駅前の通りを、何人もの人達が通りすぎてゆく。
仲良さそうに肩を組んだり、手を繋いだり――僕よりもずっと大人の男の人と女の人が、楽しそうにお喋りしながら歩いてゆく。
いつもならなんてことなく見過ごしていた風景が、妙に気になって仕方がなかった。
(舞、遅いな……)
待ち合わせの時間まであと5分。広場の時計台をいつもより余計に気にしながら、なんとなく落ちつかない爪先で地面を蹴る。
舞が時間ぴったりに来るのはいつものことで、そんなに気にするようなことじゃないんだけど、どうしても今日の僕はそれを意識せずにはいられなかった。
幼稚園の時からの幼馴染の舞と、正式に彼氏彼女の……つまり、その……いわゆる“恋人”の関係になってから初めてのデート。特別に思うなってほうが難しいんじゃないかと思う。
とは言っても、別にいつもと違ったことをするわけじゃない。一緒に映画を見て、街をぶらぶら歩いて、お昼を食べる……それくらいだ。舞と一緒に遊びに行ったことなんて、これまでにだって数えきれないくらいたくさんあるのに、なんだか足元がふわふわして落ちつかない。
(……別にいつもと変わらないんだから、普通にしてればいいんだってば)
深呼吸しながら自分に言い聞かせてみる。舞とはそれこそ産まれてからずっとの幼馴染で、オモラシしていた頃のことだって知っている仲だ。いまさら何を気にしたってしかたがない。
それでも落ちつかない気分で、無意味に出ていない汗を拭って、ショーウィンドウに映る前髪を気にしてみたり。
「……あ」
9時まであと2分、という時に、ぱたぱたと駆けてくる見慣れた姿。
いつもと同じように、でもいつもとは少し違う服を着て、舞もどこかぎこちなく、頭を下げた。
「お、おはよ……ヒロくん」
「う、うん、おはよう」
僕のほうにまでその緊張が伝わってきて、少しつっかえながら短い挨拶を返す。
今日の舞は、いつものキュロットじゃなくて、紺のスカートを着ていた。これまで何気なく接していた相手が、急にほんとうに女の子だってことを思い知らされた気分で、声がうわずる。
「い、いい天気だね」
「……うん」
いろいろ言う事はあったような気がするんだけど、なぜだかそういうのはひとつも浮かんでこなくて。
「……そ、その服、似合ってるね」
気付いたら、そんなことを口にしていた。
「あ……う、うん。ありがと」
反射的に答えた舞の顔が、スカートの裾を恥ずかしそうに押さえて、ほにゃ、と笑顔に変わる。
ああ、となんだか胸にいっぱいに、むず痒い熱っぽさを感じながら、
僕は人生初めての、恋人ととのデートに出発した。
全国チェーンのカフェテリアは、僕たちのお小遣いでも気軽に利用できる場所の一つ。ひとまず、という感じでアイスココアを頼んだ僕は、お店の外にあるテーブルの上でホットのカフェオレを頼んだ舞と向き合って座っていた。
「うーん……まだ1時間くらいあるけど、どうする? はじめて行く場所だし、早めに出ようか?」
「うん……そ、そうだね……」
映画の時間は11時半。席は指定席だし急ぐ必要もないけど、始めての場所だしもし迷ってしまったりする可能性も考えると、ちょっと慎重になってしまう。
舞を誘ったのは僕のほうなので、あんまりカッコ悪いところを見せたくはなかった。つまらないことだけど、やっぱりこれも見栄を張りたい男心ってやつなんだろうか。
「それとも、どこか別にいきたいところ、ある?」
「…………」
「舞?」
「……へ?」
けれど。舞はなんだか、僕よりももっともっと緊張してるみたいだった。さっきから落ちつきなく周りを見回して、もぞもぞと座る位置を直してばかり。お気に入りのはずのスカートも、きゅっと折り目を作って脚の下。せっかくのカフェオレにも全然口を付けていなかった。
いつもなら途切れることもない僕との会話もなんだか上の空で、調子が狂ってしまう。
「舞、どうかしたの?」
「え、えっと、ああ、うん、そうだねっ。どうしようか?」
取り繕うように笑顔を見せるけれど、たぶん舞が僕の話しを聞いてなかったのは間違いない。僕はちょっとだけ呆れながら、ココアのコップを空に。
実は、舞の様子がおかしいのは待ち合わせからここに来るまでにもずっと気になっていた。お店に入るときも、注文をするときも、舞はなんだかまるで周りのものが見えていないみたいだったから。
そしていまも、僕の向かいの席で舞はさっきからひっきりなし膝をぶつけ、擦り合わせては前後に動かしている。ローファーの爪先も、左右交互にこつこつと地面を叩いていた。
舞自身はテーブルの下に隠れて気付かれていないと思っているようだけど、何度か脚の間にぎゅっと手を伸ばしかけてはそれをもう一方の手で抑え込んだりしてもいた。
「あのさ、」
こういうのを女の子に対して言っていいべきなのかどうか、ずっと迷っていたけれど。やっぱりとうとう僕は決心して、舞にそのことを聞いてみることにした。
「どうしたの? 舞、さっきからなんかヘンだよ?」
「そ、そうかな? ふ、フツーだよ。フツー」
あはは、とごまかし笑いをする舞。けれどそわそわと落ちつかない下半身までは全然ごまかしきれていなかった。僕が分かるくらいなんだから、多分他にも気付いた人はいるに違いない。
もう、舞がなにを我慢しているのかは明らかだ。
舞はさっきから、トイレに行きたいんだ。どっちかと言えば、舞は休み時間ごとにトイレに行っているタイプだった。それなのにあんなに我慢してるなんて。
僕はちいさく溜息を付いて、舞にそっと耳を寄せる。
「……あのさ、その、僕に遠慮なんかしなくていいから……行ってきなよ」
「え……」
途端、舞の顔が、まるでお風呂に入ったみたいに真っ赤に染まった。
ぶんぶんと首を振って。声を荒げて身を乗り出す。
「ち、違うよ、ヒロくん!! わたしそんなんじゃないからっ!!」
テーブルの上で、がたんとカフェオレが揺れる。舞が手をつけていないせいでなみなみと残った褐色の液体が、ふちのギリギリまで迫ってはちゃぽちゃぽと波を立てた。
『それ』がなんなのか、はっきりと口に出さないことで、舞はいっそうそのことを否定したがっているみたいだった。
「もうっ、失礼しちゃうなぁ。そんなんじゃないんだからね? その、ちょっと、緊張しちゃって……それだけだもんっ」
「…………本当に?」
「あーっ、信じてないっ。もぅ、ヒロくんだって待ち合わせの時、すっごく落ちつきなかったのに」
「そ、それは、その、そうだけど」
いきなり自分の事に話を振られて、僕まで動揺。
えっと、それは確かに、恋人、と待ち合わせをするんだから、いくらか緊張するのは仕方ないことだとは思うけど。
「だから、あたしもおんなじ。ちょっとさ、恥ずかしくって……それだけだよ」
ちょっとはにかみながら、舞はカフェオレを口に運び、ぐいっと景気よく半分ぐらいを飲んでしまう。
……火傷、しないのかな。
「だ、だって、これまでだって何度も、こんなふうに一緒に遊んでるけど、やっぱり……その、恋人、って違うんだなって……」
「う、うん……」
なんだかどんどん僕のほうまで恥ずかしくなってくる。いてもたってもいられなくなって、僕はがたんと椅子を引きずって席を立っていた。
「え、ええと、じゃあ……行こうか?」
「う、うんっ」
真っ赤になりながら、僕は精一杯舞に手を伸ばす。
舞も、一度はためらいながらも、しっかり僕の手を握り返してくれた。
その時はなんだか妙な雰囲気になってついついごまかされてしまったけれど、やっぱり舞の様子がおかしいのは確かだった。
とりあえず映画館までゆっくりウィンドウショッピングでも、ということになって、商店街のアーケードをぶらつくことにした僕と舞だけど、舞は相変わらずどこか上の空で、しきりに周りを見回している。
