ぶうん、と生温い排気ガスを吹かして走り去ってゆくバスが、見えなくなって。鈴は額に浮いた汗をぬぐう。
2時間に1本しか表示のないバス停の前では、荷物を肩から提げた姉の花梨が、時計を見ていた。
「まだ歩くの、お姉ちゃん?」
「うーん。迎えに来てるはずなんだけどね……」
姉妹だけの里帰りは、思いのほかトラブル続きだった。電車の接続や乗り換えで迷い、ここに来るまで1時間近くも遅れている。
途中で連絡は入れたものの、1年ぶりの田舎。はたして迎えがなければちゃんと目的地にたどり着けるか、花梨も怪しいのだ。
だが――そんな姉妹の不安も、杞憂に終わる。
「こんにちわーっ、花梨、鈴ちゃん」
強い日差しの下で大きく手を振りながら、麦藁帽子の少女がバス停に向けて走ってくる。
従姉妹の愛衣が、約束通り二人を出迎えてくれたのだった。
「愛衣、久しぶりー」
「うん、久しぶり。花梨」
「こんにちわ、愛衣おねえちゃん」
1年ぶりの再会を喜ぶ挨拶を交わし合う姉と従姉妹。少し緊張しながら挨拶をした鈴に、愛衣は腰を低くして「こんにちわ」と微笑んでくれた。
そして、愛衣はぽん、と大きな麦藁帽子を鈴の頭に載せてくれる。
「暑かったでしょ? これ、かぶっててね」
「あ……う、うん……」
「こんなとこにずっといると日射病になっちゃう。はやくいこ」
「そうだね」
荷物を持ち上げた花梨に続いて、愛衣が歩き出す。鈴は慌ててそのあとを追った。青い空の下、左右の畔にヒマワリの咲く砂利道は、遮るものなどどこにもなく、大きな山の麓までずっと続いていた。
(……わあ……)
麦藁帽子の作る日陰の下、鈴は思わず顔をほころばせた。
「ふふ、きれいでしょ、鈴ちゃん」
「う、うんっ」
愛衣に、思わずうなすく鈴。
健康的に日焼けした肌も露わにシャツの袖を捲り、結んだ裾からはおへそが覗いている。白い歯をのぞかせる笑顔はとても綺麗で、鈴は思わず見とれてしまう。何年か前に遊んだときはまだ“女の子”だった従姉妹は、すっかり素敵な“お姉さん”になっていた。
「愛衣、本当にありがとうね。無茶言っちゃって」
「あはは、お互い様だってば」
雑談を交わし合う姉と従姉妹を余所に、鈴は一年半ぶりの田舎の空を見上げる。抜けるような青空の下、煩い蝉の声と、山からの風が梢を鳴らし、木漏れ日がさらさらと揺れる。
まさに夏。……宿題のことも、いやなことも全部忘れたくなるような、素晴らしい空が、頭の上にどこまでも続いている。
「え、じゃあ今日おじさんたちいないの?」
「うん。急な用事みたいでさ。だから今日は私達だけでお留守番」
「……そっか、じゃあいろいろ準備しないとだね」
「いいよ。二人はゆっくりしてて。私がぱぱっとやっちゃうからさ」
笑って答える愛衣に、花梨はあ、と鈴のほうを見てその背中を軽くたたく。
「ほら、鈴もお礼言わなきゃ」
「……ありがとう」
「ふふ。いいよ。でも、鈴ちゃんも可愛くなったねぇ。お人形さんみたい」
くす、と笑った愛衣にそっと頭をなでられ、鈴はたちまち真っ赤になって俯いてしまう。かなりの人見知りではあるものの、愛衣とはもう10年以上の付き合いだ。いまさら緊張するなんて思ってもおらず、鈴はますます口籠ってしまう。
「ぁ……」
「この子、全然外で遊んだりしないから真っ白でさ。ちょっとは愛衣を見習ってほしいな。ほんともー、鈴? もう子供じゃないんだから、愛衣に迷惑かけないでよ?」
「わ、わかってるよぅ……っ」
まるで母親みたいに口煩い姉に言い返して、鈴はぷうっと頬を膨らませる。
「そうかなぁ。また夜、トイレに起きれなくてとか、やめてよねー?」
