おもらし特区の「今日の童話」に触発されて書いたもの。というかほぼそのまま。
人魚姫はどうしてもうまく展開が作れなかったので諦めかけていた時、読んでその秀逸さに衝撃を受けた。
しかし、延々長くなった割に明らかに劣化している気がする。
空には大きな三日月が昇り、美しく輝く星々が、きらきらと夜の中を照らしていました。緩やかな海からの風が、かすかな潮の香りを運んできます。
たくさんの船が並ぶ、大きな港町をもつ海辺の王国には、耳を澄ませば国のどこからでも遠く、穏やかな潮騒の音が聞こえます。
きらびやかな王宮の一室でも、それは同じでした。
警備の衛兵や、今日一日の仕事をようやく終えた従者、はたまた明日の下ごしらえをする料理番を除けば、ほとんどが寝静まった、お城の中。
その部屋だけは、まだぽつんと枕もとに明かりを灯しているのが、窓の外からもうかがえます。
大切な客人を迎える部屋は、高価ではあれど決して下品にならないよう、吟味された装飾で整えられており、そこに滞在している者がどれだけ丁重に扱われているかを知らせているようです。
そんな部屋のベッドの上に横になる、一人の少女の姿がありました。
まだ小柄な肢体や、あどけない表情にはだいぶん幼さも残っていますが、その姿ははっと見つめるものの心を釘付けにするような、この世のものとも思えない美しさを備えていました。
深い海の色を思わせる髪は、穏やかな水面のように滑らかに波打ち、真珠のような淡い肌は、そばかす一つなく白く、けれど決して冷たい様子はなく、どこかほんのりと、血の通った温かみも備えています。
伏し目がちな瞳は思わず見蕩れるほどのマリンブルー。整った目鼻立ちの下には、小さくやわらかなくちびるが、まるでほんのりと桜貝のように引き結ばれています。
ベッドに横になっているのは、そんな、誰もが思わず目を奪われ、身分の貴賎など関係なく優しく微笑み、膝をついて敬愛したくなるほどの、愛らしく美しい少女でした。
そんな少女は、けれど額にうっすらと汗を浮かべ、形の良い眉をきゅうっと寄せながら、落ち着かない様子で寝返りを繰り返していました。
「…………っ」
けして、悪夢にうなされているわけではありません。少女は眠りにおちているのではないのです。ベッドの上でなんども、懸命に何かをこらえるように、身を揺すり、けれどどうしても耐え切れないというように、押し殺した荒い息を繰り返します。
「…………ぁ、っ」
少女の喉が、かすれた声を立てます。
そんなにも苦しいのであれば、声を上げて誰かを呼ぶか、そうでなければ枕もとの呼び鈴を鳴らせばすぐに誰かが駆けつけてくるでしょう。少女の纏う夜着は装飾こそ控え目でありましたが、とても上等なもので、部屋の中の調度と考え合わせても、使用人の一人や二人を呼びつけることになんの問題もないはずでした。
たとえ、そうしたことが出来ないとしても、ベッドから身を起こし、ここを離れることは可能であるはずです。
けれど――少女は頑なに、それをしようとはしませんでした。
びくり。少女は不意に、ベッドの上で硬く身をすくませます。
まるで、襲い来る見えないなにかと闘うように、きつく身体を強張らせ、ぎゅっとまつ毛の長い眼を懸命につぶって、シーツの下で小さくなんどもなんども小刻みに身体を揺すって――その可憐な表情を、耐えがたいほどの苦痛で曇らせてゆきます。
「っ………」
けれど、あどけなくもやわらかい桜色の唇は、それでも助けを求める声を発することはありませんでした。荒い息遣いと、必死に唇を噛み締めるかすかな喘ぎだけが、たった一人きりの部屋にわずかに響くばかりです。
膝を突いてうつ伏せになり、枕に顔を押し付けて。あげくシーツを、その小さな口でぎゅうっとかみしめて。
長い長い時間、まるで永遠にそうしているかのように、硬く硬く身をすくませてから。
なんとか窮地を脱した少女――シレネッタは、はあっ、と詰めていた息を吐いて、わずかな安堵と共に全身の力をゆるめました。
「…………」
白い喉がこくりと音を立て、はあ、はあ、と荒い息が、その桜色のくちびるを震わせます。
ほんの少しだけ取り戻した余裕の中で、シレネはそっと、窓の外に視線を向けました。レースのカーテンの隙間から、遠く見える海を、まるでこいねがうように見つめ、切なげな表情をのぞかせます。
遠く、静かに響く海風と潮騒の音に、まるで郷愁のようにその美しくも愛らしい顔を曇らせて、シレネは、そっと、かすかに唇を震わせます。
『おしっこ、漏れちゃう……!』