かと思うときゅうにぴたっと立ち止まり、スカートの裾をさりげなくいじりまわしたり、靴の爪先をぐりぐりと地面に押し付けたり。もう疑いようもない。
(……おしっこだ)
男の僕でも分かる。舞はおしっこを我慢している。それもさっきから、ずっと。
よく見れば顔色もちょっと赤いようだった。カフェにいた時よりも我慢の仕草がはっきりしてきている。そうやって小さく腰をひねったり、膝をくっつけているのを見ていると、舞がだんだん切羽詰ってきているのが分かってしまい、僕のほうまで落ちつかない。
「舞、どうかしたの?」
「う、ううん。ちょっとねっ」
どうにも気になってしまって聞くたびに、舞はそんなふうに曖昧にごまかす。なんでもないよ、と笑う舞だけど、やっぱりその様子はせわしなくて、放っておける感じじゃなかった。
「ねえ、舞」
「……あ!! ヒロくん、見て見て!! これ可愛いかなっ」
「う、うん……えっと」
いかにも“なんでもない”ふうを装って、カゴ売りのシャツを持ち上げ僕に見せる舞。でもそのシャツには黒地に白で北斗七星と『退かぬ、拒まぬ、顧みぬ』なんて力強い筆文字が書かれていたりして、さも適当に話題をそらしました、というのがバレバレ。
それでも舞はめげなかった。
「え、ええとね、その、最近、流行ってるんだよ、これ。……ホントだよ?」
「そうなの……?」
「うん、そうなの!! 皆真似したりしててね、部活の時なんかもう制服状態で、ちょっと雰囲気すごくなっちゃったりして!! だから……」
さすがに世紀末覇王伝説を前に嘘をつきとおすのも無茶だと思うけど、必死にフォローする舞。体育館の中で女子バレー部が揃って同じシャツを着て練習してる光景を想像してしまい、軽くめまいをおぼえる僕。
「えっと、ヒロくん信じてないよね? ホントなんだよ!?」
「ああ、まあ、いいけど……それよりさ」
ムキになっている舞をおしとどめ、僕はアーケードの案内板にちらりと視線を向けた。駅や公園、市役所の距離と方角にあわせて、舞が一番行きたがっている場所も記されている。
「ねえ、舞……やっぱり、ちゃんと、行ってきた方がいいよ」
「え……?」
「舞はいいのかもしれないけど、やっぱり……その、僕、気になっちゃって。ごめんね、せっかくの……えっと、一緒に遊んでるのに、デリカシーなくてごめん」
デート、という単語は、トイレという言葉と同じように、恥ずかしくて口にできなかった。
「待ってるからさ、先に、ね?」
「う……うん」
実はもう、じっと立っているのが辛いのかもしれない。舞はそうとう我慢を続けているみたいで、ゆっくりやってくる波を堪えるように小さく腰を揺すっている。
決心した理由の半分は、これ以上舞の苦しんでいる姿を見ているのは辛かったから。もう半分は、いっしょうけんめいおしっこを我慢している舞を見ているとなんだか心臓のドキドキが全然おさまらなくて、どうしていいかわからなかったからだ。
「…………」
舞は俯いて、小さく頷いた。
「じゃあ、待ってて、ヒロくん。……行ってくるよ」
「うん」
僕に背を向けた舞は、小走りになって案内板の示す先、婦人用トイレの方へと歩いてゆく。平気なふうをしていても、やっぱり相当我慢してたんだろう。
とにかくこれで一安心と、僕はまるで自分が間一髪で間に合ったみたいに安堵の息をついた。
トイレは思っていたより混んではいなかったみたいで、舞は5分もしないうちに戻ってきた。ハンカチできゅきゅっと濡れた手を拭いて、にこっ、と笑顔。
「お帰り」
「ただいま。行ってきたよ」
すっきりした顔で告げる舞に、僕も笑顔で応じる。
「じゃ、行こうか?」
「うんっ」
時間も程良く潰せたし、舞を怒らせずに済んだし、まあ結果オーライだと思う。これからせっかくの映画なのに、こんなことで集中できなかったらもったいないし。
ようやく気がかりがなくなったことに、僕もやっと安心していた。
映画館は結構混んでいて、順番待ちの列が続いている。
一昨日封切りの映画は、予約がないと満員らしくて、次の入場時間を待つ列がしっかりできている。別に席はあるんだから急いで並ぶ必要もないけれど、ほかにすることもないし、ほんの10分くらいのことだったので、僕達はそのまま列に並ぶことにした。
「パンフレット、買う?」
「うーん……いいや」
同じく行列のできている記念グッズのならんだカウンターを見て、舞は苦笑い。ああいう記念品はそんなに好きじゃないらしい。
「じゃあ、僕ちょっと行ってくるよ。並んでてもらっていいかな」
「あ、うん」
こくりと頷く舞を後に残して、特設カウンターへ。何万円もする記念品を惜しみなく買ってゆくおじさん達を尻目に、パンフレットを二つ買うことにした。舞はいらないって言ってるけど、あって困るものじゃないだろうし、余ったら友達にあげたっていい。……こういうのも男の格好付けたい意地みたいなものなんだろうか。
お金を払って列を抜け出すと、入場時間まであと5分弱。売店とトイレが目に入ったけど、先に席についてからでもいいだろう。どっちも混んでいたし、ジュースにポップコーンを持ったまま並ぶのも大変だし。
「舞……?」
じゃあ戻ろう、と思った時だった。
列の真ん中くらいで順番を取ってくれている舞の様子が、おかしい。
さっきまではなんともなかったはずなのに、きょろきょろと周りを気にしながらとんとん、とんとん、と、サイズの合わない靴を気にするみたいに爪先で床を叩き続けている。
よく見れば舞の身体は右に、左に、ゆらゆら揺れながら、止まることなく体重移動を繰り返していた。片方の脚で立っているのが辛いというように、まるで、おなかの中にずっしりと抱えた“なにか”の重みを持て余しているように。
ふと持ちあがってしまった手がつぅっと脚の間に伸びるのを、慌てて気付いたように押さえ付け、スカートの裾をぎゅっと握る。
ちょっと子供っぽいけれど、入場が待ちきれなくて、すっかり飽きてしまって落ちつかない様子、と言ってしまえばそう見えないこともない。
でも、もっともっと相応しい表現が他にあった。
――おしっこの、ガマン。
(舞。ひょっとして……)
でも、さっき舞はトイレに行ってきたはず。それなのになんであんなにそわそわしているんだろう? 首を傾げた僕は早足で列に戻る。
「舞」
「あ、ひ、ヒロくん、お帰りっ」
僕がじっと見ていたのには気付いていなかったらしい。舞は慌てておなかのほうに伸びていた手を離し、ぎゅっと背中の後ろで組み合わせる。その急な動作もいかにもわざとらしいものだった。
「な、なあに?」
じっと様子を窺う僕に、舞は焦ったような表情を見せる。
僕は小さく声を抑え、周りには聞こえないように注意しながら舞に聞いた。
「……まだ……トイレ、したいの?」
「え……っ」
さっきトイレに行ったばかりの舞が、明らかに動揺する。
僕はほとんど確信を持っていたのだけど、舞はもぅ!!と手を振って否定した。
「そ、そんなことないよ。平気だよ? さっき行ってきたもん。もうヒロくんってば、こんな所でそんな話しないでよぅ!!」
でも、さっきから休まることなく続いている舞の体重移動は、明らかに『なんでもない』にしては不自然だった。
どうにも気が気じゃなくて、僕は食い下がる。
「ねえ、遠慮しなくていいってば。場所ならちゃんと取ってるからさ」
「……違うってば。それにダメだよ、ちゃんとみんな並んで待ってるのに」
「そんなことないってば。指定席なんだし、ちょっと遅れたって平気だからさ」