「ぉ、おねえちゃんっ!!」
からかうような調子の姉に、鈴は思わず本気で叫んでいた。
鈴のおねしょ癖は、もう何年も前に治ったのに、いまだに姉はそのことで鈴をからかう。やめてと言ってもやめてくれない姉に、いつもは諦めていたが――まさか愛衣の前でもそんな事を言い出すとは予想の外で、鈴ははっとして愛衣のほうを見る。
「ち、ちがうから、その、そんな……」
「この子、こういうとこのトイレ苦手だからね」
「そっか。そう言えば鈴ちゃんそうだったね。前にお泊まりした時もそれで困ってたっけ」
「だ、だいじょうぶだよ!! そんなことないもんっ!!」
愛衣の前でそんな格好悪いことはしない――その思いから、鈴は思わず叫んでいた。
綺麗になった“愛衣お姉さん”の前で、ことさらに自分がオムツも取れていない子供だなんて言われるのが、悔しくて、恥ずかしくて、鈴はムキになって反論する。
花梨はなおもそんな鈴をからかうが、愛衣はそれに加担するようなことはせず、やさしく鈴を褒めてくれるのだった。
夕食、お風呂と時間は過ぎてゆき、10時を過ぎたところで浴衣姿のパジャマパーティもお開きとなり、3人は揃って床に就く。普段とは違う浴衣のまま、寝慣れない布団で横になる感触は、鈴になんとも言葉にしがたい微妙な違和感を感じさせる。
けれど、愛衣と花梨に挟まれて川の字になって枕を並べるのは、なんだかとてもドキドキする。
長旅で疲れていたのだろう、姉はほどなく、隣ですうすうと寝息を立て始める。愛衣も目を閉じてすぐに眠ったようだった。
しかし、そんな中――鈴はじっと寝付けないままだった。
(……ん……)
もぞもぞと、もう何度目になるのかもわからない寝返りを打つ。
布団の中で、足に絡まる浴衣の裾が微妙にうっとうしい。
のんきな寝顔の姉と、まるで眠り姫みたいに綺麗な愛衣。もちろん肌は健康的に焼けているけれど、それはかえってまるで南の国のお姫さまみたいにも見えた。本をたくさん読むのが好きな鈴は、そんなお姫さまが出てくるお話も読んだことがある。
従姉妹の伏せた目の睫はびっくりするくらい長く、まるで本当に、本に出てくるようなお姫様みたいだ、と鈴は思った。
しばらく会わないうちに、信じられないくらい綺麗になった従姉妹。でも、一緒に話したり遊んだりしているときの仕草や声は、やっぱり懐かしい愛衣のものだった。それにほっとすると同時、鈴はそんな綺麗な愛衣を見るたび、胸の奥にもやもやとしたものを感じる。
(……愛衣おねえちゃん……)
思わず目を奪われるような、けれど、決して内に籠らない、まるでこの田舎の夏の風景そのものみたいな、素敵な愛らしさ、美しさ。
鈴の目にも魅力的な彼女は、やはり多くの人たちから好かれているようだった。買い物に行った先の商店街でも、すれ違う人みんなと親しそうに挨拶を交わしていた従姉妹を思い出し、鈴はぎゅっと胸元を抑える。
とくん、と強くなる鼓動とともに、不安が胸の内に広がってゆく。
(愛衣お姉ちゃん、好きな人、とか……彼氏、とか、いるのかな……)
本の中のお姫さまには、必ず王子様や、騎士が愛を誓うのだ。まだ鈴にはよく分からないけれど、あんなに綺麗な女の子に、恋人がいないとは思えなかった。
今日一日、愛衣は全く昔通り、鈴の“愛衣おねえちゃん”として振舞っていたけれど、でも。
……どこか、鈴の知らないところに、愛衣をもっとよく知る誰かがいて、その人とは鈴の知らない顔を見せているのかもしれない。
そう考えると、なぜだか鈴の胸は苦しくなる。
(っ……)