およそ、王宮の一室に休む、可憐な少女には似つかわしくないほどに、はしたなくもみっともない言葉。誰も聞くものがないとはいえ、そんな事はたとえ幼くとも、淑女の口にしていい言葉ではありません。
けれど、シレネはまるで熱に浮かされたように、切なげに唇を震わせて、必死に訴えるように何度もその言葉を繰り返します。
『おしっこ漏れちゃう……おしっこ、漏れちゃう……っ!!』
シレネの美しい顔がくしゃりとゆがみ、ぽろぽろと涙がその頬を伝っていきます。あまりにも懸命な求めは、けれど誰にも届きません。
いいえ、届いていいはずがないのです。
たとえどんなことがあろうとも、ベッドの隅でぎゅうぎゅうと夜着の股間を握りしめ、もじもじとオシッコを我慢する自分の姿など、決して見られてはならないのです。
そして、シレネはベッドから身を起こすこともありませんでした。
猛烈な尿意に晒されながらも、シレネは身を起こし、その欲求を果たすのにふさわしい場所――お手洗いへと立つことをしようとしません。
ただ、きつくシーツを噛み、シレネは閉じ合わせた脚の付け根から込み上げてくる衝動を必死になだめていました。すでに両の手はシーツの下にもぐりこみ、はしたなくも夜着の上からきつく脚の付け根を握り締め、休むことなく下腹部を撫で回しています。
『おしっこ漏れちゃうぅ……!!』
ベッドの上では収まることなく下半身がよじりあわされ、はあはあと悩ましい吐息が繰り返されます。
けれど、身体の中の奥底から、止まることなく湧き上がってくるはしたない衝動は、いっときも休まる様子がありません。
それもそのはず、シレネの小さな身体のほっそりとしたおなかを大きく膨らませるほどに、ぱんぱんになって硬く張り詰めた下腹部は、ずしりと重く少女にのしかかっていたのです。
荒れ狂う海の大波をもたやすく乗り切ることのできる海の王国の王女、人魚の末姫シレネッタも、身体の奥深くから押し寄せてくる恥ずかしい衝動の大波にはあまりにも無力でした。
女の子の恥ずかしい場所をなんども握り締め、シレネはそこに荒れ狂う嵐を鎮めようと、懸命に我慢を続けます。
そんなシレネの努力はしかし、あまりにも無謀なものでした。
シレネは、海の底の王国に住む人魚のお姫様であり、たくさんの姉を持つ一番下の妹でした。多くの姉妹たちの中でも、シレネの美しさはひときわであり、まだ小さなころからその可憐さ、愛らしさで王国中の噂になるほどでした。
ですから、シレネの父である海の王様は、他の姉妹たちには15歳で与えていた、海の上に浮かび上がってもいいという許可を出すことを、シレネにだけは渋っていたほどでした。
けれど、シレネだけを特別にする訳にもいきません。めでたくその許可を与えられたシレネは、初めて見た空の下で、ある出会いを果たします。
あいにくと、その日は大きな嵐の夜でした。海は大きく荒れ狂い、そのなかにはまるで木の葉のように揺れる船がありました。
大きな宮殿のような船は、しかし猛烈な嵐の中でとうとう帆柱を失い、海の中に難破してしまっていたのです。
ひときわ大きな波が来て、船がぐらりと揺れたかと思うと、シレネはその船から投げ出された、ひとりの青年を見つけました。
実はこの船は、とある人間の国の船であり、この青年はその国の王子だったのです。船の上では航海のさなか、嵐で姿の見えなくなった王子を探し、大変な騒ぎとなっていました。
けれど、水の中にはそんなものは聞こえません。それでなくとも王子様は気を失っていましたし、仮に誰かがそれに気づいたとしても、どんなに泳ぎ自慢の船乗りたちでも、この荒れ狂う嵐の中、深く黒々とした海に飛び込んで王子様を助け出すことはかなわなかったでしょう。
王子は、そのまま誰にも気づかれずに、海の底深くに沈んでしまうかに思えました。
けれど、人魚のシレネならば話は別です。心優しい人魚の末姫は、見る見るうちに水底へ落ちてゆく王子様に追い付いて、その身体をもう沈んでしまわぬよう、そっと抱き締めました。
なんということでしょう。シレネは一目見るなり王子様に恋をしてしまっていたのでした。
シレネは懸命に王子様を抱え、海の上へと運びあげました。降りつける雨と吹き付ける風の中、遠く波に翻弄される船へ、あらん限りの声を振り絞って叫びましたが、船からの応答はありません。
いえ、もし美しいシレネの声が届いたとしても、帆柱を失った船が王子の元へと戻ることはかなわなかったでしょう。
シレネは王子を助けたい一心で、彼のぐったりとした身体を抱きかかえたまま、まる一晩をかけて嵐の海を泳ぎきり、とうとう朝方には、近くの岸辺まで運びあげました。