「あはは。だいじょうぶだってば。ヒロくん。ほら、ちょっと立ってるのが疲れちゃっただけだから。心配かけてごめんね」
そんなふうにごまかしてはいたけれど、舞はだいぶ辛そうだった。そのくせ意固地になって、トイレだというのを認めようとしない。
どうなんだろう、気にしないふりを続けるべきなんだろうか。全然分からない。だってこの前まで、舞はどっちかと言えばトイレの近い女の子で、僕の前でも気にせずふつうに『おしっこしたいからトイレ行ってくるね』なんて言う子だった。今日みたいにずっと我慢を隠しているのは始めてのことで、僕だってどうしていいのか迷ってしまう。
(恥ずかしいのかな……)
舞だって立派な女の子だし、さっきトイレに行ったばかりで、またこんなにすぐにトイレというのが恥ずかしいのかもしれない。
でもこういうのは仕方のないことだし、なによりこのまま舞がそわそわし続けていると、僕のほうも落ちつかない。一度はおさまった胸のドキドキがさっきよりも激しく高鳴りはじめる。
「舞、本当にへいき?」
「ち、違うってば、もう、ヒロくんってしつこいなぁ」
「……む。それなら、いいけど」
一応、表向きは舞のいうことを信じたふりをして、僕は買ってきたパンフレットを鞄に押し込み、列に並びなおした。
それでも、最後に釘を刺しておくことにする。嫌われたって、舞のことが心配なのは確かなんだ。
「……もう少しで座れるからさ、ちゃんと椅子とったらしばらく時間できるよ。映画の途中で見れなくなっちゃうなんてつまらないしさ。ね?」
「…………」
「舞?」
舞はまだなにか不満そうだったけど、なにかを言い返しては来なかった。
すっかり余裕のなくなっていた舞は、とうとうごまかしきれずぎゅっと片手で脚の間をおさえこんでの我慢の真っ最中で、僕の声など聞こえていなかったのだった。
満員の映画館の中、二つ並んだ席はスクリーンの正面。
古いけれど広くて立派な映画館は、何度か改修されていてそこも一番の特等席の一つなのだ。少なくとも首が痛くなってしまうということはなさそうで、安心する。
「舞、僕ちょっと、トイレ行ってくるけど……」
言葉には出さず、『舞も行く?』とさりげなく聞いてみる。席はちゃんと指定席だし、二人でいなくなっても問題はないはずだ。僕も同じようにトイレに行くんだから、舞だって恥ずかしがる必要はない。
けれど、舞は立ちあがろうともせずに首を振る。
「あ、うん……だいじょうぶ。待ってるよ」
「え、いいの?」
思わず聞き返してしまった。
「もぅ、平気だってば。さっきからそればっかりじゃない。……ヒロくん、女の子にデリカシーないよ?」
「ご、ごめん」
じっと睨まれ、思わず謝ってしまう。確かにしつこいかもしれないけど、ついさっきまでの脚の間をぎゅっと抑えて俯き、息を殺す舞の様子が頭にこびり付いていて、とてもじゃないけれど放っておける気分じゃなかったのだ。
でも、今の舞はすっかり余裕を取り戻して、まるっきりいつもの舞だった。我慢の波を乗り越えて楽になったのか、それとも本当に一時的なものだったんだろうか。
僕のほうもだんだん余裕がなくなってきていたので、それ以上追求はせずに席を離れた。
「ふぅ……」
紳士用トイレはさっきよりいくらかすいていた。
ざわざわという喧騒から解放されて、静かなリノリウム張りの床を進む。
トイレに入っても、僕の心臓はドキドキしっぱなしで少しも落ちつかない。
……舞が、今もおしっこを我慢しているのは確かだ。たぶん今も、席の座ったままぎゅぎゅっと脚を組み替えながら、おなかのなかに溜まった黄色い液体を我慢し続けている。
そんな舞を放って、僕だけがすっきりしていいのかどうか迷ったりもしたけれど、結局僕は素直にトイレに行ってから席に戻ることにした。
紳士用トイレは思っていたよりもずっと広くて、たいして並ぶ事もなくすぐに僕の番が回ってくる。
それでも我慢はかなりのものになっていて、ほとんどズボンのチャックを下ろすと同時に、おしっこが出た。
出かける前にトイレに行っておいたのに、思っていたよりもずっとたくさんで、なかなか終わらない。カフェテリアで飲んだココアが効いてるのかもしれない。そう言えば舞が最後に飲んでいたのはアイスカフェオレだったはずだ。たしかコーヒーとか紅茶にはすぐにトイレに行きたくなる成分が入っていた気がする。
……ということは、舞はこれよりもずっとずっと、おしっこを我慢していることになる。
「ふぅ……」
ようやく全部おしっこを出し終えて、ぼくはすっきりと深呼吸。
なんとなく頭の奥に熱っぽいものを感じながら、手を洗ってぶるぶると首を振る。ついでに顔も洗って頭を冷やすことにした。
……さっきから僕は舞のトイレとおしっこのことばっかり考えている。これじゃあまるで変態じゃないか。
(いけないことだし、恥ずかしいことなんだから……)
できるだけ気にしないようにしないといけない。濡れた顔を拭きながら自分に言い聞かせる。
……よく考えてみたら、これまでかたくなにトイレに行く事を否定してきた舞だ。僕の前ではっきりトイレに行きたいとはいいづらいのかもしれない。でも、だからこそ、こうして僕がいなくなれば、舞だって安心してトイレに行けるんじゃないだろうか。
そう考えた僕は、トイレを済ませるとロビーに出てしばらく時間を潰すことにした。僕のほうもトイレが混んでいたことにすれば、舞が何もなかった風を装ってこっそりトイレに行ってくる事もできるはず。
「そうだ」
ついでにジュースとポップコーンも買うことにした。いちおう、舞の分も合わせて二人分。
席に戻った時にはもう10分ぐらいが過ぎていて、上映は間近だった。
「あ、ひ、ヒロくん、ただいま……」
「お帰りー。……もうすぐ始まっちゃうよ?」
舞は、予想通り僕が席に戻った時にはそこにはいなくて。僕がパンフレットを眺めている時に、僕とは別の出口から戻ってきた。濡れているらしい手でハンカチを握り締めている。
(よかった、ちゃんと行ってきたんだ……)
ちょっと様子が変なのは、たぶん僕が気付かないうちに戻ってくるつもりなのがうまくいかなかったからだろう。
「ほら、舞」
「う、うんっ」
でも、余計なことを聞いたって仕方がない。僕は気付かないふりをすることにした。すでに真っ暗になった劇場の中、舞はちょこちょこと席に座る。
やがて、真っ暗になった場内に、上映開始のアナウンスが始まる。
「これ、舞の分」
「え、あ、ありがとう……」
舞にジュースとポップコーンを渡し、僕はゆっくり席に腰を下ろし、スクリーンに向き直った。
僕達の席はスクリーンの正面で、ちょうど大きな通路の前に面した場所だった。前に席がないのでずいぶんひろびろとしている。
あれだけの列も大きな劇場に入ってしまえば、立ち見の混雑ってほどのことはなくて、特に指定席のほうは半分と少し埋まっているくらいだった。
けれど僕はそんなことを気にしていることはできなかった。
もっともっと切実で困った事態が、僕のすぐ隣で進行中だったのだ。
「ん……っ」
小さく押し殺した声が聞こえる。ぎしっと椅子が軋む。ふぅー、という、荒い息を無理矢理落ちつけるような深呼吸が響く。
明らかに、おかしい。
僕も気付かないわけにはいかなかった。……僕のいない間にトイレに行ったはずの舞が、さっきの列待ちの時よりも落ちつきなくぎしぎしっ、ぎゅぎゅっと椅子を軋ませている。座る位置を直すふりをして、おしりがもじもじしてしまうのをごまかしているようだったけれど、それくらいじゃ焼け石に水だ。
明らかに、舞のおしっこ我慢の仕草は大きくなってきている。
でもどうして? まさか、またトイレに行きたくなったってことなんだろうか?
