梅雨の晴れ間の空は、見事なほどに雲ひとつなく晴れ渡っていた。
待ちに待った校外学習の日。5年4組の27人を乗せたバスは、県境近くにあるパン工場を目指して走る。
身近な産業に触れ、体験することで見聞を広め広い視野を養う――そんな名目もどこへやら、車内はすっかり遠足気分。担任教諭も苦笑しながらそれを見つめていた。
それは由姫も例外ではない。
(えへへ……トモくんと同じ班だ……)
浮かれ気分で、頬は朝から緩みっぱなし。通路を挟んだ隣の座席をちらちらと窺っては、きゃあーっと頬を押さえてにやにや笑いを繰り返している。不審げにそれを見ている佐奈や愛佳の視線や、ひそひそ話にも気付く様子はない。
大好きな智哉と同じ班になれたことで、由姫はすっかり天にも昇る心地だったのだ。
(神様、ありがとうございますっ!!)
しかも、班だけでなく座る席まですぐ隣だ。これを喜ばずして何を喜べというのだろう。これまで席替えでも一緒になれなかった智哉が、すぐ近くにいる。それだけでもう由姫は世界の全てに感謝したい気持ちでいっぱいだった。
眠いのを我慢して一週間続けたおまじないの効果もあったのだろうかと、由姫はもう一度胸の中で『ありがとうございます』を繰り返す。
朝からずっとこんな様子だから、由姫は友達から声を掛けられても上の空。先生の注意もほとんど聞き流していた。
『――いいな、途中でトイレ休憩はないから、必ずトイレに行っておくように』
班決め、席決めが終わって以来、すっかり舞い上がって、朝起きてからトイレに行くのも忘れている由姫の耳を、とても大事な忠告が通り過ぎてゆく。
それが悲劇の始まりになるとも、気づかないままに。
(うぅ…お、おトイレ……おトイレ行きたいよぉ…っ)
バスが出発して30分もすると由姫はすっかり落ち着きを失くしていた。
既に我慢は真っ最中の最高潮。浮かれ気分もどこへやら、由姫はシートの上でもじもじと可愛い太腿を擦り合わせ、落ち着きなく腰を揺する。
ちらりと見上げた運転席横のデジタル時計は、9時55分を指していた。
到着まではあと30分。目的地までの道のりは順調で、予定よりも早いくらいだったが、もはや由姫の我慢は限界までのカウントダウンを始めようとしている。
(…ぅぅう~…ッ、……先生のバカ…なんでトイレ休憩、してくれないの…!?)
完全に自業自得なのを棚に上げて、由姫は担任教諭の背中を睨んだ。
校外学習とは言え、工場までは片道1時間。普段の50分授業とさして変わらない時間であり、それくらいならわざわざ途中にトイレ休憩を設けないのは至極まっとうな判断であろう。
しかし、由姫にはそうはいかない。何しろ朝から一度もトイレに行っていないのだ。昨日の夜から溜まり続けたおしっこで膀胱はぱんぱんに膨らみ、今にも弾けてしまいそうにじんじんと脚の付け根が疼いている。
高まった尿意はちくちくと鈍い痛みすら感じさせるほどで、普段ならなんてことないはずの「あと30分」が、果てしなく遠かった。
(が、我慢しなきゃ……トモ君が一緒に居るんだから……!!)
本当なら、形振り構わずぎゅうぎゅうと股間を握り締めてしまいたい。
けれど憧れの相手の前で、惨めな思いはしたくないその一心で、由姫は表向きの平静を取り繕おうと必死だった。
気付かれないようにきつく脚を交差させ、スカートの下ですりすりと太腿を擦り合わせる。じんじんと響く尿意を和らげるため、そっと下腹部をさする。
はあはあと楽な呼吸を探しながら、油断するとぷくっと膨らみそうになるおしっこの出口を、懸命になって締め付けていた。
(……ぅうっ……がまん、しなきゃ……)
少しでも気を紛らわそうと、由姫が隣を見れば。
そこには顔を真っ青にしたクラスメイトの姿があった。
前屈みになり、唇をきつく引き結んで、もじもじと腰をシートの上で前後に動かすその姿。それは全部、一生懸命おしっこを我慢している時のしぐさだ。
(美穂ちゃんも……?)
