昔どこかのスレでこんなネタを読んだ気がする。
「は……んん…ッ……」
掠れた吐息を無理やり飲み込むような、熱を持った喘ぎ声が、冷え切った室内に響く。
少女が小さく肩を震わせ、身をよじるのに合わせて、ゴム底の上履きが濡れたタイルの上を擦り、耳障りな音を反響させた。
薄暗い女子トイレの中には、6名ほどの少女達の姿があった。手に手に掃除用具――デッキブラシやモップ、使い古された雑巾を持ったその姿から、
少女達の服装は、前時代的な体操服――昨今では出来の悪いコスプレAVくらいでしか目にすることのなくなった、ゼッケン付きの体操服に紺のブルマである。思春期の最中にある少女たちにとって、下着姿よりも羞恥心を刺激する服装だろう。
外気温5℃を切る真冬のこの季節、とても相応しいとは言えない姿こそが、この場での『正装』なのである。
「や、ぁ……ぅ……っ」
幼い表情を羞恥に曇らせ、俯いた頬を真っ赤に染めて。片手を壁について身体を支え、もう一方の手はぎゅうぎゅうと体操服の前を引っ張り下ろす。握り締めた濡れた雑巾が体操服を湿らせるのにも構わずに、まるで雑巾と一緒に服を絞っているかのようだ。
紺のブルマから伸びた健康的な素足は、寒さに鳥肌を浮かせるほど白く染まり、互いの膝を擦りつけるようにきつく閉じ合わされていた。
交互に浮く上履きのかかとが、忙しなくタイルの上を擦る。点滅を繰り返す古びた蛍光灯に照らし出された影が、大きく左右に揺れ動く。
「だ…め……、……ちゃ、う……!!」
掠れた声と共に口を開閉させた少女の脚が、ぶるぶると震えだす。
とうとう両手で脚の付け根を握り締め、少女はずるずるとその場に腰を下ろしてしまう。しゃがみ込んだ脚の付け根に、きつく両手を重ね当て、ふらふらとおしりを左右に揺り動かす。実質、下着とほぼ変わらない面積の布地しか持たないブルマの股間、深くYの字に食い込んだ脚の付け根部分は、じわじわと濃く色を変え始めていた。
「んぁ、んっ……」
「くぅ……っ」
その隣では、二人の少女達がモップを手に懸命に身体をよじっていた。床を磨く清掃の手はもう数分前から止まったまま、デッキブラシを杖のようにして、覚束ない足元を支えるので精一杯だ。
体操服の前を思い切り引っ張るようにして掴み、ブルマの股間を覆い隠すように押し当てている。少しでも人目を避けようとする羞恥心ゆえの行為だろうが、サイズぴったりの体操服でそんなことをしているため、背中側の体操服は大きくめくれ、素肌が大きく晒されてしまっている。
下半身にブルマだけを身につけたお尻は、不格好に後ろに突き出され、くねくねと左右に揺すられていた。
「んっ……ぁ……ふ…っ」
「ふぁぁ……ッ」
ぎしぎしと、床にデッキブラシが擦れる。
その向かいでは、いよいよ危なくなった少女が崩れ落ちそうな腰を支えるため、両手で握りしめたデッキブラシの柄にまたがるようにして、ぐりぐりと棒の部分を股間に押し付けていた。
登り棒で覚えたての自慰行為を試すように、少女は交差させた脚の付け根に挟んだデッキブラシの柄をぐりぐりとねじつけて、身体を上下に激しく揺すり続ける。
他を見渡しても、少女達の姿はほとんど似たようなものだった。
「っ……ぁ、く……っ」
しかし、震えて止まりそうになる指先をきつく握り締め、俯いて、お互いに声を交わすこともなく少女達は懸命に作業を続ける。
その額には薄く汗が光り、作業のつらさを物語っていた。
道徳教育の一環として、トイレ掃除をカリキュラムに取り込む学校が増えている。
衛生管理の大切さ、労働の意味を知るため――多くの場合はそんな理由であることが多いだろう。多く、風紀の乱れとは『誰かがやってくれる』という甘えによるものだ。
汚いとされる場所を自分たちの手で掃除させることで、倫理観や衛生観念を学び、責任感や自覚を育て、公共意識の向上に繋げるわけだ。
この学院では、それをさらに推し進めた試みを行っていた。
すなわち――排泄への感謝。人間として当たり前の行為を、当然の場所で出来ることへの喜びを、学ばせることだ。
昨今の、恥を恥とも思わない風紀、倫理の乱れを正すため、学院では積極的にこの実習を取り入れている。
