お花摘み

(……だ、だめっ、もう…が、我慢できないっ!!)
 藤原早紀はとうとう音を上げた。ちりちりとおヘソの裏側を炙る尿意はいや増し、下腹部は石のように張り詰めてずっしりと砂が詰まったように重く、すでに自由な身動きすら難しい。我慢の限界を悟った早紀は、上品にお喋りに興じているクラスメイトの輪からそっと抜け出すことを決意した。
 部活のお茶会の席を中座し用を済ますなど、伝統ある御園学園の生徒としてあまりにもはしたない行いだが、もはや仕方がない。緊急避難で情状酌量の余地はあるだろう。
「…………失礼します」
「――あら、藤原さん、どちらへ?」
 会話の間を見計らってさりげなく席を立ったつもりだった早紀だが、斜向かいに座っていた1年上の先輩である美鈴が、そんな彼女を目ざとく見つけて声をかける。
「す、すみません、わたくし、ちょっと……その、お…お花摘みに、行ってまいりますわ」
「あらあら……それは。大変ですのね。……どうぞ、ごゆっくり」
「し、失礼しますっ」
 予想外の答えであったのだろう。一度軽く眉を跳ねさせた美鈴が、にこりと微笑んで優しく声を掛ける。いたたまれなくなった早紀は真っ赤になりながら再度頭を下げると、お茶会のテーブルから離れ、一目散に手近な木々の梢の中へと走りこんだ。
 お茶会の開かれている広場のある学園の東の森は、近くの建物まで1時間。とてもではないがそこまで走って戻る余裕はない。
 仮にも学園の生徒が屋外で用を済ますなどあってはならないことだが、このまま黙って最悪の事態を招くよりはまだマシな選択肢であると思えた。……いや、そうでとも考えなければやっていられない。
(ぅうっ……くぅ……)
 背丈の高い茂みを掻き分け、震える爪先をせわしなく動かしながら、早紀は森の奥へ奥へと向かってゆく。じんじんと震える下腹部の痺れは、徐々に足の間へと下りてきていた。もはや一刻の猶予もない。
「……こ、この辺りなら大丈夫かしら」
 広場から十分に離れ、物音が聞こえなくなったことを確認しながら、早紀は小さく張り詰めていた息をこぼした。ゆっくりと周囲を見回し、『これは』という場所を茂みの中に探す。
 そろそろ辛抱も限界に近い。焦るキモチを押さえ付け、込み上げてくる尿意に耐えるため揺すってしまいそうになる腰をそっとおしとどめ、慎重にあたりを確認した。
 ほどなく、令嬢は青々と育つ草むらの中に、黄色の花をみつける。
「ぁ……っ」
 それが引き金となって、早紀の下腹部は敏感に反応をはじめてしまう。
 はしたなくくねくねと腰をモジつかせながら、少女はよたよたとそこに歩み寄り――ついにたまらずしゃがみ込んでしまった。
 けれど、もう心配は要らない。ここでなら誰の目にも触れることはないのだ。
「ぁあ……よかった……」
 安堵と共に小さな花の茎を摘んだ早紀は、花弁の根元からそれを軽くちぎった。手慣れた動作で茎の根元から滲む透明な蜜を口に含む。
 じんわりと口に拡がる甘い味。
 同時に、下腹部の緊張もゆるやかにほどけていく。
 この花はキヨハセンカと呼ばれる薬草の一種で、自律神経の一部に作用しある種の感覚を麻痺させる効能がある。
「ふぅう……」
 それはつまり、自律神経の一種である尿意の緩和である。固く強張った膀胱はゆっくりと弛緩し、限界寸前だった許容量をやんわりと受け入れてゆく。
 無論ながら、いちど膀胱にたまったオシッコがどこかに消えてなくなるわけではない。依然として、早紀の下腹部は大量のオシッコに占領されたままだ。しかしそれでも、さらに我慢ができるだけの余裕が戻ってくる。
 キヨハセンカの効能はいわば、腹下しを止める薬に近い。排泄物そのものは残っていても、尿意を感じる原因さえ取り除けばすぐに漏れ出してしまうことはないのだ。
「……んっ」
 自然を愛し、博愛をもって尽くすというのが早紀が通う御園学園の理念である。きちんと排泄のための設備が用意されていない場所でオシッコなどをしてしまおうものなら、たちまち大きな水たまりが地面や草花を汚してしまう。
 尿に含まれる女性ホルモン、エストロゲンは、昨今環境ホルモンとして問題が取り立たされている。下水から排出された女性のおしっこが原因となって環境破壊が進んでいるのだ。
 美しい自然を愛し、守ることを信条とする早紀には、屋外でオシッコを済ますなど論外である。だから、こうしてキヨハセンカの効能を使って我慢の一助としていた。
 “お花摘み”とはトイレの隠語だが、早紀にとってはこのキヨハセンカによって迫り来る尿意を一時的に凌ぐ行為を示していたのである。それゆえに、早紀には比較的簡単に口にすることができる言葉でもあったのだ。
 もっとも、野外排泄に至らないとは言え、トイレを我慢していることを悟られるのは、年頃の少女にとってあまりにも恥ずかしいことではある。
(ふぅ……)
 だが、不幸なことに、健気な乙女がオシッコを我慢し乙女のたしなみを保とうとするこの行為を指しているこの言葉が、他のクラスメイトたちにとっては屋外で我慢しきれずトイレを済ませる意味であることを、早紀は知らない。
 早紀ににとってお花摘みとはあくまで花を摘む行為であった。
 だからこそ、この後に待ち受けている悲劇を、早紀は予想もできずにいた。
(もう少し、いたいですけれど……そろそろ切り上げないといけませんわ……)
 次第に楽になってきた下半身を軽く撫でさすり、早紀はそっと立ち上がる。
 “お花摘み”は無事終わった。ずしりと重い下腹部は鈍く疼き、下半身はまだまだ辛さを訴えていたが、先刻までに比べれば格段に楽になっている。
 後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、早紀は慎重に服装を改める。しゃがみ込んでいたことでスカートにできてしまった皺を丁寧に伸ばし、汗に滲んだ手のひらを綺麗にハンカチでぬぐい清め、我慢の痕跡をすっかり消し去ってゆく。
 まるで本当にトイレを済ませたかのような手順で、ゆっくりと身づくろいを終えた少女は、落ちついた下腹部に余計な刺激を与えないよう、ゆっくりとした足取りで茂みを後にした。
(初出:書き下ろし)

タイトルとURLをコピーしました