ある日、北風と太陽がケンカをしました。
理由はつまらないことでした。春をつれてくる太陽と冬を呼ぶ北風、いったいどちらが偉いのかという言い争いです。
「俺さまの方が偉いのさ。俺さまが風をひと吹きすれば森の木は倒れて、家はばらばらに吹き飛んで、人間たちだって散り散りに逃げていくんだぞ」
「僕のほうがすごいに決まっているよ。だって僕がいなければ木々は大きくなれないし、人間や動物たちだって弱って死んでしまうのだからね」
「なんだと? そんな事はないぞ。俺さまのほうが偉いんだ!!」
「いやいや。僕の方がすごいんだよ!!」
北風と太陽はふたりともすっかり意地を張って、どちらがえらくてすごいのかを譲りませんでした。そのせいですっかり季節はおかしくなり、畑を耕すおじいさんはすっかり参ってしまいました。
もっとも、北風と太陽は地面に住む生き物たちのことなんか気にしていません。あちこちで鳥や動物たちが喉を乾かせ、寒さに震え、大勢の人が苦しんでいるのに、そんなことはお構いなしです。
けっきょく、いつまで経ってもふたりのケンカは終わりません。そしてとうとうどちらがえらいかを、旅人の服を脱がせられるかどうかで決めることにしたのでした。
「ああちょうどいいぞ。あの子にしよう」
北風が街道で馬車を待つ女の子を見つけて言いました。女の子はマントを羽織り、背伸びをして馬車が来るのを待っています。どこか落ちつかない様子で、なにかに焦っているかのようでした。ふつうの人間ならば、そんな女の子の様子を見て察し、別の人間を探そうと思うものなのですが、北風と太陽はじぶんたちの勝負に夢中で、そんなことは知ったことじゃありません。
「よぉし、まず俺さまの番だ」
「どうぞどうぞ」
にやにやと順番を譲る太陽に、むかむかと胸の怒りをおさえながら、北風はごうっと冷たい風を巻き起こし、旅人の女の子に吹きつけます。
たちまち空は曇り、身を切るような冷たさが吹き荒れます。女の子は寒さに震えだしました。しかし、女の子はぎゅっとマントを掴み、ぶるぶる震えながら木の根元に座りこんで動こうとしません。
北風がいくら風を強くしても、女の子はますます縮こまるばかりです。
「くそっ、なんで脱がないんだ!?」
「ふふん。そんなやり方じゃダメさ。そろそろ気は済んだかい北風くん。じゃあ次は僕の番だ」
焦る北風に、したり顔で言ったのは太陽です。不機嫌に順番を譲る北風に変わって、太陽はさんさんと輝き始めます。
「寒がっている相手に、冷たい風を送ったってマントを脱いでくれるわけがないさ。見ていたまえ、僕のすごいところをね」
自身たっぷりに暖かな輝きであたりを照らしだす太陽。
さっきまでの寒さはどこへ、夏のような陽射しが女の子を包み込みます。女の子ははっと顔を上げて、空を見上げます。
「ほら、僕がこうして優しく暖めてあげれば、すぐにあの子もマントを脱いで、元気にはしゃぎだすに違いないのさ」
そう言った太陽は得意げになってさらに強く輝きだしました。地上はあっというまに真夏の暑さを通り越し、さらにぎらぎらと強い陽射しに満ちてゆきます。
けれど、今度もまた女の子はいつまで経ってもマントを脱ごうとはしませんでした。それどころか、マントのフードをかぶり、木の根元に座りこんだまま熱そうに汗を拭うだけで、たちあがろうともしません。
「……あれ、おかしいな? どうした? この、このっ」
「おやおや。俺さまにあんな大きな口を聞いたくせに、情けないなぁ、太陽くん」
「おいっ、どうしたんだ? ええいっ、まだ足りないのかっ!?」
北風に馬鹿にされて、太陽はますます強く地上を照らします。
あっという間に地面は乾き、からからに干上がってしまいました。
太陽はじぶんがやりすぎてしまったことに気付いてもいません。こんな陽射しの下で服を脱いで肌を出したら、人間はあっという間に焼け焦げてしまうことになんて考えがおよばないのでした。
女の子はすっかり参ってしまい、しきりに持っていた水筒の中身を口にします。いちどはちょっとだけ口をつけてためらったものの、やっぱりこの暑さでは我慢ができなかったのでしょう。