酷い嵐でしたが、幸いなことに朝になる頃には海は落ち着いており、王子は浜辺で、雲間からの陽射しに目を覚ましました。
そして王子は、自分が海岸に打ち上げられていることに気付くと、がばと身を起こしました。聡明な王子は、自分がいた船の航路が海の真ん中にいた
ことを知っており、あそこで海に投げ出されれば、まず助かりはしないことを知っていたのです。
ですから、王子は自分がひとりでにこの海岸に流れ着いたのではなく、誰かに助けられたのだということにすぐに思い当りました。そうして、そっと岩陰から様子をうかがっていたシレネに気付いたのです。
声をかけようとした王子ですが、シレネは慌てて背中を向け、海の中に身を躍らせました。人間と顔を合わせてはならないというのが、海の王国の掟でしたし、なによりも人間と違う人魚の姿では、王子様を恐れさせてしまうかもしれなかったからです。
王子様に一目で恋をしたシレネは、万が一にも嫌われるようなことはしたくなかったのでした。海に飛び込んだシレネのすがたを、ちらとでしたが確かに見た王子は、しばらく、じっとそこに残って、シレネの消えた海のほうと見つめていました。
さて。それからしばらく時がたっても、シレネは王子様のことが忘れられません。もう会えないとわかってはいても……いえ、むしろそうと分かっているからこそ、シレネの恋心は募るばかりです。
悩みに悩み、その小さな胸を痛め、ままならない人間と人魚の恋に何度も涙をこぼしながら、シレネはとうとう決意します。
人魚の姿を捨て、人間の脚を得て、王子様にもう一度会いに行こう、と。
シレネはひとりこっそりと、海の王様や姉たちに珊瑚の手紙を残し、海の深くに住む魔女のもとへと向かいました。
ずっとずっと昔から海の一番深い場所に住む、年経た魔女は、誰も知らない魔法や呪いをたくさん知っていると噂され、恐れられていました。
そんな恐ろしい魔女でしたから、海の王国の住人達は怖がって誰も近寄ろうとはしなかったのですが、この魔女に頼めば、魚の尻尾の代わりに、人間の脚をもらうことができると、シレネは考えたのです。
ですが、この魔女というのが、長い時間を海の底で誰にも合わずに過ごし、何百歳と老いて歳をとったためか、すっかり性格が悪くなってしまっていて、普通にシレネの願いを叶えてなどくれなかったのです。
おっかなびっくり挨拶をして、シレネから願いを聞いた魔女は、いひひひといやらしい笑みを浮かべながら、目の前の美しく幼い人魚姫をじろじろと睨みました。
皺だらけのよぼよぼに老いた魔女は、もう取り戻せない若さを、ことに美しく可愛らしさを備えた愛くるしい姫君を、ひどく妬ましく思っていたのです。
「いいだろう、そんなに欲しけりゃ人間のあんよをくれてやってもいいさ。……代わりに、お前さんの大事なものを頂くがね。ひっひっひ」
魔女はそう言って、一本の魔法の薬の瓶を取り出しました。
魔女が人間の脚の代価として求めたのは、王国中で評判の、その美しい声だったのです。とんでもないものを払えと言われて驚くシレネに、しわがれた不快な声で笑いながら、魔女は迫ります。
「魔法ってのはね、何かを得るためには何かを支払うもんさ。あたしがこんなにおいぼれたのだって、お前さんに脚をくれてやることができるようになるには仕方なかったんだよ?」
そんな事を言われてしまえば、シレネも黙るしかありません。
どうしても王子様に逢いたいシレネは、悩んだ末に、自分の声を魔女に払うことにしました。
けれど、後でわかることですが、魔女がシレネに渡した魔法の薬は、とてもそれに見合うものではなかったのです。
けれど、とにかくこれで、シレネは人間になったのです。もうすぐ王子様に会える。そのことだけを心の支えに、シレネは海の上を目指しました。
なれない人間の脚で苦労して海の上に浮かび上がり、生えたばかりで痛むつま先をこらえてなんとか陸地に上がったシレネでしたが、それを見送りに来た魔女は、さらにシレネにとんでもないことを言い出したのです。
「そうそう、ひとつ言い忘れていたねえ。ひっひっひ。その薬の効果が切れちまう時のことさ」
あろうことか、シレネから魔法の薬の代価としてその美しい声を奪っておきながら、魔女がシレネに与えた魔法の薬には、まだとんでもない秘密がありました。
それはなんと、陸の上でおしっこをしてしまうと魔法が解け、人魚姫は泡を残し、王子様の前から姿を消さねばならないという、とてつもなく意地の悪いものだったのです。