(たくさん、飲んでたし……そうかも)
こんな季節に冷たい飲み物。そんなこともあるのかもしれなかった。
できるかぎりのさりげなさを装って(少なくとも舞はそのつもりらしい)スカートの脚の間に手を挟み、ぎゅっと膝をくっつけ合わせる。そのたびに椅子の上で小さな身体が上下する。
まるで、見えないなにかに腰を擦り付けているみたいなその格好は、僕の頭を完全に占拠して、離れてくれない。
「んっ……っふ」
辛いなにかを堪える息遣い。ふかふかの椅子の上、前後するお尻。左右にくねる腰。時折身体をぐっと曲げて、小さく『あ』と声を上げる舞の様子は、もうはっきり言って扱いに困るくらいに僕の心を捕らえて離さない。
さっきの今で同じことを聞くのはさすがにためらわれたけど、黙っていられるわけもなかった。
「ね、ねえ、舞、舞ってば」
「……え? あ、えっと、なに…かな、ヒロくん」
この後に及んでも、舞はとぼける姿勢を崩さない。僕もだんだん腹に据えかねだしてきていた。だって、せっかくの……デートなのに、舞はいつまでも上の空で、全然僕のことを気にしてくれていない。
一応は、恋人、ということになっているはずの僕よりも、おなかの中のおしっこのことを優先しようとする舞の気持ちが、わからなかった。
「舞、トイレ入れなかったの?」
「そ、そんなことないよ。ちゃんと行ってきたよ」
「本当? じゃあなんでそんなに我慢してるのさ」
「が、我慢なんかしてないもん!」
小さな叫び声に、隣の席の人がちら、とこっちを見る。
でも、もうはっきり舞に聞かないと気が済まなかった。僕は慌てて人差し指を口の前に立てて、小声で舞に囁きかける。
「……してるよ、我慢」
「し、してないっ」
「してるっ」
「してないもんっ」
してる、してない、の押し問答。
一目でおしっこ我慢をしていると分かる舞が苦しみながら違うと言い張って、それを隣で見ている僕のほうがそうだと主張する、なんだかねじくれた言い争いだ。
それなのに、舞は強情に我慢なんかしてないと言い張った。僕も引っ込みがつかなくなって、ふたりで子供みたいに、むーっとなりながら顔を見合わせる。
「してるってば!」
「我慢なんかしてないもんっ! ヒロくんのバカっ」
もう僕だっていまさら後にひけない。売り言葉に買い言葉だ。
「そう。じゃあ、じっとしててよ。舞、トイレなんか行きたくないんならできるよね?」
「う、うん。当たり前だよっ」
こちらも強がりでそう答えて、ぎゅっと動くのをやめようとする舞。けれど、その静止は5秒も持たずに、あっという間にもじもじダンスは再開してしまう。
「ほら、やっぱり」
「ち、ちがうもん。熱いんだよ。ちょっと汗が出て気持ち悪いから」
「……舞、」
なおも言い逃れようとする舞に、僕はまっすぐその目を見て、言った。
「なんで嘘なんかつくの? 舞、べつに僕は、舞が何回トイレに行ったって嫌いになったりしないよ。恥ずかしいことじゃないもん、そんなの。今までだってそうだったんだしさ」
それは、心の底から僕が思っていたことだし、舞のトイレが近いのはおさななじみとしてちゃんと知っていた(知りたくなくても知っていた)ことなんだけど。
でも、いくらなんでもこのままずっと、僕よりもトイレの我慢を優先され続ければ、さすがに黙っていられない。
しばらく黙っていた舞は、ぷいと目を反らしてから小さく言った。
「……ヒロくんのバカ」
「え?」
「ふんだ。違うっていったら違うんだから。……わたし、ちゃんとトイレ行ってきたもん。そんなに何度も何度もトイレ行ったりしないんだから。さっきだってきちんと帰ってきたの見てたでしょ? ……ヒロくん、わたしなんかどうでもいいんだ。さっきからずーっとトイレのことばっかり気にしてるんだから。ヒロくんの変態!」
まるで叱られたことの言い訳をするみたいに、舞は答え、苛立ち紛れにジュースのカップをつかんでぐいぐいぐいっと半分以上を飲んでしまった。
そんなことない、と証明するかのように。
「そうだけど、でも、さっきまたしたくなってたじゃないか!」
「変態。そんなのまで見てたの? 我慢なんかしてないもん。平気なんだから!」
半分怒ったみたいな声でそんなことを言われて、僕もむかっとしてしまう。
「じゃあ、勝手にしなよっ。オモラシしちゃっても僕、知らないからねっ」
悪いのは舞なのに。それが僕のせいみたいに言われたら、いくらなんでもちょっとひどいと思う。僕にだって我慢の限界はあるのだ。わがままな舞には付き合っていられなかった。
せっかく楽しみにしてた映画なのに、見れないなんて嫌だ。
「う、うんっ。勝手にするよ。だっておしっこ我慢なんてしてないから」
「そうだね」
舞はさらに意地を張って、もう一度ジュースを飲んで見せ、べーっと僕に舌を出したのだった。
すっかり呆れ果てた僕も、冷たく答え、舞のことなんか気にしないで映画に集中することにした。
しばらくして。
スクリーンの中で、ようやく主人公が仲間を集めて王様から船を貰い、はじめての航海に出航した頃。舞がこれまでずっと響かせていた、椅子のぎしぎしが聞こえなくなっていた。
「んぅ……ふっ……ぁん……っ」
その一方で、押さえようとしても押さえきれない小さな声が、どんどん大きくなってきている。小さな衣擦れは、両手でスカートの上からぎゅっとなにかを押さえこむような、少しでも力を抜いたらたちまちとんでもないことになってしまいそうな、そんな切迫した気配。
「ね、ねえ……ヒロくん」
小さな声が僕を呼ぶ。でも僕はあえてそれを無視して、映画を見つづけていた。画面では海賊の大親分が、捕らえてきたお姫様を前に剣を突き付けている。大ピンチに怯えながらもまっすぐそれを睨み返すお姫様。そしてそこに急ぐ主人公。いまにも大暴れがはじまりそうな緊張の一瞬だった。
「ひ、ヒロくんっ……っ」
今度はもう少し大きく、すがりつくような声で、舞がぎゅっと僕の服のそでを引っ張る。僕はうるさいなぁ、と思いながら舞の方を見た。
舞はもう映画を見てはいなかった。とてもそんな場合じゃないらしい。
ぐっと前かがみになるように深く体を前に倒し、ほとんど身体を二つに折り曲げて、ぎゅっと閉じた脚の間に両手を突っ込んで、スカートの脚の間を硬く握り締め、小さく小刻みに震えている。
指の隙間からまっしろい下着が見えて、まるで、えっちなことをしてるみたいだった。
「ど……どうしよう……っ」
僕を見上げるように言ってくる舞の顔は真っ赤で、今にも泣いてしまいそうだった。
やっぱり、と僕は確信する。こうなるだろうことはもうとっくに分かっていたのだ。それなのに強情に首を振り続けてきた舞の自業自得だ。あんなに我慢してるのに、さらに冷たいジュースまで(しかもLサイズ)飲み干して、辛くならないわけがない。
「トイレ、行きなよ。我慢できないんでしょ?」
さんざん言ったのに聞かなかった舞が悪い。
