特別編 『不思議の国のアリス』

※我慢シーンのみ。注意。
 元ネタは山形浩生版(ttp://www.genpaku.org/alice01/alice01j.html)の翻訳。
 この調子で全編にわたりアリスがおしっこを我慢している展開を書いてはみたものの、途中でデータが破損してやる気をなくしたので、残っていた部分だけ。


7. おかしなお茶会
 アリスがたどり着いた広場には一軒の赤い屋根のお家があり、その前の木の下では大きなテーブルを広げた奇妙な顔ぶれがお茶会を開いていました。
 ふんふんと鼻を鳴らし、血走った眼をあちこちに向けながら耳をぴこぴこと揺らしている三月ウサギが椅子に座り、その隣では、ティーカップを前に、たくさんの帽子をかぶっては脱ぎかぶっては脱ぎしている帽子屋さん。その二人の間にはくうくうと可愛らしいいびきをかきながら、ヤマネが眠っていました。
 三月ウサギと帽子屋はその眠りヤマネをまるでクッションのようにして、ひじを乗せておしゃべりをしているのです。
(かわいそう、ヤマネさん……痛くないのかな? でも、眠ってるから気にしないのかしら?)
 そんなことを思ったアリスでしたが、さっきから暗い森の中をあるきづめですっかり冷えてしまった身体がぶるりと震え、たまらずもじもじと腰を揺すってしまいます。
「あんっ……」
 アリスが小さく声を上げると、エプロンドレスのスカートがふわふわと揺れ、足元ではトイレを我慢する小さな足がもじもじとせっかちなダンスを踊っているのでした。
 アリスが声を上げたもので、テーブルにいた3人は揃って顔をあげ、口々に言います。
「なんだい、もうテーブルは満員だよ」
「……お呼びじゃないさ。ふわぁ……」
「うふふぅ、どこから来たんだい、お嬢ちゃん」
 テーブルはとっても大きくて、たくさんお茶の用意がしてあるのに、3人はその隅っこに固まって座っていました。その上で帽子屋たちがいきなり意地悪なことを言うものですから、アリスもむっとしてしまいます。
「どこが満員なのよ。いっぱい空いてるじゃない!!」
 お茶会だからお行儀よくしないといけない、ということは、アリスの頭の中からすっぽり抜け落ちてしまっていました。ずかずかとテーブルのそばに近寄ったアリスは、帽子屋たちの座る席の向かいにある、大きな肘掛け付きの椅子に腰かけます。
「……まったく、礼儀のなってないお嬢さんだ」
「お嬢さんじゃないわ。アリスっていうのよ。帽子屋さん」
「アリス、アリスねえ」
 帽子屋は何事か考えているように、つばのついた山高帽をくるくると回し始めます。
「そんなことより!」
 アリスはじれったくなって、もじもじとテーブルの下で膝を擦り合せながら、言いました。
「ねえ、あなたたちはずっとここにいるの? 尋ねたいがあるんだけど」
「うふふう。ねえ、ワインはいるかい?」
 いきなり三月ウサギに言葉を遮られて、アリスはさらにむっとしましたが――お茶会でどなり声をそう何度もあげるなんて、さすがに無作法なことです。じっと我慢してアリスはテーブルを見回しました。けれど、大きなテーブルの端から端までを確かめても、そこにはお茶しか載っていません。
「……ワインなんか、見当たりませんけど」
 お行儀よくしなければいけないというのを思い出して、できるだけ礼儀正しくアリスが答えると、三月ウサギはうふふぅ、といやらしく鼻を鳴らして目を細めます。
「だって、そんなの用意してないもん。うふっふぅ」
「だったら、ありもしないものを勧めるなんて失礼だ――失礼じゃありませんこと?」
「うふふう。勝手に来たのは君じゃないか。招待状もないくせに」
「そんなものが必要だってわかったらこなかったわ」
 アリスは早くも、このやり取りがいやになってしまいました。ぜんたい、この馬鹿げた国のどこにもかしこにも、まともに話のできる相手がいないのですから。特にこの三月ウサギは、いやらしい目でじろじろとアリスを品定めするように見てくるので、アリスはもじもじと椅子の上で体を揺すり動かすこともできません。