「なあに、なにも延々我慢しなってことじゃないさ。ちょいと海までもどってきて、そこらの岩の上にでもしゃがんでシャアアアっと済ませりゃいいだけさ、なんてこたぁないだろう? ひっひっひ」
あまりにも下品なことを言われて、シレネは思わず真っ赤になってしまいます。
魔女の言うことには、あくまで陸の上でおしっこをしてしまうことがいけないのであって、海までもどってに波に向けてすれば、おしっこができるということでした。
けれど、そうでなければずっとずっと、おしっこを我慢し続けねばなりません。これから陸の上の人間の国で暮らして行こうというシレネには、あまりにも酷な話でした。
「いーひっひっひ!! なにを不思議がることがあるんかね。あたしの魔法の薬で姿を変えようと、お前さんはもとが人魚だからねぇ。海から離れて生きることはできないのさ。わかるね? それが魔法ってものなのさ。ひっひっひ!!」
そのことを知って愕然となるシレネが面白くてたまらないというように、魔女はにやにやと意地悪な笑顔で、そんな理屈を言ってのけました。
本当にそんな魔法の仕組みがあるのかシレネにはわかりませんでした。けれど、どうしても王子様に逢いたかったシレネは魔女の言葉にうなずくしかありません。
そもそも、そんなの無茶苦茶ですっ!と叫ぼうとしても、声は魔女に奪われいるのですから、どうしようもありません。シレネは魔女に深く頭を下げ、感謝を示しすしかありませんでした。
この偏屈な魔女の機嫌を損ねては、人間の脚をもらうことはできなかったのですから。
……けれど、この性根の悪い魔女のする悪だくみといったら、シレネの想像をはるかに超えていたのです。
「いっひひひ。とは言っても、いい歳をした娘が、まさか人前で我慢できずに粗相なんてみっともない真似は嫌だろう? ひっひっひ。お前さんの声を、ひとつだけ残してやるとしようか。感謝しな」
幸運なことに。……あるいは不幸にも。
魔女が姿を消してすぐ、シレネはあてもなく街道をさまよっていたところを、たまたまやってきた王子様と再会することができました。
なんと王子様もあの日、出会ったシレネのことを覚えてくれていたのです。あの嵐の夜の命の恩人を捜して、王子様は国中に使いを出していたのでした。
そのことを王子様から伝えられ、シレネは感動と喜びで胸がいっぱいになってしまいました。思わずシレネは『王子様!!』叫びそうになってしまいました。
けれど、シレネの口から飛び出したのは、
『お、おしっこ……!!』
という、女の子には決して口に出せないような言葉だったのです。
あまりのことにシレネは頭から血の気が引いてゆくのをはっきりと感じました。王子様は一瞬キョトンとしてから、たぶん何かの聞き違いだろうと、シレネをまじまじと見つめます。
シレネは慌てて、もう一度『ち、違います! 今のは!!』と叫ぼうとしました。けれど、またもシレネの口から飛び出したのは――
『も、もれ、漏れちゃうぅう!!』
もう、隠しようもないほどにはしたなくはっきりと、オシッコしたい、おトイレに行きたい!! ということを叫ぶ、どうしようもない言葉だったのです。
そう、魔女はなんとシレネの声のうちから、『おしっこ漏れちゃう』という言葉だけを返したのでした。
どうしても我慢が出来なくなったとき、シレネがそう叫べるように、そんな建前だったのかもしれません。でも、その裏には魔女の性根の悪さがはっきりと潜んでいるのがわかる、あまりにもひどい仕打ちでした。
考えてもみてください。いくら我慢ができなくなっても、仮にも海のお姫様である女の子が、ずっと慕っていた大好きな王子様の前で、『おしっこ漏れちゃう!』なんて言えるわけがありません。
まして、魔女のこの仕打ちで何よりも残酷なのは、たとえシレネがそれ以外の何を言おうとしても、口にできるのは『おしっこ漏れちゃう』という言葉だけだ、ということにありました。
王子様がシレネに優しい言葉をかけてくれたとしても、シレネが返せるのは『おしっこ漏れちゃう!』という恥ずかしくてはしたない言葉だけなのですから。
これならば、何も話せないほうがまだマシかもしれません。
あまりのことにしばらくぽかんと呆気にとられていた王子様ですが、シレネがあまりに驚き、唇をまっさおにしているのに気付き、とりあえず細かいことは考えるのをやめて、シレネを迎えるための馬車を用意させました。
さりげなく、馬車には遠出をする時のための、ご婦人用のお手洗いも用意させました。王子様はひょっとしたらシレネが、もう本当に、なりふり構わないほど我慢の限界なのかもしれないと思ったのです。
