「うわ……混んでる……」
仮設トイレ前の混雑を目にし、真紀は思わず声を上げてしまった。
真紀は選手としてではなく、放送委員として大会の運営に関わっていた。運動会ということで体操服にこそ着替えているが、その実質は肩に羽織ったジャージの腕章が示す通り、裏方である。
市内の町内会が対抗する大会だけにその規模は大きく、下っ端の真紀も朝からあれこれと走りまわっていた。開始から3時間、ようやく時間を作ってやってきたというのに――トイレはとてもではないが並んでいられそうもないほどの大行列だったのである。
それは、単純な尿意だけの問題ではない。確かに朝から一度もトイレには行けていないが、流石にそれくらいで漏れそうになってしまうほど、真紀も我慢ができないわけでない。
「どうしよう……10分で戻らなきゃいけないのに」
問題は、大会役員としての時間の制約だった。放送委員の真紀は、大会の実況を担当していた。その出番がすぐ目前に迫っているのだ。
「……無理……だよね……」
確認するように視線を巡らせる真紀の運動靴の爪先が、グラウンドの地面を擦る。
ずらりと並んだ列は、どう控えめに見ても一番後ろに並んだ自分の番が回ってくるまで30分近くが必要となりそうだった。忙しい中、無理を言って抜け出してきた身としては許容できない時間である。
困惑している真紀を余所に、トイレの行列には次々と選手や観客たちが並んでゆく。みるみるうちに伸びてゆくトイレまでの距離を目の当たりに、真紀は思わず足踏みを強くしてしまう。
それは、真紀の思い込みというわけではないようで、
「……ねえ、こんなの待ってられないよ……。あっち行ってようか?」
「うん……でも、あんまり離れすぎちゃうと戻って来れないかもしれないし」
真紀たちのほかにも、この光景に戸惑う少女たちの姿はちらほらと見受けられた。
不安げな顔でやってきた少女たちが、仮設トイレ前の行列を見て落胆した表情を見せ、なにかを囁き交わしながら来た道を戻ってゆく。
彼女たちの目的が真紀同じだとするなら、この近くにトイレがないことは明白であった。
(……並ぶなら早くしなきゃ……でも……)
制服のスカートを押さえ、真紀は躊躇う。
プログラムの進みが思ったよりも遅れていて、リレーの予選が11時を超えてしまいそうなのだ。勢い進行には『巻き』が入り、運営側の負担は一層重いものとなっていた。プログラムの遅れを取り戻すため、予定の変更や案内などが多く指示されている。それを誤りなく連絡するのも、真紀の仕事だった。
他の委員の子たちに迷惑はかけられない。そう分かっていても、諦めて戻る気にもなれないという二律背反。困惑が巻きの足をその場に縫い止めていた。
「どうしよう……」
トイレに行けない。その事実がはっきり目の前に突きつけられることで、かえって尿意は強く感じられる気までしてくる。さっきまでそんなに辛くはなかったはずの尿意は、一気に強さを増し、真紀はそわそわと落ち着きのなくなった爪先をぐりぐりと芝生に押し付ける。
じっとしていても辛いだけだった。
「……並ぶだけでも、しておこうかな……。ひょとしたら、すぐ順番、回ってくるかもしれないし……」
自分で口にして、空々しい希望だと言うのはわかっていた。しかし敢えて無駄な事をしているという事実から目をそらし、真紀は小走りに、行列の後ろへと走り寄る。
もしかしたら、トイレができるかもしれない――。そのわずかな希望に縋って。
わずか10分足らずの間に目の前数十メートルにわたる大混雑が解消する可能性は限りなく0に近かったが、並ばなければ確実な0だ。
限りなく結末の見えた時間であるとしても、たとえかりそめであろうとも、恐らく午前中最後となるだろうこの休憩時間を『ひょっとしたら、オシッコが間に合うかもしれない』という期待で心を慰めることができるだけ、マシに思えたのだ。
「……ん……っ」