ぶっきらぼうに答えて、僕はもう一度スクリーンに向き直ろうとした。いま、一番いいところなのだ。見逃すわけにはいかない。
けれど、舞は僕のシャツのそでを離してくれなかった。
「っ……、」
こくり、と口の中にたまった唾を飲み込んで、か細い声で舞は言ってくる。
「む、……無理だよぅ……た、立てない、もんっ……」
一瞬意味が分からず、瞬きをしてから。
僕はそのことを理解した。
「えええっ!?」
――舞は、ここでおしっこを漏らしちゃいそうだと言っている。
まさかの告白に驚いて声を上げてしまい、僕は慌てて口を塞いだ。
今度は前と後ろからも他のお客さんにじろりと睨まれて、僕はそれぞれにぺこぺこと頭を下げる。
そうしてから、恐る恐る舞に聞いてみた。
「ど……どうしても、ダメ? た、立てないの?」
「うん……さ、さっきまでは、その、なんとかこうしてれば平気だったんだけど……こんどのは、なんか、急にっ……すごくて……っ」
小刻みに震えている舞の爪先は、もう地面に触れてすらいない。
おなかを抱え込むようにして伸ばされた手のひらは、はっきりと脚の間のいけないところをぎゅっと押さえている。どれだけすごいおしっこの波がきてるんだろう、と考えてしまうくらい。
「んぅぅううっ……」
舞が小さく身じろぎをする。ぎしぎしが聞こえなかったのは、我慢できていたからじゃない。もう余計に動くと逆におしっこが出てしまいそうだったからだ。
我慢限界のおしっこが舞のおなかの中で膀胱をぱんぱんにふくらませ、そのなかでたぷたぷと揺れている様子を想像してしまって、僕はぶんぶんと首を振った。
「ね、ねえ、本当に? と、トイレまで……」
「ぅ……うんっ……が、我慢、できないよぅっ……」
舞はとうとう、口に出してそのことを認めた。
いきなりやってきたとんでもない事態に、僕はすっかり映画のことも忘れて慌ててしまう。
「え、えっと……ど、どうしようっ」
「ひ……ヒロくんっ……」
長いおしっことの戦いで疲れきって、僕よりも余裕のない舞が答えられるわけもない。かすれて切羽詰った声。すがるように僕を見つめながら、舞は『あっ』と声を上げた。
「っ~~~……ッ!! っふぅ……っ」
口をまっすぐに結んで、眉をぎゅっと寄せ、息を荒くして、それでもぎゅうぎゅうとあそこを押さえる手はそのままに、舞はぐいっと身体を反らす。おなかのなかで暴れているおしっこに動かされているみたいだった。
舞の背中が椅子の上からずり落ちて、身体を丸めたままシートの上にころんと転がっているような姿勢になった。前から見ればぎゅっと押さえつけているスカートの隙間から脚の付け根とおしりがはっきり見えちゃうような格好だ。
僕達の座っている席の先には通路があって、前の席の人はかなり先にあるから、まず見られたりすることはないだろうけど、二つ先のおばさんは不審げにこっちをちらちら見ている。一緒にいる小さな子は映画に夢中でこっちに気付いてはいないけど、おばさんは退屈しのぎにいいものを見つけたなんて思っていそうだった。
僕は、混乱する頭の中でもうわけがわからないくらいドキドキしっぱなしだった。
「ど、どうしよう……っ」
「どうしようたって……」
椅子から立たなきゃトイレには行けるわけがない。でも舞は間違いなく『立ったら、出ちゃう』状態だ。でもこのまま舞がおしっこを我慢し続けるわけにはいかない。
僕はごくっと唾を飲みこんで、ぎゅうぎゅうと力いっぱいあそこをおさえている舞の手をじっと見つめてしまう。
あの奥で、舞の力だけじゃもう押さえきれないくらいのすごいおしっこが、映画の向こうの嵐の海みたいにものすごい波を立てて荒れ狂っているはずだ。一番弱い場所から今にもダムが決壊しそうな、予断を許さない状況。
「ぁう……だめ、……で、ちゃう…ぅっ」
びく、と舞が身体を強張らせる。
考えをめぐらせようとしているうちに、僕は必死におしっこと戦う舞のつらそうな様子を見ていられず、思わず一緒に押さえてあげようと手を伸ばしかけてしまう。
(ば、バカっ!! 何考えてるんだっ!!)
片手で自分の頭を思いっきり殴り付ける。目の奥がちかちかして、じんとした痛みが頭の奥にまで響いた。
……とにかく、少しでも舞のおしっこがしたいのがおさまるまで、僕はただおろおろしながらそばで見ているしかなかった。
「ふぅー……はぁ……っ」
大波の合間のほんの少しの小康状態。それでも次にやってくる大きな波までおnインターバルに過ぎないかすかな時間に、舞が小さく息を吐く。
その時だった。
「あっ、ねえねえおかあさんっ」
遠慮のない幼い声が響く。映画館のなかでは歓声が続いていて、全員がそれを聞き取るという事はなかった――と思うけれど、その声は確かにはっきりと、僕の耳に届いた。
「あのおねえちゃんおしっこ? おしっこがまんしてるよ! ねえねえっ!」
「っ!!」
全くの不意うち――ちょっとした隙に舞の状況をみとがめた小さな男の子が、舞のほうを指差して叫ぶ。
「ほらおしっこ、おねえちゃんおしっこしたいんだよ! おトイレいってないんだぁ!」
僕が聞こえるという事は、周りの人にも聞こえるってことで。
「ダメなんだよね? オモラシしちゃうもん! ぼくできるよ! ぼくちゃんとトイレっていえるもん!」
たぶん、幼稚園くらいのその男の子は、最近ちゃんとトイレに行けるようになったのが嬉しくて、お母さんに自慢したかったんだろう。でもそれは、ずっと我慢を続けていた舞の努力を否定して、いけないことだと言っているのと同じこと。
そして、さっきからこっちを見ていたおばさんは、あろうことかそれを止めなかった。
「そうねぇ……お姉ちゃんなのにだらしないわよねぇ。リョウタはちゃんとお手洗いできるわよね?」
「うんっ、ぼくちゃんとおしっこできるよ! ちゃんとトイレでおしっこできるよ!」
まるで、舞はそれができないといわんばかりに――リョウタくんの声が残酷に響く。
おばさんは、きちんとしつけのできたリョウタくんを自慢したかったのだろうか。でも、あまりに無残な仕打ちだった。
「や、やぁ……ち、違うもんっ……わたし、わたしっ」
恥ずかしさと、悔しさと、誤解にふるふると涙を溜めて首を振る舞。
でも、舞のなかで高まり続けるおしっこは、その隙を見逃さない。恥ずかしくおしっこの場所を握り締めて腰を揺らし、動けない舞を――。
暗闇の中、今まさに始まったスクリーンの大活劇をそっちのけで、映画館のなかのほとんどの人の注意が、舞に集中する。
おしっこを我慢しきれない、恥ずかしい女の子として。
舞はとうとうそれに耐えきれず――
「でちゃう……ぅううっ……!!」
絶体絶命の窮地から、かすれた声で悲鳴を上げた。寄せ合わせれた膝がぎゅっと震え、腰がふわりと浮かぶ。
もうダメだ。
舞は、本当の本当に限界だ。
「っ……!!」
ええい!! マンガで読んだみたいな方法だけど、もう仕方ないっ!!