王子様は聡明で、そして一国の後継ぎとして寛容でもありました。初対面のシレネがあまりにも無礼な、慎みの足りないことを叫んだことにも腹を立てず、人間、追いつめられてどうしようもない時には、とても考えもつかないことを口走ってしまうこともあるのだというふうに自分を落ちつかせたのです。
また、王子様はひょっとしたらシレネは、自分の良く知らない国の言葉を喋っていて、それがたまたま、偶然そういうふうに聞こえるのだろうと、そんなふうにも思いました。
結局、シレネがそれから一言も喋らなくなってしまい、さらにあとでさりげなく王子様が馬車の様子を確認させたところ、シレネが馬車の中のお手洗いを使っていなかったことがわかったので、王子様はたぶんそれが正しいのだろうと思うようにしたのです。
こうして王子様の命の恩人として、お城に招かれたシレネでしたが、陸の人間の国は見るものすべてが珍しく、しばらくは勝手も分からずにあれこれとお城の使用人たちを困らせることになりました。
けれど、そうして距離があったのも最初だけ。美しく可愛らしいシレネは、まもなく王子様の大切なお客様として迎えられました。
王子様が突然連れ帰った、言葉を話せない女の子に、いったいどこの誰だろうと不審に思う声がなかったわけではありませんが、お行儀よく礼儀正しいシレネの洗練されたたち振る舞いや、なによりも美しいその姿に、皆はきっとどこかの名のある家のご令嬢だろう、と噂し合いました。
なにしろ、シレネはもともと海の王国の王女様ですから、それも当然のことです。けれど――いつまで経っても口をきかないことについてだけは、城の者たちもみなそろって首をかしげました。
少し話していればわかったことですが、シレネは時折、まるでなにかを言いかけ、それを無理やり飲み込むように、小さく開けた唇を噤むのです。
そうしてあとは俯いて真っ赤になり、黙りこんでしまうものですから、きっと生まれつき口がきけないのではないだろう、何か理由があって言葉を話さないのだと、お城の人たちは囁き交わし合いました。
困っていたのはシレネッタもでした。
せっかく王子様とお城で暮らせるようにはなったものの、魔女にたったひとつをのぞいて声を奪われたせいで、どれだけ王子様に優しく声をかけてもらっても、ありがとうと伝えることもできないのです。
王子様に優しく手を握られ、話しかけられるたび、シレネは思わず口を開きそうになり――思わず飛び出しそうになる『おしっこ漏れちゃう!』という、みっともない叫びを、泣きそうになりながら必死になって飲み込まねばなりませんでした。
たったひとこと、『王子様、大好きです』と伝えられればどんなにいいことでしょう。でも、シレネには人間の字は書けません。
大好きな王子様が、すぐ傍にいてくれるのに、黙ったままでいなければならないことは、シレネにとってとてもとても辛いものでした。
生まれた国や、家族のこと、なぜ自分を助けてくれたのか。どうしてまた会うことができたのか。王子様はシレネのことを思いやってか、あれこれと話をしてくれました。でも、シレネは何を聞かれても、答えることができないのです。
「遠い国の、むずかしい言葉でも構わない、知らなければ学ぼう。君のことを聞かせておくれ」
「どんな言葉でもいい。僕は君の声が聞きたいのだ」
「それに、僕はまだ君の名前すら知らない。いったい、君は誰なんだい?」
王子様は、シレネが言葉を話せることを(たとえ、あんなにはしたない台詞だったとはいえ)知っています。ですからなんとか、シレネのことを知ろうとそう言ってくれるのですが、シレネは何を言われても、困ってうつむくばかりでした。
大好きな相手に自分の名前すら口にできないことは、あまりにも歯がゆいことでした。
王子様も、シレネがあまりにも何も話そうとしないので、時々、少し不安になることもありました。まさか実は、自分がとんでもない勘違いをしていて、まったく関係のないどこかの国のご令嬢を、命の恩人と間違えて連れてきてしまったのではないか――と。
無礼とは思いつつもそう聞いてみると、シレネは涙を浮かべて首を振るばかりです。
いったいどうしたことだろう、と王子様も四六時中、シレネのことを心配していました。
シレネが言葉を話せないこともそうでしたが、どれだけ優しい、あたたかな言葉であっても、黙ったまま俯いて、その美しいマリンブルーの瞳に涙を浮かべ、心をかきむしらんばかりの悲しい顔をするばかりのシレネに、王子様はふしぎと心惹かれていたのです。