ぐりぐりと、枕に顔を押し付けて、鈴はその嫌な想像を振り払う。けれど少し経つとまたその想像は鈴の頭を占めていて、鈴の思考はぐるぐると同じところを回っていた。
そんなことを繰り返しているうち、いつの間にか時間は過ぎ、気づけばすっかり外は虫の声。月も雲の向こうに隠れてしまっている。窓の外はびっくりするぐらい真っ暗で、茂る木々が視界を塞いでいる。目の前にかざした手の指すらおぼろにしか見えない深い闇が、あたりを押し包んでいる。
鈴の目は相変わらず覚めたまま。
のんきな顔をして眠っている姉が、少し妬ましい。こんなに悩んでいるのに、鈴にはどうしていいのか分からない。
そして、
鈴が寝付けない理由は、それだけではなかった。
「…………っ」
タオルケットの下、足の付け根にするすると伸びた手の指が、パジャマの股間をぎゅっと押さえる。もぞりと動かした背中から首筋にかけてはわずかに緊張の汗に湿り、パジャマを気持ち悪く貼りつかせている。
(……んぁ、ん…っ…、……ぉ、おしっこ……)
鈴の小さな腰がぶる、と震える。
たっぷりとおしっこを溜まった下腹部は、まるで石のように硬い。
じん、と腰奥に響くむず痒い感覚に、鈴は思わず息を詰める。じわり、じわりとその勢力を拡大し続ける下腹部の尿意は、いまや無視できないほどに高まっていたのだった。
さっきから気にしないようにしようと思っているのだが、それができない。
寝返りを打つたびにたぷんと波打ち、ずしっとその重みを増す液体が、ますます鈴の目を冴えさせてしまう。
(……ど、どうしよ……おしっこ、したくなっちゃった……)
困ったように周りを見回す鈴。
夕食のときにも、デザートのスイカを食べたときにも、さりげなく花梨は妹が水分を取るのを制していたが、鈴は愛衣の手前そんなことはないと意地を張って、半ば無理をして何倍もコップを空にし、スイカも一人で3切れも食べてしまっていた。
そのつけが今になって一気に回ってきていたのだった。
しかも、ここは勝手知らぬ他人の家。大まかにトイレの位置は把握しているものの、そこへ向かうのは気が進まない。
(……んんっ……ぅ)
鈴は、怪談やお化けといったものが極端に苦手だ。
学校の催しものでも、遊園地に遊びに行ったときでもそういったものは絶対に避けるし、話題に出れば逃げ出してしまうくらい。そのせいで微妙にクラスメイトとの距離もあいているのだが、そんなことを言われても怖いものは怖い。
田舎の見知らぬ家の廊下には、見たこともないようなものがたくさんあり、窓の外には星もないような闇が満ちている。トイレまでの距離は、恐ろしいくらいに遠く感じられる。
愛衣の家だとわかってはいるけれど、それと怖いのは別問題だ。
(……どう、しよぅ……)
半分だけ体を起こし、鈴はじっと、部屋の出口を見る。
ここなら愛衣も花梨もいるから大丈夫だが、ドアの向こうには誰もいない。そこを通ってトイレまで歩いてゆく間に、一体何回怖いものを見てしまうだろう。余裕のない身体は切羽詰まった悲鳴を上げているが、ガマンはそれを乗り越えてゆくだけの覚悟にはならない。
姉や愛衣を起こして一緒に来てもらおうか、と思いはするものの、あんなことを言ってしまった手前、トイレについてきてほしいなんていまさら言い出せそうになかった。
「でも……っ」
ぎゅっ、とおまたに挟みこんだ手のひらをきつく太股の間に締めつけ、鈴は爪先でシーツをえぐる。
じりじりとおなかのダムの中で水位を増し続けるおしっこに、水門は警報を鳴らし続けている。このままここにじっとしていれば、やがて放水が開始され、布団の上にそれはそれは盛大な、見事な世界地図を披露してしまうことは想像に難くない。
