世界を救う勇者一行

「……ねえ、勇者様まだ戻ってこないの?」
「うん……まだみたい」
 ここはアマルカンドの西、黄金のカギの洞窟の地下3階。
 魔王を倒し世界を救うべく旅を続ける勇者一行――その一員である戦士、僧侶、魔法使いの3人は、顔を寄せ合って勇者の様子をじっと窺っていた。
 パーティの先頭を歩いていた勇者が、洞窟の攻略中にいきなり動かなくなってしまってはや1時間。
 勇者の頭上には、神の天啓(コマンド)を受け取るためのメニューウィンドウが開きっぱなしになり、いまも『しらべる』の真横で白いカーソルが点滅を繰り返している。
「……ね、ねえ、戦士ちゃん……ぁの、ボク…もう……っ」
 3人の中で一番背の低い、年下の魔法使いがそわそわと杖を握りしめ、釣り目気味の目元を不安げに揺らして唇を震わせる。いつもは元気に口元から覗くチャームポイントの八重歯も、いまは引き結ばれた唇に隠れていた。
「そんな顔しないでよっ、あ、あたしだってさあ……」
 魔法使いにすがりつくような視線を送られ、戦士も落ち付きなく、鋲を打った革靴の爪先を地面にこすりつけてしまう。
 スタイルの良い身体を包む、露出の多い鎧の下、もぞもぞとスパッツの太腿を擦り合わせて、戦士もまた小刻みに足踏みを繰り返していた。
「…………」
「………………」
 魔法使いと視線を合わせ、戦士はしばしの逡巡ののち、あーっ、と声を荒げて頭を掻き毟った。
「なあ、あたしたち、やっぱちょっと――」
「だめですよっ! もし勇者様が戻ってきたらどうするんですか!?」
 機嫌を伺うような申し出をバッサリと切り捨てて、僧侶は眉を逆立て、二人の前に立ちふさがった。
 そんな彼女も、いまや法衣の前を大胆にぎゅっと握り締めていた。穏やかな笑顔で人々に神の慈愛を説く唇も、小さく噛みしめられている。しかし、彼女は神への祈りを小さくつぶやいて気を取り直し、
「ここに4人揃ってなかったらどうなるか……判ってるでしょう…?!」
「で、でもさ……」
「そうだよ、お姉ちゃん……ボクも、もう、げんかい……っ」
「やめてください……そんな目で見られても困りますっ。わ、私だって……」
 そうやって二人からまっすぐに、強い欲求を込められて言われてしまえば、僧侶だってたじろがざるを得なかった。
「…………」
「…………」
「…………」
 3人は再び、視線を揃えて勇者の背中を見つめた。
 勇者は相変わらず、洞窟の通路の真ん中に直立不動で突っ立ったまま、まるで動く気配がない。いつも通りの意思を感じさせない表情も、『ガンガンいこうぜ』『めいれいさせろ』と作戦を下す時以外には『はい』『いいえ』しか喋らない寡黙な口元も、中途半端に開いたまま、まるで時間が停止したみたいに止まっている。
 途絶えることなく勇者へと下され続ける神様の天啓(コマンド)は一体どうなっているのだろうか。どこかへ行ってしまった勇者の帰りを待ち、これまで3人はじっと辛抱強く待機を続けてきた。
 しかし、そんな彼女たちの我慢もいよいよ限界を迎えようとしていたのだ。
 何もすることのない時間はただでさえ長く感じられる上に、彼女達は今、それぞれに切迫した理由を抱えている。フィールドマップでなら何十日にも匹敵する1時間は、辛抱強い少女達の我慢を失わせるのには十分すぎるほどだった。
「もうっ……勇者様ってば、人の気も知らないで……っ」
「そうよっ、レアアイテム出るまで粘るのもいいけど、もう……本当にヤバいんだから…、早く戻ってきなさいよぉ……」
 珍しく語気を荒げる僧侶に、戦士も思わず文句を重ねる。
 もし予定通り探索を続けていれば、今頃はそろそろHPもMPも心許なくなって、洞窟を脱出、町に向かっていたはずなのだ。
 それなら、どれほど良かったことか。
「……っ……」
 すっかり予定を狂わされてしまった3人は、ひんやりとした空気の満ちる洞窟の壁際に寄り添うようにして集まり、仲良く揃って前かがみ。
 太腿をこすり合わせ、足踏みを繰り返し、しきりに腰を揺すっている。
「っ……」
「んぅ……ぁ……」
「っは……くぅ……」
 もぞもぞと、洞窟の岩壁に手を当て、揃って下腹部をかばうような前傾姿勢は、はっきりと彼女達の切実な欲求を知らせていた。
「「「…おトイレ……っ!!」」」」
 暗い洞窟の、休む場もない地下三階で。
 3人の身体の内に膨らむ尿意はますます高まるばかりだった。
「い、いつまでかかるのかな、勇者様……? ……ボク、もうっ、が、我慢っ、できないよぉ……!! は、はやく、おトイレ……ぇっ!!」
 魔法使いが、舌足らずな声で熱っぽい喘ぎをこぼす。一番年下である彼女はまだ、ぎりぎり、人前でそれを口にすることをためらわない年代だった。もっとも、その顔は羞恥に赤く染まっている。
 いくら言うことができても、はっきりとトイレの欲求を露わにすることが、乙女として苦痛でないわけがない。
 戦士も僧侶も、はっきり口に出してはいないが思うことはまったく同じだった。3人とも、世界を救う勇者の一行とはいえ、その前に年頃の女の子なのだ。いくらオシッコがしたくても、こんな地下の底、天然洞窟のダンジョンの中ではどうにもならない。
「ね、ねえ、やっぱりちょっと行って来ちゃわない? …ね? ほら、勇者の奴がもどって来るまで、たぶんまだかかるわよ。それまでにトイレ済ませちゃって、また戻ってくればわからないからさあ――」
「だ、だから!! それで間に合わなかったらどうするんですか? いきなり勇者様だけになってるのに気付かれたら、いったいどうなるか判りませんよ!?