「ぁあああああ……っ!!」
舞が最後の声を絞り出すようにして叫んだ瞬間。
僕は覚悟を決めて、座席のホルダにあった自分の分のジュースのカップを掴むと、まだ半分以上残っていた中身を舞のシートにぶちまけた。
ばしゃんっ、と響く音に合わせて舞の悲鳴。これはさすがに、できるだけ無関心を装っていた人まで巻き込んで場内の注目を集めてしまった。一瞬シンとなる劇場の中。
「すいません……ジュ、ジュースこぼしちゃいました!! ……ごめんなさいっ」
けれど、もう緊急事態なので仕方がないのだ。後ろの座席から立ちあがったり、隣の列からなにごとかと覗きこんでくる人たちに頭を下げて、僕は舞の手を掴んだ。
「舞、いくよっ、立てる?」
「っ……」
俯いたままの舞をぐっと引っ張って立ちあがらせ、歩き出す。
ざわざわと揺れる喧騒の中、ちいさくしゃくりあげたままの舞をぐいぐいと引っ張って、僕は非常口のドアを押し開ける。
……胸の奥を、苦い思いが一杯に満たしていた。
僕達の歩いてきた廊下には、、ぽた、ぽた、ぴちゃん、と雫が続いていた。
舞の下半身から滴る水滴が、靴と靴下、それにスカートをぐっしょりと濡らし、舞の靴跡をタイルの上に点々と残している。どれもみんな、舞がとうとう我慢できなかったこの証だ。
「っ……ぅ」
舞はホールに出てもまだ脚を内股に震わせて、黙ったままだった。たぶん、脚の間はこれ以上ないくらいにびしゃびしゃで気持ち悪いだろうし、こんなに大きくなってからのオモラシのショックはそれだけ大きいんだろう。
あんなに大勢の前でおしっこを我慢できなかったなんて、僕だって想像するだけでも死んでしまいたくなる。まして舞は女の子だ。
(僕の、せいだ)
せっかくのデートで。
恋人になったばかりの女の子に、あんなに酷いことをさせてしまったんだから。
嫌われたって、愛想をつかされたって、……できる限りのことを、するしかなかった。
「あの……」
「はい、なんでしょうか?」
ホールに出た僕は映画館の係の人を呼びとめて、席にジュースをこぼしてしまったことを説明する。
……ずいぶん無理矢理な説明だったし、多分僕達の席の近くにいた人たちにはバレバレの嘘だったけど、係の人には少し怒られたくらいで見逃してもらえた。スカートをびしゃびしゃに濡らしてしまっていた舞が、しゅんと俯いたままだったことも大きかったのかもしれない。
掃除のために歩いてゆく映画館の人にもう一度頭を下げて、僕は舞の手を取った。
「ねえ、トイレ……行ってきなよ」
「……うん」
「これ、コート。着替えてきなよ。……僕、ここで待ってるからさ」
「うん」
さすがのショックにすっかり打ちのめされているのか、舞はか細い声でうなずくだけ。
それでも舞はよろよろとした足取りで、トイレの中に入っていった。
点々と、濡れた靴跡があとに続いてゆく。
……おしっこが出てしまうのと、トイレに入るのと、順番は変わってしまったけど、……それは本当に致命的なことだけど。
とにかくこれで少しでも舞が落ちついてくれればいいと思う。僕がいないほうがいいのかどうかわからないけど、独りになりたいと思う気持ちもあるはずだ。
……もうすぐ卒業なのに、まさか、オモラシなんて。
舞の気持ちは想像することしか出来ないけど、とてもショックに違いなかった。
「ヒロくん……」
待つこと10分。舞がトイレのドアから顔を覗かせる。ゆっくりと押すタイプのドアを開けて、疲れた様子の舞がゆっくりとこちらを窺う。
「ごめんね……」
「いいよ。僕も、ひどいことしちゃったし。僕のほうこそ謝らなきゃ。……ごめん、舞」
一応理由はあったとしても、舞の服を汚してしまったのは事実だ。それに、あんなことを言ってしまった僕が悪い。
でも、舞は首を振るばかりだった。
「ううん。ごめん……ごめんなさい」
真っ赤になりながら、舞は廊下に出てくる。上から下まできっちりコートのボタンを留めていた。丈が長いので、これなら元気に走りまわったりしなければ盛大に染みのついてしまったスカートも見えずに済むだろう。
「でも、さっき……映画の前、ちゃんとトイレ行ったんだよ……それなのに、急に……」
「そっか」
たぶん、今日の舞は特別、おしっこが近いんだ。緊張とか、飲んだものとか、いろいろ理由があるのかもしれないけど、何度もトイレに立つのがきっと恥ずかしくて、意地を張ってしまったんだろう。
劇場から歓声が上がる。すっかり忘れていたけれど、そろそろ前半のクライマックスの時間だ。
「どうしようか。まだ続き、やってるみたいだけど」
「ううん……でも、もう今日…はね、その……っ」
全くその通り。あんなことになった後で、当の舞がまた映画を見れるわけがない。ほじかのどこかに寄りたいなんて考えるわけもなかった。ここでもデリカシーのなさを見せてしまい、僕は自分で自分の頭を殴り付ける。
「……そっか。じゃあ帰ろうか」
「う、うん……」
とぼとぼと歩いてくる舞に付き添って、その手を握る。
「あ……っ」
舞は反射的に手を引っ込めかけたけど、僕は構わずにその手を取った。
たぶん、舞の手はオモラシの瞬間、おしっこでびちゃびちゃになっていた。もちろん洗ってきたはずなんだけど、やっぱり抵抗があるんだろう。
でも、汚いとか、気持ち悪いとか、そんなことを考えちゃいけないはずだった。
「……行こう」
「うん」
僕は小さく俯く舞をつれて、映画館を出た。
帰り道の電車の中でも、舞はずっと俯いたままで、ときおり小さく肩を震わせていた。泣いていたんだろうと思う。
僕はそんな舞に掛けて上げられる言葉も見つけられないまま、ずっとその隣にすっていることしかできなかった。胸が情けなさで一杯だった。こんなときにどうしていいのか解らないくせに、恋人、だなんて舞いあがっていた自分があまりに情けなかった。
舞はずっと黙ったまま、やがて四つめの停車駅で、僕達は電車を降りる。
改札を抜けて駅前を過ぎ、もうすぐ家の近く、というところで。
舞は、とうとう堰を切ったように、舞が小さく唇を震わせて、言う。
……僕が、予想もしていなかった言葉を。
「ヒロくん……っ」
舞は掠れた声で、僕を見、そして必死に訴えた。
コートの裾から、剥き出しになった両足を交差させ、くねくねと腰を揺すり、道路の真ん中でまるでしゃがみこみそうに前かがみになって。
「……と…ぉ……トイレ……行きたい……・っ」
「え、えええええっ……!?」
衝撃の告白。
けれど、舞の様子は明らかに、さっきの時にも匹敵するくらいのすさまじい我慢の真っ最中。中腰になったお尻の、コートの裾からは今にも激しい水流が吹き出してしまいそう。
「ひ、ヒロくん……っ、だめ、でちゃ…う」