 エプロンドレスのスカートの下では、いまもアリスの女の子がせわしなくおトイレを訴えているというのに。
「それに、あなたたち3人よりずっと大勢の人のお茶が用意してあるじゃない!」
「うふふぅ。そんなに飲みたかったら飲めばいいじゃないか」
 三月ウサギがそういうと、テーブルの上のティーセットがひとりでに動いて、アリスの前のティーカップに熱い紅茶をなみなみと注いでいきます。
 実際のところ、アリスはもうここに来るまでにも何倍も水やお茶をおかわりしていて、すっかりおなかがたぽたぽになってしまっていたのですが――三月ウサギにこれ以上無礼なやつだと思われるほうがしゃくだったので、アリスはぐっと我慢してお茶を頂くことにします。
「……ふう……っ」
 大きなカップは普段、アリスが使っているものよりもふた回りも立派でした。こくりこくりと冷えた喉がお茶を飲み干すたび、アリスのおなかの中にはこぽこぽ、こぽこぽ、と我慢し続けているおしっこが音をたてているようです。ギュッと目を閉じて、最後の一滴までを飲み干して、アリスはぶるりと背中を震わせました。
(あんっ……はやく、お手洗いにいかなきゃ……)
「ねえ、それよりも教えて。ここに時計をもったウサギさんが来なかったかしら? あなたじゃなくて」
 アリスは三月ウサギのほうを指差して、言います。
「私、あのウサギさんを探しているのよ」
 ほんとうのところはごまかして、アリスはそう言いました。それにそれは、あながち嘘というわけでもありません。もじもじとバニースーツの脚の付け根を押さえながら、ぴょんぴょんと何度も跳ねておしっこを我慢していた白ウサギさん。彼女を追いかけていけば、きっとおトイレに辿りつけるはずなのです。
「アリスといったかね、君、もう少し落ち着いたらどうだい」
 急に、これまで黙っていた帽子屋が――ヤマネも同じように何も言いませんでしたが、こちらはまたくうくうと眠っていたので別問題です――ずっとめずらしそうにアリスを見ていた帽子屋がそう言ったので、アリスはびっくりしました。
 まさか、おトイレに行きたいのを我慢しているのに気付かれてしまったのかも、そう思って、アリスはぴんと背をのばします。でも、いくらそうしても、椅子の上では太腿がすりすりと擦りあわされてしまうのでした。ごまかしきれないと思ったアリスは、帽子屋が何かを言う前に、声を上げます。
「あなた、学校で習ったでしょ? そんな風に、レディのことをあれこれ言っちゃいけないのよ」
 厳しい先生が、お作法の時間のときに眉を吊り上げていった言葉を思い出しながら、アリスは続けます。
「そういうの、すっごくぶさほうなのよ」
 帽子屋は、これをきいて目だまをぎょろりとむきました。怒らせちゃったかも、とアリスは思いましたが、結局帽子屋はそれ以上何も言ってきませんでした。
 すると突然、三月ウサギが言います。
「うふふう。じゃあ問題。上はびちゃびちゃ、下もびちゃびちゃ。これなーんだ?」
 いつものアリスなら、なぞなぞが始まってとても嬉しいなと思ったことでしょう。これでやっとこのわけのわからないお茶会も楽しくなるに違いないのです。
 けれど、今のアリスはそれどころではありません。今さっき飲んだ紅茶がきいてきたのか、どんどんおしっこがしたくなってきてしまっていました。これまでももちろんおトイレには行きたかったのですが、今度のはじっとしているだけでは我慢できないくらいになってしまったのです。身体を左右に揺すり、ぎしぎしと椅子を軋ませながら、アリスはあたりを見回し始めます。
「うふふう。どうしたのアリス」
「え、ええ、なんでもないわ。……その、わかると思うわ」
「ボクのなぞなぞが? じゃあ答えてみてよ。うふふふぅ」
 三月ウサギは落ち着きなく腰を揺するアリスを見ながら、にやにやと、いやらしく目を細めます。
「ええと……」
 上がびちゃびちゃ。下もびちゃびちゃ。アリスは思わず、おトイレに間に合わなくて、足元に水たまりをつくって濡らしてしまい――大泣きしている女の子の姿を思い浮かべてしまいます。もちろん、それはアリス自身のことなんかではないはずだと――もう立派なレディであるアリスは、おトイレまでおしっこが我慢できないなんてことはないはずだと――考えましたが、そうしている間にもアリスの太腿はさらにきつく閉じ合わされ、前後にすりすりと擦り合わされるばかりです。