思わぬところに『仲間』を見つけて驚いた由姫は、これ幸いとばかりその脇をつついた。
「……ねえねえ美穂ちゃんっ、美穂ちゃんっ」
「え……?」
「美穂ちゃんもトイレ?」
「…………由姫、ちゃんも?」
小さな声で答える美穂に、由姫はそうだよぉ、と困った顔をしてみせる。
「先生、バス停めてくれないかなあ……あーもう、やばいよぉ……漏れちゃうぅ……」
「…………」
由姫の囁きに、美穂は答えずに俯いて、顔を赤くした。
美穂はクラスの中でも大人しい方で、どちらかと言えば引っ込み思案なところがあった。大事な事を言い出せずに集合に遅れたり、気の強い女子から掃除当番なんかを押し付けられることも少なくない。
そんな美穂が、バスの並び順で由姫の奥の席に座ってしまったことが不運だったのかもしれない。バスに乗る前から尿意を催していた美穂だが、何度か声をかけても反応しない由姫に遠慮してしまい、せっかくの先生の忠告にもトイレに立つことができなかったのだ。
「美穂ちゃん、どう? 我慢できそう?」
「…………」
「あとどれくらいあるのかなぁ……」
「……………………」
そんな事情は思いもよらず、由姫はすっかり美穂のことをトイレに行きそびれた『仲間』だと思い込んでいた。
だから『一緒に我慢しようね』と励まし合うつもりで馴れ馴れしく話し掛けたのである。
しかし、美穂からは思うような反応はなかった。
(……あーもう……なんか喋ってよぉ……っ)
内心『なんなの、この子?』と思いつつも、由姫もそれほど他人のことを気にしている余裕はない。
(……うぅー……まだ? まだ着かないのっ?)
焦って何度時計を見ても、時刻を示す4ケタのデジタル数字はもどかしいくらいに進まなかった。
バスががたんと揺れると同時、下腹部にぴくんと走るイケナイ衝撃に、由姫は「あうっ」と小さく悲鳴を上げ、両膝を抱えて胸にくっつけるように身体を丸める。
「んぅ……っ」
ぎゅっと目をつぶり、口を噤んでなんとか大波をやり過ごす由姫。到着まではあと25分。こんな調子で目的地まで我慢がもつとは、由姫自身にも思えなかった。行き場を失くして閉じ込められたおしっこは、服の上からでも解るくらいに下腹部をぱんぱんに膨らませている。
(でもでもっ、トモ君がいるのに、おトイレ行きたいですなんて言えないよぉ……っ!!)
この期に及んでも、女の子のプライドが邪魔をする。もう5年生の由姫が、憧れの男子の前で幼稚園生みたいな事が言えるはずもないのだ。シャツの上からぎゅうっとお股を押さえ込み、由姫は小さく荒い息を繰り返す。
目の前に迫る絶体絶命の危機。
しかしその時。由姫の脳裏にふと、絶好のアイディアがひらめいた。
(あ、そうだ……!!)
素早く隣の座席を振り返る由姫。そこでは相変わらず美穂が必死の我慢を続けている。仕草こそ控えめだが、彼女もまた孤独に限界ぎりぎりの尿意と戦っていたのだ。
「ねえねえ、美穂ちゃん、大丈夫っ?」
「っ……!?」
これ幸いと、由姫は美穂の耳元にそっと囁いた。いきなりのことに美穂はぴくんっ、と背筋を跳ねさせ、大きく目を見開く。
ぷるぷると唇を震わせ、美穂は辛そうに脚の付け根を押さえつけ、わずかに視線を険しくして由姫の方を見た。
「んっ……」
その目元には涙が浮かび、座席の上では内股になった脚が激しく擦り合わされている。由姫が余計な事をしたせいで、少しチビってしまったらしい。
もう喋る余裕もない美穂に、由姫は手応えありと身を乗り出す。
「ねえ美穂ちゃん、我慢できないなら、先生に言った方がいいよ。……ね?」
「…………っ」
はっきりと言われ、美穂の目元にさらに涙が滲む。
(これなら、トモ君にも気付かれないし……美穂ちゃんだっておトイレに行けるもんね。わたしってば頭いい!!)