けれど。ドアを見るたび、その切羽詰まった思いもその向こう側にある恐怖に塗り潰されてしまう。
その向こう側に、ひしめく――無数の得体の知れないものをつい、頭の中に思い描いてしまい、
「…………っ」
鈴は尿意とは違う震えに背中を竦ませ、ぎゅっと口を閉じ、タオルケットを頭から被る。
やっぱり、せめて明るくなるまで、外には出たくなかった。ぞわっ、と尿意がなおも身体の内側から、恥ずかしい出口をノックするが、鈴はそれをぐっと堪え、息を飲み込む。
いいの? このままじっとしてると、本当におねしょしちゃうよ――と。
過去の自分が、警告を繰り返す。
しかし。
(……あ、朝まで……がまんするもん……)
もう大人だから。朝くらいまでなら我慢できる。鈴はそう決めつけると、むずむずと疼くお腹の下のほうを無視するように、きつく目を閉じて、布団の上に身体を丸めた。
どれくらい経っただろうか。
ふいに、耳元で水音を聞き――夢の中で足元にじわっ、と熱い刺激を覚えた鈴がはっと目を覚ますと、そこには変わらずいつも通りの夜闇があった。
「っ……!?」
慌てて足の付け根を探るが、幸いにして濡れている様子はない。
パジャマの内側をそっと探り、そこにも湿り気がないことに安堵する鈴。どうも、いつの間にか眠っていて、夢の中でおしっこを済ませていたような記憶があった。
(よ、よかった……ぁ)
大失敗を侵さずに済んだことから、ホッと胸をなでおろす。
幸いにして正夢にはならなかったようだが、あと少し目を覚ますのが遅れていたらどうなっていたか分からなかった。
と、そこまで思い出すと、いっとき忘れていた尿意が、鈴の小さな身体を押しつぶさんばかりに一気に押し寄せてくる。
(んぁんっ……っは……ぁぅ……)
まるで津波のように一気に叩き付けられる尿意に、思わずぎゅうっとパジャマの足の間に両手を差し込み、きつくおまたを押さえこんでしまう。
さっきよりもさらに鋭く重くなったおしっこの感覚が、出口のすぐそこで暴れまわっていた。もじ、もじ、と足を交差させ、お布団の上におしりをぐりぐりとねじつける。
「ぁ……っ」
さっきまでよりもさらにきつく張りつめたお腹が、パジャマのズボンのゴムを浅く食い込ませている。わずかな身じろぎにも反応してたぷんたぷんと揺れるおしっこが、激しく波を起こし、なおも高まるトイレの欲求が、鈴を急ぎ責め立てていた。
「だ、だめ……っ」
少女がきつく噛み締めた歯の隙間から、猛烈な尿意を訴える喘ぎがこぼれる。
(と、トイレ……おしっこでちゃう……っ)
とうとう喉から小さな悲鳴も押し出され、鈴は自分の身体の限界を悟る。
もう、だめだ、もう我慢できない。
でも――
鈴はちらりとドアのほうに視線を送ると、そのまま身体を起こし、そっと愛衣のほうに近づいていった。
「…………っ」
死ぬほど恥ずかしいけれど、オモラシよりもましだ。愛衣の肩をそっと揺すり、名前を呼ぶ。
「愛衣お姉ちゃん。……愛衣お姉ちゃんっ……」
「ん……?」
ゆっくり目をあけた愛衣の傍で、鈴は前屈みになりながら、パジャマの股間を抑え、恥ずかしさを堪え、小さな声で必死に訴える。
「と……トイレ……っ、おしっこ……っ」
「……あ。うん、わかった。トイレね?」
拙い呼びかけに、寝起きにもかかわらず愛衣はすぐに理解を示してくれた。
愛衣はすぐにパジャマ姿の鈴の手を引いて、廊下へと連れ出してくれる。
「……ごめんね、愛衣お姉ちゃん……」
「いいよ。怖かったんだよね?」
「……うん……」
こくんと小さくうなづいて、鈴は申し訳なさに小さくなってしまう。
「だいじょうぶだよ、怖くないから。ね?」