「うふふぅ。ほらあ、どうしたの? 答えてよ。それともわからないのかい、アリス?」
「その、わかるわ。わかるわよ。すくなくとも――すくなくとも、それが私のよく知ってるなぞなぞじゃないっていうのはわかるわ。ふつうは上は大火事、下は洪水、なんでしょう? っていうのよ」
 その答えはお風呂です。ですが、それを聞いて帽子屋が言いました。
「全然わかってないじゃないか。そりゃあ、『傘は傘でも雨の日に差す傘は?』ってのと、『雨は雨でも傘をさせない雨は?』ってのとが違う答えだって言ってるようなもんだ」
「そうそう」
 と、三月ウサギ。
「『お茶を飲むとのどが渇く』と『のどが渇いたからお茶を飲む』がおんなじことだって言ってるみたい」
「ふわぁ……『眠るときにおねしょをする』と『トイレをする時に眠ってる』が同じ……みたいな」
「お前さんの場合は同じだろうよ、ヤマネ」
 あくび交じりのヤマネにそういうと、帽子屋はまた黙ってしまいました。
 アリスはなにか面白いなぞなぞを思い出して、気分を紛らわせようとしたのですが、今日はどういう具合かまるっきりなにも思い出せません。
 それどころか少しでも気を抜くと、おしっこのほうが出ちゃいそうになるばかりで、きっとこれを我慢し続けてるから考えもどこかで詰まってしまってうまくいかないんだわ、とアリスは思います。
「ふぅっ……」
 考えながら、アリスはまた紅茶をティーカップに2杯も空にしてしまいました。空いたカップには、すかさず三月ウサギが新しい紅茶をついでくれるのです。
 しばらくして、いちばん最初に沈黙を破ったのも帽子屋でした。
 ポケットから時計を取り出して、しかめっつらでそれを見ながら耳に当てたり、振ったりしてアリスに聞いてきます。
「ところで、今日は何日だかわかるかい、お嬢ちゃん?」
 アリスはすぐには答えられませんでした。わけの分からないことが立て続けですっかり参っていたのもありますが、ちょうどおしっこが出てしまいそうになっていた時で、それが話せるようになるまで我慢するのに精一杯だったからです。
「……んっ……四日だと、思うわ……」
「四日だって? なんてこった。二日も狂ってるじゃないか」
 もじもじと腰を動かしながら、アリスが片目を閉じてそう言うと、帽子屋は溜息のあと、怒ったように三月ウサギを睨みつけます。
「だからバターじゃ良くないって言っただろう」
「うふふぅ。そんなことないさ、最高のバターを使ったんだよ?」
「パン屑が一緒に入ったんだろうな」
 帽子屋から時計を受け取った三月ウサギは、それを自分のお茶に浸してみてから、また眺めました。けれどどうも具合は良くなっていないらしく、三月ウサギはもう一度つぶやくのです。
「バターは良かったんだけどねぇ。うふふぅ」
 アリスはそのとんちんかんなやり取りを見ていました。帽子屋の時計はへんてこで、時間を指す針の代わりに日にちを指す針しかついていないのです。
「ヘンな時計ね」
 あんまりおトイレのことばかり考えてちゃ良くないわと思い、アリスは続けます。
「今日が何日かはわかるのに、何時かが分からないなんて」
「そんな事が分かってどうなるんだい? ねえアリス。君の時計は、今が何年かわかるのかい?」
「そんなの、もちろんわからないわよ」
 一体、アリスがあの白ウサギを追いかけて、もう何時間経つのでしょう。あれからずっとアリスはおしっこを我慢し続けているのです。早くお家に帰るか、あるいはあの綺麗なお庭――変なキノコで大きくなったり小さくなったりした廊下のドアから見えたあのお庭の、お手洗いに行きたくて仕方がありません。
「でも、それは、年っていうのがなかなか変わらないからよ」
「……そうだ、まさにそれと同じことさ」
 アリスがぎゅっとエプロンドレスの布地をつかみながら言うと、帽子屋は当たり前のようにそう答えるのでした。アリスはだんだん頭がこんがらかってきました。
