第5夜 鶴の恩返し

 
 おつうは本当に良く働きました。
 与ひょうよりも先に起きていてご飯の支度をし、与ひょうが寝るよりも遅くまで起きていて繕いものに精を出しています。一体いつ眠っているのだろうと思うほどでした。それだけではありません。おつうはご飯もあまり多くは食べませんでしたし、与ひょうが用事で出かけて家に戻る時もきちんと与ひょうを待ち、なにかあれば必ず与ひょうに譲り、いつも与ひょうに優しく笑いかけてくれるのでした。
 あの反物のことといい、まるで人間ではないみたいだ――と、与ひょうがおつうのことをそう思うのも不思議はありませんでした。なにしろ、与ひょうはおつうが厠に立ったところを見たこともないのです。
 いったいおつうが何のために自分に尽くしてくれるのか、そして本当は何者なのか。何度も聞こうと思う与ひょうでしたが、そのたびにぐっとそれを飲みこんで暮らしていました。
 与ひょうはおつうとふたりで暮らし始めて、はじめての春が訪れました。このころになると与ひょうとおつうはすっかりうちとけて、反物をたっぷり売り払ったおかげで手に入れたお金で、のんびりと暮らしていました。おつうの反物はすっかり町でも評判になり、とても高い値段で売れるになっていたのです。
「どうじゃ、大黒屋の大旦那さまも大層お気に入りじゃった。これでしばらくは表に出んでも暮らしていけるぞ」
 今日与ひょうはいつも以上に上機嫌でした。町の呉服屋に持ちこんだおつうの反物が、いつもの何倍もの値段で売れたのです。見た事もない大金を前に、与ひょうは浮かれていました。お土産をいっぱい買って戻った与ひょうは、町で起きたことを面白おかしくおつうに話して聞かせます。
 けれどおつうはそんな与ひょうを見かねたように言うのです。
「ねえあなた、ゆっくりするのもいいけれど、たまには外に出て働いてください」
「何を言ってるんじゃ、まだこんなに金もある。それにいざとなれば、またあの反物を売ればいいことじゃ。……また織ってくれるんだろう?」
「……え、ええ、でも……」
 どこか歯切れの悪いおつうに、与ひょうはにっこりと笑いかけます。
「そんなことよりほれ、この前買ってきた干菓子だ。お前も食べろ。うまいぞ」
「はい……」
 心配そうなおつうの顔を晴れやかにしてやろうと、与ひょうは色々なものを持ちだしては見せびらかしました。全部、反物を売りに町まで行った帰りに買ってきたものです。
 けれど、与ひょうが何をしても、何を見せてもおつうの顔は曇ったままでした。
 何とはなしにおつうのその顔が気にはなったものの、ひさしぶりの酒に酔っ払った与ひょうは、そのまま眠ってしまったのでした。
 そうこうしているうち、一日が過ぎ二日が過ぎ、五日が過ぎ十日が過ぎて、反物のお金もだんだんと減り始め、与ひょうは困るようになりました。具合の悪そうなおつうを案じて、与ひょうは一日中おつうの側を離れず、町まで使いを頼んだりしておいしいお米や魚を買ってきてもらっていたのですが、もちろんそんなことをしていてはいくらお金があっても足りません。
 そこで与ひょうは、またおつうにあの反物を持ってきてもらうように頼むのでした。
「なあ、そろそろ金がなくなってしまう。おつう、またひとつあれを織ってきてくれ」
「え、ええ……でも、あなた、その……」
「なあに、これで最後、最後にする。約束だ。……な?」
 与ひょうが前にもそんなことを言っていたのを、おつうは覚えていました。けれどここで強く断れない理由がおつうにはあったのです。
「では、あなた。決して見ないでくださいね」
「ああ、わかってるわかってる、行ってきてくれ」
「あなた、約束ですよ」
「ああ。もちろんだ、約束だ。」
 そう何度も念を押して、おつうは奥の間に入ってゆきます。
 やがて、ぎぃ、ぎぃ、ばたん、というはたおりの音が響き始めました。
 与ひょうはごろりと横になって、煙草に火をつけます。昔の与ひょうならこの間に一仕事すませてくるべぇと思い、畑をたがやしてきたものですが、おつうのおかげで贅沢な暮らしに慣れてしまった与ひょうは、すっかり家の外に出なくなっていました。
「…………」
 ぎぃ、ぎぃ、ばたん。ぎし、ぎし、ばたん。
