「はい、それでは、今日の授業をはじめます。
前回は二十世紀末から二十一世紀初頭の経済社会の混乱とについてお話しましたね。今日はそれに続いて、当時の社会倫理の乱れについての授業です。
その当時、まだ今のように科学や技術が発達しておらず、栄養の摂取にも自然に育てられた肉や野菜といった非効率な方法で生産された食材を使われていました。現在のようにクローン技術や遺伝子操作を推し進めたバイオプラントでの栽培法が危険性を孕んでいると判断され、敬遠されていた時代でした。これは前回の授業でもちょっと話したことですね。
その結果、当時の人々が食べていた食物には多くの不要な成分が含まれ、体内で消化吸収しきれなかった不要物は排泄、という形で処分されていたのです。……ほらそこ、恥ずかしがらないの。これも大事なお勉強ですよ。ちゃんと前を向いて授業を受けななくちゃダメですよ」
「……こほん。もちろん、今の時代にはとても考えられないことですが、当時は男の人だけではなく女の子のためにもトイレというものが作られていました。女の子もオシッコをして当然、と考えられていた時代だったのです。
ですが、女の子がオシッコをするなんてとんでもないことですね。……当時もそれに気付いていた先進的な女の子たちは、それぞれできるだけオシッコをしないように、トイレに行かないようにと懸命に努力をしていました。
重ねて繰り返しますが、その時代は食べ物が違いますし、飲み物も今とは違います。女の子もオシッコをしても普通のことだと思われていましたから、そうやってトイレに行かない女の子は周りからとても不思議な目で見られたそうです。馬鹿げた、という意味の『ノーション』なんて呼ばれていた時代もあるくらいですから、当時の常識からしてみればよっぽど変なことだったのでしょう。――はい、なんですかチエリさん」
「……そうですね。もし、本当にオシッコをしたくなってしまうのが当たり前の社会だったとしても、女の子ならそんなことは決して口に出さないのが最低限のマナーです。けれど当時は残念なことに、そんな常識もまだ完全に確立してはいませんでした。
いくらかの女の子はそれに気付いて、オシッコを我慢することを死ぬよりも恥ずかしいことだと知っていましたが、多くの女の子にはまだそんなマナーは浸透してはいませんでした。オシッコがしたいなんてことを口にしたり、時には人前でオシッコがしたいのを我慢することができなくなって、ぎゅっとオシッコの出るところを押さえるような、今では考えられもしないとっても恥ずかしい格好を、あろう事かみんなに見られてしまうこともあったそうです」
「はいはい、静かに。お喋りは休み時間にとっておいてくださいね。
いつも言っていますけど、今の常識で昔の事を考えてはいけませんよ。その頃はまだ、『女の子がオシッコをしない』というごくごく当たり前の常識がなかった時代なのです。女の子がオシッコをしたり、トイレに行きたいのを我慢するなんてことが当たり前であるという考え方は今ではとても考えられないことですが、そんな迷信こそが普通に信じられていた時代があったという事を覚えておかなくてはいけません。
これは、女の子たちが長い間受けてきた偏見に私たちのお母さんやお姉さんが力強く立ち向かい、打ち破って来たことの証でもあるのです。特にこの学院に通って、昔のことをお勉強している皆さんは、そのことを忘れずにいなければいけません。いいですか?」
「皆さんの中にも、お祖母様やひいお祖母様から、戦争の前の、昔のお話を聞いた人はいますね? 二十世紀から比べれば皆さんのお祖母様たちが女の子だった時代もずっと進歩していますが、それでも今のように女の子がみんなトイレに行かないというのがどこでもいつでも当たり前の世の中ではありませんでした。
大戦が終わって30年も経った頃には、先進国ではほとんどの国が女の子のトイレを撤廃して、女の子がトイレに行かないことが常識になっていましたが、ごく一部の人たちがこっそりトイレを作って使用していたという記録もあります。その頃はまだ、女の子がトイレに行くことがあるなんて迷信が根強く残っていた時代なのです。皆さんのお祖母様たちは、そんな偏見とずっとずっと戦い続けて、今の素晴らしい社会を作り上げてきたわけです。
皆さんはそのことをきちんと考えたことはありますか? ……もしそうでない子がいるなら、これを機会に昔のことを調べてみるのもいいかもしれませんね」
「さて。話を元に戻します。そうした皆さんのお祖母様たちの活躍は、長い年月をかけて実を結び、とうとう国連協定に基づいて、WTD……全世界女子トイレ撤廃条約が締結されました。これは皆さんも知っているの十月十日、今から30年前の事です。その中心となったのがこの霧沢学院の生徒会でした。世界に先駆けていち早く女の子にトイレは不要という宣言を打ち立て、多くの女の子たちの賛同を集めたことは皆さんもよく知っていますね。
……こら、誰ですか、知らないなんてことを言うのは。自分の通っている学院の事ですよ。これくらいはきちんとお勉強しなければダメです。いいですか?