きっとなにか、悲しいことがあるのだろうと、聡明で思い遣り深い王子様は、シレネのことを案じていました。
さて。聡明で寛容で、さらには立派な志もある、とても素晴らしい王子様ですが、ひとつだけ良くないところもありました。
王子様はあの遭難事故で溺れかけてからというもの、すっかり海が大嫌いになってしまい、いまでは海に近付こうともしなかったのです。海沿いの国だというのに、港のことはすっかり大臣にまかせきりでした。
結婚して王様になったならまず、お城を海から離れた場所に移すのだと言い出して、大臣たちはその準備に大忙しなのです。
一歩間違えば死んでしまっていたのですから、それも仕方のないことと言えばしょうがないかもしれません。
とはいえ王子様がそんな様子ですから、シレネッタはもう大変でした。
なにしろ、陸の上でオシッコをしてしまったら、シレネの魔法は解けてしまうどころか、泡になって消えてしまうというのです。魔女の言葉を信じたくはありませんでしたが、もし本当だとするなら、どれだけオシッコがしたくなっても、おトイレなんか使えるわけがありません。
ただでさえ大好きな王子様の前では言い出しにくいことなのに、お城の中は警備の衛兵や使用人など、たくさんの人目があり、とてもではありませんがこっそりと昼のうちにお城を抜け出して海まで行ってくるという訳にもいきません。
シレネは王子樣が自分の部屋に戻ってゆく夜中まで、じっと息を潜めておしっこを我慢し続けるしかありませんでした。
王子様と一緒にいるときも、珍しい果物やお菓子を口にしている時も、気づかれないように何度もドレスのおなかをぎゅっとさすっては、耐えがたいほどに高まる尿意をこらえ、オシッコを我慢するしかなかったのです。
そうして、お城の皆がすっかり寝静まる真夜中にこっそりお城を抜け出して、海まで向かっては、顔を真っ赤にして、恥ずかしさに死んでしまいそうになりながらも、波打ち際めがけてたまりにたまったオシッコをほとばしらせるという日々を送っていたのでした。
その勢いと言ったらもう、すさまじいもので、魔女が言ったようなささやなかものとは比べ物になりません。シレネの小さな身体のいったいどこにこんなに溜まっていたのかと思えるほどに、勢いよく噴き出す黄金色のオシッコは、飛沫を立て太い水流をまるで海蛇のようにのたうたせながら、じょごぉおおおおーーーーっ、と海面の波を泡立てるのです。
こんなはしたない姿を万一誰かに見られたら、と思うと、シレネは気が気ではありませんでした。
そうやって、真夜中に一回だけ許されたオシッコの機会を除いては、一度もおトイレに立つこともできず、一日じゅうオシッコを我慢していなければならないのですから、シレネの苦しさといったらなみたいていのものではありません。
折角のきれいな脚はドレスの下でくねくねとすりすりもじもじと擦りあわされるばかりで、内股の引けた腰ではまっすぐ立つことすら難しいほどでした。
人の多いところではこっそりおなかをさすったり、腰を揺すったり前を押さえて我慢することもできませんから、どうしても部屋に閉じこもりがちになります。
もしほんのちょっとでもおチビリでもしたなら、そのまま泡になって消えてしまうかもしれませんから、シレネも必死なのでした。
そんな毎日がうまくいくはずもありません。雨の日などは出掛けるのも一苦労で、濡れたドレスをどうやってごまかそうか、シレネは本当に困ってしまいました。海までオシッコしに行っていたなどと言えるわけもありませんし、仮に説明するにしても、シレネが口にできるのはあの恥ずかしい言葉だけなのです。
だんだんと元気をなくしてゆくシレネを励まそうと、王子様は足しげくシレネのもとをおとずれました。
少しでも元気が出るようにと、王子様は毎日珍しいお茶や異国のお菓子などを持ってきてくれるのですが――お昼を回り、いよいよおなかにオシッコがたぽたぽと揺れるくらいに我慢がきつくなってきた時に、暖かいお茶を何杯も飲みながら、気づかれないように必死に我慢して王子のお話をじっと聞いているのは、気絶しそうに辛いことでした。
本当ならドレスの上からぎゅううっ、と脚の付け根を握り締めたいのを必死に堪えながら、笑顔をつくって王子のお話に相槌を打つ――シレネはそんな辛さを押し隠して、懸命に王子様の傍にいようとしました。
だいすきな王子の前では、わずかに腰をよじって、もじもじと我慢することもできないというのに、です。
そうやってシレネがいつまでも喋れない上、名前すらも教えてくれないものですから、王子様はそのうちだんだんと、本当にシレネが自分の命の恩人であるのか疑問に思うようになっていました。