少女達は皆、限界までトイレを我慢させられたまま、このトイレ清掃を強いられているのだった。
このトイレ清掃当番は交代制で、2週間で1度ほどの頻度でやってくる。
当番の日においては、少女達は朝からトイレを使うことが許されず、一日中我慢を強いられることになるのである。『大』の方はともかくも、尿意の方はそう簡単にはいかない。午前中には早くも数名が、午後を過ぎる頃には当番の少女達の大半が、耐え難いほどの尿意に身をよじり、制服の前を握り締め、腰をくねらせながらながら授業に臨むようになる。
そこからさらに全ての授業を終え、委員会やクラブなどの活動が終了するまで――3時間以上も焦らされて、ようやく清掃時間がはじまる。
他の生徒達が寮に引き上げ、ささやかな自由時間を楽しんでいる中、当番に当たった生徒達にはさらに地獄のような時間が待っているのだ。
清掃時間は季節によって変動もあるが、その少なくとも2時間を割ることはない。
この間、徹底的にトイレの汚れを磨きあげない限り、少女達はトイレの使用を許可されないのである。朝から塞き止められていた尿意は今や最高潮に達し、些細な刺激ですら限界を迎えるような状況だ。
そんな有様でトイレを目の前にしながら、排泄を許されない――これほどの地獄があるだろうか。いまにも猛烈な勢いで黄色い恥水を噴射させてしまいそうな排泄孔を片方の手で握りしめ、少女達は懸命に便器を磨き続けるのだ。まるで拷問にも等しい所業であった。
無論、粗相を許さないための制度も用意されている。
誰か一人でも、この清掃中にオモラシをしてしまえば、1回につき30分、さらに清掃時間は伸びる。一か所のトイレには6人が割り振られているため、最悪、最後の一人となった場合には2時間30分の延長が課されるわけだ。
さらに、清掃中にそうした不心得をしてしまったものは、反省文の提出と、翌日も再び清掃当番を続けなければならない。この間、少女たちの排泄は厳しく監視され、一切の不正は許されない。
トイレを使えることに深く感謝し、大切に、汚さないように使う事を学んでいくのである。
一見無謀とも思えるカリキュラムには、そうした意味が込められているのだという。
その効果は絶大だった。思春期の繊細な羞恥心をえぐるこの実習によって、当番となった彼女たちは文句どころか無駄口一つ叩くこともなく、床を、壁を、タイルの目地を、蹲って、背伸びをして、汚れた雑巾で一心不乱に磨き上げている。
日常生活に欠かせないものであっても、トイレ掃除に対して特別な思い入れを持っている者は少ない。その場所、衛生的な意味合いからも、トイレ掃除とは一般的に『罰』や『汚れ仕事』であって、喜んで引き受けられることは稀だ。
しかし、辛く苦しい試練の後に、ピカピカに磨き上げられた便器を跨いでするオシッコは、また格別なのだ。
我慢に我慢を重ねた果てに、少女達の下腹部をはち切れんばかりに膨らませる羞恥の熱水を、なにひとつ躊躇いなく便器の底へ向けてほとばしらせるあの瞬間の感動は、言葉にできないほどにとてつもない解放の悦びをもたらすのである。
頑張れば、いい事がある――排泄欲求という不可避の生理現象を通じて、それを直接、少女達の心と身体に叩きこむこの実習は、大きな成果を上げ、いまや社会現象へとなりつつある。
「っ……はぁ、ぁあっ……、は、ぁっ…!!」
バケツを脚元に置き、少女の一人はブルマを思い切り引っ張り上げ、脚を踏み鳴らし続けていた。紺色の布地を股間に食い込ませて、いまにも溢れそうに水圧を高め続ける出口を辛うじて塞き止めているのだ。
限界まで膨らんだ乙女の水風船に圧迫されて、排泄孔はいつ弾けてしまってもおかしくない。このままバケツの上を跨いでオシッコをしてしまいたいと言う欲求に抗いながら、直接、手で押さえてしまうこともできないほどに敏感になっている下腹部を抱えながら、少女は懸命に息を詰め、腰を震わせる。
「ぁ……ぅ……」
少女達のつぐんだ唇からは、時折、吐息と共に悩ましげな喘ぎがこぼれるばかり。掃除は遅々として進む様子はない。
時刻は7:40。
清掃時間は、あと1時間半以上も残されていた。
(初出:書き下ろし)