社会見学バスの話・14 佐野真彩その3

 どれくらいの時間が過ぎただろう。20分、30分、或いは1時間。それともたった5分。窓の外の光景は変わり映えなく、渋滞の行列だ。初夏の太陽は夕方だというのに暮れる気配はまだまだなく、陽射しはなお強い。
 時間の感覚すら曖昧となる緩慢な時間の中、真彩はじっと辛抱強く、窓の外へ視線を向けていた。さっきよりも幾分辛くなった下腹部を、きつく抑え込むようにして。
 渋滞の中、すぐ前のワンボックスのドアが前触れもなくスライドする。
「あ」
 思わず声を上げていた。何でもいい、少しくらい変化がないと、本当に神経がまいってしまいそうなのだ。下腹部で募る尿意はなおきつく、ちりちりとおヘソの裏側をトロ火で炙られているかのようだ。このままではいずれ沸騰した尿意が、恥ずかしい場所から噴き上がってしまうだろうことは明らかで、焦る気持ちを必死に抑えつけ、真彩は視線を彷徨わせている。
 銀色のワンボックスの車内では乗っている人たちが何かの言い争いをしているようだった。切羽詰まった尿意を紛らわせるためなら何でもいいと、真彩はそちらに視線をやる。
 車内から半分身を乗り出した女の人の脇から、女の子がぴょこっと顔を出した。可愛らしい水色のワンピースを着た幼稚園くらいの女の子が、たたっと車を飛びおりる。
 女の子は小さな手を服の前をぎゅうっと重ねて、もじもじと腰を前後に振っていた。
(オシッコだ…!!)
 遠目にも一目でそうと解る、みっともないトイレ我慢のポーズ。真彩に比べればずっと小さいはずのその子も、やっぱり人前でトイレを我慢するのは恥ずかしいようで、顔を赤くして必死に我慢していた。
 女の子はその場にばたばたと足踏みをしながら、車の中に向けて何かを叫んでいる。
 恐らくその子のお母さんらしい女の人が、慌てた様子で車の中から身を乗り出し、その手に何かを女の子に握らせた。
 小さな手のひらからはみ出すのは、白いポケットティッシュ。
(わ……)
 その先の光景は、もう見なくとも分かった。
 女の子はそのまま路肩の小さな茂みに走り込むと、道路の方に背中を向けてしゃがみ込む。茂みといっても、ほとんど芝生のようなもので、女の子の身体どころか足元を隠すのにも不十分だった。もどかしく白いこどもぱんつを脱ごうとする女の子の可愛らしいお尻までがすっかり丸見えになっている。
 不器用にスカートをたくしあげる女の子のぱんつが、少し黄色く色を変えていたような気がするのは、真彩の見間違いだろうか。
 女の子が茂みに向かってしゃがみ込むのとほとんど同時、小さな赤い靴の足元に、勢いよく水流がほとばしる。
 ほとんど周りから丸見え状態の、路肩でのオシッコは、周囲の車から何の遮蔽もなく見えてしまう状況だった。当然、車高の高いバスからも同様である。
 見ていられないとばかり、女の子のお母さんがビニールシートを手に車を飛び出し、慌てて女の子のそばに駆け寄った。なおも気持ちよさそうにオシッコを続ける女の子の前にシートをばさりと広げて、その姿を周囲から覆い隠す。
 どうやら、ワンボックスの車内では、こんな見晴らしのいいところでオシッコをさせちゃダメだと言う類のひと悶着があったらしい。
(あの子も、ガマンできなかったんだ……)
 脚をぴったりと閉じていても、もはやじっと動かずにいる事はできず、小刻みに膝を擦り合わせたり、爪先を踏みならしてしまいながら、真彩は、ぎゅっとスカートの上からおヘソの上を押さえて、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
(お外の、トイレ……オシッコ、キモチよさそう……)
 シートの向こうで、女の子のオシッコはかなり長く続いた。
 ただの渋滞であればとっくにバスが進んで見る事ができなくなっていただろうが、車線一杯にぎっしり詰まった車の列にのおかげで、真彩はほとんど最初から最後まで、女の子のオシッコを見せつけられる羽目になってしまった。
 眼をそらそうにも、陽射しを受けて、シートには女の子のシルエットがしっかりと透けて見えてしまっている。しかも、シートの下からは茂みを溢れだしたオシッコの水たまりがどんどん流れだしてくるのが分かるのだ。
 たとえ幼稚園のような小さな子でも、すぐそばで女の子がオシッコをしているとなると、真彩も気が気ではない。
(……うぅ……ダメ、見てたらもっと、したくなっちゃうのに……!!)
 まだ小さいのに、女の子のオシッコは堂々としたものだ。まるできちんと『ひとりでおトイレ』ができることを誇らしく胸を張っているかのよう。真彩は気が滅入るのを抑えきれない。
 真彩はあまりオシッコをするのが上手くない。ダムの出口の放水口がいりくんでいるのか、どれだけ大きく脚を広げてみても、気を落ちつけてみても、あの子のように綺麗にオシッコを飛ばすことができないのである。
 オシッコは勢いよく排水孔をくぐるものの、はぶじゅぶじゅと出口に引っかかるようにぶつかって、前に飛ばずにばちゃばちゃと足元にしたたり落ちてしまう。
 腿の付け根に伝わり、おしりの孔の方まで汚して――和式の場合は便器を飛び出してしまったり、ふくらはぎまで伝ってソックスを汚してしまうことも少なくない。拭うにも沢山トイレットペーパーを必要とし、後始末にも苦労している真彩には、たとえちゃんとしたトイレであっても、オシッコに行くというのはそんなに気軽な行為ものではなかったのである。
(いくら小さくたって、女の子なんだから……お外でおトイレなんか、駄目なのに……っ)
 取り繕うような倫理観で、懸命にそう考えようとする真彩だが、女の子だって、トイレに行きたくなるのは変わりがない。
 いや、むしろ女の子だからこそ、簡単にトイレに行けない事情だってあるのだ。今まさに、真彩はその事実を実証中だった。
 こまめにトイレに行って、水分は控えて、不意のトラブルに備える。
 そう心がけていたって、したくなるときはしたくなるのだ。
(ダメ、なんだから……!! こんな、みんなに見えちゃうところで、オシッコなんて……!!)
 必死に自制を求める少女の理性とは反するように、真彩の尿意は、今すぐにでもバスの外へ出て、オシッコをしたいと叫び続けていた。

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