 帽子屋の言うことはちゃんと言葉になっているのに、まるで意味が分からないのです。これでは白ウサギの事を聞いてもちゃんと答えてくれるかどうかあやしいものでした。
「あのう……あなたのいってること、どうもよく分からないみたいなの」
 できるだけ丁寧にアリスがそう言うと、帽子屋はきゅうに隣を向いて、眠りこけているヤマネの鼻先に熱いお茶を垂らします。
「ほら、何を寝てるんだい、君は」
「ふわぁ……うん、そうだねぇ。ほんとほんと」
 ヤマネの適当なあいづちを聞き流して、帽子屋はまた別の帽子を取り出してかぶります。
「さて、お嬢さん。なぞなぞの答えはわかったのかね」
 さっきのクイズのことだと気付くのに、アリスには少し時間が必要でした。
「……ううん。ぜんぜん。ねえ、答えはなんなの?」
「私にもさっぱりわからない」
 アリスが三月ウサギのほうを見ると、三月ウサギはいやらしげに目を細めて言うのです。
「うふふ。ボクにだってわからないねぇ。うふふぅ」
 じろじろとアリスのほうを見ながら、三月ウサギは言います。
 ひょっとしたら、三月ウサギはもうアリスが落ち着かない様子を知っているのかもしれませんでした。アリスは思わず、いすの上に姿勢を正しました。なにしろずっとスカートを押さえながらおしっこを我慢していたので、いつの間にかテーブルの上に顔を載せるくらいに上半身が傾いていたのです。
「あなた、もう少しマシな時間の使いかたをしたほうがいいわ」
 急に恥ずかしくなって、アリスはそれをごまかすように怒ってみせます。でも、テーブルの下で足をもじもじとこすり合わせるのをやめていられたのはほんの少しの間だけでした。
「こたえのないなぞなぞなんて、つまらないじゃない!」
 すると横から帽子屋が口を挟んできます。
「そんなことはないさ。私くらいに時間と仲が良ければ、付き合い方を無駄にするなんてことはないものさ」
 アリスが何のことやらわからずにいると、帽子屋はさっきのバターまみれの時計を三月ウサギの手元から取り上げて、言います。
「君には分からないかもしれないね。おそらく、時間と口を利いたこともないんだろうから」
 その言い方が、ちょっと馬鹿にされたように聞こえたので、アリスは慎重に答えることにします。
「それは、ないかもしれないけど。……でも、音楽の時間にはこうやって時間を刻むわ」
「それが良くないのさ。いいかいお嬢さん、時間たちだって刻まれたくはないものさ。君は誰かに切り刻まれたいのかい?」
 もちろん痛いのは嫌ですから、アリスは首を横に振ります。
「彼らと上手くやっていくことさえできるなら、時計がらみのことは何だって、ほとんどが上手い具合に運ぶのさ。たとえば、朝の9時というのはちょうど授業が始まる時間だが――そこでちょいと時間にお願いをしてみればね、一瞬で針はぐるぐる巡る。そら、もう午後の一時半。晩御飯の時間だ――というような具合にね」
 時計の文字盤をぐるぐる指で回して、帽子屋はいいました。午後一時に晩御飯なんて変だとアリスは思いましたが、黙っていることにしました。なぜなら、本当にそうできたら、それは結構すごいことに思えたからです。
(それなら、午後一時半に晩御飯なんてささいなことだわ)
 ふと、アリスは先々週の木曜日に、算数の授業中におトイレにいきたくなってしまったのを思い出してしまいました。あの時も机の下で何度もひざを交差させながら、授業が早く終わらないかと、やけにのろのろとしか進まない時計の針にやきもきしてすごしたものでしたが――帽子屋のいうとおりなら、あっという間に授業を終わらせてしまうこともできるのです。
「うふふぅ、今がそうならいいのにねぇ」
 小声でつぶやいて、三月ウサギも鼻を鳴らします。またいやらしいウサギの視線に目が合ってしまって、アリスは小さく身震いしました。
「でも、そしたら――あたしはまだ、お腹が空いてないわけよね?」
「もちろん最初のうちはそうだろうね。しかし、いつでも好きなだけ一時半にしておくこともできる」
 時計の針を進めたり戻したりしながら、帽子屋は答えます。