 それに、今は4人いるから魔物も襲ってきませんけど、その、……お手洗いの時に、ひとりだけになったら……」
 神様からの展開を受け取るためのメニューウィンドウが開いている間は、魔物が不意を打って勇者一行を襲ってくることはないという協定がある。
 しかし、画面の外でコントローラーを持つ神様が動きを見せず、勇者がパーティに不在状態となっているいま、彼女達がモニタから見える範囲を外れてしまったとき、果たして本当にそれが守られるのか、戦士たちには知る由もない。
 いつもは戦闘画面に収まる適当な数に分かれて、順番に襲ってくることになっている魔物たちが、もし波打って襲いかかってきたら――その光景を想像し、戦士は思わず息をのむ。
 今にも漏らしてしまいそうなオシッコを我慢しながらのよちよち歩きでは、満足に武器も振るえないし、震える唇では呪文だって唱えられない。そんな状態で魔物の群れを切り開いて進んでゆくなんて、絶対に不可能だった。
「でも、勇者様が戻ってきたらさ、きっと……まだまだずっとこの洞窟の中、調べようって……言うとおもうよ?」
「それは……っ」
 魔法使いが泣きそうになりながらそう言えば、僧侶も口籠ってしまうしかなかった。彼女も、自分たちの我慢が、そう続かないことは悟っているのだ。
 3人とも女の子のステータスウインドウはまっ黄色に異常を示し、乙女のプライドの残りHPはこうしている間にもどんどんと減り続けている。前押さえや膝を擦り合わせるだけでは時間稼ぎにもならないだろう。
 いまや、本物のステータスにまで状態異常となって表示され、影響を及ぼしかねない有様なのだ。
「……も、もぉやだよぉ……ちゃ、ちゃんとしたおトイレ……行きたいよぉ……っ…んぁん……っ」
 魔法使いはとうとう杖を跨ぐようにして、脚の付け根に押し付けて、ぐりぐりと腰を動かし始めてしまう。
 まるで登り棒に捕まるように、杖をスカートの上からぐいぐいとあそこに押し当てるはしたない格好に尿意を呼び覚まされ、思わず戦士と僧侶も腰の揺れを大きくしてしまう。
 まだあどけなさを残す魔法使いだからこそ許さるしぐさであったが、戦士も僧侶も、同じようにぎゅうぎゅうと脚の付け根を押さえつけたいのは変わらなかった。
「んぁ……っ」
 この世を支配せんとたくらむ魔王の四天王をうち2人までを倒し、いまや世界有数の強さまでレベルアップした勇者一行だが、ちからやすばやさがいくら高くなっても、乙女のオシッコ我慢のパラメータはLv1のままなのだ。
 ……いや、冒険に出てからいくぶん、レベルが上がったことは否定できない。しかし、いくら我慢強くなったところで何日も何日も、宿屋にも泊まらずに洞窟に潜り、フィールドを歩き、トイレタイムすらなしに冒険を続けるなんてことは、非常識でしかない。
「で、でも……じゃあ、まさか、ここで……?」
「やめてよ、そんな、無理に決まってるじゃないっ……」
 たとえ、ともに旅をする仲間であっても。みんなの見ている前で、モニタに映っている最中に、トイレを済ませるなんてできるわけがない。
 そもそもモニタの外では、コントローラーを通じて勇者に繋がっている神様以外にも、誰が彼女達を見張っていたっておかしくないのだ。
 しゃがみ込んだ足元から、洞窟の床一面に大きく広がるほかほか湯気の水たまり――そんなものを見られたら。恐ろしい想像に、3人は身を震わせた。
 魔法使いがたまらずに悲鳴を上げる。
「そんなの、恥ずかしくて死んじゃうよぉっ!!」
 そして残酷なことに、たとえそれを恥じて命を投げ出したとしても、勇者一行であるかぎり、教会ですぐに蘇生させられてしまうのだった。
「そ、そもそもさ。勇者ってば、自分だけ男のくせに女の子3人のパーティなんか組ませてるのがおかしいのよね……」
「下心、丸見えですよね……申し訳ないですけど」
「……うん。勇者様、いつもボクのこと、えっちな目で見てるんだよ……この前なんか、一緒にお風呂入ろうって……ボク、そんなに子供じゃないのに……」
 涙ぐむ魔法使いの気持は手に取るようによく分かる。戦士も僧侶も、悲痛な面持ちで溜息をついた。着替えやお風呂を覗かれたことは一度や二度ではない。
