社会見学バスの話・21 選ばれた少女達

 路肩に止まった2年A組のバスの通路に、9人もの女の子が列を作って並ぶ。
 内股になった太腿を忙しなく擦り合わせ、腰をくねらせ。思春期の少女達は羞恥に顔を染め、悩ましげな表情と仕草で、かすかな苦悶の喘ぎをこぼす。
 9人は全員共に余裕なく、はしたなくスカートの前を握り締めたり、前屈みになって座席のシートにもたれかかり、小刻みに足踏みを繰り返していた。数名の手からは握り締められた白いポケットティッシュの包みも覗いている。
 ――この9人の少女達が全員、これから高速道路の路肩に停車したバスの陰で、オシッコをしたいと訴えていたのだ。
(ちょ……ちょっと、ちょっとぉ……!! 嘘でしょお……っ!?)
 車内に生じた異状事態に、2-Aのクラス担任たる清水蓉子の思考は許容量をすっかり振り切っていた。
 事ここに至るまで。蓉子は自分の受け持つクラスの生徒達が、ここまで切羽詰まった尿意に責め苛まれているとは思ってもいなかったのである。
「え、ええと……田坂さんも、室戸さんも…? みんな、おトイレ行かなかったの?」
 蓉子は思わず確認するが、少女達はふいと視線を反らし、俯くばかり。
 ……その沈黙が何よりも雄弁な答えだった。
(ぁああーんっ、なによぉ、み、みんな、出発する前に、あれだけおトイレ行っておきなさいって、言ったのにぃいっ……!! な、なんでなんでちゃんと済ませておかないのよぉ……ああーぁんっ、もぅっ……!!)
 蓉子は我知らず、強く床を踏み締めてしまう。どんと音を立てた床に、少女達はびくっと身を竦ませ、ますます顔を赤くするばかりだった。
 撤収作業に追われ、市立公園のトイレを使うどころか近づけもしなかった蓉子には、生徒達の切実な事情など知る由もない。……あのトイレがとても思春期の女の子たちがオシッコを済ませられるような場所ではなかった事など。
 そして。仮に蓉子の指示通り生徒達が全員トイレを済ませていたとしても、事態が好転する事は恐らくなかっただろう。飲料工場で摂取した水分と、利尿作用抜群のショウガ紅茶、長時間の渋滞――それらの複合作用によって、一度は空にした少女達の乙女のダムが再び満水となってしまうことは避けられないのだから。
 この事態は、バスが渋滞に捕まった瞬間からの必然とも言える帰結だった。
 あまりの事に呆気に取られていた蓉子を揺さぶるように、ぶり返した強烈な尿意が女教師の下腹部を直撃する。
(んぁああぁあんっ!? ふぁ、ぁ、だ……だ、駄目ぇ……っ!!)