「っ……」
鈴はもう返事もできなかった。時折びくんと身体を強張らせ、なんとかおしっこが吹き出しそうになるのをこらえるので精一杯だ。両手でいっしょうけんめい押えていなければ、我慢ももちそうになかった。
愛衣に手を引かれながら、ぎしぎしと不気味に軋みを上げる暗い廊下を歩いてゆくと、やがて突き当りに小さなドアが見える。
鈴にはそこがトイレだとすぐにわかった。
「ほら、もう少しだから、頑張って?」
「う、うんっ……」
はあはあと荒い息を上げながら、おしっこを我慢しながらのおぼつかない足取りで鈴は精一杯先を急ぐ。しかしどうしたことか、なかなか廊下が終わらない。
静まり返った廊下は、もう何十メートルも歩いた気がするというのに、一向にトイレまでたどり着かない。小さなドアはますます小さくなり近づくどころか、遠ざかっている。
「え……、な、なんで……?」
疑問を口にし、鈴は足を速める。
薄暗い廊下のあちこちに、得体の知れないものが積み重なり、必死に我慢を続ける鈴をあざ笑うように行く手を塞ぐ。
木箱が壁のように立ち上がり、天井がぐにゃりと溶け落ち、壁から生えた柵が幾重にも巡らされ、ガラス窓からなだれ込んできた洪水が足元を埋め尽くす。
手をぎゅっとおまたに当て、内股でよちよちと歩く鈴には、とても乗り越えることはできそうにない障害だった。
愛衣は背中から天使のような白い羽根をはやして、空を飛んでいた。
そうしてぐいぐいと鈴の手を引っ張りながら、
「鈴ちゃん、頑張って。早く行こう」
と声をかけてくるのだが、鈴にはもちろん羽根なんて生えていない。
「まっ、待って、愛衣おねえちゃんっ……」
本当なら、両手でしっかりと押さえていなければもう塞き止められないほどの強烈なおしっこの渦が、鈴のおなかのなかから飛び出そうと暴れまわる。
けれど片手はしっかり愛衣に握りしめられたままで自由にならず、さらにぐいぐいと引っ張られるのだ。振りほどくこともできず傾いた姿勢は、もともと不安定な足元では支えきれず、鈴は体勢を崩してしまう。
「あ、あっ、ああぁ……」
交差させたパジャマの膝がきゅっと緊張し、閉じ合わされていた足の付け根から内腿に、じゅわぁ……っ、と熱い雫が滲み始める。
(い、いや……だめ……出ちゃう、おしっこ出ちゃう……っ)
「鈴ちゃん。ねえ、鈴ちゃん?」
必死におしっこの出口を締め付ける鈴だが、もはや抑え込むことはできなかった。一度ヒビの入ったダムは耐え切れず決壊し、ぴりっと小さな電流が股間を震わせる。
パジャマの白いズボンを黄色く染め、とうとう激しい勢いで噴き出したおしっこが、鈴の足元からおしりへと伝い、下半身をお湯に浸かったかのように濡らしてゆく。足元を埋め尽くす洪水はいつの間にかまっ黄色に染まり、鈴のおもらしの海になっていた。
愛衣お姉ちゃんの前でこんなにいっぱいおしっこが出ちゃうなんて。鈴はとうとう泣き出してしまった。
「いやぁ……おしっこ……おしっこ漏れちゃうよぉ……っ」
「ねえ、鈴ちゃんっ!!」
耳元で大きく響いた愛衣の声に、鈴ははっと目を開けた。
周りの洪水は消え失せ、廊下もなくなり、あおむけになった鈴は布団の上に寝転がっていた。目の前には不安そうな愛衣の顔。
気づけば鈴は愛衣の手のひらを力いっぱいぎゅっと握りしめ、眠っていたのだ。
「え……?」
自分の置かれた状況が分からず、呆然となる鈴に。愛衣が心配そうに声をかけてくる。
「ねえ、鈴ちゃん、大丈夫? うなされてたけど……」
「……ゆ……め?」
そう、だって今着ているのは浴衣だ。パジャマは持ってきてはいたけれど、愛衣や花梨が来ている浴衣を一緒に着せてもらったはずだ。