最後のトイレが取り壊され、世界の全ての国から女の子のトイレが撤去されたこの日は、今も全世界で女の子の祝日となっていますね。ただのお休みだと思って過ごしていた人は、今年はきちんとこの事に感謝して1日を過ごすようにしなければいけませんよ?」
「それ以来この国でも法整備が進み、いまでは女の子がトイレに行くなんてことを噂するだけで厳しく罰せられる厳密な社会の仕組みが完成しました。この陰にも学院の卒業生達の地道な活動がありました。先生はむしろ、生徒会の人たちの表に立っての目立つ活動よりも、こうして一歩ずつ周囲の偏見を解いていった事に対する功績が大きいと考えています。なにしろ二十世紀も信じられていた幽霊の存在は、今もこうして信じられていますから。非科学的だと断定することはできても、皆さんの中にも心のどこかで信じている人は多いでしょう。つまり、迷信をなくすということはとてもとても大変なことなのです。そこに対す評価はもっと高くてもいいのではないかと思います。
……さて。少し話が脱線しましたが、こうしてとうとう『女の子がオシッコをする』という非科学的で無茶苦茶な迷信は打ち砕かれ、今のような素敵で平和な社会ができあがったのです。それではテキストの49ページを開いてください――」
「これが当時の保険体育と理科の教科書に載っていた図です。ちょうど皆さんくらいの年齢の女の子と男の子の身体の断面図が載っていますが、このとおりどちらにも腎臓と膀胱――要するに、オシッコを作る臓器と、オシッコを溜めておくための臓器が書かれています。驚くべきことに、すでに月にまで人類が到達していた当時でも、女の子も男の人と変わらずオシッコをするのだと信じられていたのです。
今ではとても信じられないことではありますが、これよりもずっと昔、地球は動かずに太陽のほうが地球を回っているのだと信じられていたり、ビタミンの不足で起こる脚気が伝染病だと思われていた時代もあったことを考えれば決して不思議なことではありません。当時の女の子たちも、またはっきりと自分の身体の事を意識せずにいたり、オシッコについて強く反論するのは恥ずかしいという意識から、この迷信を受け入れてしまっていたのです」
「ええ。そうですね。トイレやオシッコの話は確かに恥ずかしいですけれど、女の子がオシッコをするなんて誤解されているほうがその何千倍何万倍も恥ずかしいことです。ではなぜ、当時の女の子たちはそれに反論しなかったのでしょうか? ……ユミさん。少し落ち着いて先生の話を聞いてください? ユミさんは知っていても、他の子が知らないことがあるかもしれません。きちんと知っていることでももう一度、覚えていることに間違いがないか確認することも授業のひとつですよ。
はい、では次のページには、はじめてお母さんになる女の子のために、トイレのしつけについて説明してあるパンフレットが載っています。ここでも、男の子だけでなく女の子のためにもトイレのさせかたを教えるように書かれています。女の子の赤ちゃんにオムツを履かせたり、トイレでぱんつを汚さないようにする方法も書かれています。これも、当時は本当に女の子もトイレに行くと信じられていたという証拠です」
「今でこそ、女の子はもちろん男の子だって幼稚園にもなれば女の子がオシッコを我慢したり、トイレに行くなんてことを信じている子は誰もいません。
ですが最近の研究では、こうして生まれた時から女の子はトイレに行くものだということを教えられ続けていたために、いつしか女の子はオシッコをするものだという常識ができてしまっていたと考えられています。これは一学期の授業で勉強したいわゆる“刷り込み”という現象ですね。ですからこの時代、ただしくきちんとオシッコをしなかった――当時の人の考え方で言えば、オシッコをしようとしなかった女の子たちは、とても不自然なことをしているという偏見にいつも晒されていたのです。
……どれだけ大変で恥ずかしくて、苦しいことか、皆さんは想像できますか? 女の子がトイレに行くわけがないのに、オシッコをしないのか、トイレに行かないのかと、死ぬよりも辛い恥ずかしいことを毎日言い続けられる生活ですよ」
「次のページは、その頃に作られていた女の子のトイレです。こんなマークが女の子のトイレを表すマークとして使われていました。右の、男の人のトイレのマークは今でも使われていますね。
