社会見学バスの話・73 順番待ちとぶり返す尿意

 バスを降り、さらにサービスエリアまでの長い道のりを踏破して。
 2年A組の少女達の中で、特に運の良い――あるいは、オシッコ我慢の得意な少女達は、どうにかして公衆トイレまで辿り着く事が出来ていた。
 少女達もまた、女性用の公衆トイレの前に蛇行し行く手を塞ぐ、百人をゆうに超える順番待ちの行列に驚き、戸惑い、挫けそうになり、――それでもなおお互いに励まし合い、心を奮い立たせて、その列の一番後ろについた。
 クラス担任の蓉子が見せたのように、順番を抜かしたり、無視して入り口に駆け込もうとしたりといった醜態はもちろん見せない。
 きちんとお行儀よく、礼儀正しく、順番待ちの苦行に身を投じたのだ。
 その理由は明白である。ちょうどこの時、隣の男性用トイレでは、一世一代、空前絶後のド派手な大迫力オモラシをして、そのまま腰を抜かしへたりこんだまま動けなくなっていた蓉子が、左右を初老の男性に抱えられてサービスエリアの事務所まで引きずられていったところだった。
 両脇を抱えられて引きずられていく蓉子は、なお先生なのに、大人なのにと叫びながら、世話を焼いてくれている男性達の手を振りほどいてトイレに戻ろうとし、その場にまたぶじゅううと激しい水流を迸らせる。
 まったく、なにひとつ、見習うべき人生の先達に相応しい行動を示さないままに退場してゆくクラス担任の評価は、かつてない最低ランクにまで落ち込んでいた。
 ――あんな恥ずかしいこと、死んだって真似したくない。
 それが皆の総意だった。
 たとえ限界であっても、わめいたり騒いだり、暴れたりはもってのほか。
 蓉子本人は預かり知るところではないが、蓉子の醜態、暴挙は見事に反面教師として、2年A組の少女達に、あくまでも慎ましやかに振舞うという、淑女の振る舞いを教えていたのである。
 教師があんなだから生徒達も似たようなものだなんて、安易に思われたくないという心理が、見事なまでの連携を生んでいた。
 行列にはすでに大きく制服を濡らし、隠しようもないほどにスカートの股間からお尻までの色合いを大きく変えている少女達の姿もある。
 そうでない少女達も、激しく掴まれた股間には大きくしわを寄せ、下着には多かれ少なかれ、チビってしまったオシッコで恥ずかしい染みを広げている。長い長い高速道路での我慢と、繰り返される悲劇。ここまで辿り着いた少女達とて、まったくの『無傷』では済まなかった。
 中には、もうはっきりと、我慢できずにオモラシを済ませてしまった様子の少女達もいる。まだ我慢を続けている他のクラスメイトとは明らかに異なり、下半身をずぶ濡れにし、なおぴちゃぴちゃぽたぽたと雫を足元に垂らしているような少女達だ。
 しかし、そうした『オモラシ済み』の彼女たちが順番待ちの行列に並んでいるのは、トイレで汚れた服を着替えたり、下半身を濡らすオモラシの後始末のため――ではない。
「はぁああ……っ」
「んぁ……ぅ」
「くぅぅ……っ」
 オモラシの証、大量のオシッコでたっぷりと制服を汚してなお、彼女たちはなお下腹部に滾る、激しい尿意に苦しんでいたのだ。
 そう。ここでもまた予想外の二度目の尿意によって、2年A組の少女達は翻弄されていたのである。
 少しずつおチビリを繰り返して、すっかり濡らしてしまったもの。
 懸命の我慢にも関わらず、高まる水圧に乙女の水門が押し開かれ、公衆トイレまでの途中でオモラシをしてしまったもの。
 恥ずかしい決意と共にバケツやバスの前で、オシッコを始めてしまったもの。
 経緯は様々であれど、彼女達『オモラシ経験済み』組は、確かに下腹部に膨らんでいた恥ずかしい水風船を満たす熱い水は、残らす押さえた下着の中や、スカートの奥に噴きこぼしてしまったはずだと言うのに――下半身をずぶ濡れにさせた少女達の身体の中、ぴくんと張り詰めた下腹部はみるみる新しい恥水に満たされてゆく。
 困惑と戸惑いの中、『経験済み』のはずの少女達は有無を言わさず突如の尿意我慢リターンマッチのリングに上げられてしまったのである。
 その理由は複雑である。体調や、長時間の緊張の具合で不用意に尿意を覚えることもあるだろうし、飲料工場で摂取した利尿効果たっぷりの紅茶やスポーツドリンクのせいということもある。しかし、それよりもなによりも。
 きちんとしたトイレに入らず、緊張状態でオモラシをした状態では、完全に尿意が解消される事はありえないという事実を、少女達は知らなかったのだ。
 単純な思考である。激しい緊張と羞恥の中出口をきつく塞ぎ、下着の奥の水門が開かないように懸命に押さえ、『出しちゃダメ』な状態で漏らしてしまう場合と、誰の目も届かない場所で一人静かに心を落ちつかせ、大事な部分をあらわにして、きちんとしゃがみ、あるいは腰かけ、自分から恥ずかしい水門を全開に開いた『出してもいい』状態でオシッコを出す場合と。
 一体どちらの状態が、排泄器官がトイレに適した弛緩状態になるのかは明白なのである。極度の我慢で酷使され、未だ緊張状態にある下半身では、たとえ我慢の限界を突破してオモラシが始まったとしても、そのまま完全に膀胱が空になることはあり得ないのだ。
 トイレに入って用を済ませる――『オシッコをするための場所』で、お行儀よくきちんと用を足せる、のであればともかくも、トイレではない場所でのオモラシでは一度に放水は終わることはなく断続的に訪れる猛烈な尿意と共に、小康状態と激しい噴出の繰り返しとなる。
 『ちゃんとしたオシッコ』が出来ていないと判断した理性は、たとえ限界を超えた我慢の結果であっても、ある程度下腹部の水風船の中身が抜けて楽になったところで、自然と水門を閉ざしてしまうのである。
 結果、中途半端なところで止まったオシッコは、身体が冷えるにつれすぐさま第二派の尿意となって襲い掛かってくるのだ。
 これまでは膀胱が限界水量までオシッコを溜め、猛烈な水圧で膀胱の入り口を塞いでいたため、『もう入りきらない』と身体の中に滞留していた水分は、膀胱の貯水量が減ったことを敏感に察知し、恐ろしい速度で少女のダムへと恥ずかしい熱水を補給してゆく。
 まったくありがたくもない水分補給は、迅速かつ高速に貯水タンクを満たし、一方で長時間の我慢で酷使され続けた排泄器官は過度に敏感になり、些細な水位の上昇であっても、必要以上に強烈な尿意を感じ取ってしまうのだ。
 一度そうなれば、漏らしたばかりという事実も相まって、少女達の羞恥は二重に跳ねあがる。
 ――さっき、漏らしちゃったばかりなのに、なんで……?
 言う事を聞かない、自身の身体への不信や困惑は、更なる尿意の呼び水となり、そんな尿意は実際に循環器系を刺激して、一層多くの不要な水分を健康的な身体から絞り出そうとしてしまう。その苦痛は並大抵のものではない。
 本来、『オシッコが溜まった』のだから『トイレに行きたい』という欲求が起こるのであるところを、その逆、『トイレに行きたい』と感じているのだから『オシッコが溜まった』のであるに違いないと身体の側が誤認して、本当にそれに足るだけの水分を、膀胱へと注ぎこんでしまうのだ。
 順番待ちの少女達の我慢は、まだ終わらない。

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