けれどこれは、王子様を責めるのは酷というものでしょう。
なにしろ、最近ではシレネは王子様と一緒にいるときでも、どこか辛そうな表情をするのです。本当は嫌々、自分のわがままに付き合ってくれているのではないかと思ってしまっても仕方のないことでしょう。
それに、あの嵐の晩は王子様は溺れて気を失っていましたし、去り際にちらとみたシレネの姿だけでは、一度芽生えかけてしまった不安はどうしてもぬぐえなかったのです。
もしかしたら、やっぱりシレネは人違いではないか。そう思いながらあの朝別れた少女の顔を思い出そうとすればするほど、王子様はわけがわからなくなってしまうのでした。
まして、いつもおぼつかない足取りで、椅子から満足に立つこともできないくらいにか弱く見えるシレネが、あの大波をかき分けて自分を救ってくれたのだとは思いづらく、やはり考えれば考えるほど王子様はわからなくなってしまいます。
そして、そんな折、王子様の耳にどうにも気になるうわさが飛び込んできたのでした。
いつものようにシレネッタを訪ねてきた王子様は、ひとしきりお茶を楽しんだ後に(そして、いつものようにシレネは一生懸命、気づかれないようにオシッコを我慢しながらいたときに)、いつになく真剣な顔で王子様は切り出しました。
「――ところで、君にひとつ聞きたいことがあるんだ」
いいかい? と念を押して、王子様は話し始めました。
「このところ、城の衛兵が、夜な夜な城から抜け出して行く不審な影を目撃している。……誰も寝ているような真夜中に、だ」
「…………!!!!」
シレネは、口から心臓が飛び出してしまいそうに驚きました。
おもわず『じわっ』と緩みかけた脚の付け根に危険な兆候を感じ取り、必死になってすりすりと内腿をすり合わせ始めてしまいます。
スカートの前をぎゅううっと握り締めてしまいそうになるのをこらえ、緊張に桜色のくちびるを引き結んで、衝撃を押さえ込もうとします。
「それだけではないんだ。僕が直接見たわけではないが、港のほうでも不審な姿を見たというものがいるらしい。海の岸辺に座り込んで、なにやら水音を立てていたとか――」
「っっ……!!!」
あまりのことにシレネは、思わず口を『おしっこ』の『お……』の形に開きかけてしまいます。
さらに動揺に身体が言うことをきかず、不自然に身体に力が入ったせいか、まだ昼過ぎだというのに、シレネはたまらなくオシッコがしたくなってしまったのです。とうとう王子様の前で小刻みに足踏みをはじめ、さすさすとおなかをさすり出しながら、シレネはなんとか、悲鳴を上げるのをこらえました。
きっと、その悲鳴ですらもあの、恥ずかしい言葉になってしまうに違いないのですから。そしてまた、その言葉は、今のシレネが一番したいことからあながち外れているわけでもないのです。
「君の事を疑いたくはない。が……城の中にも、不敬なことに君を疑っているものがいる。僕をたぶらかしている魔女ではないか、と。もちろん、僕はそんな事を信じてはいない。……けれど、できれば君の口からそれを聞きたい。もしなにか、どうしようもない事情があるならば、それも教えて欲しいんだ。……約束しよう、決して君を見捨てるようなことはしない」
真摯な王子様の言葉に、シレネは少なからず、心を揺り動かされます。
お城に来てからもうずいぶん経つというのに、いまだになにも話せない自分を、こんなにも大切に想い、信じてくれているなんて。
シレネはけれど、やはりその思いを口にはできず、顔を赤くし、ぽろぽろと真珠のような涙をこぼすばかりでした。
シレネがどれほど請い願っても、その喉から出る美しい声は、あのはしたないことばひとつだけなのです。そしてまた、シレネは今なお夜まで我慢し続けねばならないほどに、恥ずかしいおしっこでおなかをぱんぱんに膨らませ、それに耐えかねてスカートを握りしめ、もじもじと腰を揺すっているのです。
『おしっこが、漏れちゃう!!』
そんなことを、口にできるわけが、ありません。
「そうか……では、これだけは聞いてくれ。
何があっても、僕は君を信じよう。だから、僕のことを君も信じて欲しい」
そういうと、王子様は席を立ちました。
シレネは思わずそれを呼びとめようとし――
『ぁ…………ッ!!』
そこまで、でした。
口を『お』の格好に開いて、でもそれ以上は口にできないシレネを、優しげに見つめて。王子様は部屋を出てゆきました。
そうして。シレネは、それからずっと、この部屋にいます。