他のトイレを探そうにも、10分で見つかるかどうかは分からない。かりに見つけたとして、そこもここと同じように大行列になっている可能性が高かった。……いや、ほぼ確実といっていいだろう。大会委員でもある真紀は、この河川敷のグラウンドにトイレが乏しいことを、他の参加者たちよりも遥かに詳しく知っていた。
だから、真紀はこの列に並ぶ。恐らく10分後、辛い尿意をこらえ、後ろ髪を引かれる思いでほんのいくらか前に進んだ順番待ちの列を離れ、大会本部の放送席に戻らなければならないことを予測しながら。
離脱前提、トイレに入って用足しする事は不可能な、トイレの順番待ち――あまりにも空しい我慢の時間が、始まった。
瞬く間に10分が過ぎた。
嘘のように列がはけ、まるでモーゼの十戒のように人混みが割れて、奇跡的に真紀の前にトイレへの道ができる――なんて事はもちろん起きる筈もなく。
真紀はますます重苦しく張りつめた下腹部を抱えたまま、大会運営のテントへと戻っていた。
(……んっ……やっぱり、けっこう、したいかも……っ)
もぞもぞと動き出してしまう太腿をぎゅっと寄せ合わせ、次のプログラムの放送内容を確認する。運営のテントには忙しなくスタッフが詰めかけて、次から次へと発生するトラブルへの対応に追われていた。
例年恒例の運動会とはいえ、やはり急遽場所を変更しての開催にはいろいろと見えない無理が生じていたようで、大会会場の各地では大小様々な問題が起きていた。目下真紀が一番の懸案としているトイレのほかにも、入場退場に使う待合広場が狭く、プログラムの進行が遅れ始めていること、放送機材の一部がうまく機能しておらず、アナウンスが会場全体に届かないこと、連絡に使うレシーバーの周波域の問題で通信もうまくいかず、スタッフ間の連絡がもっぱら直接の伝言ゲームになってしまっていること、etc。
「……大変そうだね」
「うん」
テントで声を荒げている大人たちを見やり、真紀は近くの放送委員の子たちと囁き交わす。
真紀は学校の放送委員として、学外活動の一環で参加しているが、その立場はあくまで協力者、悪く言えば『お客さん』的な扱いであり、本格的な運営はあくまで町内会の大人たちによるものだ。
そのため、様々な問題については蚊帳の外であり、他の参加者と同じように適当に文句も言える、ある意味で気楽な立場だとも言えた。
しかし――
(トイレだけは、別だよっ……)
真紀も、他の少女たちにとってもそれは何よりも重大な関心事であり、他の事を後回しにしても早急に解決しなければならない問題の筈だった。
結局、真紀は時間ぎりぎりまで並ぶのを諦め、順番待ちの列が数人進んだところでトイレを後にしたのである。
およそ5分の順番待ちで前に進んだのはわずか3人分。列には既にどう少なく見積もっても20人以上が並んでおり、単純計算でも30分近くかかることが予想できた。
「……大丈夫かな……」
じん、と腰に響くむず痒さを紛らわすように脚の付け根に力を込め、真紀は小さく吐息する。深呼吸と共に下腹奥に詰まった恥ずかしい熱水の存在感ははっきりと感じられ、時間と共に高まる水圧が乙女の水風船を大きく膨らませ続けているのが、手のひら越しにもはっきりとわかる。
「ほら、そこの二人!! お喋りはやめて放送の準備して!!」
「あ、はいっ」
他の放送委員にせかせれ、真紀は慌てて作業に戻る。
そんな真紀の『大丈夫』には二つの意味があった。
ひとつは、あのトイレの大行列は、そのうちなんとか解決するのだろうかという不安。
もうひとつは、自分自身の我慢の問題だ。
気楽な立場の外部協力者とは言え、建前上は真紀も運営のスタッフである。選手や応援として参加している少女達に比べれば、さまざまな雑務で大会本部周辺に拘束される時間はずっと長い。
観客であれば言うに及ばず、たとえ選手であったとしても、よほど多くの競技に片っぱしからエントリーしているのでもなければ、気の向いた時にトイレに向かうことができるはずだった。
しかし、真紀はそうはいかない。大会の時間の大半は運営のテントに詰めていなければならず、抜け出す事は難しい。先刻の10分休憩すら、他の委員の子に無理を言って作ってもらった貴重な自由時間なのだ。