だから――さっきまでのも、やっぱり夢。
それを確認するようにぼんやりとつぶやいた瞬間。覚醒する鈴の意識は、同時に下腹部でいまなお現在進行形で起きている惨状を察知する。じんわりと湿るおしりの裏、たっぷりと広がる水っぽい布が足にへばりつく感触。
間違えようもない、おねしょの証拠だった。
「え、っ、あ、や、やだああ!!」
反射的に跳ね起きた鈴だが、まだそれは早計だった。
鈴の身体はまだ全部おしっこを出し切っていたわけではなかったのだ。少女の小さなおなかにたっぷりと蓄えられた恥ずかしい水は、まだ激しい尿意を感じるほどだった。そんな状況でいきなり動いてしまったのだからひとたまりもない。
きゅうんっ、と、致命的に高まる尿意に、鈴ははっとなる。
(お、おしっこ……、で、ちゃ……)
だがそれをしっかり認識するよりも先に、猛烈な水圧にしっかり閉じ切ってもいなかったおしっこの出口が一気に押しあけられ、鈴の布団の奥から、じゅじゅじゅぅうう……っ、と遠慮のない水音が響く。
「ぁ、あっ、あ、っ……いやああ……」
「す、鈴ちゃん?」
目の前の自体が信じられないというように、きょとん、と愛衣がめをまばたかせる。鈴は必死になって布団の中で足の付け根を抑え込もうとするが、少女の意思を無視して排泄を続ける下半身は全く言うことをきかなかった。
無理やりあてがった手のひらに、まるで指がちぎれてしまうんじゃないかと思うほどの強烈な勢いの水流がぶつかり、布団の中にさらに惨状を広げてしまう。
「あっあ、あーっ、あっ」
まるでトイレでするような、加減を知らない女の子の『本当の勢い』のおしっこが、瞬く間に鈴の布団を水浸しにしてゆく。まるでさっきの夢と同じ、自分の寝ている場所をおしっこの海に変えんばかり。
「鈴ちゃんっ!?」
「や、いや、見ないでぇ!!」
従姉妹の異常を察知し、何事かと布団をめくる愛衣。鈴の身を案じてのことだが、しかし、鈴にとっては更なる羞恥を呼ぶ行為でしかなかった。
抵抗むなしく引き剥がされた掛け布団の下、帯はほどけかけ、乱れた浴衣の裾は太腿の上までめくれ、鈴の下半身はほとんどむき出し、幼い下着一枚のハダカ同然の状況だった。
その少女の足の間から、決して人前では見せてはいけない、恥ずかしくみっともない黄色い水流が勢いよくほとばしり、蛇のようにのたうってはばちゃばちゃとそこらじゅうをおしっこ浸しにしていく様を、はっきりと愛衣に見られてしまったのだ。
「い、いや……ぁ」
か細い声を絞り出すようにして、鈴は身体をよじる。
おねしょの上、おもらしまで、残さず愛衣に見られてしまった。鈴の幼い心には深く消えない傷が刻まれ、少女の目の前が真っ暗になる。
「鈴ちゃん……」
ようやく勢いを衰えさせる鈴のおしっこを、呆然と見降ろしながら、愛衣はつとめて、優しく声をかける。
「我慢、できなかったんだ……?」
「っ……ごめんなさい、ごめっ、なさい、あい、おねえちゃん……っ」
ひくっ、としゃくりあげるように嗚咽を飲み込み、鈴は頬と一緒に枕も一濡らして、声を上げる。
「おもらし……しちゃった……すず、おもらししちゃった……っ ごめんな、ぁい……っ」
「……うん、大丈夫。だいじょうぶだよ。ごめんね。気づかなくて……」
怒るでもなく、ぶつでもなく。
そうやって静かに励ましてくれる、愛衣の言葉を聞きながら。
替えのパジャマがあってよかったな、という思いを最後に、とうとう処理能力の限界を超えた鈴の意識は、深い闇の奥に飲まれていった。
(初出:書き下ろし)
夏休みの夜のお話。