 思わずその場で激しい足踏みを始めそうになってしまったのを必死に堪え、蓉子は太腿を思い切り自分でつねった。タイトなスカートに包まれたお尻をさりげなく左右にくねらせ、痛みで襲い来る尿意を紛らわせながら、蓉子は強引にクラス担任である『清水先生』の表情を作って、生徒達へ振り返った。
「ね、ねえ、あなた達も、みんな、そうなの? おトイレ、我慢できないの?」
 さっきよりもさらに明け透けに、トイレ我慢限界を訪ねる言葉に、少女達はさらに身をちぢ込ませながら、一様に顔を伏せた。俯いた前髪が視線を隠し、覗いた耳たぶがかあっと燃えるように紅くなる。
 握り締められたポケットティッシュが、くしゃりと音を立てた。
 ここで違うと言えるのなら。そもそも今こんな場所で、席を立ち上がろうとするわけがない。いい歳をして恥も外聞もなく、先生にトイレを訴えたりしない。
 佳奈に続いて立ち上がった生徒達の要求は、ひとつだけだ。
『先生、オシッコ!! もうオシッコ、我慢できませんっ!!』
『ちゃんとしたおトイレまでなんて無理です、間に合わないです!!』
『このままじゃオモラシしちゃいますっ!!』
『出ちゃいます、漏れちゃいます!! 今すぐオシッコがしたいです!!』
『ちゃんとしたおトイレじゃなくていいです!! はやく、早くオシッコさせてくださいっ!!』
 彼女達の心の中を一切の虚飾なく記せば、概ねそんところだろう。
 つまり。蓉子の質問は、思春期の少女達が口が裂けても言葉にできる筈もないそんな訴えを、はっきりと声にして認めなさいと言っているのに等しいのだ。
 精一杯の勇気を振り絞って、恥ずかしい訴えを行動に起こした少女達をより激しく苦しめる以外の何物でもなかった。
 だが、頼れる女教師の仮面の一枚下で、いまなお猛烈な尿意と熾烈な戦いを続けている蓉子には、そこまで頭が回らない。
「あ、あのっ……」
「っ……」
「せ、先生っ、」
 限界ギリギリの場所で戦う少女達はそれを察してくれない蓉子に、非難と抗議の視線を向ける。涙すらにじませたその迫力に、蓉子は思わずたじろいだ。
「あ、あ、えっと……他には、誰か、居る?」
 無言の圧迫に押され、生徒達の視線から逃げるように蓉子は車内に視線を巡らせた。
 しかし、こちらも返ってくるのは重苦しい沈黙だ。
 蓉子の視線が向けられた瞬間、わずかにぴくりと身体を竦ませた少女がいたが――けれどそれ以上の変化は起きなかった。
(せ……)
(先生の、馬鹿ぁっ……!!)
(そ、そんな言い方、されたら……したくてもできないじゃないっ…!!)
 それもそのはず。一連の蓉子の行動で、今、バスの中で席を立っている生徒達が、もはやオシッコ我慢の限界であり、これからバスの外でオシッコを済ませるという事実をこれ以上ないほどにはっきりとした形で認めたことになってしまっている。
 本来、親しい友人の間でも慎ましやかに隠されて行われるべき、女の子の排泄行為を、皆のいる前で堂々と『先生、おしっこ!!』とはっきり口に出して宣言しているようなものなのである。
 まるで針の筵。想像を絶する羞恥と恥辱の苦しむクラスメイトを見て、その上でなお、堂々とその列に加わるなんて、出来る筈もなかった。たとえ、もう一刻の猶予もないほどに追い詰められていたとしても。
 無言の車内を、少女達の切ない吐息と、身動ぎだけが埋めていく。
「……じゃ、じゃあ、みんな、申し訳ないけどちょっと待っていて、くれる、かしらっ」
 返事がないのを見て、蓉子は口の中の唾を飲み込み、前屈みの身体を持ち上げる。
 ついに押さえ込んでいた尿意が外に漏れ出し、蓉子は言葉を途切れさせながら、かかっと床を踏み鳴らしてしまう。蓉子は運転手に軽く会釈をして開いたドアの外を確認した。
 はあはあと荒い吐息を堪え、首筋に汗を浮かばせて、女教師は席を立った生徒達を先導するように、覚束ない足取りで、タラップを下りてゆく。
 そのすぐ後を、大きく前屈みになった佳奈が追う。片手で身体を支え、もう片方の手はきつく、脚の付け根を押さえ込んだままだ。残る少女達も皆、似たような格好で、順番になって続いていく。
 まるで、死地に赴く戦乙女のよう。
 廊下を進む9人の少女達へ、残る生徒たちからの視線が集中した。
 欲望を果たせることへの羨望や嫉妬。大丈夫かなと案じる不安。はしたなくも限界を訴えたことへの失望。
 9人は、いくつもの感情が混沌と渦巻く車内から見送られ、少女達はたったひとつの目的のため、バスの外へと降りてゆく。

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