次にトイレに行けるのは、最短でも2時間後。昼の休憩になるだろう。
その時まで我慢できるだろうか――時間の経過と共にますます強まる下腹部の切実な訴えに、真紀は不安と共に下腹をさすりながら、アナウンスを始めるのだった。
『もしも』を論じるのならば。
たとえ、『お客さん』の立場であったとしても――真紀はこの時、仮設女子トイレの混雑について、運営の大人たちに強く訴えるべきだった。思春期の少女達にとってトイレの話題は人前では避けるべき恥ずかしいものであるとしても、この時点で、運営スタッフの中で女子トイレの大行列を把握していたのは、真紀を含む放送委員の少女達数名だけだったのだ。
少女達に比べてずっと我慢も強く、いざという時の思い切りや対応力のある大人たちにとっては、多少トイレが混雑したくらいのことは、他に山積する問題に比べれば些細なものにしかすぎず、ほとんどトラブルとしては認識されていなかった。
運営に当たるスタッフの主メンバーが、壮年から年配の男性がほとんどだった事も災いした。人前で口にしにくいトイレの問題を、年上の、あまり面識もない男性に対して言い出すことへの心理的なハードルは相当なものだ。
それでも、勇気を出した少女がいなかったわけではない。
真紀のほかにも、女子トイレの混雑を問題視した少女はおり(その理由は特に、彼女が真紀よりも数段、我慢が切羽詰まっていたからでもあるが)、彼女が口籠りながらも恥ずかしさを堪えて懸命に訴えたトイレの大混雑について、彼等はほとんどそのことを聞き流し、『そんなことあと、あと!!』とばかりに、目の前のトラブル、主に通信関連の機材を整えるのに執心するばかりだった。
違う反応をした男性スタッフもいるにはいたが、彼等も特段の対応をしたわけではなく、実質的に、少女達の貴重な問題報告と切なる訴えは握りつぶされたに等しい。
Q:女子トイレがすごく混んでるんですけど……
A:我慢しなさい!!
トラブル対応としては、あまりにも理不尽、お粗末なものであろう。
これらの対応は後に、会場と参加選手・観客に対する圧倒的な女子トイレの不足として、少女達になによりも切迫した危機をもたらす原因となった。
前代未聞の結果となった大会終了後の反省会――糾弾会とも言うべき場で、運営スタッフはこの不手際について終始、苦しい説明を強いられることになる。
繰り返しになるが、真紀はこの時、何としても自分の境遇と、女子トイレの混雑解消を強く、運営スタッフに訴えるべきだったのだ。
会場で『おトイレ難民』となった多くの少女達を救うためだけではなく、なによりも、真紀自身に、この後に訪れてしまう最悪の悲劇を回避するためにも。
(大丈夫、だよね……)
しかし。この時点で真紀がそんなことを予見できる筈もない。胸中に不安を漠然と思い描きながらも、羞恥のためにはっきりと口にすることはできず、『きっとなんとかしてくれるよね』と大人のスタッフ達を信じて、次の休憩までの時間をじっと辛抱するしかないのだった。
「っ、つ、つっ、つぎ、の、走者は、っ、第一グループが、っ、あ、赤いは、ゼッケン、のっ。ふぁぁあっ……○○学園、2年、のっ、……んぁあっ……さ、沢村、い、一香さんっ、で、でっ、……ぅ……」
途切れ途切れの放送が、グラウンドに響く。
放送機材の不調ではない。むしろそれらのトラブルは、午前中に町内会の大人たちが運営スタッフが解決に尽力したため、ほぼ完全に解決していた。
「っ、は、っ、はあ、はあっ、…っくぅ……だ、第三……じゃなかったっ、だ、第二、グループが……んぁああっ、ダメ、だめえぇ……っ」
にもかかわらず、グラウンドの各所に配置されたスピーカーからは、しきりに何かを擦り、軋ませるようなノイズの混じったアナウンスが続いていた。
放送を続ける運営のテントに、遠くから観客たちの不審な視線が集まる。
「ッ、し、しつれい、しましたっ。だ、第二、グループ、お、おしが、おしがま、……ち、違うッ、おしがみ、忍上さんっ……!!」