 時間がいったり来たりしているのをみながら、アリスはそっと、スカートの上からぱんぱんに張り詰めたおなかを撫でます。
 そういえばこのお茶会に来てからもうずいぶん経つような気がしているのですが、いっこうにお手洗いの話は進んでいません。
「あなた、そんなことができるのね?」
 はやくこのお茶会を終わらせてしまえばいいと思って、アリスは帽子屋に尋ねます。しかし帽子屋は、悲しそうに頭を振るのでした。
「残念ながら、私は違うのだよ。私と時間は、こないだの三月に口論をしてしまってね。ちょうど……彼が狂ってしまうちょっと前だったのだがね」
 帽子屋は三月ウサギを茶さじの先で示して、続けました。
「――ハートの女王様が主催の大コンサートがあったのは知っているかね。私たちもそれに招待されて、歌を披露することになったのだが。
“きらきらコウモリ おそらで謀る!” ――君は知っているかい、この歌を?」
「どうかしら……そんなようなのは、聞いたことがあるかも」
 とアリス。帽子屋は小本と咳払いをしてつづけます。
「“世界の上を お盆を飛ぶよ、きらきら――”」
 ここで突然、眠っていたヤマネが身震いして、眠りながら歌いはじめました。
「ふわぁ……“きらきら、きらきら、きらきら――”」
 ところがヤマネは半分眠っているものですから、そこから先に進みません。ほうっておくといつまでも続けそうだったので、帽子屋と三月ウサギはヤマネのおしりをきゅっとつねってやめさせます。 
「まあ、それでこの歌をだ。私が一番も歌い終わらないうちに、女王様が飛び上がって言い出したのさ。『こやつめ、拍子の時間をバラバラに刻んでおるではないか! 首をちょん切るのじゃ!』――とね」
「ひどいわ、残酷よ!」
 それは本当にそう思ったので、アリスは叫びます。帽子屋はうつむいて、顔の前で手を組みます。
「そういう訳さ。それ以来ずっと、時間達はバラバラにされたことを根にもってしまってね。もう私の頼みなど聞いてくれないのだよ。それどころか普通に動くこともしなくなってね、だから今ではずっと6時のままというわけさ」
「じゃあそれで、お茶のお道具がこんなに出てるのね?」
 アリスが手を打って言います。そうさ、と帽子屋は力なくため息をつきます。
「そうだ。ずっと6時のままだからあと片付けの暇すらない。いつでもお茶の時間だからね」
「だから、こんなところにいるのね。ようやくわかったわ!」
 アリスはようやく、この広いテーブルいっぱいのティーセットと、その隅っこに座っていた奇妙な3人のなぞにたどり付けて、少し嬉しくなってしまいました。
「ご名答だ。使い終わるごとに隣の席へ。だんだんずれてゆくのさ」
「でも、最初のところにもどってきたらどうなるの?」
 アリスはふと疑問に思ったので、聞いてみることにします。しかしそれに三月ウサギが割り込んできました、。
「うふふぅ。もうこの話はここでおしまい。飽きちゃったし別の話にしよう。……ねえお嬢ちゃん。なにか面白いお話をしてよ。今したいこととかさぁ。うふふぅ」
 にんまりと口先をゆがめて、三月ウサギ。アリスはぞっとしながら、ぷいと顔を背けます。
「悪いんですけど、なにも知らないんですの!」
 やっぱり三月ウサギは、アリスがさっきからおトイレを我慢しているのを知っているのだとしか思えません。アリスはだんだん、三月ウサギのことが怖くなってきました。
「うふふぅ。じゃあ、ヤマネ、君がお話をしたらどうだい!」
 三月ウサギはひょいと手を伸ばして、眠っていたヤマネのおしりをつねり上げます。かなり痛そうに見えましたが、ヤマネは悲鳴を上げるでもなく、ゆっくり目を開けるだけでした。
「ふわぁ……ねてないよぉ……」
 くしくしと顔をこすりながら、ヤマネはしわがれた小さな声で言います。
「ぼく、今のお話、ぜんぶきいてたよぉ……」
「うふふぅ。別にいいさ。それよりもなにか、面白いお話をしてよ」
「ええ、お願い!」
 三月ウサギと話さなくていいのだと思えば、アリスもいっしょになってお話をせがみます。