 それにしても、今日のはたおりには時間がかかっていました。一番最初の時は、それこそ煙草を一服ふかしている間に織りあがっていたのですが、今度は待てど暮らせどふすまは空きません。
 気のせいか、いつもよりはたおりの調子が悪いようにも聞こえます。
 与ひょうはすっかり待ちきれなくなって、まだかまだかと囲炉裏の前を行ったり来たりし始めます。それでもおつうはさっぱり出てこず、時には突然ぎぃ、ぎぃ……とはたおりの音が止まってしまうこともありました。
「……おかしい。変じゃ」
 さすがの与ひょうもとうとう待ちきれなくなって、与ひょうはふすま越しに声をかけました。
「なあ、まだか、おつう」
「…………」
「どうした、おつう。まだかと聞いてるんじゃ」
「…………は、はい」
 どこか、おつうの声も苦しげです。
 不安になって、与ひょうはふすまに手をかけようとしました。けれど指が触れようとしたところで、それをおつうの声が制します。
「あなた、み、見ないでくださいね。約束しましたよ」
「あ、ああ。じゃが」
 いくらなんでも、おかしいことが多すぎました。
 大金持ちになって毎日なまけていた与ひょうでも、心根の優しさまでは変わっていません。苦しそうなおつうに声をかけます。
「どうかしたか、おつう。なんぞ身体でも悪いのか。無理はせんでもええ。明日でも明後日でも、構わん。今日は休んだらどうじゃ」
「い、いえ……そんな、とても……」
 おつうの声はあきらかにうろたえていました。
「もうええ。わしが悪かった。無理をさせておったんじゃな。すまなかった。……もう今日早めにして、休め、おつう」
「だ、大丈夫です……す、少し考え事をしてしまって……あなた、あと少しで全部できあがります」
 そう言って、ふすまがつと開いて、そこからおつうの手が伸びてきました。
 与ひょうの前に指しだされたのは、ずいぶん短い反物でした。
「ほ、ほら、もうこんなにできています……ですから、できあがったらすぐに町へ売りに行ってきてくださいまし」
「……お、おう」
 けれど、おつうが差し出した反物は、しわくちゃで汚れていて、とてもとても売り物にはならないような貧相なものでした。いつもの出来栄えとはまるっきり違う反物に、与ひょうは言葉を失ってしまいます。
「で、では……あと少しですから、絶対に、絶対に見ないでくださいましね」
「ま、待ておつう。何があったんじゃ、これは……」
「お願いです、見てはいけませんよ……っ!!」
 焦ったようなおつうの声に、与ひょうはとうとう我慢できなくなってしまいました。
 ぎし、ぎし……ぎし、ぎし……ばたん。ぎぃ……
 不安定な調子の機の音が、与ひょうの不安をいっそう掻きたてます。
(……許せ、おつう)
 大事な大事なおつうとの約束でしたが、これだけおつうの様子がおかしくては黙っていられません。与ひょうは足音を潜めてふすまに歩みより、ゆっくりと押し開けて、奥の間の様子を覗いてしまいます。
 開いたすきまの向こう――そこで起きていたことを知って、与ひょうはあっと声を上げてしまいました。
 ぎし、ぎし、ぎぃ……ぎし、ぎしっ、ぎし……
 おつうは機の前で着物の前をはしたなく緩め、片手でぎゅうぎゅうと脚の間を押さえていました。もう一方の手は辛うじてはたおりの前に届いていますが、ふらふらと震えていてとても見ていられない危なっかしい手つきです。
 それよりも与ひょうの目を引いたのは、おつうのおなかでした。
 緩められた着物の下で、おつうのおなかははちきれんばかりに膨れ上がっていました。まるで赤ん坊でも入っているように、ぱんぱんに丸くなり、今にも破裂してしまいそうです。
 けれど、それがなんであるのか、与ひょうにはすぐにわかりました。
「ああ……っ、だめ、だめ、もう……漏れちゃう……ぅ!!」
 おつうの手が止まり、両手が脚の間にねじ込まれます。
 ぎし、ぎしとおつうが身体をよじるたびに床がきしみ、寄せられた脚がせわしなく動き回ります。おつうが何を我慢しているのかは、何よりもあきらかでした。
「お、おつう」
「え……きゃ……きゃあああああっ!?」