躊躇いや戸惑い、読み間違え、名前の呼び違え、走者順のチェックミス。ケアレスミスと思しき間違いが続出し、声量も蚊の鳴くような小さな声や、やけくそになったのかと思うほどに乱暴に貼り上げた怒鳴り声に近いものと、まったく安定しない。
さらにはまるでたったいまどこかを全力疾走してきたのではないかと思わせるほどの息切れと荒い吐息が混じり、時折息を止めるように硬い唾を飲み込む仕草や、椅子を軋ませるほどに激しく身をよじる動作までも聞こえる。
皮肉なことに、放送機材がトラブルを乗り越えたことで、それらの以上はむしろ必要以上にクリアに、グラウンド全体に届いていた。
「んぁ……ぅ、あっ……は、っ、ふ……い、以上、第三、走者、ですっ……は、はやくっ……はやくしてっ……、もう限界ぃっ……!!」
原稿の読み上げから、放送が切り替わる直前には、そんな切羽詰まった小さな悲鳴も混じって聞こえる。
この時点で、よほど鈍い者や、自分の事で精一杯で、回りの事を気にしている余裕などまったくなかった一部の選手や観客たち覗けば、運営スタッフのうち有志による放送委員が何らかのトラブルを抱えているのは明白だった。
「っ、あ……く……」
放送機材を乗せた机の上、真紀は震える指でレース中の音楽を流すボタンを押し込み、ダイヤルを調節する。手が滑っていきなり大ボリュームになった音量を慌てて戻し、切り忘れていたマイクが『だめ、だめ、もう我慢できないっ』と音声を拾ってしまったのに蒼白になって気付く。
(や、いやぁあ……っ)
即座にスイッチを切るものの、今の一言がアナウンスになってグラウンド中に流れてしまったのは間違いなかった。
パイプ椅子の上、ジャージの股間をきつく抑え込んだ右の手のひらは、すでに20分近くそこから離れていない。伸縮性に富んだ布地は少女が握り締めた股間にぴったりと沿うように引き伸ばされ、真紀の硬く張りつめた下腹部を殊更に強調しているようだった。
「んっ、ふ……くぅ、あっ……んぁあっ……」
はあはあと肩を上下させ、脚の付け根をしきりに、押し揉み、こねるように指が蠢く。いよいよ天井知らずに高まる尿意が、乙女の水門のすぐ内側を引っ掻いて、一刻も早い解放をと迫っていた。
(で、っ、出る、っ、オシッコでるうぅ、出ちゃう、出ちゃううぅッ……!!)
暴虐なまでの尿意は、放送席に着いた真紀を執拗に責め苛んでいた。お昼ごろまでは波のように強弱を伴って寄せては返すように押し寄せていた排泄欲求は、もはや電波のような休む事ない連続性を持った衝撃になって、真紀の脚の付け根のダム放水孔へと叩きつけられる。
必死に股間を握り締め擦る手のひらは、さいごの防波堤だ。
きつく閉じ合わせて手のひらを挟み込むジャージの、椅子に接触する部分には、すでにはっきりと色を濃く変えている部分もあった。じわ、じわ、と脚の付け根奥でも熱い雫が噴き上がる感覚がはっきりと分かる。
それでもなお、
(ち、違うの、これは汗っ、暑くて、汗、かいてるだけ……っ)
必死にそう繰り返し、真紀は『おチビり』の事実を認めようとしなかった。
強がりや言い訳ではない。認めてしまえばその瞬間に、ダムの崩壊が始まってしまうとわかっていたからだ。他の放送委員の少女達も、机や機材にもたれかかるように手をついて、前かがみになっては脚の付け根をきつく押し揉んでいる子ばかり。みな我慢の限界にさしかかっており、ひとりでちゃんと立てている子は誰もいない。
「ぅ……、くぅ……んあぁあ……っ」
椅子の上に腰を押しつけ、脚をくねらせ。膨らみ続ける尿意に抵抗するため引き寄せた膝を持ち上げるようにすると、爪先が地面をひっかく。ひとしきり足踏みをしては、えいと掛け声をかけて荷物を持ち上げては、その衝撃でびくぅと背中を反らし、ぐいぐいと脚を交差させて尿意の大波をやりすごしてから歩き出す。
運営委員からの忙しない指示が飛ぶ中、放送委員の少女達はテントに釘づけにされ、自由に歩き回る事すらできないのだ。
テントの下は、ちょっとした我慢少女たちの品評会と化していた。
「でちゃう……で、ちゃうよ……っ」