 それを見て帽子屋も、また新しいハンチング帽を被りながらいいました。
「始めるのならあまりゆっくりとしないでくれ。お茶の時間はいくらでもあるが、あんまりのんびりしていると、君は眠ってしまうだろう?」
「ふわぁ……ええと……むかし、むかし……」
 そういわれて、ヤマネは話し始めました。
「……むかしむかし、三人の姉妹がいなかに住んでおりました。なまえは、上からエルシー、レイシー、ティリー。……そして、このいなか姉妹は、井戸のそこに、住んでいまして――」
 アリスからしてみればじれったいくらいに間をとったしゃべり方でしたが、これまでうつらうつらと眠ってばかりのヤマネにしてみれば、慌てているくらいなのでしょう。
「井戸の底がおうちなんて変よ。なにを食べてたの?」
 じれったくなって、ついアリスは聞いてしまいます。
「ふわあ……糖蜜だよ」
 しかし、ヤマネはそれにも一分かそこら、考えてこんでから答えました。ぜんぜん進まないお話に、アリスはまたもじもじと腰を動かしてしまいます。
「そんな生活、うまくいくはずないわ。だって病気になっちゃうもの!」
「まさにそのとおり」
 とヤマネは、あくまでマイペースです。
「とっても病気でした」
 アリスは、その姉妹たちのとんでもない生き方がいったいどんなものか、想像してみようとしました。でもあまりにもなぞが多すぎたので、ついにあきらめてもう一度質問します。
「ねえ、その子たち、なんだって井戸のそこになんかに住んでたの?」
「うふふぅ。ねえアリス。のどは渇かないかい? お茶、もっと飲むといいよ」
 突然三月ウサギが、熱心にアリスに勧めてきます。
 しかし、もうアリスは何倍もティーカップを空にしていて、おなかがたぽたぽになっていました。加えてずっとお茶会のテーブルから離れられないものですから、すっかりおトイレにいきたい気分が強くなっていたのです。
「いいえ、結構よ。もうたくさんいただきました! だからもっとなんて飲めないわ!」
「それは違うな。“もっと飲めない”じゃなくて“ちょこっとも飲めない”だろう? “ちょこっと”よりも“もっと”のほうが少ないなんてことはない」
 帽子屋がいきなりそんなことを言い出したので、アリスは慌てて叫びます。
「誰もあなたになんかきいてないわ!」
 このままだとまた紅茶を飲まされそうで、アリスも必死でした。しかし帽子屋は、不満そうにあごを撫でながらカウボーイハットをかぶります。
「ふむ。……人のことをあれこれと詮索するなと言ったのは君だったのではないかね?」
 そう言われて、アリスは何とか言い返そうとしましたが――なんと答えていいかわかりませんでした。だからしぶしぶ、お茶とバターパンをちょっとだけ口に運びます。
(んぅ……っ)
 これまでに飲んだお茶でもういっぱいのおなかに、さらに紅茶が注ぎ込まれて、アリスはぞわあっと足の付け根を振るわせる甘い痺れに声を上げてしまいそうになります。
 アリスは気づかれないようにぎゅっとスカートの付け根を握り締め、それからヤマネにむかって質問をくりかえしました。
「ね、ねえ。その子たち、なんで井戸のそこに住んでたの?」
 そうすると、ヤマネはまた押し黙ると、それについて考えてだしてしまうのでした。のろのろとしたやりとりに、アリスは気がまぎれるどころか、どんどん我慢が辛くなってしまい、とうとうもじもじと腰を揺すり、テーブルの下にぐりぐりと地面に靴の爪先を擦りつけ始めてしまいます。
 そうして、また何分もたってから、ヤマネが言いました。
「糖蜜の湧いてくる井戸だったのです」
「そんなのあるわけないじゃないっ!!」
 えんえん待たされてそんな風に続けられ、いらいらとしていたアリスはとうとう声を上げてしまいます。けれど帽子屋と三月ウサギは、さもアリスがマナー違反をしたのだというように、口の前に人差し指を立てて、しいーーっ!! と言ってくるのです。
 さらに、ヤマネまでむうっと頬を膨らませ、細く目を開けてアリスを睨みます。
「……ふわぁ……ねえ、礼儀正しくできないんなら、話の続きは君がしてくれよ。そんな格好で、みっともない」