 思わず与ひょうが漏らした声に、おつうは跳ね上がるように立ちあがりました。その手がはたおり機を突き飛ばして、がたんと大きな音を立てます。ばさっと拡がったくしゃくしゃの反物の上に、おつうはふらふらと手を突きました。
「お、お前、まさか、あれから一度も厠に」
「ぁ……ち、ちがうんです、これは、そのっ」
 おつうは首を振りますが、ふるふると震えている腰と、ぴったり寄せられた膝が、おなかの中に途方もない量の恥ずかしい熱湯を堰きとめていることをはっきりと知らせていました。
 おつうは、とんでもないくらいの恥ずかしがり屋でした。与ひょうと一緒にいる時は一人で厠に立つことも出来ず、じっと我慢しているくらいだったのです。
 与ひょうが畑に出かけていた頃は、誰もいない時を見計らって一日分のおしっこをこっそりと済ませていたのですが――大金を手に入れてしまったせいで与ひょうがすっかり家から出なくなって以来、どうしようもなくなってしまい、おつうはおなかがそんなになるまでずっとずっと我慢を続けていたのでした。
 こうして一人になれるはたおりの時だけが、恥も外聞もなくして脚の間を押さえて我慢できる時間だったのです。
「あ、あ、あっ、あーっ……」
 おつうの腰がくねくねと動き始めます。与ひょうにだけは見られまいとじっと我慢していたおつうですが、立て続けの衝撃にとうとう我慢が限界に達してしまったのでした。
 そもそも、普通なら絶対に我慢のできるはずのない量のおしっこです。おつうはもう何日もあんな風になってしまったおなかを抱えながら、毎晩与ひょうに付き合ってお酒を飲んでお菓子を食べていたのでした。さぞ喉が渇いたことでしょう。
 けれど、いくら水を飲んでも飲んでも、おしっこはおつうのおなかに溜まるばかりだったのです。
「や……だめ、だめ……見ないでぇ……っ」
 絞りだすようなか細い声と共に、緩められたおつうの着物の裾から、ぷしゃあぁっと激しい水流が弾けます。
 色濃く黄色いおしっこが激しく滝のように流れ落ち、おつうの着物と織ったばかりの反物をぐしゃぐしゃに濡らしてゆきます。
「あ、ああ……ち、ちがうんです、あなた、これは……違うんです……っ」
 すさまじい勢いで迸り、ばしゃばしゃと雫を飛び散らせて白い反物と白い着物を染め上げてゆく黄色い海。何日も何日も、それこそ気の遠くなるほど我慢を続けていたおつうのおしっこは、いつまでたっても終わりそうになりませんでした。
 おつうがくねくねと腰をよじるたびに、滝のようなおしっこがあちこちに飛び散ってゆきます。一度破れてしまった堰は、もはやとても止めようとしても止まらないのでした。
「ぁあ……あああああ……ぅぅ、ああああ……」
 おしっこを漏らしながら泣き崩れるおつうから、与ひょうは目を離せずにいました。
 はじめておつうにあった時と同じような、焼けるような激しい胸の高鳴りが、与ひょうを捉えて離しませんでした。うつくしく可愛いおつうが、可憐な悲鳴を上げながらおしっこをもらし続ける――それは、与ひょうがいままで一度も見たこともない衝撃的な光景でした。
「おつう……」
「ああ、あなた、見ないで、見ないでくださいまし……っ」
 ただただ呆然と見つめ続ける与ひょうの前で、おつうはぱんぱんに膨れがあったおなかが空になるまで、ずっとずっと長く、おしっこを漏らし続けるのでした。
 ……それからしばらくして。
 町では大黒屋の主人が新しく着物を仕立てて売るようになりました。
 その着物は、まるで黄金のようにきらきらと美しく輝く色に染め上げられた、とてもきらびやかな反物でできていたのでした。
 山奥に住む与ひょうが売りに来たというその反物は、たちまち周囲の評判となり、十倍の重さの金と引き換えでも飛ぶように売れてしまいました。金のように輝く着物で着飾る商家や武家の娘を遠くから眺めながら、一体どのようにすればあんなにも綺麗な反物ができるのかと町の人々は首を捻って噂し合ったのでした。
 そして、おつうと与ひょうは数えきれないくらいのお金を貰って、いつまでもいつまでも幸せに暮らしたということです。
 ――めでたし。めでたし。
(初出:旧ブログ書き下ろし 2007/09/27)
 

タイトルとURLをコピーしました