ごくごく、ごくごく、あっという間に水筒は空になりました。それでもますます強くなる日差しに、女の子はさらに辛そうにに空を見上げます。
北風はそれを見てあることに気付きました。
「そろそろ交代だ。次は俺さまの番だぞ」
「うぅ……しかたがない。でもね北風くん。君の風じゃあの子は絶対にマントを脱がないぞ。さっきのでわかっただろう?」
「ふふん、そいつはどうかな。もう一度確認するが、あの子の服を脱がした方の勝ちなんだろう?」
不敵に笑う北風。太陽はそれでも北風を馬鹿にして、「じゃあやってみるがいいさ」と場所を譲ります。太陽は北風なんかに女の子のマントを脱がすことができるわけがないとたかをくくっているのでした。
けれど北風は自信たっぷりです。
「さあ、見ていろ。俺さまの本当の実力を」
「どうだかね」
再び北風は冷たい冷たい風を起こし、女の子めがけで吹きつけます。けれど、今度はさっきのように激しいものではありません。緩やかにじわじわと、女の子の周りを冷やしていくのです。
それを見て太陽はあははっと笑いました。
「おいおい、どうしたんだい北風くん。さっきより全然弱い風じゃないか。そんなものでマントを剥ぎ取ることなんてできやしないだろう?」
「なぁに。だまって見ていればわかるぜ、太陽」
どれだけ太陽に馬鹿にされても、北風は確信がありました。そのうち女の子はぎゅうぎゅうと身体を左右に揺らしだします。急に立ったりしゃがんだり、近くの木の幹に背中を預けたかと思うと今度はぐるぐる木の周りを歩き回りはじめました。
「おや……?」
太陽は女の子の様子がおかしいことに気付きます。
女の子はきょろきょろをあたりを見回し、けれど諦めて溜息をついてを繰り返します。ときどきぴくんっ、と背中をまるめ、爪先でトントンと地面を叩きました。
そして、そわそわと落ち着きがなかった女の子はまたぎゅっと木の根元にしゃがみ込んでしまいました。脚の間に手をぎゅっと突っ込んで動かなくなります。
「さあ、そろそろだぞ」
北風がささやくと同時でした。ぷるぷる、ぷるぷる震えていた女の子はいきなりがばっと立ち上がると、近くの茂みに飛び込みます。脚の間を押さえたままふらふらと、それでも精一杯急ぎながら。
女の子の歩いた後には、点々と黒い染みが続いていました。
「ほら、もうすぐだ。よおく見ろ、太陽」
女の子は念入りにあたりを見回して、スカートをたくし上げてしゃがみ込みます。太陽はあっと叫びました。
けれどもう遅いのです。北風の冷たい風にすっかり身体を冷やしてしまった女の子は、ついにおしっこをガマンできなくなって、おチビりをしてしまい、この茂みでトイレを済ますことに決めたのです。
するりと足元までおりる女の子のパンツを指差して、北風が笑います。
「ほらみろ。あの子が服を脱いだぞ? 俺さまの勝ちだ」
「ひ、卑怯だぞっ! 北風くん、こんな――」
「別にマントを脱がせっていう勝負じゃなかったよな? みろ、ちゃんと脱いでいるぞ?」
たっぷりたっぷり時間をかけて、ものすごい勢いのオシッコを済ませた女の子は、涙目になりながらぐしゃぐしゃになったパンツを脱ぎました。
パンツは女の子が漏らしてしまったオシッコをたっぷり吸って汚れ、とてもはいていられるような状況ではありません。なくなくパンツを茂みの奥に捨てる女の子を見て、太陽は悔しそうに歯軋りします。
「そんな……僕が負けるなんて」
「お前がさんざん照りつけたせいで、あの子は暑くて水筒の水を全部飲んでたからな。そりゃあガマンもできなくなるさ。どうだ、これで俺さまのほうが偉いんだってわかっただろう、太陽」
「うぅ……仕方ない……、僕の負けだ」
太陽は負けを認めて、北風は太陽よりえらいことが決まりました。
哀れ、ふたりのわがままでオモラシをさせられてしまった女の子は、それから家に帰ってお母さんにたっぷりと叱られてしまいました。彼女に罪はありませんが、北風と太陽は知ったことではありません。
――めでたし。めでたし。
(初出:おもらし特区 SS図書館 2007/06/15改訂)
第2夜 北風と太陽
