遠い異国でのお話。

 
「あ、あのっ……すいませんっ」
「■@■*$×●?」
「っ、……そ、その、お、お手洗い……どこにありますかっ……?」
「*#▼@&、%■&#!」
「ぁ、ぁあぅっ……くうぅうっ……」
 東欧のとある小国。中世の趣を残す風光明媚な往来で腰をクネらせ、こつりこつりと膝をぶつけて脚をモジつかせる少女を、二人連れの女性達は怪訝そうに見つめていた。
「……お、おねがいです……ぉ…トイレ、ぁあっ……もっ、もう、もれちゃいそうなんですっ……!! おトイレ、おトイレ……ば、ばするーむ…どこにあるんですか……っ!?」
 小刻みなステップにあわせ、危険水域を越えた少女のダムの中身がたぷんっ、と揺れる。なだらかな稜線を描くまでに張り詰めた少女の下腹部はじんじんと痺れるように脈打ち、切迫感は股間まで達しつつあった。
「#●@&$%、▼&?」
「あ、あのっ……そ、そうじゃなくて、っ、…わ、わたし、あいむ……ごー、…うぉんと、……お、オシッコ……っ…!!」
 限界に近い尿意に苛まれながらでは、ただでさえ拙い英語すらまともに浮かんでこない。
 スカートの前を両手で握り締めた恥も外聞もない我慢のしぐさを繰り返す。隠そうにも隠せない猛烈なの尿意を訴える少女だが、まるでラジオのノイズを聞いているような異国の言葉は、下腹部を襲う圧倒的な気配に震える少女の耳を滑ってゆくばかり。
 せめてトイレの場所を指差しでもしてくれればいいのだが、返ってくる反応はまるで見当外れで、彼女の危機を救うなんの役にもたたない。
「っ、あの、ホントに……もぅ、わたし……駄目、なんですっ………はやく、はやくっ……」
「■■*%&$@$!? %$*$*、■●×!」
「あ、あの、ま、待って……待ってくださぃっ……ふぁあっ……と、トイレ…ぇっ……」
 快活に手を上げ、別れの挨拶らしき仕草と共に立ち去ってゆく女性たち。少女は慌ててそれを追おうとしたが、迫りくる尿意がそれを許さなかった。
 がくがくと膝が震え、少女は倒れこみそうになる身体を必死に支える。今ここでしゃがみこみなどしてしまったら、二度と立ち上がることは不可能だ。
「うぁ…ぁ…ぁああっ……ふぅーっ、ふぅうーーっ……くぅうんっ…」
 息も荒く鳥肌の立った二の腕をきつく掴み、ニーソックスの脚を交互に交差させる。
(ぁあああ……だめ、トイレ、おトイレしたいいっ……)
 おヘソの下で沸き立つ秘密のティーポットがわずかでも鎮まるように祈りながら、少女は切なげに身をよじり続けた。
 なんど見回してみても、辺りにトイレを示す赤い三角形のマークは見付からない。
 この国では衛生的な観点から、あまり公衆トイレのようなものは設けられていない。繁華街ならばともかく、観光のために残された古い市街地では特にその傾向が強かった。
『だから、トイレの場所だけはちゃんと覚えておかなきゃだめだよ?