 3人に見つめられ、アリスはぴたり、足踏みを止めて慌てて姿勢を正します。
「い、いえ!! ごめんなさい、お話を続けてください!!」
 懸命におしっこを我慢しているところを見られてしまって、アリスはすっかり気が動転していました。真っ赤になって、ヤマネに頭を下げます。
「もう邪魔しませんから、お願いします。……その、糖蜜の井戸も、探してみればひとつくらいあるかもしれないわ」
 アリスはできるだけつつましく言ったつもりでしたが、ヤマネはまだ面白くなさそうでした。
「ひとつくらい? ひとつくらいだって? ふわぁ……まったく……」
 けれど、ヤマネはどうにか、それ以上腹を立てるのはやめてくれたようでした。またたっぷりと間を取って、お話を続けます。
「そこで……この、いなか3姉妹は……お絵かきを習っていたのです」
「お絵かき? 何をかいたのかしら?」
 約束をしたばかりなのに、つい気になってアリスは聞いてしまいます。何かほかのことを考えていないと、頭の中がお手洗いに行きたいことでいっぱいになってしまいそうなのでした。
 ヤマネはまた、ふわあと大きなあくびをして、こんどは全然考え込まずに答えました。
「糖蜜だよ」
「あー、ところで諸君、そろそろ綺麗なティーカップが欲しくはないかい」
 アリスがまた、『そんなことないわ!!』と言いそうになったところで、先に帽子屋が割り込みました。
「一つずつ隣に席をずらそう。それ、ヤマネ、君もだ」
 言うなり帽子屋は勝手に席を立ち、隣にいたヤマネものろのろと続きます。
 三月ウサギがそれまでいたヤマネの席に動き、アリスはいやいやながら席を立ち――おしっこを我慢しながら立ち上がるのが大変だったからです――さっきまで三月ウサギが居た席に座りました。
 つまり、新しい席に座れて得をしたのは帽子屋だけだったのです。
 アリスはと言えばそれまでよりずっと悪い席でした。目の前にはなみなみと紅茶を注いがれたばかりのティーカップがあり、まわりはミルク浸しになっていました。
 ちょうど席を立つとき、三月ウサギが肘でミルク壺をひっくり返していったのです。こんなところには座っていたくもありませんでしたが、3人が何も言わないので、アリスは渋々、そっと椅子に浅く腰かけます。不安定な座り位置は、ますますアリスの我慢を辛くさせました。
 アリスはもう二度とヤマネの機嫌をそこねたくなかったので、とても用心してきりだしました。
「ええと、良くわからないんだけど、その“いなか”姉妹って、どこから糖蜜をかいたの?」
「それは決まっているだろう、自明だ。水の井戸から水を掻きだすのと同じことさ。……糖蜜の井戸だから、糖蜜を掻い出すことは簡単だ。この程度のことはわかっていただかないと困るね」
 馬鹿にするような口調に、アリスはむっとしながらもヤマネにたずねます。
「でも、そのいなか姉妹たちって、井戸の中にいたんでしょ?」
「そうそう。ふわぁ……だから井中(いなか)姉妹」
 その答えに、アリスはすっかり意味が分からなくなってしまいました。アリスが黙り込んでしまったのをみて、ヤマネはあくびをしながら、目を擦ってお話を続けようとします。
「この子たちはお絵かきを習っていて……いろんなものをかきました――“まみむめもで”はじまるものならなんでも――」
「あの、どうしてまみむめもなの?」
「ふわぁ……んぅ。いけないかい?」
「いけなくは、ないけど……」
 アリスはどんどんおトイレに行きたくなってしまい、考えているのがだんだん億劫になってしまっていました。椅子から半分、身体を乗り出すようにして、しきりに腰をよじり、お尻をもぞもぞと動かして、いっときもじっとしていられません。
 時折、ぎゅっとスカートの上から脚の間を押さえてしまい、ありすは小さくはぁ、はあ、と息を荒くします。
 けれど――ヤマネはと言えば、まるで今にも眠り込んでしまいそうに、両目を閉じてかくりかくりと舟をこぎ始めていました。帽子屋にお尻をつねられて一度は飛び起き、目を開けたヤマネですが、またすぐにうつらうつらと顔を揺らし始めます。