可哀そうなシレネッタは、王子様への想いから、悲壮な覚悟で、一晩中オシッコを我慢することを決めたのでした。
昨晩から数えてももう丸一日トイレに行っていない人魚の末姫のおなかは、石のようにぱんぱんに硬く張り詰めています。脚はきゅうっと寄せあわされ、いっときも休まずにシーツをかき乱し、ぷるぷると震えていました。
いつもならとっくにお城を抜け出しているこの時間。普段ならもう、海で盛大に、たっぷりと、オシッコを済ませて、足早にお城へと戻っている頃でしょう。けれど、シレネはベッドの上で、ぎゅうぎゅうと細い指で懸命に脚の付け根を揉みしだきながら、なんどもなんども、楽な姿勢を探して寝返りを繰り返すばかりです。
これまで、一日に一度だけ、お城を抜け出して海にオシッコをすることが許された毎日でさえ、シレネは何十回、何百回ももうだめだと思うことがありました。
けれど今は、たった一度の海へのオシッコすら、許されていないのです。
硬く張り詰めたおなかを何度もさすり、交互に膝を組み替えて、もぞもぞと揺れる腰が、よじられる背中が、細い脚がシーツをかき乱してゆきます。
『おしっこ、漏れちゃう……!!』
かすかに震える桜色の唇は、ぎゅっと引き結ばれたその隙間から、誰にも届かない小さな悲鳴を、なんども繰り返します。
真珠色のうなじには湿った亜麻色の髪が張り付き、薄赤く火照った頬にも汗が浮かび、ははあはあと荒い吐息を繰り返します。
シレネが懸命にさする手の隙間のすぐ奥では、きゅんきゅんとおなかの内側から、恥ずかしい刺激が一番かよわい、敏感な部分を責めなぶっていました。荒れ狂う嵐のように激しく波打つ身体の中の大きな海が、ざぱんざぱんと立て続けに押し寄せ、黄色く渦巻くはしたない熱々のオシッコが、いまにもシレネの我慢を打ち破ろうとしています。
きつく閉じ合わされた脚の奥、人魚の末姫のオシッコの出口は、恥ずかしい水の悪戯の前に、無防備にさらされ続けていました。
このままでは、いつか我慢の限界が来て、シレネははしたなくも、ベッドの上で、ギュっと押さえた手のひらの下から盛大におしっこを溢れさせてしまうでしょう。
股間の先端、脚の付け根から噴き出し迸る熱い奔流は、股間を握り締める手のひらの隙間からでさえも高々とシーツの上に水柱を噴き上げ、津波のように何もかもを押し流しながら、とめどもなくいつまでも溢れ、シーツを汚してしまうに違いありません。
『おしっこ……、漏れちゃうぅ……っ!!』
小さな肩を震わせて、その瞬間の恐怖に必死に抗いながら、挫けそうな心と緩みそうな脚の付け根の水門を励まして、ぐりぐりと股間をシーツにねじりつけ。
シレネは、いつまでもいつまでも、熱のこもった部屋の中、ベッドの上で身もだえを続けていました。
いつ終わるともしれない、長い長い夜を越えて――
次の日、王子様がシレネの部屋を訪れた時には。そこにはもう、美しき人魚の姫君、シレネッタの姿はどこにもなく。開け放たれた窓だけがカーテンを揺らしていました。
「君……!?」
王子様は、思わず窓へと駆け寄り、外を見まわしましたが、そこには誰の姿もありません。
けれど王子様が掴んでしまった窓枠と、カーテンの裾、そして足元のふかふかの絨毯は、まるで大雨が叩きつけられたように、ぐっしょりと温かく湿っていました。
よく見れば、窓の外のお城の庭にも、同じように何か、水を零したような跡が点々と続いていたのです。
シレネが消えてしまったことに愕然としながらも、振り向いた王子様は、ベッドを見てさらに言葉を失いました。
そう。なんとベッドの上には深く乱れた毛布と、可愛らしい唇の噛み痕を残した枕。シーツの上にはまるで海のように、黄色いおしっこ一面に広がっていたのです。
いったいどれほど、シレネはあの小さな身体を丸めて、必死に脚の付け根を握り締めて、孤独な戦いを続けていたのでしょう。
あんなにも苦しいおしっこ我慢を続けながら。
ついには、こんなはしたないオネショの跡すらを、王子様に見せてしまう結果になっても。シレネは、王子様の側にいたかったのです。
――けれど、『おしっこ漏れちゃう!』以外に声をもたない人魚姫には、ついにその想いを伝えることはかなわなかったのでした。
シレネが流したであろう、多くの悲しみの涙は。
すべて、このはしたなく恥ずかしいオシッコの跡に飲み込まれ、消えてしまっていました。
ベッドの上、ほかほかと湯気を立て、少しばかり泡を立ててちゃぷちゃぷとゆれる黄色い水たまりを呆然と見つめ、王子様はいつまでも呆気にとられていました。
……めでたし、めでたし。
(初出:書き下ろし)