「ちょ、ちょっと待ってよ舞!! だ、だって、だって、さっき!!」
だって、
さっきの映画館で、舞はとうとう我慢できなくて、オモラシしちゃったはずだった。いくらトイレが近くたって、いくらカフェオレにジュースに、あんなに水を飲んでいても、ほんの30分くらいしか経たたないうちに、こんなにぎりぎりの限界寸前になってしまうわけがない。
呆気にとられる僕の前で、舞はぶるぶると脚を震わせながら、勝手に説明をはじめる。
「さ、さっき、は、ね……もうホントに、ダメだって思ったんだけど……最後の最後で、ぎりぎりで我慢できたから……あはは、ちゃ、ちゃんと我慢したよ? しつれい、しちゃうよね……人のこと、トイレもきちんとできないみたいに、さ……」
それは、少しでも気分を紛らわそうということだったのかもしれない。言い訳を繋ぎながら、舞はぎゅぎゅっと強く強く前を押さえる。
とてもじゃないけれど、演技には見えなかった。
でも、だとしても。
もしあの時、本当に舞がオモラシをしてなかったとしても、その後で舞は着替える時にちゃんとトイレに行っている。そこでおしっこをすることはできたはずなんだ。
まして、舞は商店街の時にも、ちゃんとトイレに行っているはずだ。それだけじゃない。その後にだって、映画の前だって、舞はちゃんとトイレに行くチャンスがあったはずだ。それに戻ってくる時はちゃんと手を拭きながら……
(まさか)
ふと、気付く。
自分の場合を考えてみる。ふつう、普通は、トイレに行ってから手を洗っても、そのまま濡れた手で外に出てきたりしない。ハンカチがあるんだし、ちゃんと手を拭いてから戻ってくるはずで、いくらなんでもトイレから、場内の自分の席までずっと手を拭いているわけがない。
だったら、舞はあの時、やっぱりトイレには行かずに……そのまま、戻ってきたってことにならないだろうか。
自分でも信じられない想像に、頭を殴られたみたいな気分だった。
「ど、どうして!?」
「だ、だって……デートなのに、せっかくのデートなのに……ヒロくん、ほっぽって、そ、その、トイレ、なんか……っ」
「そんな……」
うまく言葉が繋がらない。舞が、そんなことをしていたなんて思いもよらなかった。
「で、でも、今日、舞、何回も……」
「ちがうもんっ!!」
舞は声を荒げて叫んだ。
「と、トイレなんか……行かないんだから……っ、わたし、そんなに、トイレばっかり行くような、恥ずかしい女の子じゃないんだからっ……!!
お、おしっこしてばっかりの、恥ずかしい子じゃ、ないんだからっ!! それなのに、ヒロくん……と、トイレのこと、ばっかっ……」
痛々しいまでの姿で、涙を滲ませて。
悲痛に叫ぶ舞の姿に、鈍い僕もやっと理解した。
舞にとって、トイレに行くってことはたぶん、僕が思っているのよりもずっとずっと恥ずかしいことで、秘密にしなければいけないことだった。ひょっとしたら誰かにからかわれたり、いじめられたりしていたのかもしれない。
……いや、僕だって、きっとこれまでも無神経な言葉で舞を傷付けていた。思い返せば心当たりはたくさんあった。休み時間のたびにトイレに行っている自分を、そんなに何度もおしっこをしてしまう自分の身体を、舞はずっとコンプレックスに思っていたのに違いないのに。
そんなことを考えもせず、僕は舞のトイレばかりを心配していた。
舞は、僕とのデートに緊張して、『恋人』として恥ずかしいところを見せたくないと必死に頑張っていたのに。
それなのに、僕はいつもの調子で接してしまった。だから――
「ねえ、舞、まさか」
聞きながら、僕はほとんど確信していた。
「今日、いちども……その、できてない、の?」
「…………ぅん……」
消え入りそうな声で、こくっ、とうなずく舞。
一番最初に、商店街ででトイレに行った時も、入り口のところに入って、すぐに回れ右して手を洗ってそのまま出てきだのだという。
あんなに混んでたのにすぐに戻ってきたのはそういうわけだったんだ。
「ヒロくんとの、デートなんだから……恥ずかしいことしちゃダメって……」
「そんな……」
そんな些細なことで、舞は今こんなに苦しんでるのかと思う。舞がこんなになるまでおしっこを許さなかったのは、ほかでもない、僕自身だ。
あまりのことに、あたまがちりちりするくらいだった。
だって、今朝の9時から……今はもう午後の2時近い。ということは、舞はもうずっと、5時間近くもおしっこがしたいままなんだ。
僕だって、トイレに行けなくて苦労した経験がある。幼稚園のころは我慢しきれなくてなんどか失敗しちゃったこともある。それなのに、僕よりもずっとトイレの近い舞は、たくさんおしっこをしなければいけないはずの舞は、おなかいっぱいにおしっこを我慢して、もう何時間もずっとずっとそのままでいる。
「は、早く行ってきてよ、待ってるから!!」
「で、でも……っ」
この後に及んで舞は首を振る。
このすぐ近くには公園がある。そこには公衆トイレがあって、誰でもすぐに使えるようになっている。らちがあかないと思って、そこまで舞を、それこそ抱えてでも引っ張ってでも連れていこうとした僕だったけど、舞は強固に抵抗する。
「舞? どうしたの? も、もう……その、」
舞は相変わらずの、へっぴり腰のまま。
「ご、ごめんね……ゴメンなさい、ヒロくん……わ、わたし、……あそこのトイレ、嫌い……つ、使えないのっ!! あのトイレじゃ、おしっこ、できないのっ……」
もう、隠しておくだけの余裕もないのか。舞は激しくその場で足踏みを始めてしまいながら、次々と大切な、なによりも一番秘密にしておかなければならないことを、波だの向こうに告白する。
「……あ、あそこ、和式だから……ぁ、わ、わた、し……っ、しゃがんで、使うトイレ、……使えなくて……っ!!」
「え……っ」
きっとそれこそが、舞がトイレを、おしっこを恥ずかしいと思いこんでいた一番の原因。僕の家も、舞の家も、トイレは洋式だったから気付かなかった。
最近はだいぶ少なくなったけど、まだまだあちこちにある和式のトイレ。舞はそれを使うことができないんだという。原因は確か、ずっと小さな頃に、田舎でお化けの出そうな古いトイレで、間に合わなくって大失敗をしてしまったこと。
「ごめんね……ヒロくん、っ、ごめんなさいっ」
……ごめんなさい、と、謝り続ける舞。
でも、違う。僕がなんでそのことを知っているかというと、その田舎というのは、僕の田舎のことで。
僕はその時の、オモラシをしてしまった舞のことを――覚えている。
舞がずっとずっと、トイレのことをを恥ずかしい、と思っていた理由もそれだったんだ。