これが由姫の“作戦”だった。
美穂に我慢できないと手を上げさせ、バスを止めて臨時のトイレ休憩を作り上げ、それに付き添うふりをしてちゃっかりおしっこを済ませてしまおうというのだ。
(……それにそれに、トモ君にも優しい子だって思ってもらえちゃうかも!!)
自分のことは顧みもせず、勝手な想像まで付け足す身勝手さで、由姫は美穂にギブアップを促す。
「…………、っ」
しかし、美穂は涙を浮かべたまま、小さくふるふると首を振った。
実は由姫と違って、美穂はバスが着くまでなんとか我慢を続けるつもりだった。
5年生にもなって、トイレが我慢できずにバスを止めてしまうなんて、オモラシと同じかそれ以上に恥ずかしいことだ。出発前にトイレを言いだせなかった気弱な美穂に、そんな事ができようはずもない。
それを由姫に『もう我慢できないんでしょ?』とあからさまに言われてしまえば、懸命に耐えようとしていた心は激しく動揺し、ぐらついてしまうのは当然だった。
「ねえ、美穂ちゃん、無理しちゃだめだよ。そんなに我慢してるのに……ほら、すぐオモラシしちゃうよ? 恥ずかしくてもちゃんと言わなきゃ。そうだよねっ?」
自分も下半身を忙しなくモジ付かせているのを棚に上げ、由姫はさらに美穂に迫った。だが、由姫も切羽詰まって形振り構っていられないから当然とはいえ、そうして強引な態度に出ることは却って逆効果なのだ。
人一倍繊細な羞恥心を『おトイレ我慢できないでしょ?』『漏らしちゃうよ?』と煽られて、美穂はますます俯き、顔を赤くして何もできなくなってしまう。
そんな美穂を見て、由姫は焦れ出した。
(……もうっっ、美穂ちゃんってば、そんなに我慢してるくせにっ……!! くぅう…っ、は、早くしなきゃ間に合わなくなっちゃうのに……っ!!)
バスが黄信号に従って減速し、交差点の前で停車する。
ぞわぞわと背筋に這い上がるむず痒い感覚に身体をよじりながら、由姫は手を伸ばし、無理やり美穂の手を掴んだ。嫌がる美穂を無視して強引に手を上げさせようと、力を込める。
「ほら、先生に言わなきゃっ……」
「ぁ……!! ぃや、……っ、だ、だめぇ……!!」
絞り出すような叫びと共に、美穂の座るシートの位置で『しゅううっ』と勢いのいい水流の音が響く。両手の力も使ってぎりぎり拮抗していた尿意と我慢の力が、一気に崩壊へと傾いてしまったのだ。
「あっ、あ。あ……っ」
スカートを握り押さえた指の奥で、じゅうぅぅうっ、ぶしゅううぅっ、と女の子らしからぬ豪快な放水音が響き、びちゃびちゃと床に水流が溢れ落ちてゆく。
美穂のスカートにはたちまち大きな染みが広がり、さらに勢いよく水音が増した。
「うわ……!? なにやってんだよ田辺!?」
目聡くそれに気付いた男子が声を上げた。5年生にもなってのバスの中でのオモラシという異常事態に、たちまち喧騒が沸き起こる。周囲の視線が美穂の席へと集中し、ざわざわと声が渦を巻きはじめた。
「おい、どうした?」
先生までもが騒ぎを聞き付けてやってくる。無論、由姫の憧れの相手も例外ではない。
「汚ねー。なにションベン漏らしてんだよ」
「便所ぐらい行けよなぁ。ガキじゃないんだから」
「……っ、………っ」
心ない言葉に、俯いたまま涙をこぼす美穂。
だが――その隣でいよいよ追い詰められてしまったのは他でもない、由姫だ。
「……ぁ、も、もうっ。……さ、美穂ちゃんってば、だから、言ったのにっ……が、我慢できないなら、ちゃんと、言わなきゃ、……だ、ダメじゃないっ……」
集まる視線の中、慌てて両手をスカートの上からどけ、由姫は咄嗟に言い繕おうとする。だが、その腰はゆらゆらと揺れ動き、脚はさっきから何度もきつく交差されて激しくすりすりと擦り合わされる。
あんな非常識な方法でバスを停めさせようとしていたくらいだ。由姫ももはや我慢の限界だった。
(あっ、あ、だめ、だめっ、出ちゃう!! 漏れちゃうっ…!!)