 年齢問わず、女の子とみれば欲望丸出しのスケベ勇者には、3人ともほとほと手を焼いていたのだった。
「それでいて、妙なところでヘタレで紳士ぶってるんだから……っ」
 本当にタチの悪い犯罪者なら、勇者失格だと叩きのめしてしまう事も、王様に言いつけて勇者をクビにしてもらうことも出来るのだが、半端に勇者としての使命や正義感も持ち合わせているのが、なおさら厄介なのだった。
 そして今、世界の危機よりも切実な事態が、彼女達の下腹部に押し寄せてくる
「ぁっ……ぁあんっ……」
 いつも物腰柔らかでおしとやかな僧侶が、頬を染め、甘く声を掠れさせて法衣の前を握りしめる。
「んぅ……っ」
 同性・異性を問わず頼りにされる、力強く勇敢な戦士も、いまはすっかり女の子の顔で何度も足を交差させる。
「だ、だめぇ……」
 幼くして天賦の才を持ち、いくつもの呪文を巧みに操る魔法使いのくちびるは、青ざめて小さく震えるばかり。
 必死に身をよじり、腰をクネらせながら耐え続ける3人は、棒立ちになったままの勇者の背中をじっと、穴があくほどに睨んでいた。
「それに、そもそも今日だってさ、勇者のやつが悪いんじゃないっ。あいついっつも宿代けちって回復の泉にしか行かないんだから……だから、こんな、我慢する羽目になっちゃうのよ…!!」
「う……うぅ……っ」
 彼女達はもうここ何日も、まともな宿屋に近づいてすらいなかった。
 セーブのためにお城に行くか、武器やと道具屋、預り所に立ち寄るくらいだ。宿屋の前はゴールドの節約のためと通り過ぎるばかり。
 だから、戦士も僧侶も魔法使いも、ちゃんとした宿屋のお手洗いを使うことすら、もう一ヶ月近くも許されていなかった。
 回復の泉では確かにHP、MPは全快になるものの、まさか多くの旅人が利用するそこで、女の子の恥ずかしい水が溜まった下腹部を空っぽにすることができるはずもない。
「っ、ねえ、もし、もし、だよ? もしこの前みたいに、洞窟の中で、セーブされちゃったら…ボクたち、また、ここで……っ」
「や、やめてよ、そんなこと言うの……!!」
 お城に戻ってセーブされれば、ゲームが再開されるまでの間にこっそり酒場に帰って一息つくことだってできる。お風呂に入ったり、遊んだり、トイレに行くのだって簡単だ。
 しかし、もし万が一、洞窟の中でセーブされてしまっては、いよいよ彼女達は覚悟を決めるしかない。
 洞窟の一角、奥まった行き止まりにしゃがみ込んで。
 我慢に我慢を重ねた結果、はちきれんばかりにおなかをたぷたぷと満たした女の子の水流が、噴水のように恥ずかしい飛沫をあげて足元に飛び散る恥辱に耐えなければならないのだ。
 もし、力及ばずそんな結果になってしまったら……
 魔物すら寄せ付けぬであろう乙女の“聖水”が、たっぷり我慢に我慢し続けた3人分、洞窟の地面いっぱいにびちゃびちゃと捲き散らされてゆく光景を思い描き、3人はそろって顔を真っ赤にしてしまう。
「もう、嫌です、あんなの……っ」
 一番気丈なはずの僧侶が、とうとう悲鳴を上げて顔を覆う。
 彼女達がそうした緊急避難を強いられたことは、これまでにも何度かあった。神に仕える彼女は、自分の身体から迸らせた恥ずかしい水流で、往来を汚してしまうことに何よりも傷ついていたのだ。
「ボクだって、やだよぅ……っ」
「……っ、ホントに、はやくしてよね……ばか勇者っ……」
 しかし、いくら急いたところで、彼女達に出来るのは、きつく腰をよじり、足の付け根を握り締めて、ただ勇者の帰りを待つことだけだった。
 何を言おうと、こうしてゲームが動いている最中は、イベントでもない以上勝手にどこかに行くことは許されない。
「んぁ……んっ……」
「うぅ…っ、はぁあ……っ」
「ぁ、あっ、あ……ぁっ……」
 だから3人はただ、いつ勇者が戻ってくるか分からないまま、必死に心を奮い立たせて、時間が過ぎてゆくのを待たなくてはいけなかった。
 いつまでも、いつまでも。
 ▼
 ゲームを続けますか?
   はい
 ニア いいえ
 (初出:ある趣味@JBBS 永久我慢の円舞曲2 2010/07/13 190-202 改訂 2010/10/27)

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