女の子のトイレの中には、このように個室と呼ばれる小さな部屋があって、女の子が誰にも見られないようにオシッコをできるという事にされていました。この国では女の子のオシッコのしかたには二通りあるとされていて、ひとつはこういう洋式と呼ばれる穴の空いた椅子に座って、その下にオシッコをするという方法。もうひとつは、……ちょっと先生も説明するのが恥ずかしいですけど、和式とよばれるこんな場所をまたいで下着を下ろしてしゃがみこんで、オシッコをするという方法です。これが女の子が気持ちよくオシッコができる方法だと信じられていたのです。
……はい静かに、静かに。授業中ですよ。皆さん静かに。……ええと、ではミハルさん。この二つからわかる事はなんでしょうか?」
「……そうですね。ここで知っておいて欲しいのは、当時も女の子が人前でオシッコをするという事は恥ずかしいと考えられていたことです。こんな格好をしなければいけないことになっているのですから実に当然ですけれど。ちなみにこの頃も今と同じで、男の人がオシッコをする時に使うトイレには、こんな個室はありません。
そして、このように個室の壁には音消しといって、オシッコをする時の音が聞こえないようにする工夫がしてあって、女の子がトイレに入ってもいつオシッコをしたのかわからないようにするという習慣があったことも知られています。……まあ、きちんと考えれば、女の子がオシッコをしている間ずっと音が鳴っているわけですから、逆にいつオシッコをしているのか知らせているようなものなんですけれど、これはどうしようもないことですね。なにしろ女の子は本当はオシッコをしないのに、男の人と同じようにオシッコをすると考えられていたのですから、少しくらい考え方に矛盾があるのはしかたのないことです」
「こうした様々な誤解をひとつひとつ解消しながら、『女の子がオシッコをしない』ということはゆっくりと社会に示されてきました。有名な実験で、女の子が10人で10日間の間グループを作って共同生活し、一度もトイレを使わないことを証明したノーションの公開実験というものがあります。いまでは実に当たり前の事を当たり前にしただけなのですが、当時はこんな実験を行なうと発表があっただけでもものすごい反論があったことが記録に残っています。その意味で、この実験に参加した女の子たちは実に『ノーション』であったとされて、実験はこの名前で呼ばれているのです。
後の時代になって、この実験に参加した女の子たちの名誉のためにもこんな不名誉な名前を変えようという運動が起きたのですが、昔の時代を忘れないためにもこの名前を残して欲しい、という参加者の女の子たち自らの意見で、実験の名前は変わらないまま今日に至ります」
「――さて、そろそろ時間ですね。少し早いですが今日はここまでにしましょう。日直さん、号令を」
「きりーつ、れーい!」
「「「「「ありがとうございましたー!!」」」」」
席を立って先生に一斉に頭を下げる少女達の下腹部は、どれもみな驚くほどにまあるく膨らんでいる。終業ベルよりも少し早く始まった休み時間、お喋りに興じながら、次の体育の時間に備えて着替えをはじめる初々しい少女達。制服の下から覗く白い健康的なおなかは、痛々しいほどに大きく、はちきれそうになっている。まるで中に溜まった恥ずかしい液体にたぷたぷと震えているようだ。
そう、今はそういう時代。女の子がオシッコなんてしない時代。はるか昔、ノーションと、そう呼ばれていた女の子たちが当たり前のように生活する時代。
けれど、今も昔も女の子がオシッコをしたくなるという事実は絶対普遍、決して変わらない自然の摂理だ。たとえ食べ物飲み物が少し変わったくらいで、何万年と進化してきた女の子の身体は変わるわけがない。
「じゃあ、行こうか」
「今日ってマラソンだっけ? やだなぁ……」
「そうだね……揺れて辛いもんね」
我慢している素振りなどなにひとつ見せることなく、少女たちは膨大な量のオシッコをおなかに溜めこんだまま、ごくごく自然に学院生活を送る。もはや、ほとんど使われることすらなくなった無数の秘密のトイレと共に。
けれど、平気なわけがない。少女たちはその笑顔の下で、ただひたすら、声にならない悲痛な叫びをあげ続けているのだ。
『先生、トイレに行きたいです』――と。
たった一言、その言葉を口に出せないまま。
女の子が、オシッコをしないのが当たり前の時代は、こうしてずっと続い
ている。
――『ノーション・エイジ~馬鹿げた時代、あるいはオシッコをしない女の子の時代~』
(初出:リレー小説:永久我慢の円舞曲 239-254 2007/04/20)
近未来のノーションエイジ