「――ふああぁ……“まみむめも”で始まるものならなんでも――。たとえば『まんじゅう』とか『みらい』とか。……『むずかし』とか『めんどう』とか。ふわぁ……『もう』とか――ほら、『もうたくさん』って言うよね」
 アリスのほうを見るように、顔を上げて。ヤマネが言います。
「ねえ君、『もう』の絵なんて見たことある?」
「ええっと……? その、そんなこと言われても……わたしだって、そんなこと……」
 アリスは、いつのまにかヤマネのお話を聞き漏らしていたのかと疑いましたが――じっさい、ヤマネのお話はあまりにもめちゃくちゃで、アリスはすっかり頭をこんがらかせてしまっていました。
「そんなの、いままで考えたこともないし――」
「ふむ、では黙っていることかね」
 と、帽子屋が偉そうに胸を張ります。
 この無礼さ加減には、さすがにもうアリスはがまんできませんでした。
「もう、いいわよっ!! お話もお茶会ももうたくさん!!」
 アリスは目の前のティーカップを掴むと、腹立ち紛れにぐいと飲み干し、空になったカップをがちゃんとテーブルに叩きつけます。一気に飲みすぎたものですからアリスはたまらずに顔をしかめ、けれどしっかりと、3人のほうを見て言います。
「道も教えてくれないで、わけのわからないことばっかり!! 付き合ってられないわ!!」
 そういいと、アリスはぷいと3人に背を向けて、大股で歩き出しました。
 3人は、最初ぽかんとアリスを見つめていたのですが、ヤマネはすぐに眠り始めてしまい、残る帽子屋も、三月ウサギもまるきりアリスのことは気にしないふうにお茶会を再開しようとします。
 アリスのほうは、こっそり後ろを振り向いて、誰かが戻ってこいと言わないかなと思っていたのでしたが――三月ウサギがいやらしそうにアリスのお尻を見ていたのに気づいて、アリスは慌ててその場を走り出します。
 さて、帽子屋はと言えば、さっきまでの態度もどこへやら、ヤマネをお茶のポットにおしこもうとするのに一生懸命でした。
「はあ……もう知らないわよ、二度とあんな所にはいかないわ!!」
 アリスは、森の中の道を進みながらひとりで言います。
 せっかく、道を教えてもらおうとおもって、せいいっぱい礼儀正しくしたのに、彼らときたらまるでアリスのことなんて気にしていないようでしたから。
「これまでの人生の中で、いちばんばかばかしいお茶会だったわ!」
 けれど。しばらく進むうち、憤慨していたのがだんだんおさまってくると、アリスは少しずつ姿勢を前屈みに、脚も内股に、ぎゅうっとスカートの前を押さえる恥ずかしい格好になってしまいます。
「……うぅ……もぉ、っ……?」
 そうです。そもそも、アリスは白ウサギの走って行ったほうを教えてもらおうとしたのも、おしっこに行きたいからなのです。それなのにまるで当てをなくしてしまい、アリスはいよいよ弱ってしまいます。
 けれどその時。アリスは森の木の中にひとつ、中に入れるような扉が付いているの気がつきました。
「ヘンなの……ううん、でも今日って、なにもかもヘンよね。だからこれもきっと、なんとかなるわ。入っちゃいましょう」
 アリスはそっとおなかを押さえながら、ドアを開けます。
 ふと目の前がくらりと揺れる気がして――気がつくと、アリスはまたもやあの長い白黒の廊下にいました。近くにはあの小さなガラスのテーブルもあります。
 どうやら、最初の場所に戻ってきたようでした。
「ほら見なさい。なんとかなるものよ。……じゃあ、こんどはもっとうまくやらなくちゃ!!」
 アリスはそうつぶやくと、まず小さな金色の鍵を手にとって、お庭につづくとびらの鍵をあけました。それからポケットに入れておいたキノコのかけらをちょっとずつかじり、身長が三〇センチくらいになるまで慎重に調整をしました。
 そうして、とうとうアリスは、あの金色のカギの扉の奥に見えた、あの噴水と花壇のあるお庭の、一番奥にあったおトイレの前にやってきたのでした――。
 (初出:書き下ろし)

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