(……あっあ、出ちゃう、出ちゃう……もう駄目、我慢、できない……っ)
脚の付け根の奥でじんじんとその強さを増すイケナイ刺激に、浅川沙紀は限界我慢の戦いを続けていた。
彼女がきつく握り締めるのは、細長いステンレス製の水筒だった。きらきらと輝く銀色のそれを脚の間に挟み、スカートの下に穿いたスパッツの上から恥ずかしい場所に押し当てて、いまにも開いてしまいそうな水門を押さえこんでいるのだ。
(んっ、あ、ぅ、くぅっ……)
座席の上で腰が上下するのに合わせ、脚の付け根の大事な場所がぐりぐりと水筒を挟み、押し付け、擦り立てる。それと同時、まだ半分近く中身の残っている水筒がちゃぷちゃぷと音を立てた。
沙紀にはまるでそれが、おなかの中をたぷたぷと満たしている、恥ずかしいおしっこが揺れているように感じられてしまう。そんな事は無いとすぐに思考を打ち消すものの、錯覚に寄る尿意の加速は停まらない。
(ちゃ、ちゃんと、お茶、飲み過ぎないようにしたのに……っ)
沙紀は人一倍、尿意に敏感だった。膀胱が小さいというよりは、尿意を覚える度合いが人並みよりも随分と速い。つまり、オシッコの我慢がきかない女の子である。
学校でも休み時間の度にトイレに行かなければならないほどであるが、その時に出るオシッコの量はちょろちょろと水面を叩く程度のささやかなものでしかない。
沙紀の頻尿の理由の多くは精神的なものに依存している。
トイレが近いことは、思春期を迎えた沙紀にとっても大きな悩みである。友達と遊んでいても、移動授業のときでも、ふとしたことで急にトイレに行きたくなってしまう沙紀は、他のクラスメイトを待たせてトイレに駆け込む事を気に病んでいた。
できるだけ気にすまいとしていても、トイレに関する悩みはどうしても少女の心に深く根付く不安要素だったのだ。
それを改善するための我慢訓練もしていたが、思うような成果は上がっていないのが実情である。
(なんで私って、いつもこんな……すぐに、トイレ行きたくなっちゃうの……?)
沙紀は、バスの出発前に記念公園のトイレに行っていた。
お世辞にもきれいとは言えない汲み取り式のトイレで、完全にすっきりできたとは言い難かったが――それでも、ちゃんと用を済ませたはずだった。
しかも沙紀は、社会見学の途中で急にトイレに行きたくならないよう、今日は努めて水分を採らないようにしていた。今日は本当に喉の渇きが我慢できなくなった2回と、お弁当の時を除いて、ほとんどお茶も口にしていない。飲料工場でもショウガ紅茶には、ほんの少し――スプーン1杯くらいの分量だけ、口を付けた程度なのだ。
しかし、総量にしてわずか200ml程度の水分摂取にも関わらず、有紀の尿意は他のクラスメイト達と比べても勝るとも劣らないものだった。
(あっあっ、だめ、でちゃう、出ちゃうよぉ……)
バスに乗っている間にトイレに行きたくなってしまうかもしれないという不安。みんなに迷惑をかけたくないという羞恥。バスが渋滞に閉じ込められた事によって顕在化したその恐れが、沙紀の心の安定を大きく乱していた。
そして、少女の健康的な循環器官は、たとえ直接水分を口にせずとも、沙紀の下腹部のダムに十分な量のオシッコを注ぎこんでいた。
自分自身ではジュースやお茶、牛乳のような水分の摂取を控えているつもりでも、そうして沙紀が水分を口にしなければその分、普段の食事で水気の多いものが欲しくなるのは当然のことである。
朝食のヨーグルトやシリアル、煮物や野菜中心のお弁当。デザートのゼリー。沙紀が好む食事には、水分の少ない乾いたものはほとんどない。オシッコの元となる水分がいったいどこから来るのか――その答えは明白だろう。彼女の日々の食事からたっぷりと供給されているのである。
そうして少女の体に取り込まれた水分は、健康的な消化器・循環器を経てしっかりと絞り取られ、残らず身体に吸収されている。
ならば当然の帰結として、少女の全身を巡った水分はやがて一か所へと集まってゆく。生理現象として慎ましやかな乙女の水風船はぱんぱんに膨らみ、恥ずかしいおしっこを目一杯に溜め込んでいたのだ。
(なんで……こんなに、っ……)
水分を控えている分だけ、たっぷりと濃縮されたオシッコは、その分だけ身体に不要な成分を高い濃度で含んでいる。生理現象は当然のようにそれを排除すべく、沙紀の身体が覚える尿意は普段よりもずっときついものとなっていた。
要らないモノを排出しようと高まる生理現象。どんどんと身体の内側で膨らむ恥ずかしい圧力。それに抗って、水筒をぐりぐりと脚の付け根にねじり付けるたび、ちゃぷちゃぷと揺れる水音がまずます沙紀を苦しめる。
社会見学バスの話・08 浅川沙紀