おしっこの出口にじくんと鈍い痛みが走ったかと思うと、じわあ、と下着の奥に熱い者が滲みだす。じゅわじゅわと染み出すおチビりとともに、途方もない解放感がせり上がってくる。我慢に疲れ切った下半身は、それに抗うにはもはや無力だった。
床には一面に美穂のオシッコが水たまりを作り、すぐ隣では、今なおクラスメイトが出しきれていないおしっこを断続的に漏らし続けているのだ。
この状況でなおも我慢を続ける気力など、由姫に残っていようはずもなかった。
「せ、先生、っ、美穂ちゃんが、お、おしっこ、我慢、できないって……っ」
(だめ、がっ、我慢、我慢しなきゃ……っ、と、トモ君、見てるんだからっ…お、オモラシ、なんかダメ、だめ、ぁあ、ああっ……)
耐え難い尿意に、前屈みになって立ちあがってしまった腰がかくかくと前後に揺れ、脚の付け根に挟んだ手のひらの奥で、しゅるしゅると恥ずかしい水流が音を響かせる。
「んあ、っ、せ、先生、美穂ちゃん、おトイレに、連れて行っても、……、んっ、んんんッ~~……っ!!」
もはやそれがバスを止める理由にはならないことにも思い至らず、由姫は先生にトイレ休憩を訴えようとする。
そんな由姫の姿こそが、間違えようもなく、オシッコを我慢する女の子そのものだ。
ぴちゃ、と由姫の靴の先が美穂のオシッコで出来た水溜まりを跳ねさせたかと思った瞬間、青信号を迎えたバスがゆっくりと動き出した。
「っあ、んぅ、んッん……っ」
バランスを崩しかけた由姫のスカートを、どういう具合か美穂の腕が掴む。
倒れそうな由姫を支えようとしたのか、立とうとしたのを引き留めたのか、あるいはせめてもの抗議だったか。いずれにせよそれが最後のきっかけだった。
「っあ、あ、やだ、やだやだやだぁあ……っ、だめ、だめえぇ、オシッコ……っ、でちゃう……っ!!」
そう叫ぶのが精いっぱい。
前の座席の背もたれに寄り掛かって、後ろに突き出したおしり。
美穂に掴まれてめくれたスカートの下で、バックプリントの下着の股間から後方にかけてが黄色く染まり、太腿の間をしゅるしゅると幾筋もの水流が流れ落ち始める。
それだけでは飽き足らず、股間の中心からさらに激しい勢いで水流が噴射された。真っ直ぐに床に向けて叩きつけられる水流は、下着越しとは思えない勢いで足元を直撃し、じゃごぉーーっ、と激しい音を響かせる。
「うわあああ!? 本間もかよっ」
「くっせー……」
朝から我慢していたこともあって、色も匂いも、美穂のものよりも遥かに濃い。しかもかなりの量が座席シートに染み込んだ美穂とは違って、おなかの中に溜め込んでいた恥ずかしい液体は全部床の上にぶちまけられているのだ。
量もその音も、女の子がするにはあまりにも恥ずかしくはしたない排泄姿だった。
「や、やだっ、違うの、これは違うのっ、……が、我慢できなかったの、美穂ちゃん、なんだから……わたしは、違うんだからぁっ……、わ、わたし、ちゃ、ちゃんと、トイレ、いけるもんっ……」
この期に及んでも『トモ君』のために意地を張り、惨めな言い訳をする由姫に、冷やかな視線が集まる。
担任教諭も言葉を失い、呆れた表情で額を覆う。たとえ引率の荷物に替えのパンツがあったところで、服をびしょ濡れにしてしまった生徒が二人も出ては、着替えるものなどない。
しかもこのまま少なくともあと20分は、バスは走り続けなければならないのだ。掃除をしようにも道具は不十分で、立ちこめるおしっこの匂いと、床を広がる水たまりに、クラスメイト達は悲鳴を上げ、軽蔑の視線を向ける。
「ぅ、ちがうの、ちがうのにぃ……」
なおも足元の水たまりを広げ続ける由姫は、壊れたようにおなじ台詞だけを繰り返していた。
(初出:書き下ろし)
校外学習のバスの話