真紀達が渇望するのは、はるかグラウンドの対角線上。1時間待ちでも順番の回ってこない長蛇の列が待ち受けている、さながら地獄と化した仮設トイレである。
――そんな絶望的な状況のトイレに向かうことすら、彼女たちには許されないのだった。
「……んぁ……っ、っは、はぁっ、ぁ……ふっ、ふーっ、ッ、と、トイレ……トイレぇ……っ!! でちゃう……オシッコ……オシッコっ……」
放送委員を務めるだけあって、クラスメイト達に比べれば言葉遣いには自信のある真紀だが、下腹部を圧迫する猛烈な水圧と、今にも音を上げそうになる乙女の水門が訴える猛烈な排泄欲求に支配され、普段の見る影もない。
トイレ、おしっこ、でちゃう。少女のあどけない唇から、そんなはしたない言葉を押し出させるばかりだった。
椅子の上に腰を押し付け、ぎゅうっと手のひらを脚の間に挟み込み。熱を持った股間部分を、体操服の上から何度も擦る。
「ぅぁあぅ……っ、でる、でるぅ……漏れちゃううぅ……っ」
はしたない呟きを繰り返しながら、少しでも気分を紛らわせようと、グラウンドで続く競技を眺めていた真紀は――ふと、すぐ隣で誰かが大声を上げているのにようやく気付いた。
「美坂さんっ、マイク!! マイク入ってるっ!!」
同じ放送委員の少女が、必死の形相で叫んでいた。
極限状況の中で、真紀には周囲の喧騒すら聞こえていなかったのだ。
懸命に訴える彼女の姿も、我慢に擦り切れた思考では、何のことかわからず、ぼんやりと彼女の指さす先を見て――真紀はようやく理解する。
(あ、れ?)
ついさっき、切ったはずのマイクのスイッチが、ONになっていた。
おそらく、次の放送のタイミングを見越して誰かが気を利かせてくれたのだろう。もう動けない真紀へのささやかな配慮だったのかもしれない。
だが――そのマイクが、真紀の我慢の一部始終を、余すところなく拾い上げていたのである。
真紀は、自分の恥ずかしい『おトイレ我慢』を、会場すべてに向けて臨場感たっぷりに生中継してしまっていたのだ。
「………………………ぇ」
あまりの衝撃に、真紀の思考はいったん、考えることを放棄した。
だが事実は刻薄で、残酷だった。
ONになりっぱなしの放送によって、すでに異状はグラウンド全体に知れ渡っていたのである。いつのまにか運営のテントの周辺には人だかりができ始めていた。
放送機材の前で、脚を寄せ量の手のひらを挟み込んで太腿をすりすりと擦り合わせ、必死に腰をゆすっている少女の姿は、無数の視線の中に晒しものとなっていたのである。
「…………ひ、ぁ……ッ!!??」
思春期の少女にとって、たとえ誰か、親友や姉妹といったごくごく親しい相手にだって、オシッコを我慢しているのを知られるのは恥ずかしいことなのに。
真紀は、グラウンドにいるほぼ全ての人々に、同時にそれを知られてしまったのである。
終わりの見えないトイレ我慢のさなか、辛い中で思わずこぼれた『オシッコ出るぅっ』『我慢できないかも』『トイレ、トイレ』というつぶやきや、吐息、身をよじり椅子をきしませる身悶えまで、高性能のマイクは真紀の我慢の一部始終を完璧に拾い上げ、ノイズをカットして臨場感あふれる生中継を、5分近くにわたって流し続けていた。
事情を知らない人々からすれば、真紀は自ら生放送で『オシッコしたい!! トイレ我慢できない!!』と叫び訴えていたに等しいのだ。これで、観衆の興味をひかない方がおかしい。真紀の様子を案じるものから、単なる野次馬、異変に気付いた同級生。少女たちに邪な感情を抱く不埒な男たちまで。
もはや逃げ場なく取り囲まれた運営のテントの中で、真紀に逃げ場ななかった。
「ぁ。っ、あ。ぁ、………ッ」
ぷるるるっ、と、可愛らしい――けれど、危険水域を遙かに上回る貯水量に達していた乙女のダムを突き崩すには、十分すぎるほどの振動。羞恥のダムの底にある水門へ、ありったけの水圧が押しかかる。
底が抜けてしまったかのように、真紀の放水孔はぽかりと口を開けてしまった。
ぶじゅっ、じゅじゅじゅぅうっ、ぶじゅじゅうぅうッ!!