 いざって時に見付からなかったりしたら大変だからね? ……ねえ、聞いてる?』
『……うん。聞いてる聞いてる』
『ならいいけど。それで、どうしても我慢できなかったら――』
『もぉー、だいじょうぶだよ。トイレくらいがまんするから。小学生じゃないんだから平気だってば。ねぇねぇそれよりさ、この教会ってどうやって行くの?』
 友人と別れ、ホテルを出る時に念入りに注意されたことを思い出す。いざというときのために、友人は何箇所かトイレの場所を少女に教えてくれていたが、初めての海外旅行で舞い上がってしまった彼女は今日のプランを組むのに夢中で、すっかりそれを聞き流してしまっていた。
(ちゃんと……聞いておけばよかったっ……)
 遠い異国の地で、言葉も通じない往来の中、途方もない尿意に苦しむ少女を救うものは何一つない。
 股間の先端からいまにも滲み出しそうになる熱い雫の気配を感じながら、少女はぎゅっと唇を噛んだ。腰の痺れはますます激しさを増し、大量の欲求を溜め込んだ膀胱は今にも破裂しそうに小刻みな痙攣を繰り返している。
「ぅあ……やだ、っ……で、ちゃううっ……」
 排泄孔に繋がる肉の管をぎゅっと押さえつけ、手のひらの圧迫で尿意を堰き止める。
 それでも少女の下着の下で、閉じ合わされた脚の付け根にある恥ずかしい孔がひくひくと蠢きだすのを止められない。
 股間を突き抜ける猛烈な衝撃に、少女はたまらず股間の両手を押し込んだ。排泄孔を直接押さえ、びくびくと裏返りそうになる膀胱を押さえつける。腰が跳ね、突き出されたおしりが不恰好に左右に揺れる。
(ダメ……ホントに……もれ…ちゃうぅ………トイレ、トイレトイレどこ、どこ…っ!?)
 だが、オシッコを許可するマークは見つからない。
 焦燥感にじっとりと汗が滲む。下腹部のふくらみが別の生き物のように暴れだし、少女のコントロールから逃げ出そうとしている。下着に滲む汗が、最悪の状況を連想させた。
 いや。あるいはもう既に――
(やだ…ちがうの、オシッコでない、…でないのっ、ぁああぅっ………くぅっ、んんっ……オシッコ…ないのっ……!!)
 じわじわと広がる湿り気が、波打つような下腹部のリズムに合わせて震える。くしゃくしゃに皺の寄った下着の奥で排泄孔が収縮を繰り返し、頭の奥で本能が放水の誘惑を囁く。少女は奥歯を噛み締めて最後の砦、女の子のプライドを護る。
(あ、あぁ……)
 それは、我慢と尿意の果てしない綱引きの果て、彼女の意識が遠のきかけたまさにその瞬間。
 震える少女の視線が、道端の赤いマークをはっきりと捉えていた。
 赤色の三角形。切羽詰ったときにいつも探し、いつも見かけるいつものカタチ。
(とい、れっ……!!)
 女子トイレを連想させるマークを目にしたとたん、股間にある排泄機能が猛烈に疼きだす。熱い奔流が短い通路を疾走し、腰の奥に澱んでいたむず痒さが一気に外を目指して出口に殺到する。
 それを渾身の我慢で一秒、また一秒と先延ばしにしながら、少女は最後の力を振り絞って走る。一歩ごとに伝わる振動が激しく溜まりきった中身を揺らし、少女の意識をちりちりと炙る。
(あとちょっと、ほんのちょっと!! ……っもうすぐトイレ、もうトイレおしっこできるトイレといれあとちょっとだけ……っ!!)
 だが、
 ついに、切望していたマークの元まで辿り着きながらも、少女は待ち焦がれていた排泄を済ますことが、がまんにがまんを重ねたおしっこを解き放つことができなかった。
「ぁ……」
 その赤い三角形があったのは、大勢の人々が行き交う道路のすぐ隣、視線を遮る衝立も水を流すレバーもトイレットペーパーも見当たらない、小さな砂場だった。
 『オシッコをしてもいい場所』を示すトイレのマークが、信じられない場所を示して立っていたことに少女は慄然とする。
「うそ……ここ…なの…? …ふぁあっ……やだ、嘘、うそっ……」
 道路わきの小さな砂場。
 こんな場所でトイレなんかできるはずがない。だが、呆然とつぶやく少女に答えはなかった。雑踏の中で、少女の下腹部が不安げにきゅうっと締め付けられる。
 股間を責め嬲る尿意はますます激しさを増し、孤独な少女をトイレのない街へと無慈悲に突き放していく。
「なんっ…で……トイレ……おしっこ、できない……んぅぅっ…」
 切なげに身をよじる少女を、誰も振り返ることはない。
 この東欧の小さな街では、ペットのトイレにこうした砂場がよく使われていることと、女性用のトイレを示す記号が黒の二重丸であることを少女が知るのは、まだずっと先の事になる――
(初出:リレー小説:永久我慢の円舞曲 85-88 2006/04/10)
 

タイトルとURLをコピーしました