなきゃ……っ!!)
 暴れ続ける膀胱を必死に撫でさすり、なだめはするものの、その効き目はほとんどない。不要な水分を身体の外にはじき出そうとする生理現象のまま、ひきつるほどに鋭い尿意が脚の内側に滑り降りてゆく。
 わずかな身じろぎで椅子の上で脚をすり寄せ、んんっ、と小さな吐息がをこぼす。『おトイレ』の始まるギリギリの、反則スレスレの我慢。
 だがそれも空しく、スカートの下できゅっとくっついた脚の付け根に、堪えようもないほどのむず痒い感覚が蓄積されてゆく。湿った砂のように感じる下腹部の中身が、驚くほどスムースに脚の内側に集まる。
(っ、み、みんないるのに、ここ、教室なのにっ……!! こ、こんなトコロで『おトイレ』なんか、ぜったいに、しちゃいけないのにっ……!!)
 それは、静菜にとって教室の真ん中で、スカートをたくし上げぱんつを足元までおろして深くしゃがみ込み、湯気の立つ暖かな液体を床上にじょぼじょぼと注ぎ撒き散らすのと同じこと。
 だから。せめて休憩時間のように、教室で『おトイレ』し続けるのだけは避けたかった。必死に自分に言い聞かせながら、静菜は表情を強張らせ、挫けそうになる心を励まし続ける。
 だが――
「っん……っ!!」
 それも限界があった。今にも熱い潮を吹き上げそうになった股間を、静菜の手のひらがぎゅうっと圧迫する。教師や周囲の目を気にする暇もない。スカートに手を突っ込んで直接下着を押さえ、オシッコの出口にフタをする。そうした直接的な方法でなければ、もう迸るオシッコを塞き止められなかった。
「んぅ、んっ、、んぅっ……ゅっ」
 またも小さなうめきが断続的に始まる。顔から吹き出した湯気が、かあっと少女の頬を曇らせ、俯いた静菜の目元に涙が滲む。
 さっきの休憩時間から、静菜の心の中で“何か”の箍が外れてしまっていた。攻勢をかけてきた尿意に耐え切れず、これまでどうにか保たれてきた均衡は崩れ去る。
「ゅ、んっ、んぅ、~~……っッ!!」
 今度は休み時間ですらない。クラスメイトが真剣に授業を受けている授業中だというのに、静菜の理性はまたも徐々に尿意に侵略されつつあった。静寂の中、響く静菜の声に、何人かの生徒が首を傾げる。
 オシッコの大攻勢に負けて始まった『おトイレ』は、両手で必死におなかを押さえ、背中を丸め息を殺して呻く静菜を、いつしか教室内から際立たせていた。
「――さん。――わさん」
「んく、ゅっ、んぅ……っ!!」
 あと少し。あとちょっと。『おトイレ』のクライマックスとばかり、ようやく弱まってきた猛烈な水圧をなんとか下腹部の奥に押し込もうと、静菜が股間に重ね当てた両手に懸命に力を入れて下着をねじりあげていた――まさにその時。
「浅川さんっ!! 聞いてるの!?」
 俯いて机に身体を押し付けていた静菜を、するどい声が叱りつける。
(え……)
 気付けば、周囲のクラスメイトの視線は輪を描くように、静菜に注がれて。腰に手を当てた教師が、教科書片手に呆れたように机のすぐ前で、静菜を見下ろしていた。
「もう……さっきから何をしているの、あなたは?」
「え、あ……」
 ようやく、静菜は自分が、授業中の教室の真ん中で、あろうことか一心不乱に『おトイレ』に夢中になっていたことに気付く。そして、その全て、一部始終を、クラスじゅうに見られてしまっていたことを。
「あ、あ……ッ」
(わ、私……な。なに、して……ッ!?)
 静菜とクラスメイトたちの『おトイレ』の意味の違いを抜きにしても、静菜がスカートの中に手を突っ込んで、押し殺した声を上げていたことには違いがない。
 みるみるうちに少女の顔が朱に染まり、呆気に取られていた少女の表情に猛烈な火が灯る。怪訝そうなクラスメイトの視線が、ますます静菜を孤立させ、繊細な思春期の少女の心をえぐってゆく。
「――あ、あのっ、ち、違うんです、その、っ」
 歯の根が合わないほどに顎が震え、ぞぉっとした冷たさが背筋を這い上がる。
「違うじゃないわ。……もう、授業中でしょう」
「え、あ、あの、だからっ」
 はあ、と教師は大きく息を吐いて、教科書で廊下を示す。
「そんなになるまで我慢してないで、ちゃんとお手洗いに行ってきなさい。もう……幼稚園じゃないんだから」
 教師の声に、周囲からちいさく笑い声が上がる。
 静菜は口を『え』の形にしたまま、ぽかんと教師を見上げた。
「早く行ってらっしゃい。今度からは、休憩時間中に済ましておきなさい。いいわね?」
 溜息とともに、念を押す教師――
 それで、この件はおしまい、ということらしかった。
「え……っと……」
 まったく、ぜんぜん、これっぽっちもわけも分からずにいるままに。
 静菜はそのまま、見えない腕につかまれたようにして教室の外に引きずり出されてしまう。もう立ち上がれないくらいの我慢の最中だったはずだが、それも良くわからない。教師が手を貸したのかもしれないし、クラスメイトが手伝ってくれたのかもしれないし、羞恥に逃げるようにして静菜自身が逃げ出したのかもしれなかった。
 いずれにせよ。
(……あ……)
 教室から放り出された静菜を、授業中の、静まりかえった無人の廊下が出迎えた。どこか薄ら寒いその通路で、静菜はまた――ぶるるっ、と身体を震わせる。
 ――早く済ませてきなさい。
 ふらふらと歩き出した静菜の脳裏に蘇る、教師の言葉。
 けれど。
 けれど、だけれど。
 たとえ、こうして教室から外に出ることができても。そのまま女子トイレに行ったとしても。
 そこは、静菜がオシッコを済ませられる場所ではないのだ。
 綺麗な、女の子が秘密の行為をするための、特別な個室を前にしても。静菜はなにもできない。いや、何をすればいいというのだろうか。
「嫌ぁ……っ」
 またもぶり返した尿意に、必死に脚をくねらせて、
 静菜の喉が悲痛な声を絞り出した。

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