和式のトイレを使えない、きちんとトイレをできないって知られるのが嫌だったから、あんなふうに虚勢を張ってしまった。
「ま、舞、じゃあ……」
別のトイレに、と言いかけて。僕は口をつぐんでしまう。
ここのほかにすぐ使える、近くのトイレの場所は、とっさには出てこなかった。
「ど、どうしよう。どこかでトイレ、貸してもらおうか?」
「や、やだっ……恥ずかしいよぅっ……」
トイレに行くこと事態が恥ずかしいと思っている舞には、知らない人にトイレを借りるよう頼むのは難しい注文だろう。
それにもし、もしも、借りたトイレが洋式じゃなかったら、舞はまたおしっこができないままだ。トイレを目の前にして、ますますしたくなるおしっこを我慢し続けるのはとても辛い。また同じような事があれば、今度こそ舞はオモラシしたっておかしくない。
「お、おうちまで……我慢するからっ……」
悲壮な決意だった。度重なる我慢のせいか、舞の言葉遣いもちょっと子供っぽくなってしまっている。オモラシなんてとっくに卒業したはずなのに、その恐怖と戦っているうちに段々昔に戻ってきてしまったのかもしれない。
その、内股でスカートをおさえ、よちよちと歩く舞の後ろ姿に、あの時の、お気に入りのワンピースをオモラシで台無しにしてしまった時の小さな女の子の姿が一瞬、重なって見えた。
「ま、舞、頑張って、あとちょっとだから……」
「う、ぅうっ、あぁあっ……」
ふらふらと頼りない足取りで、舞は最後の角を曲がる。この先が舞の家で、僕の家もそのすぐ隣にある。
いつオモラシしてしまってもおかしくない様子で、もどかしくなるくらいの足取りで道路を横切った舞が、びくん、と背中を伸ばして立ち止まる。
「ぅぅ、まって、だめ、だめ……っ、だめぇ……っ」
あとほんの数メートルの距離で、猛烈なおしっこの波に行く手を遮られ、舞はまるで呪文みたいに『がまん、がまんっ』と小さく口の中で繰り返す。変わってあげられるものなら変わってあげたいのに、僕にはなにもできない。こんな時までまるっきりおさまらない胸のドキドキが恨めしかった。
「っ、あ、あふ、……っくぅ……だっ、……ああ、やだっ……またぁ……っ」
一度こうなってしまうと、なかなかおさまらないのはもう何度も見せられてきた。立ち止まっての我慢のたびにボロボロになりながら、舞は辛うじてこれまでもおなかの中で暴れ回るおしっこを押さえこんできたのだ。
押さえた手のひらのあいだで、ベージュのコートがくしゃくしゃになって、ボタンがまたひとつ外れてしまっている。
靴下を脱いで、濡れた靴だけ履いた舞の格好は、ちょうどコートの下には何にも着ていないみたいに見える。
先回りして舞の家の玄関に飛びついた僕だったけど、返ってきたのは思い手応え。
なんと、間の悪すぎることに、舞の家族は残らず外出していて、留守だった。
「えっと……舞、鍵はっ!?」
「ぁ、バッグ、の、なか……」
反射的に僕は舞の鞄を開けようとする。
けれど、
「っ、だめぇ!!」
舞はなにかに弾かれたみたいに叫んで僕の手から鞄を取り上げた。
「わ、わたし、じ、自分で、開ける、からっ……あ、開けちゃダメ!!」
この時の僕には思い至らなかったけど。
舞は、おしっこで汚れた靴下と、それを拭いたりしたハンカチを、全部この鞄の中に入れていた。そこを僕に見られたくなかったんだ。
震える手で鍵を探し出した舞は、ふらふらとドアによりかかかる。
けれど、動けない状態で無理に動いた反動なのか、舞の我慢はついに限界を迎えようとしていた。
「ぁ、あっ、あ、っ、あ、あーっ!!」
「舞っ!!」
舞の声がひときわ高くなる。
右手でコートの上からおなかを押さえ、左手で鍵を開けようとする舞。でも震える鍵は鍵穴に収まらず、それがますます舞を焦らせる。舞のお尻は不恰好にぐいっと後ろに突き出され、小さく左右に揺すられている。
まずい、と思って僕は舞の代わりに鍵を開けようと、駆け寄った。
でも、もう間に合わなかった。
「いやぁぁ……っっ」
ぶるぶると舞が震えた瞬間、ぶじゅっ、と大きな水音が響く。
舞はドアノブにしがみ付いたまま、とうとう我慢の限界を迎えてしまった。下着に水がぶつかるくぐもった音に、舞はとっさにコートの前を押さえる。
でも、もう手のひらなんかじゃとてもじゃないけど塞き止められない。一瞬遅れて、剥き出しの太腿の間から滝のように激しい水流が吹き出す。たちまち舞の手のひらをいっぱいにして溢れたおしっこがドアを直撃し、玄関前のコンクリートに大きな水たまりを作る。
「いやぁ、で、ないで……止まってっ、止まってぇ……っ」
女の子のおしっこが、あんなにも激しくすごい量だっていうことを、僕ははじめて知った。僕がどんなに我慢しても到底届かないような、ものすごい勢いと量で、まるで蛇口にホースを繋いでその先を潰した時にそっくり。
パンツの上からでも全然関係ないというみたいに、舞のおしっこは止まらない。
「やだっ……ちがうの、おしっこ、ちゃんと…っく、…で、できるもんっ……ちゃんと、おトイレまで……我慢できるもんっ……!! ひぅあ、っ、あ、だめ……ぇ」
本当なら、5回に分けて出されていたはずの舞のおしっこ。
壊れてしまった蛇口のように恥ずかしいお湯を吹き出し続けるおしっこの出口を必死に押さえ、舞は足元に恥ずかしいお湯を次々と撒き散らしながら、ふらふらと庭の方に歩いてゆこうとしていた。
「舞……」
舞が出したばかりのおしっこが、隠しようのない跡になって乾いた地面を濡らし、脚の付け根を押さえた舞の指の間から、ばちゃばちゃと水流が吹き出してゆく。
「やだ……とまって、止まってよぅ……っ」
でも、舞にとっては5回分のおしっこが一度に出ているんだから、そんなに簡単に終わるわけない。
とうとう舞はしゃがみ込んでしまった。押さえるもののなくなった舞の股間から本当の勢いでおしっこが吹き出して、庭の真ん中におおきなおおきな湖を作る。いったいどれだけ我慢してたんだろう、と思うくらいに、舞はたくさんのおしっこをしていた。
やがて力尽きたように舞の膝が折れ。腰が落ちた。
自分で作ったおしっこの湖に座りこんでしまい、それでもなお舞のおしっこは止まらなかった。
これまでいちどだって見たことのない、女の子のおしっこの姿。それももうどうしようもないくらいにたくさんの量。
我慢に我慢を重ねた末、舞の身体をぐちゃぐちゃに濡らし、おしっこを出し続ける舞から、僕は目が離せなかった。
「……ふぇ、うぇっ……ひっく……」
僕は、何をすることもなく、じっとそんな舞の姿を見つめながら……かちかちに固くなった股間と、パンツに広がるぬるっとした感触を感じていたのだった。
(初出:書き下ろし)
初めてのデートのお話。