びちゃばちゃじゅじゅっじゅごぉおおおおおおおーーッッ!!
見えない場所からペットボトルの中身を浴びせかけられているかのようだった。色、量、匂いともに桁外れの放水は、今日一日懸命に真紀が耐えてきた我慢の証。競技に参加こそしていなかったが、この河川敷のグラウンドにおいて『オシッコ我慢』部門での真紀の我慢は、十分にメダルを狙える位置にあった。
噴き上がるオシッコは、下着と体操服、ジャージの布地をあっさりと通り抜け、太腿に挟まれた手のひらにぶつかり、たちまちのうちに、少女の下半身がずぶ濡れの水浸しにしてゆく。
椅子のきしみや衣擦れの音すら余すところなく拾う高感度マイクが、それを黙って見ているはずがない。
「いやっ、いやぁあ、いやぁあああ!! やめてっ、やめてぇえ!!」
真紀がオシッコをこらえて漏らす恥ずかしい呻きも、解放感とともに唇を震わせる熱っぽいあえぎ声も、ジャージを湿らせ寄せ合わせた太腿と下腹部のくぼみにみるみる溢れ出してゆくオシッコの放出音も、委細漏らさずに拾い上げ、そのまま完全生中継でグラウンド中に響き渡ってしまったのである。
それと同時に、運営のテントにいた放送委員の少女たちも、真紀につられて『催して』しまい、次々にうずくまって脚元に激しく水流をほとばしらせてゆく。
日差しだけを遮るタイプのテントだ。周囲360度を人垣に囲まれている状況で、視線から逃れる死角などない。恥ずかしいオモラシの瞬間を見られまいと誰かに背中を向ければその分、反対側の観客に、きつく抑え込んだ手指の間から、恥ずかしいおしっこをほとばしらせ、股間を激しく濡らす瞬間を見せつけるようになってしまう。
運営のテントは時ならぬ放送委員たちの臨時トイレ――否、オモラシ場所となり。
雑踏は更に混乱を増してゆく。
そして同時に、この影響はテント内だけにとどまらない。グラウンドの各所でも限界を迎え、『おんなのこ』から恥ずかしい熱水のほとばしりを噴き出させる少女たちが続出していた。
彼女たちもまた、『おトイレ難民』であり、長い長い限界我慢の中で酷使され、いまにも緩みそうな括約筋を必死に締め付けて我慢している状態だった。
ほとんど気力だけで耐えているような有様で、真紀のオモラシを生中継で聞かされてしまったのだ。
たとえ音だけとはいえ、下着の奥に叩きつけられ、地面に飛び散り響き渡るオシッコの噴出音。それがリアルタイム、ダイレクトに少女たちの下腹部を、股間を、排泄孔へと伝わってしまったのである。
今なお続く臨場感たっぷりのオモラシ放送の生中継に呼応するように、グラウンドのそこここにしゃがみ込んだ少女たちも、体操服の股間を激しい水流でびしょ濡れにし、足もとにばちゃばちゃと雫を滴らせる。
真紀のオモラシ生中継は、そのままグラウンド各地の少女たちへと波及して、連鎖的にオモラシを引き起こし――もはや末期的となっていた河川敷のグラウンド一帯に、最後の崩壊の引き金を引いたのである。
(初出:書き下ろし)
河川敷の運動会・6
